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投票の機会均等を教育の機会均等に 07.01.01記

長野市内には119の投票所ある。この119投票所のうち、半数以上の63投票所は開票所から遠く、投票箱を運ぶのに時間がかかるため、1時間早めて午後7時に閉まる。この63投票所の有権者数は全体の9%に過ぎない。また、選挙ポスターを貼る地区別公営掲示場の配置数では、人口約2500人の栄村が53、その5倍の1万2500人の小布施町は73である。栄村は一掲示場当たりの有権者が41人で、長野市の489人に比べると十倍優遇されている。
これは、日常生活の範囲内で候補者の顔を知ることができ、投票に行けようにすることにより、投票における機会均等を保障するためである。過疎地のことを考慮した美しい制度だ。
<北信ローカル元旦号寄稿に掲載>

しかし、他の分野では、過疎地は機会均等どころか、ますます不便を強いられている。携帯電話は通じない、テレビは映らない。福祉、教育の機会は奪われっぱなしである。病院はなくなり、学校は閉鎖される。路線バスが廃止されると、子どもや高齢者は学校や病院にすら通えない。平地の北信総合病院ですら、医師不足が深刻化している。都市と農村(地方)の格差は拡大するばかりである。
子どもは、空気のきれいな景色のいいところで育てたほうがいい。例えば、廃校になった長野市の小田切地区から街中へバス通学させるのではなく、むしろ、街中から小田切小学校に通うスクールバスを出して、町の子を山の学校にというのが本当の教育の機会均等ではないだろうか。山の中といってもふもとまで車でほんの10~20分の距離なのだ。
過疎地でも、選挙がらみの機会均等だけでなく、もっと日常的なことについて、平地と同じアクセスが保障され、どこにでも住めるようにしなくてはならない。ヨーロッパの条件不利地域で過疎がそれほど進まず、田舎で堂々と生きている人が多く、農村のほうが美しいのは、社会資本の整備が田舎でも充実しているからにほかならない。
選挙制度の美しい優遇は、過疎地の教育や医療等にも広めていかなくてはならない。これは、まさに政治がやるしかない。