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【メルマガ】大黒宏:ノースブレインファーム再訪

<講演に行けない議員の身>
 8月27日、私は20数年振りにオホーツク海に近い興部町の大黒さんの酪農場再訪しました。20年ほど前、真冬の猛吹雪の中、女満別空港から数時間かけて訪問して以来のことです。再訪というと正確ではないかもしれません。その当時は、加工場も食堂もお店もなかったからです。2003年国会議員になってからは、講演にはほとんど出かけず、行くとなると同僚議員の応援のための講演で、なかなか私を本当に求める人(つまり私の本を読み、私の農業論・農政論に興味を持ち、講演に来てほしいという人)の所には行けませんでした。今回も、親友松木謙公議員の要請にもとづいて、農業関係者の会合をハシゴして民主党農政を説明して歩く旅の間の一時でした。

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紋別での農業講演

<松木謙公議員の粋なはからい>
 松木さんは、藤波孝生元官房長官の秘書を長年勤めており、かゆい所に手が届く気配りのできる人で、一般の民主党議員には欠けている大切な資質を持った人です。1泊2日で5会場回る中の一つに、20年来の付き合いの同志大黒さんの家の野外パーティーを組み込んでくれました。私は、大黒さんが立派な酪農経営をされていることを目の当たりにして、本当に嬉しいかぎりでした。ビールもソーセージも何もかもどこのものよりもおいしく感じられました。

<チーズもソーセージもなかった道東>
 私には、全国各地に講演・本を通じた同志的友人がいますが、大黒さんはその1人です。私の記憶が正しければ、大黒さんは、私の講演の中のへらず口をきっかけに乳製品の加工工場を作り、今や80人の従業員を抱える興部町一の企業体のトップを勤めるまでになりました。「農業の先行きが暗い」という、いつもの泣き言に対し、私は「北海道、特に道東は畜産王国、酪農王国といいながら、地域特産物にチーズもソーセージもないじゃないか、フランスでは村々にチーズがあり、ドイツにはソーセージがある」とけしかけました。それに発奮して、農林水産省に仲間と乗り込んできて、加工原材料乳の補給金をもらいつつ自ら加工できる途を切り開きました。
 その後、年賀状のやりとり、東京あるいは北海道での講演等の付き合いが続きました。大黒さんは2003年の私の突然の衆議院選立候補の折には、長野まで応援にかけつけてくれました。おいしい牛乳の陣中見舞いもいただきました。
 チーズ・ヨーグルト・バターの加工場はそれはきれいで管理が行き届いていました。まわりに花が植えられ、食堂の周りも花だらけでした。食欲がわくのはあたり前です。学校給食に牛乳も提供しています。そして、全国にファンがいるようになりました。見事という他はありません。「篠原さんと会わなかったら、僕は酪農をやめていた。小さくてもできる、と本や講演で励まされたから今がある」というお世辞には涙が出る思いでした。いろいろ気が滅入ることが多い昨今、久し振りに心が晴ればれとする再会でした。

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大黒さん達と記念撮影

<故田原高文さんの展示>
 もう一つ胸にじーんとくることがありました。2003年若くして逝ってしまった畏友・田原高文さんを偲ぶ展示が行われていたのです。田原さんは、畜産のプロで、畜産局を中心に農林水産省の中枢を担う人でしたが、BSE問題の最中に食道がんに犯され、あっという間に我々の前からいなくなってしまいました。
 それより10数年前、私が田原さんを大黒さんに紹介し、田原さんと大黒さんの交流が始まっていました。牛乳・乳製品行政のプロである田原さんは、大黒さんの相談相手となり、逆に田原さんは大黒さんを通じて現場を知っていたはずです。
 土産物屋の2階に、田原さんの短い一生のパネルが作られ、遺品も展示されていました。大黒さんと田原さんの友情がいかに深かったか展示をみれば一目瞭然です。一役人と一酪農家のかくも美しい交流を私は知りません。

<統一地方選に向けて>
 今回の北海道講演の旅は、26日菅直人代表代行とともに鳩山由紀夫元代表の地元の農業者の車座集会から始まりました。紋別でも訓子符でも私の10数年前の講演を覚えていてくれる人がいたのも嬉しい限りでした。「農的小日本主義の勧め」を持ってくる人もいました。
 松木さんの人柄が関係者の皆さんに受け入れられ、徐々に支持を拡大しているのがよくわかりました。ただ、羨ましいのは、6人もの民主党県議会議員が松木さんを支えてくれていることでした。私の選挙では倉田竜彦県議1人。それに加えて、強力な北海道農民連盟も支えてくれています。これが2005年の総選挙で武部自民党幹事長を相手に2万票も得票を増やした要因です。
 私も来年の統一地方選に向けて数多くの同志を県議会に、そして市町村議会に送りこまなければと決意を新たにしました。