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『第1次産業の復活』 (ダイヤモンド社 1995年)

(1) 「信濃毎日新聞」(1995年11月26日)

(社会農学研究所長 安達生恒)

著者は中野市生まれである。中野はコメや野菜のほかにリンゴ、モモ、アスパラなどができる豊かな農村で、著者の生家もそういう専業農家だった。

農水省に入ると2年ほど米国に留学し、その中で農家に泊まり農業を手伝った経験も持ち、その体験を書いた本も出した。さらに近年はOECD日本政府代表部参事官として3年間パリに住み、暇を作ってはフランスの農家に民宿し、その生活をつぶさに見てきた。そして今は水産庁企画課長の要職にある。農水省エリート官僚には珍しい出自と体験を持つ著者が、この本で訴えているものは何か?

日本は世界人口の2%しか占めていないのに、世界の農林水産物貿易額のうち農産物で8%、木材で20%、魚で28%を輸入する「恐ろしい国」、「世界で最もゆがんだいびつな国」となった。21世紀の世界課題は環境、資源、人口、食糧問題にあり、それを解く鍵は第1次産業の振興にある。また日本の国内問題である高齢化、過疎、過密、人間疎外、社会連帯の崩壊、教育の荒廃を正す基本は第1次産業にあるというのに、日本の第1次産業の衰退は目を覆うばかりである。著者はそれを憂い、この本を書いたという。

……疑問がある。……それは官僚機構の宿痾か、農業「族議員」のせいか?だったら著者はさっさと官吏をやめて郷里から衆議院に立候補したらどうか?郷党はもちろん、父上も大賛成だろう。そういう議員が出ないことには、第1次産業はますますダメになるばかりだ。

……著者の指摘は今、地方では通念となった感がある。「政策編」の続編を切に期待する。



(2) 「サンケイ新聞」(1995年11月19日)

先人の哲学を通した自然賛歌  (客員論説員 箱崎道朗)

この本はエコロジストを自認する著者による自然賛歌の書である。著書によると、日本の河川の流域が他国では見られないほど安定しているのは、江戸時代に日本中で行われた治水事業のおかげであるという。江戸時代の治水事業は土木工事の面でも非常に優れていたが、それ以上に優れていたのは「治水は治山にあり」という発想であり哲学であったという。

……いまも鬱蒼と繁る樹齢180年の杉や檜の国有林は、元をただせば江戸時代に村人総出で何10年もかけて植林されたものであるという。

……日本の凄まじいばかりの自然破壊がなぜ起こってしまったかについては、この本は書き尽くしていないところが多いが、自然の恵の深さを知る上で貴重である。



(3) 「エコノミスト」(1996年2月26日)

本書は、日本の農林水産業の将来に悲観的な世の「常識」を打ち破り、第1次産業の持つ新しい役割とビジョンを説くユニークな書である。

日本は資源に乏しいという「常識」に対して、水、土、太陽、森、草、海に恵まれた豊かな「リサイクル資源大国」であると論ずる。日本農業は競争力がないという「常識」に対して、米麦一貫生産体制、有畜複合経営等を柱とする「日本型農業」こそ進むべき道であるとする。農村漁村の過疎化は不可避であるとする「常識」に対して、欧州のグリーンツーリズムを参考にしつつ、日本の農村漁村の魅力を再発見している。さらに、森林の意外な働きや資源管理型漁業の重要性も訴える。

著者は、アメリカとフランスに駐在したことのある国際経験豊かな農林水産官僚であり、多くの具体例と文献に裏付けられた論理展開は、読者の心の奥に迫る。また著者の生まれ育った長野の農村やフランスのエピソードには、心がなごむ。本書は第1次産業に縁のない人にこそ読んでほしいものである。



(4) 「時事通信社」(1995年12月25日)

いきなり「日本は資源に恵まれた国である」という記述から本書は始まる。手あかにまみれたような「日本農業は厳しい・・・」というような表現は登場しない。欧米の巨大で近代的な農業をあがめたてまつるような議論も出てこない。日本の豊かな水と温暖な気候、それらにはぐくまれた緑と森林と水田が、外国に比べて見劣りすることのない優れた資源であることを、さまざまな事例を挙げながら紹介する。

農水省中堅官僚の筆者が筆を執った5冊目の書籍。農業とかかわりの薄い人たちに、平易な言葉で農業の大切さを訴えることができる数少ない人材だ。農水省内で有機農業への共感を唱えていたため、かっては「環境派」のレッテルを貼られて肩身の狭い思いをしていた。最近の世の中の風潮を背景にして、農水省の座標軸のほうが筆者に近づいてきた。