« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »

2006年09月20日

【メルマガ】滞在者が大半の国の悲劇(サハリン報告その4)

<元流刑地は係争の地>
 間宮林蔵が島であることを発見し、最上徳内も探検した樺太は、やはり、北海道がアイヌの地だったのと同じく、ウィルタ、ニブヒ、アイヌ等の住む別天地でした。
 日本では八丈島が島流しの地でしたが、1800年代、サハリンは流刑地でした。1890年、日本でも人気のチェーホフは、病を押してサハリンにやってきて大著『サハリン島』を残しています。チェーホフは今風に言えば、行動する作家だったようで、美術館の前に銅像が建てられています。
 1855年の日露通好条約で「雑居の地」とされた樺太は、榎本武揚の活躍により、1875年の樺太・千島交換条約でロシア領となりました。1905年の日露戦争を処理するポーツマス条約で南樺太は日本に割譲されましたが、第二次世界大戦でソ連が侵攻したまま、1951年のサンフランシスコ条約により日本は南樺太を放棄しました。つまり、ユジノサハリンスク(豊原)は、雑居の地→ロシア→日本→ソ連という変遷を辿った歴史的にも憐れな地なのです。

チェーホフの銅像.jpg
美術館前のチェーホフの銅像 妻:嘉美と  

<定住者は朝鮮人が中心>
 一部には一旗揚げようとして自主的に来た人もいたでしょうが、多くの朝鮮人が強制的に樺太開発に連れてこられました。そして、戦後、日本人は帰国できたのに、朝鮮人は帰る機会を失い、現在は4万人ほどいるそうです。日本の戦後処理で真っ先に手を付けるべき問題だったのに、と悲しくなるばかりです。
 1970年代に72万人いた人口が、石油・天然ガス開発ブームなのに、52万人と20万人も減っています。ロシア人が8割、ウクライナ人が1割と大半を占めますが、多くはお金を貯めてウラル山脈の西に戻りたいという希望を持っているようで、現に州知事で居残った人はいないと聞きました。つまり、サハリンは、定住者がおらず、ここを慈しみ、良くしようというモチベーションに欠ける人たちの寄せ集まり世帯のような所かもしれません。

<オンロードをオフロード感覚で>
 サハリンでは、走る車のみならず、道の脇の植物や建物も泥とほこりまみれでした。道路の舗装状態が悪くでこぼこで、センターラインも車線も見えません。洗車という行為はなく、道路にしても建物にしても、かなり長く補修していないままのようです。
 さらに、田舎の舗装されてない道路は、こんなものではなく、でこぼこ道は当たり前で、水溜りやくぼ地をよけながら、ジグザグに進まないと、車が横転しかねないほどの道もあります。ロシア通で趣味がバイクという先生は、サハリンの観光資源として「オンロードをオフロード感覚で走れる」と話していましたが、身を持って理解しました。

<日本語学科の学生は優等生>
 サハリン国立大学経済・東洋学研究所を訪問し、日本語学科の先生たちと懇談しました。学科長に、日本語を専攻した理由を尋ねると、一番難しい大学・学科だからという返事で、どうやら、真面目な優等生しか合格しない大学のようです。さらに、教師には卒業生のうち特に優秀な人を残すと臆面もなく答えてくれました。
東洋系の先生がいるので、日本人の子孫かと思いきや、朝鮮系の方でしたが、朝鮮語は全くできませんとくったくなく答える姿にすまない気持ちでいっぱいになりました。
優秀な卒業生の多くは日本に留学しますが、サハリンに仕事がないため、日本で就職したまま帰ってこないとのことで、とても日本との交流をてこに発展することなど先の先のようです。

記念碑.jpg
倒れたままの日露戦争時日本上陸記念碑 妻:嘉美と

<ひしめく外国人労働者>
 シェル、三井物産、三菱商事の参加する石油・天然ガス開発プロジェクト、サハリン2は、今建設途上で、約9000人が働いています。そのうち約6000人が外国人労働者です。ロシア人の雇用も義務付けられていますが、ロシア人には熟練した外国人労働者の代替はできず、技術を要しないところで働いているのが現状だそうです。
 私は、フォーラムで「今後は、北極での石油・天然ガスの開発もある。氷で閉ざされた極地サハリンの技術が生かされるはずであり、技術者養成をしたらどうか」と提案しましたが、現実には、手っ取り早く、手馴れた外国人労働者が使われています。
 日露戦争の折に日本軍が上陸した碑が無残にも倒された丘の眼下にLNGプラントが建設中でした。そこには何と6000人の宿舎も建てられていました。

<サハリン州の顧問に!>
 私は、役人時代、仕事の傍ら本を数冊書きましたが、退職したら田舎に引っ込み、弟の農業を手伝いながら、大学でたまに講義しながら本を書く予定でした。その一つにロシア関係があり、サハリンにはもともと興味津々でした。
 サハリンの悲劇は、故郷としてサハリンを愛し、良くしようとする人たちが少ないことにあります。本当にサハリンのためを考える人々がサハリン州を運営すれば、見違えるようになるでしょう。
日本語学科で会った副学長は、ユーモア溢れるコロコロ太った典型的なロシア人女性でした。私は、帰りの飛行機の中で、例の副学長に秘書になってもらい、サハリンの発展のため、州政府の仕事をやれたらという夢物語を頭に描いていました。

【メルマガ】鉱物資源より生物資源を(サハリン報告その3)

<楽観的な担当者と懐疑的なロシア通>
 帰国早々、ロシア天然資源監督局が、「サハリン2」について、環境規制を順守していないとして、事業停止を求め、裁判所に提訴したとのニュースが目に入りました。私は、つい数日前、パイプライン南端のプリゴロドノエのLNGプラントを見学し、サハリン・エナジー社に出向している商社の担当者と話してきたばかりであり、案の定という気持ちでした。
 外資事業のサハリン2には、ロシア政府が圧力をかけていることが報じられていました。この点について、担当者は楽観的で、ロシア単独での開発や資源の販路開拓は無理であり、ロシアの経済当局と環境当局との権限争いとの見方さえしていましたが、ロシア通の学者や通訳の方々は、ロシアにはなんでもありと非常に懐疑的だったのが印象的でした。

建設中のLNGプラント.jpg
プリゴロドノエの巨大プラントの建設現場

<資源は地産地消が原則>
今回のロシアのやり方はさておいて、私は、食べ物だけでなく、資源も地産地消だと思います。資源は、まず、その地域の人のために使われるべきであり、余った分を周りの地域の人たちが利用するのが理想です。資源を持つ地域の人の雇用や産業と結びついた利用をするべきなのです。
 また、生物資源でさえ再生産を考えて消費しなくてはなりませんが、鉱物資源はいずれ枯渇します。現在だけでなく将来の世代のことも考えた生産、消費をするべきなのはいうまでもありません。
しかし、現在、発展途上国の大半の資源は、外国の資本によって採算のみを優先した開発・消費がされているといって過言ではありません。

<環境保護と生物資源の有効利用>
サハリンは天然資源の宝庫です。石油・天然ガス・石炭等の鉱物資源だけでなく、広い森林・河川・湿地のため、動植物や淡水も豊富です。森林から流れ出る川によって運ばれる栄養分に富んだ海は、世界で最も豊かな漁場の一つですし、多くの種類の海洋動物や鳥がみられます。
 鉱物資源には限りがありますし、化石燃料は、環境保護に留意した開発をしたとしても、消費の段階で環境を汚染します。豊かな生物資源を持ったサハリンでは、環境を守りつつ、生物資源を活用した産業を発展させていってほしいと強く願わずにはいられません。

【メルマガ】日本人観光客増は先のまた先(サハリン報告その2)

<日本語案内のないサハリン航空>
函館空港・新千歳空港とサハリンの州都ユジノサハリンスクとの間はサハリン航空の定期便が運航しています。乗客が少ないので、函館とはプロペラ機、新千歳とは小型ジェット機です。内装が粗末なのや、機内をハエが飛び回っている(検疫上問題?)のは仕方がないにしても、日本発着の便で乗客の多くが日本人であるにもかかわらず、機内の案内はロシア語と英語のみです。
私は、フォーラムの交流の議論の中で、機内アナウンスに日本語がないという信じがたい対応を厳しく指摘しました。

博物館(日本統治時代からの建物).jpg
日本統治時代の堅固な建物の前で写真を撮るカップル

<隣の部屋からTVの音と大いびき>
 泊まったのは、メガパレスホテルという、半年前にできた、サハリンでは一番高級とされるホテルでした。空港の壁に、湖畔にたたずむホテルの全景が描かれた大きな広告がありましたが、実際には、通りの反対の公園の中には池があるものの、ホテルからは全く見えず、よくある完成予想図の類にすぎないものを堂々と掲示しているわけです。
 新築のホテルでは考えられないことに、一晩中、隣の部屋からのテレビの音が聞こえてきたので、部屋を変えてほしいと頼んだところ、明らかに空室があるのに、満室だと言い、対応しません。ただ、苦情が隣室に届いたのか、次の夜はテレビの音は消えましたが、今度は大いびきが聞こえてきました。見かけは豪華でも全く安普請で、耐震設計のほうも大丈夫かなと心配になりました。
フロントやレストランの従業員の対応もホスピタリティに欠け、日本人観光客のニーズには応えるには、まだまだといったところです。

<郷土史博物館>
観光振興も重要な議題のひとつなので、サハリン州政府の案内で、サハリンの実情視察が行われ、ユジノサハリンスクの美術館、大学、博物館とサハリン・プロジェクトのLNGプラント、オホーツク海沿岸の観光施設に行きました。
 郷土史博物館は日本統治時代から残っている数少ない建物です。庭もきれいで、結婚式の記念撮影が行われていました。建物は現在修復中のため、1階の2室のみでサハリンの自然と歴史の展示を見学しました。ここは、日本時代から博物館だったそうです。

<サハリン観光の可能性>
 サハリンの魅力はやはり自然です。LNGプラント内の川ですらサケが遡上し、周辺の海にはアザラシの群れがやってきます。サケは禁漁ですが、海や湖では釣りができますし、動物や鳥のウォッチングには最適です。
サハリン航空、宿泊施設の問題もあり、手軽なパック旅行はとてもまだ望めそうにありません。アウトドアとダーチャでの農家民宿のようなグリーンツーリズムと、まるっきり手付かずのエコツーリズムがサハリン観光の可能性をにぎっているように感じました。

鮭の遡上.jpg
サケの遡上する川の前で原田義昭外務委員長と私

2006年09月02日

【メルマガ】「ダーチャ」― サハリンの食料自給(サハリン報告その1)

<菜園付き別荘「ダーチャ」>
サハリン・フォーラムの翌日は、マイクロバスで郊外に足を延ばしました。市街を離れると、柵に囲まれた菜園と小屋が目につきます。これは、ダーチャといって、町の住民が農作業をしながら、週末や夏の休暇を過ごす別荘です。別荘といっても、ユジノサハリンスクの近郊には、あばらやといっていいほどの壊れかかった小屋も多くあり、日本人の考える避暑地の「別荘」とは全く異なります。

ダーチャ1.jpg
きれいに耕されたダーチャの畑

<飛び込みでダーチャ訪問>
 予定にはなかったのですが、私はせめてダーチャの写真を撮りたいと頼み、途中で車を止めてもらい、近くのダーチャに向かいました。ところが、そのダーチャは、高い柵に囲まれており、全く中が見えません。ぐるりと回って入り口を見つけ、扉を開けようとすると、大きな犬がきて吠え始めました。あきらめて外にいると、中から女性が現れたので、中をみせてほしいと頼むと快く招き入れてくれました。
 菜園には、じゃがいも、ズッキーニ、いろんな種類のハーブ、花、豆類、果樹などが、ひと畝ごと、小さな区画ごとに植えられていました。また、温室もあり、トマトやきゅうりが実っていました。

<手作りの別荘>
 ここのダーチャはなかなか小奇麗でりっぱな建物でした。ご主人が建てたもので、1階は、小さな台所と居間兼寝室があり、屋根裏のような2階も寝室になっていました。ダーチャでは、畑だけではなく、建物や内装も、自分たちの手作業でだんだんと作り上げていくそうです。部屋の壁には奥さんが描いた大きな絵がかかっていました。
 写真を撮るだけといって止めてもらったのに、思わぬ長居をしてしまい、バスに残っていた団長には怒られてしまいましたが、大半のメンバーはダーチャ見学に満足していました。

<食料自給率向上は菜園で>
ダーチャの菜園は自家用野菜を作るためのものですが、余分にとれたものは、市場で売られてもいます。サハリンの農業生産は、なんとその約6割がこのダーチャによるもので、食料供給(自給)の重要な役割を担っています。
ところが、日本政府は、品目横断的経営安定対策では4ha以上(北海道では10ha以上)の大規模農家のみを支援することにしています。民主党の農林漁業再生プランでは、中小の農家の生産も支援し、自給率向上を図ることにしていますが、サハリンのダーチャを見て、いよいよ民主党の農林漁業再生プランでなくてはならないという意を強くしました。

ダーチャのおばさん.jpg
親切なダーチャのおばさん

 1  |  2  | All pages