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私の職歴

私の役人生活は、政策の企画立案部門(内閣、企画室、研究所等)が10余年、 国際関係(アメリカ留学、OECD代表部等)10年弱、水産関係(2度の企画課等)8年と、 3つの部門に集約されます。

農林水産省入省(統計情報部管理課、水産庁企画課)
 私は、30年前、大学卒業後、故郷の多くの人たちが係わる農業に関係する農林水産省に入省いたしました。故郷との絆を断ち切りたくなかったからです。
アメリカ留学
 思いがけず、2年間のアメリカ留学の機会を与えられ、ワシントン大学海洋総合研究所で海洋法を、そして、カンサス州立大学で農業経済学を学びました。
(後に、この間のことを『霞ヶ関田舎っぺ官僚 アメリカは田舎の留学記』として1冊の本にまとめました。)
農蚕園芸局
 帰国後、農蚕園芸局では、農業改良資金制度の改正、転作等の仕事に携わりました。
内閣総合安全保障閣僚会議担当室
 その後、鈴木善幸内閣の総合安全保障閣僚会議担当室に出向いたしました。そこでは、食料安全保障を中心に我が国の安全保障について他省庁の中堅・若手とともに取り組みました。ひょんなきっかけから『21世紀は日本型農業で』という小論を書き、その一部がエコノミスト誌に掲載されたことから、その後、執筆や講演を依頼されるようになりました。
大臣官房企画室
 大臣官房企画室で、3年間、農政の企画立案に携わり、当時の財界の農政批判に対する反論するという疲れる仕事もしました。
(日本の進むべき姿を『農的小日本主義の勧め」に集約し、そこそこの反響を呼びました。)
食品流通局
 食品流通局では、企業振興課において技術室を立ち上げ、総務課では、「12品目ガットパネル」も担当し、その後、続けて国際関係に携わることになりました。
水産庁水産貿易調整官・国際部対外政策室長
 国際部対外政策室長時代は、OECD関係閣僚理事会、サミット、ウルグアイ・ラウンド、APEC(アジア太平洋経済協力会議)等を担当し、海外出張に明け暮れました。
OECD代表部参事官
 先進国のいろいろな問題を議論するOECDにおいて、農業委員会、貿易委員会等を担当し、3年間英語の議論ばかりしていました。家族とともに過ごしたパリはいい思い出になっています。
水産庁企画課長
 海洋法対策室長として、海洋法条約の批准、200海里排他的経済水域の設定、TAC法(魚の獲り過ぎを抑える法律)の制定等を陣頭指揮し、我が国の水産資源管理制度を大きく改革しました。
(農林水産業にがんばってもらう目的で『第1次産業の復活』を出版しました。)
統計情報部管理課長
 入省した最初の年以来2度目の管理課で、組織機構や人事改革を行いました。
農林水産技術会議研究総務官、農林水産政策研究所長
 農林水産省の研究機関の独立行政法人化を担当するとともに、唯一国の研究機関として存続できる農業総合研究所の改革に着手、そのまま研究所に異動し、政策研究所への改組、霞ヶ関分室の開設、客員研究員制度の導入等の改革を行いました。
(パリ勤務時代から資料収集して論文にまとめ、京都大学農学部より農学博士号を取得し、『EUの農業交渉力』として出版しました。また、地産地消・旬産旬消を勧め、『農的循環社会への道』をまとめました。)