メイン | 2006年06月 »

2006年04月27日

菅元代表、農政で熱弁をふるう

-農水委員会で民主党案と政府案の質疑始まる-

農水委で答弁する篠原、隣は中川農水大臣
農水委で答弁する篠原、隣は中川農水大臣

<政府案と民主党案を同時に審議>

4月5日、農水委員会で政府案の担い手新法(農業の担い手に対する経営安定のための交付金の交付に関する法律案)と民主党提出の農政改革基本法(食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案)との審議が始まりました。

先日お伝えした3月17日の本会議での法案趣旨説明と代表質問を受けて、農水委で審議が行われますが、与野党間で30時間の審議が確保されました。

初日は、午前3時間・午後3時間の合計6時間の審議になります。民主党の農政改革基本法には、私も含めて提出者が5名います。先日の本会議では私のほかに、山田正彦NC農水担当と仲野博子議員と岡本充功議員とが壇上に立ちました。この日の農水委ではもう1人の提出者である菅直人議員にも出席してもらい、独自の農政感を述べてもらおうと思っていました。

<菅さんの代表選出馬表明とぶつかる>


そうしたら、全く予期していなかったことですが、前原代表が辞任を表明し、民主党代表選が4月7日に開かれることになり、菅さんも立候補が取り沙汰される身となりました。前日の4月4日に、忙しい中を縫って法案答弁の打合せをしましたが、菅さんの並々ならない熱意が伝わりました。その後に、報道もされた鳩山会館での観桜会です。

4月5日当日は委員会が開かれる衆議院別館前は雨にもかかわらず、朝からマスコミの皆さんでごった返していました。この日にも正式に立候補表明される、という情報が飛び交っていたので、菅さんのコメントを取ろうと押しかけていました。

農水委員会が開かれる17委員室の中も、テレビクルーも含めて30人ほどが詰め掛けました。

さすがの自民党委員もあまりの注目ぶりに驚きのようでした。

<自民党の質問に菅さんもヒートアップ>


委員会では冒頭自民党の二田孝治農水委理事がトップバッターとして質問に立ちました。

質問の終盤に、二田理事は民主党案に対して質問しましたが、その中で「民主党案は全く不可能な政策で農業者へのアピールにすぎない。初めに1兆円の予算ありきのバラマキ法案だ」と声を荒げて菅さんへの見解を問いました。

これに対して菅さんもアドレナリンが増えたのでしょうか。以下のように答弁しました。

「私は2004年の代表当時、農山村の再生なくして日本の再生なし、との思いで農林漁業再生プランを作った。その時2つの政策目標を掲げた。1つは農山村で子供を産み、育てられる環境を維持できるような政策、もう1つは食料自給率を向上させる政策、これによって地域社会を復活させる。初めに予算ありきでは全くない。むしろ国民の皆さんの理解が得られれば、1兆円以上の予算を入れて農山村を活性化したいと思っている。二田理事がおっしゃることはもっともで、日本の農業を真剣に考えたときには、政府案より民主党案の方がふさわしい。」と5分以上もかけて力説しました。

質問時間がなくなりかけていたので、二田理事は最後に「菅さんの答弁はあまりに日本の農業を知らなすぎる」と発言して質問を終えました。

<菅さんの農業観>


するとその発言に一層刺激されたのか、続いて質問に立った民主党の筒井信隆議員の質問の冒頭で、再び答弁に立った菅さんは、さらに熱く語りました。

「確かに農業についてはまだ勉強不足だ。しかし、私は山口県に生まれ、17歳までそこで育った。代表になった後も各地の農村を訪ね歩いた。小泉政権の農山村切捨て路線ではなく、私は地域が再生する為には、農山漁業の再生が大事だということを認識して再生プランを作った。農業は産業であると同時に、他の産業とは異なり、国の本質・原理なのだ。六本木ヒルズばかりが日本ではない。農村地域にこそ日本がある」

と、その前の答弁以上の時間を使って答弁しました。まだまだ話足りないような、言葉が溢れでてくるような答弁でした。

相手の批判に対して真正面から受け止めながら反論をしていく、菅さんの答弁を感心して聞いていましたが、日本の農業にこれほど傾注している人物が民主党の代表選に立候補しようとしているのに頼もしくも思ったのは私だけではありません。

<今後、農水委員会で1ヶ月にわたり審議>


菅さんが答弁席に座るのは、これで終わりですが、その他の具体的議論は私や山田さんが担当して、本格的に議論をしていくことになります。

私も答弁に立ちました。政府案では一部の農家だけを保護していこうとしているのに対して、民主党案では、まず日本の農家に体力を付けてもらって、その中から規模を拡大していくような農家が増えていくようにすべきと考えています。そもそも今回政府案に盛り込まれている農家の所得を直接保障する品目横断的な直接支払いにしても、3年前までは政府は「まったくやるつもりがない」と言っていたのです。しかし、民主党の農業再生プランができて、その中に直接支払いが盛り込まれて、政府も出さざるを得なくなったのです。

国民に安全な食料を供給するため、そして菅さんの言うように農山村を維持するためには、どちらの政策がいいのか。これから1ヶ月あまりしっかり議論をしていきたいと思います。

過去の「最近の活動」

※blog移行以前に「最近の活動」として掲載していたものです。
2006年~4月まで
2006年~4月まで掲載分一覧

2005年
2005年掲載分一覧

2004年
2004年掲載分一覧

2003年
2003年掲載分一覧(「今週の活動」として公開していたものです)

プロフィール

家 族 妻、1女2男
趣 味 山歩き、テニス、野球、卓球、読書
主な
著書
・「TPPはいらない!~グローバリゼーションからジャパナイゼーションへ~」(日本評論社)
・「原発廃止で世代責任を果たす ~放射能汚染は害毒、原発輸出は恥~」(創森社)
・「花の都パリ『外交赤書』」(講談社+α)
・「EUの農業交渉力」(農文協)
・「農的循環社会への道」(創森社)
・「第1次産業の復活」(ダイヤモンド社)
・「農的小日本主義の勧め」(復刊 創森社)
・「霞ヶ関いなかっぺ官僚 アメリカは田舎の留学記」(柏書房)
…他複数

略歴

略  歴
48年 7月長野県中野市に生まれる
61年 3月中野市立長丘小学校卒業
64年 3月中野市立中野平中学校卒業
67年 3月長野県立長野高等学校卒業
73年 3月京都大学法学部卒業
73年 4月農林省入省、農林経済局統計情報部管理課・企画情報課
74年12月水産庁企画課
76年 7月アメリカ・ワシントン大学海洋総合研究所(法学修士)及び カンサス州立大学農業経済学部留学
(78年7月)農林水産省農蚕園芸局総務課
(78年8月)生活改善課・(79年9月)農産課
(79年9月)農産課
80年12月内閣総合安全保障関係閣僚会議担当室(内閣・総理府)に出向
82年10月農林水産省大臣官房企画室企画官
同(83年7月農業総合研究所併任(~84年4月))
(84年9月臨時教育審議会事務局調査員を併任)
(85年9月)食品流通局企業振興課課長補佐
(86年9月)食品流通局総務課課長補佐
(88年4月)水産庁水産流通課水産貿易調整官
89年 6月同 経済局国際部対外政策調整室長
91年 6月経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部参事官(パリ)
94年 6月農林水産省水産庁企画課長(94年11月 海洋法対策室長兼務)
97年 1月同 経済局統計情報部管理課長
(98年8月)農林水産技術会議事務局研究総務官
(99年8月)農業総合研究所研究調整官
00年 6月同 農林水産政策研究所長(01年4月名称変更)
03年11月第43回衆議院議員総選挙当選 衆議院議員一期目 初当選
       農林水産委員会:党農林水産団体局長
05年 9月第44回衆議院議員総選挙当選 衆議院議員二期目
       外務委員会、環境委員会:党国際局副局長
06年 9月民主党ネクスト農林水産大臣 
       農林水産委員筆頭理事
07年 9月外務委員会:党政調副会長(外務・防衛担当)
08年11月外務委員会、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会 筆頭理事
09年 8月第45回衆議院議員総選挙当選 衆議院議員三期目
09年 9月衆議院財務金融委員会筆頭理事
10年 6月農林水産副大臣(菅直人内閣)
11年 9月民主党副幹事長
12年 9月民主党総括副幹事長
12年12月第46回衆議院議員総選挙当選 衆議院議員四期目
12年12月民主党NC環境・原発事故担当大臣
       環境委員会、安全保障委員会 、憲法調査会、消費者問題特委、原子力問題調査特別委員会
13年10月民主党副幹事長、党常任幹事
       倫理選挙特別委員会筆頭理事、予算委員会
14年9月民主党NC農林水産大臣
       農林水産委員会筆頭理事、地方創生特別委員会、倫理選挙特別委員会
14年12月第47回衆議院議員総選挙当選 衆議院議員五期目
15年 1月経済産業委員会、環境委員会

2006年04月26日

私の職歴

私の役人生活は、政策の企画立案部門(内閣、企画室、研究所等)が10余年、 国際関係(アメリカ留学、OECD代表部等)10年弱、水産関係(2度の企画課等)8年と、 3つの部門に集約されます。

農林水産省入省(統計情報部管理課、水産庁企画課)
 私は、30年前、大学卒業後、故郷の多くの人たちが係わる農業に関係する農林水産省に入省いたしました。故郷との絆を断ち切りたくなかったからです。
アメリカ留学
 思いがけず、2年間のアメリカ留学の機会を与えられ、ワシントン大学海洋総合研究所で海洋法を、そして、カンサス州立大学で農業経済学を学びました。
(後に、この間のことを『霞ヶ関田舎っぺ官僚 アメリカは田舎の留学記』として1冊の本にまとめました。)
農蚕園芸局
 帰国後、農蚕園芸局では、農業改良資金制度の改正、転作等の仕事に携わりました。
内閣総合安全保障閣僚会議担当室
 その後、鈴木善幸内閣の総合安全保障閣僚会議担当室に出向いたしました。そこでは、食料安全保障を中心に我が国の安全保障について他省庁の中堅・若手とともに取り組みました。ひょんなきっかけから『21世紀は日本型農業で』という小論を書き、その一部がエコノミスト誌に掲載されたことから、その後、執筆や講演を依頼されるようになりました。
大臣官房企画室
 大臣官房企画室で、3年間、農政の企画立案に携わり、当時の財界の農政批判に対する反論するという疲れる仕事もしました。
(日本の進むべき姿を『農的小日本主義の勧め」に集約し、そこそこの反響を呼びました。)
食品流通局
 食品流通局では、企業振興課において技術室を立ち上げ、総務課では、「12品目ガットパネル」も担当し、その後、続けて国際関係に携わることになりました。
水産庁水産貿易調整官・国際部対外政策室長
 国際部対外政策室長時代は、OECD関係閣僚理事会、サミット、ウルグアイ・ラウンド、APEC(アジア太平洋経済協力会議)等を担当し、海外出張に明け暮れました。
OECD代表部参事官
 先進国のいろいろな問題を議論するOECDにおいて、農業委員会、貿易委員会等を担当し、3年間英語の議論ばかりしていました。家族とともに過ごしたパリはいい思い出になっています。
水産庁企画課長
 海洋法対策室長として、海洋法条約の批准、200海里排他的経済水域の設定、TAC法(魚の獲り過ぎを抑える法律)の制定等を陣頭指揮し、我が国の水産資源管理制度を大きく改革しました。
(農林水産業にがんばってもらう目的で『第1次産業の復活』を出版しました。)
統計情報部管理課長
 入省した最初の年以来2度目の管理課で、組織機構や人事改革を行いました。
農林水産技術会議研究総務官、農林水産政策研究所長
 農林水産省の研究機関の独立行政法人化を担当するとともに、唯一国の研究機関として存続できる農業総合研究所の改革に着手、そのまま研究所に異動し、政策研究所への改組、霞ヶ関分室の開設、客員研究員制度の導入等の改革を行いました。
(パリ勤務時代から資料収集して論文にまとめ、京都大学農学部より農学博士号を取得し、『EUの農業交渉力』として出版しました。また、地産地消・旬産旬消を勧め、『農的循環社会への道』をまとめました。)
 1  |  2  |  3  |  4  |  5  | All pages