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【メルマガ】長丘小・児童会長選挙と私の義侠心 9.25記

<またまた幻の河村たかし代表選立候補>
今日、民主党大会が行われる。小沢代表の無投票選出のシャンシャンク大会であり、我が民主党に参画してからサポーター党員の選挙が行われたことはない。私は今回も隣室の河村たかしさんのたっての願いで推薦人を引き受けていたが、またまた日の目をみなかった。

とても代表にふさわしいとは思えない、と本人にもきつく言ってある。小沢さんにかないっこなくとも、河村さんが対抗馬なら、民主党が割れているイメージを与えず、かつ党員サポーターに代表選挙の機会を与えることにはなる。
しかし、どうもそうならなかった。残念である。私は「『一度でいいから河村たかしに代表選に出る機会を与える会』ぐらいを作ってやってもいい。ただその時は国会議員票が推薦人票を下回る可能性が相当高い」とキツーイ冗談を言ったが、本人はそれでも推薦人にと懇請してきた。一肌脱ぐしかあるまい。

<冬の丘越え通学>
民主党代表選がないので、私のほろ苦い小学校時代の初の選挙戦のことを書いてみたい。
私の母校中野市立長丘小学校には2年までの複式学級の大俣分校と4年までの壁田分校の2つの分校があった。雪深い北信州で交通手段もなかったためで、もちろん、今は分校はなくなっている。長丘丘陵を越えて通う大俣分校は、3年以上は冬になると父兄が道をつけ、七曲りと呼ばれる急坂を転げ落ちるようにして通ってきた。
今考えると信じ難い通学環境である。皆明るく素直で純朴な、絵に書いたような田舎の子供たちであった。本校で彼らを迎えた僕は、それこそ暖かく迎え、雪で真っ白になって教室に現れた級友を抱き締めてやりたかったぐらいだった。あと1人で2クラスになる54人の学級であった。千曲川辺りに集落があり、昭和35年の伊勢湾台風時には、屋根まですっぽり水浸しになる大水害にも見舞われた。我々は、担任の池田一男先生の号令の下、級友の家の後片付けに駆けつけ、その悲惨さをまざまざと見せつけられた。憐憫の情が生まれたのはいうまでもない。

<分校生への肩入れ>
5年になり壁田分校生が大挙して合流し、めでたく2クラスになった。6年になり児童会長選挙となった。私の記憶が正しければ一つのクラスから二人ずつ立候補し、4年生以上の投票というルールだった。我が組からは、私と壁田のB君が選ばれることになりかかったが、私は反対した。私の代わりに是非A君(大俣分校生)をと主張したが、それは受け入れられず、変則的だが3人が立候補することになった。
私は弱小集落大俣の分校から来たA君に水害から立ち直ってほしいという思いから是非とも会長になってほしく、なるべきだと考えたからだ。本校の私がなってはならない、水害で困っている複式学級の分校出身者がなるべきだと勝手に心に決めていたのである。しかし、こんな格好のいいことは投票権のある弟の学以外には、誰にも公表しなかった。

<初選挙の敗北>
そして、私と学がA君に投票し、A君44票、私41票、という僅差でA君が児童会長となった。選挙分析すると、相当の者がずっと一緒に遊んで育った自分の集落の友人先輩に投票していたのである。私は、すがすがしい気持ちがして大満足だった。ただ、たった一つの気掛かりは、ある事情からことの外教育には熱心な祖父を児童会長としてあいさつしたりして喜ばせられなかったかったことである。しかし、天は見ていた。弟の修が児童会長となり、祖父は運動会の弟のあいさつを、涙を流して喜んでみていた。弟の修は代わりに祖父孝行し、さらに、さんざん跡取り長男として可愛がられながら家に戻らなかった私に代わり農業の跡を継いでいる。私は孝という名前に反し、祖父不孝なのを今も情けなく思っている。
統合された中野平中学へは、私たち田麦集落と大俣分校が行くことになった。中野平中学の大半は平野小と高丘小からであり、集落セクショナリズムは相変わらずだった。生徒会長は前期と後期に分かれ、政治的動き(?)の好きな高丘小出身者は、前期も後期も高丘小出身者がなれるよう画策していた。大体ちょっと勉強のできる者が候補者に選ばれるので、私も嫌なのに前期に立候補させられた。結果は当然のごとく最下位であった。あまりの票の少なさに失笑がもれた。それぞれのクラスの立候補者に投票するのは3年生ぐらいで、1年生は当然かって知ったる母校(平野小・高丘小)の先輩に投票した。我が長丘小の田麦集落からは私の学年が最後で、1つ下の学は高社中へ行き、後輩がいなかった。

それ以来、選挙(つまり被選挙)は嫌いで、立候補は2度としたくないと思い続けていた。高校でも生徒会活動にはタッチせず、学生運動はむしろ忌避していた。それが今は何の因果か選挙される身、人生はどこかしら何度も予想が大きく狂うものである。