« 2006年8月 | メイン | 2006年10月 »

2006年9月29日

NC農水大臣拝命

【これまでの延長線で仕事に臨む】
 民主党以外にネクスト・キャビネット(Next Cabinet:NC、次の内閣)と言ってもわからないかもしれませんが、我が国の民主党もイギリスのShadow Cabinet(影の内閣)をまねています。今回の民主党の新人事で、私はNC農林水産大臣に指名されました。といっても、当選して以来、鹿野道彦さん山田正彦さんと2代のNC農水大臣の下、農林漁業再生プランの作成、BSE対応、農政改革基本法の作成等ほとんど補佐し続けてきたので、その延長線で仕事をやることに何ら変わりはありません。
 ただ、来年の参議院選挙が「天下分け目の関が原の戦い」(小沢代表の就任演説)で、その鍵は29の1人区が握り、それを左右する一つの武器が農政の差という点が少々異なります。

060928kakugi01.jpg
    初めての閣議に出席し、菅直人代表代行の話を聴く(右端)

【小沢代表の農業重視姿勢】
 9月26日の大臣就任記者会見でも、松岡利勝農水相だけ民主党との農政の差について質問が飛んでいました。小沢代表が農政について
   ① 食の安全の確保
   ② 食料の完全自給を目指す
   ③ 小規模生産でも生活できる農山漁村の確立
   ④ 個別(戸別)所得補償制度の創設
   ⑤ 「もったいない」の普及
の5つを掲げ、発言しているからです。それに対抗意識を剥き出しにした中川秀直幹事長等が「バラマキだ。選挙目当てだ。財源も明らかでない」と批判しています。
 私は、そうした反論に再反論するペーパーも用意していましたが、また渡せないでいます。
 この3ヶ月半の間に、農業再生プランを掲げて、約10人の同僚議員の応援に駆けつけました。今後はこれをもっともっと大々的にしていかなければならず、地元にいられる機会が少なくなりそうです。

【プロを配置した小沢人事】 
 正直言って、山田―篠原コンビでNo2で補佐していく体制の方が形としてはよいと思われましたが、私に先頭に立てと言われるならそれを受けるしかありません(小泉内閣では閣僚は留任するケースが多く、私は好ましいことだと思っていました。民主党は野党、政策で勝負するなら4~5年は長すぎるとしても、NC大臣は2~3年はやってもよいと思います。)
 小沢人事は、さすがプロ重視で党役員は当選回数の多い人しか認めていません。NC子ども担当大臣の林久美子参議院議員が若手の目玉。そして2期生では私と近藤洋介さん(経済産業大臣)の2人のみです。
 更に身を引き締めて、農業農村の活性化のため、そして民主党の政権奪取に向けて頑張るつもりです。

2006年9月28日

【メルマガ】気になる地元のえこひいき率

<批判だらけの自主投票>
 8月6日に投票が行われた長野県知事選。やむをえない自主投票という民主党長野県連の対応がまずいと批判の対象となり、支持者回りもしづらかった。本来は私も説明責任があるかもしれないが、それは差し控えたい。

<松本市の田中さんへの高えこひいき率>
 本来は、知事選用に日程を空けておいたのが、ポッカリ空いてしまったので、信濃毎日新聞の報道は隅から隅まで読んだ。その中に一つ気になった記事があった。田中康夫前知事は2000年の第1回目の選挙に地元の松本市の62%の票を集め、2002年の2回目は72%を集めたというものである。
 田中さんは松本生まれではなく、父が信州大学の先生で長野県に移り住み、松本深志高校の卒業生となっていた。松本には、県名も県庁も取ってしまった長野に対する強烈な反発がある。そうした中で、田中さんの長野県という呼び名をやめ信州にする、という主張は中信(松本・諏訪・岡谷)、南信(飯田・伊那)の喝采を受けた。それにしても異様な得票率である。もちろん、長野市はそういうわけには行かない。2000年53%、2002年64%に過ぎず、それぞれ10%ずつ低い。

<あまり高くない中野市の私へのえこひいき率>
 そこで気になった私の地元中の地元の中野市の「えこひいき率」を調べてみたところ、1回目2003年54%、2回目は豊田村が中野市に合併し49%に下がってしまっている。下がったのにはもう一つ理由があり、少々きたないキャンペーン(2人の代議士を出すために小選挙区は○○、比例区は民主党と書いてくれと、私の支持者を回っていた者がいた)をやられたため票を減らしてしまった。投票率も上がり、中野市と山ノ内町以外は全ての地区で得票率を伸ばしたのに、地元で得票を減らしてしまい、私の政治における指南役の北澤俊美さんからお叱りを受けた。少々状況が違うとはいえ、松本市民より中野市民は地元出身者へのえこひいき率が低いようである。

<人も地産地消>
 羽田孜元総理の勧めで衆議院選挙に出馬し、2度とも小選挙区では届かず比例復活当選させていただいている。どうも、私は出自からして(?)選挙は苦手なのかもしれないが、次回は3度目の正直(最初からいうと5回目)で、是非正真正銘の当選、すなわち小選挙区当選ができるよう日夜努力している。
 そのためには、中野市の圧倒的支持が不可欠であり、私は今冗談半分に、食べ物ばかりでなく人間も地産地消が一番、地元のことがよくわかる私への圧倒的えこひいき支援をお願いしている。
 私の相手は複式学級の分校出身でもなく、全く正反対の恵まれた境遇の育ちの方であり、何も遠慮することはないからだ。

2006年9月27日

【メルマガ】長丘小・児童会長選挙と私の義侠心 -06.9.25-

<またまた幻の河村たかし代表選立候補>
今日、民主党大会が行われる。小沢代表の無投票選出のシャンシャンク大会であり、我が民主党に参画してからサポーター党員の選挙が行われたことはない。私は今回も隣室の河村たかしさんのたっての願いで推薦人を引き受けていたが、またまた日の目をみなかった。

とても代表にふさわしいとは思えない、と本人にもきつく言ってある。小沢さんにかないっこなくとも、河村さんが対抗馬なら、民主党が割れているイメージを与えず、かつ党員サポーターに代表選挙の機会を与えることにはなる。
しかし、どうもそうならなかった。残念である。私は「『一度でいいから河村たかしに代表選に出る機会を与える会』ぐらいを作ってやってもいい。ただその時は国会議員票が推薦人票を下回る可能性が相当高い」とキツーイ冗談を言ったが、本人はそれでも推薦人にと懇請してきた。一肌脱ぐしかあるまい。

<冬の丘越え通学>
民主党代表選がないので、私のほろ苦い小学校時代の初の選挙戦のことを書いてみたい。
私の母校中野市立長丘小学校には2年までの複式学級の大俣分校と4年までの壁田分校の2つの分校があった。雪深い北信州で交通手段もなかったためで、もちろん、今は分校はなくなっている。長丘丘陵を越えて通う大俣分校は、3年以上は冬になると父兄が道をつけ、七曲りと呼ばれる急坂を転げ落ちるようにして通ってきた。
今考えると信じ難い通学環境である。皆明るく素直で純朴な、絵に書いたような田舎の子供たちであった。本校で彼らを迎えた僕は、それこそ暖かく迎え、雪で真っ白になって教室に現れた級友を抱き締めてやりたかったぐらいだった。あと1人で2クラスになる54人の学級であった。千曲川辺りに集落があり、昭和35年の伊勢湾台風時には、屋根まですっぽり水浸しになる大水害にも見舞われた。我々は、担任の池田一男先生の号令の下、級友の家の後片付けに駆けつけ、その悲惨さをまざまざと見せつけられた。憐憫の情が生まれたのはいうまでもない。

<分校生への肩入れ>
5年になり壁田分校生が大挙して合流し、めでたく2クラスになった。6年になり児童会長選挙となった。私の記憶が正しければ一つのクラスから二人ずつ立候補し、4年生以上の投票というルールだった。我が組からは、私と壁田のB君が選ばれることになりかかったが、私は反対した。私の代わりに是非A君(大俣分校生)をと主張したが、それは受け入れられず、変則的だが3人が立候補することになった。
私は弱小集落大俣の分校から来たA君に水害から立ち直ってほしいという思いから是非とも会長になってほしく、なるべきだと考えたからだ。本校の私がなってはならない、水害で困っている複式学級の分校出身者がなるべきだと勝手に心に決めていたのである。しかし、こんな格好のいいことは投票権のある弟の学以外には、誰にも公表しなかった。

<初選挙の敗北>
そして、私と学がA君に投票し、A君44票、私41票、という僅差でA君が児童会長となった。選挙分析すると、相当の者がずっと一緒に遊んで育った自分の集落の友人先輩に投票していたのである。私は、すがすがしい気持ちがして大満足だった。ただ、たった一つの気掛かりは、ある事情からことの外教育には熱心な祖父を児童会長としてあいさつしたりして喜ばせられなかったかったことである。しかし、天は見ていた。弟の修が児童会長となり、祖父は運動会の弟のあいさつを、涙を流して喜んでみていた。弟の修は代わりに祖父孝行し、さらに、さんざん跡取り長男として可愛がられながら家に戻らなかった私に代わり農業の跡を継いでいる。私は孝という名前に反し、祖父不孝なのを今も情けなく思っている。
統合された中野平中学へは、私たち田麦集落と大俣分校が行くことになった。中野平中学の大半は平野小と高丘小からであり、集落セクショナリズムは相変わらずだった。生徒会長は前期と後期に分かれ、政治的動き(?)の好きな高丘小出身者は、前期も後期も高丘小出身者がなれるよう画策していた。大体ちょっと勉強のできる者が候補者に選ばれるので、私も嫌なのに前期に立候補させられた。結果は当然のごとく最下位であった。あまりの票の少なさに失笑がもれた。それぞれのクラスの立候補者に投票するのは3年生ぐらいで、1年生は当然かって知ったる母校(平野小・高丘小)の先輩に投票した。我が長丘小の田麦集落からは私の学年が最後で、1つ下の学は高社中へ行き、後輩がいなかった。

それ以来、選挙(つまり被選挙)は嫌いで、立候補は2度としたくないと思い続けていた。高校でも生徒会活動にはタッチせず、学生運動はむしろ忌避していた。それが今は何の因果か選挙される身、人生はどこかしら何度も予想が大きく狂うものである。

2006年9月26日

民主党の次の内閣 農林水産大臣に就任しました。

民主党は9月26日午前に両院議員総会を開催し、新役員と次の内閣新閣僚を選出しました。
私は、次の内閣 農林水産大臣に就任いたしました。
安倍新内閣は、前農相の中川昭一氏を政調会長に据え、農政一本の松岡利勝氏を農林水産大臣にあてるなど、農政重視を打ち出しています。
さっそく臨時国会でも政府と農政論議を行っていきたいと思います。

2006年9月25日

北川正恭(前三重県知事)記念講演のお知らせ

民主党政治スクール in 信州 の第3回講座に合わせて、北川正恭氏(前三重県知事・早稲田大学大学院教授)の記念講演が開催されます。
北川正恭氏.jpg

どなた様も参加ご自由ですので、お誘いあわせの上ご来場ください。

  日時:2006年10月1日(日) 13:00~
  会場:ホテル国際21(長野市南長野県町576 026-234-1111)
  会費:無料   

  しのはら孝長野事務所  tel 026-229-5777  fax 026-229-5727
                   t-sino@dia.janis.or.jp

 1  |  2  | All pages