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『霞ヶ関いなかっぺ官僚・アメリカは田舎の留学記』(柏書房 1983年)

(1) 「信濃毎日新聞」(1983年9月19日)

広大な農村にこそ素顔

「霞ヶ関いなかっぺ官僚」と表紙のてっぺんにある。中野市の農家出身で農水省のお役人であるが、歯切れがよくて、いなかっぺに自信を持っている。政府長期在外研究員として、昭和51年から丸2年間、アメリカに留学。が月並みに大都市には行かなかった。ワシントン州シアトルとカンサス州の田舎町マンハッタンを根城にあちこちまわったときの模様を、みずみずしい筆致でユーモアたっぷりに書きとめている。アメリカ探訪の本は数多いが、題名にあるように視点を農村に据えたものは珍しい。読んで、改めてアメリカの別の素顔に気付く人も多いだろう。

…….といっても本の中には、いかにも農水省の行政マンらしく、アメリカ農業の観察や日米農業の比較論も散見する。

…….だが、それ以上に生き生きとしているのは篠原さんが留学中であった人々との交遊録やアメリカ文化見たままを書いた文章だ。宗教がアメリカ人の生活といかに抜き難く結びついているかを述べ、それに対し、日本人は周知の知人らに帰属する“人信教”を信じていると述べた「アメリカの中の日本」の章。アメリカ人学生は日本人の学生と比べるとはるかに勉強するし、シビアであり、真面目であることや、マリファナや覚醒剤に取り付かれた学生、メキシコ人の学友との旅行記をつづった「アメリカの仲間たち」の章など面白い。「留学して、一番よかったと感じるのは、実にたくさんの人々と知り合えたこと」と楽しげに語る。

それにしても、外国からの留学生を受け入れるシステムが整っているアメリカ、特に地方を見ると、日本の将来が心配になるそうだ。

「見知らぬ留学生に対し世話を焼いて、親切にしようというのは宗教的倫理観に基づいているのですね。そのように、アメリカはいかに一部に乱れがあろうと、健全な市民の層というのは実にかちっとして、テコでも動かない。それが地域というものの基礎となっている。それに対し、個人的規範の弱い日本はどうでしょうか。地域社会のルールが崩れればガタガタとなってしまうのでは。あるアメリカ人の学者は日本の人口の半分が『純』サラリーマン化して流浪の民になった時、日本の繁栄は終わるといっていましたが・・・」



(2) 「毎日新聞」(1983年9月15日)

ひと欄

現職は農水省大臣官房企画室企画官で水田利用再編対策に取り組んでいるが、入省4年目から2年間、米国に留学していた。その間のことを同省の広報誌「AFF」に連載していたが、それが出版者の目にとまり、このほど本に。その題が『霞ヶ関いなかっぺ官僚・アメリカは田舎の留学記』というのである。「私、信州は北の果ての中野の生まれなもんで、出版社がこんな題をつけた」

農水省の官僚だから当たり前だが、この留学で1番痛感したことは日米双方とも、相手方の農業を理解していないことだという。日米ギャップの中ではこれが1番大きな問題ではないかと。

「例えばアメリカの農業を指して農業先進国型産業論というのが一時わが国であった。農業は人的資本の大切なもので先進国でのみ繁栄できる産業であるという。ところが私に言わせればアメリカの農業は土を肥料と農薬でごまかしトラクターで掘り返して、将来の潜在力を殺し、現在の生産力を高めているだけ。これは途上国の焼き畑農業と全く同じで自然を破壊している産業と言える。いずれアメリカの農業はだめになります」

「最近の日本の農業はこのアメリカの悪い面ばかり取り入れようとしてきた。そして石油漬けに。ところが古来、日本の農業の根底にあったのは風土と気候を生かして自然をリサイクルさせる、省資源、省エネルギーの見本のようなものであったのですね。だから日本の農業、アメリカのまねなんかしなければ生き残れる」

そんなわけで「今、日本ほどアメリカの農産物輸入している国はないが、2-30年たてばアメリカからそうギャースカ言われないようになる」だと。ただの“いなかっぺ”ではない。



(3) 「北信ローカル」(1983年9月2日)

…….文章の終わりの方に「ヤキマ(ワシントン州)と中野市(長野県)」の項があるが、この中で、留学2年目の夏、ワシントン州ヤキマをカンサス州に向けて、ぶらりと通り抜けた時があるカスケード山脈の盆地に、リンゴとモモとブドウ、そしてホップがあり中野の特産物が勢揃いした。

「気候的にも地勢的にもまさにそっくりであった。あたりを見回すと、中野同様山々の緑が何かを語りかけんとしていた。愛郷心が人一倍強く、また、おせっかいな僕はすぐ姉妹都市を考えたのだが、すでに、このヤキマはリンゴが結んだ縁で青森県板柳町と結んでおり交流がさかんに行われていた」など郷里中野を持ち出す場面も随所あり、親近感をいっそう感じさせる。