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『農的小日本主義の勧め』(柏書房 1985年、復刊 創森社1995年)

(1) 「日本農業新聞」(1985年3月6日)

食糧から工業用原料まで輸入に依存し、「寄生的国家」として成長していく日本の進路に警鐘を乱打している。資源的に検証しても、日本こそ農業に向いている国であり、リサイクル的自立国家を目指した「農的小日本主義」を勧める。

「農的小日本主義」とは著者の造語に違いないが、由来は故石橋湛山氏が70年前、「軍事大国主義を排し、小日本主義に徹せよ」と主張したのと同床である。「貿易立国、通商立国一辺倒の経済大国主義から脱却が容易でないことは十分わかる。しかし、同時代の外国の資源を、そして世界の未来の資源を、まるで植民地から奪うかのように使い、世界中からひんしゅくを買っている状態が長く続くわけがない、他国のふんどしで相撲をとるのでなく、自らの力で生きる道を探す必要がある」と主張する。

……いわれのない農業批判や農業軽視の風潮の中で、日本農業の将来をどう展望するかをつかむには必読の書。




(2) 「朝日新聞」(1985年4月15日)

…..本論もその1つであるが、その文明論的な壮大な視野と、自ら農村で育ち、また農政に携わっている著者の農業への愛着とを特徴とする。痛快でもあり、異色でもある議論である。

日本のみでなく、全人類の百年の大計を考えるとき、21世紀は省資源・省エネルギーの時代であり、先進国相互間のみでなく、南の開発途上国との共存を必要とする時代である。その展望に立つとき、食料の生産と資源のリサイクルを担う農業の重要性は増加することはあっても減少することはなく、また、日本が加工貿易大国としての道を永久に歩むことは不可能であると筆者は主張する。日本は、率先して、「時と場合によっては現在維持されている生活水準を下げても」リサイクル的自立国家を目指すべきだという。表題の『農的小日本主義の勧め』はそのような主張を表している。

こういう文明論的部分については賛否両論がありうる。また、そうであってよい性格のものであろう。その部分はさておいても、本書は随所で示唆に富む論点を提出している。たとえば、「安全な食物の安定的供給」を求める消費者の立場と農業保護政策とが両立しうるはずだという主張とか、石油の消費地生成主義の原則によってガソリンのシンガポールからの輸入を行政指導でやめさせるなら、「安全性・新鮮さ・味」を重視する食べ物の性格から言って、消費地飼育主義をとり、牛肉や乳製品の輸入を制限してもよいのではないかという指摘などである。

……賛否両論は別にして一読に値する書物である。




(3) 「信濃毎日新聞」(1985年2月18日)

…….戦後生まれで農林水産省の現役である著者(中野氏出身)は石橋湛山に学びながら、「農は国の基」の思想に基づき、人づくりのためにも「農的小日本主義の勧め」を説き、民族の活力温存のためにも農村的資質の重要さを強調する。寄生的商・工業用国家からの脱却を訴え、ニセモノの農政が栄え、ホンモノの農業・農村がますます窮地に陥っている現実を糾弾する。戦後世代の危険感あふれた世界観の表白と注目される。