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【メルマガ】頑張れ栄村 ―村政施行50年に寄せて―

 栄村50周年式典に招かれた。
 村歌にあるとおり、長野の最果ての地で、合併せずユニークな村政をしてきた、南の泰阜村と双璧の小さくともきらりと光る村である。

【50年で人口は3分の1に、世帯数は3分の2に激減】
 50年の歴史を紐解いてみると、日本の典型的な過疎山村、中山間地域の悲惨な現状がみえてくる。1956年7972人あった人口が1995年の40年後には3015人、そして今2006年2515人と3分の1以下に激減した。65歳以上の高齢者の比率は42%となり、全国の山村とお年寄りばかりの村となっている。
 ただ、世帯数の減少は1956年1294戸から2005年889戸と405戸しか減っていない。その間に人口減が5457人であり、すべてが挙家離村により人口減少したとすると、一家族あたり13~14人となってしまう。現実には残った世帯からも若者が次々に去り高齢者のみがかろうじて残っているのがみえてくる。一戸当たり世帯員も6.2人から2.5人と半減している。

【世界一の豪雪地帯】
 こうした超過疎村に対する支援措置はほとんどとられてこなかった。栄村には普通の過疎に加えて、3mから4mに達する豪雪がある。1年の3分の1くらいは雪に閉ざされるといってよい。このことを考えると、50年間で3分の1の人口減にとどまっているのが、むしろ驚くべきことかもしれない。ベタ雪との闘いは住んだ人でないとわからない。このことは鈴木牧之が江戸時代に「北越雪語」「秋山紀行」でも記している。

【美しい村が壊れてはたまらない】
私は2003年秋、久しぶりに故郷長野、北信州に戻り長居することになった。総選挙である。長野の選挙事務所を中心に何度も北へ南へと走り回った。9月中旬から11月9日まで苦しい選挙戦だったが、ただ不謹慎なことにひそかな楽しみがあり、それほど疲れることもなかった。移りゆく紅葉を楽しむことができたからであり、中でも栄村の千曲川沿いの紅葉は絶景だった。
 田中康夫知事が南端の地から北へ攻め上がった2番煎じと写ったのか観客はほとんどいなかった。新聞もTVも報じてくれなかったが、私の公示後の第一声は栄村から始めた。
 農林水産省で30年間働いたにもかかわらず、農林水産の行政の貧困から中山間地域を救えなかったという後ろめたさが私を駆り立てたのだ。選挙のプロを任じる周りの有識者は「2000票もない所へ行ったって」と嫌がったが、私の気持ちが収まらなかったからだ。

【竹中経済大臣に過疎地への機会均等を質す】
 国会議員となり、やっと栄村を題材にした政策変更の議論をすることができるようになった。2006年4月、今はなき(参議院議員をやめた)竹中平蔵経済大臣に問い質した。

【選挙がらみは機会均等】
 「栄村の人口2500人のところに公営掲示板が53ヶ所、人口が5倍の1万2000人の小布施町に33ヶ所、日常生活の範囲で候補者の顔を見れるように候補者は政治の機会均等には大変気をつかっている。
長野市でも午後7時に投票が閉められる投票所が119箇所のうち63ヶ所と半分以上、ところがその対象の人々はわずか9%にすぎない。これまた、歩いて投票に行けるということに最大限の配慮をしているからである。

【福祉や教育は格差が拡大するばかり】
 選挙がらみでこれほどまでに機会的均等に配慮してくれるなか、なぜもっとも大切な福祉・教育等の生活に密着した分野での機会的均等を実現してくれないのか。医者が寄り付かず、学校がなくなるところに人が住めるはずがない。憲法25条は健康で文化的な最低限度の生活が平等にできるように保障している。選挙も大事だが命の相場はもっとも大切である。

【まず電波の機会均等を】
 山の中の支持者訪問をしていると、秘書が「ただ今、現在地不明です」「携帯も通じません」と困り果てる。総務省に電波行政も入ることになったから、山の中でもTVがきちんとみられるように、携帯も通じるように機会を均等にしてほしい。「まず塊より始めよ」である。総務省が率先垂範してやれば厚生労働省も文部科学省もやらざるを得なくなる。

以上のようにはっぱをかけたが、どうもきちんとした答弁が戻ってこなかった。

【栄村行政】
 昨年秋には、前原さんとの代表選に敗れて全く役職のなくなった菅さん(現代表代行)を栄村に連れてきた。菅さんはかねがね無駄な公共事業を攻撃し、土地改良も半分ですむ田なおし事業を絶賛していた。私はてっきり現場を知っての発言かと思っていたら、なんと耳学問だけで現場を知らないというのだ。私は菅さんの再登板を確信していたのでしっかり充電してもらうべく菅さんに、工夫を凝らす現場をじかに見てほしかったのだ。相澤博文村議のひだまり荘で岩魚の骨酒をごちそうになり、高橋彦芳村長の案内で田なおしの現場も見させていただいた。

【21世紀は向村離都の時代】
 栄村は他に、道なおし、下駄履きヘルパー、絵手紙交流等、それこそ心の暖まる行政を展開している。明治以降は「向都離村」(都に向かって村を離れる)と言うのが、私の尊敬する榛村純一掛川市長の言である。しかし21世紀は逆に「向村離都」としなければならない。しかし、向かうべき村が消えつつあるのは問題であり、私は小さな村の存続に全力をあげる決意を新たにした。
 高橋彦芳村長は入院中で50周年の式典に出席されていなかったが、一日も早い回復を祈ってやまない。