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高校再編を考える 07.01.01記

高校再編で、来春統合予定の中野高校、中野実業両高校は、新校名を「中野立志館」と決めた。市出身の高野辰之作詞の唱歌「ふるさと」にある「志(こころざし)を果たして、いつの日にか帰らん」の歌詞にちなんだものだ。統廃合により、母校の名が消えることは、卒業生にとって辛いことだが、新しい校名に故郷の思いを刻んで再出発するのだと前向きに考えるしかない。
<北信タイムス新年号寄稿として掲載>

私は、過疎地の学校が生徒数の減少により統廃合され、都市の学校に生徒が集まるというのは、仕方のないことだとは思わない。イギリスやアメリカでは、大学は大都会にはなく、田舎にある。イギリスの全寮制中高等学校も田舎にある。私がアメリカ留学時に半年過ごしたカンサス州立大学もマンハッタンという小さな田舎町にあった。アメリカでは○○州立大学はすべて田舎にある。小・中・高校も町はずれや田舎にある。勉強にネオンサインや商店街は必要ないからだ。日本も同じようにすべきなのだ。工場ばかり田舎に移ってくるが、教育こそ田舎がぴったりなのだ。
1983年、中山素平は、国際大学を新潟県南魚沼市に創った。また、2000年には、立命館アジア太平洋大学が大分県別府市に、2004年には、国際教養大学が秋田市の郊外にできた。いずれも、英語で授業を行い、留学生も多く通っている。
地域の活性化を考えると、固定観念は打破しなくてはならない。便利さを享受している都市に、さらに教育まで備える必要があるだろうか。せめて学校ぐらいは田舎にあってよいというか、むしろ田舎にあるべきだと思う。人口に合わせて学校を潰していたら、田舎はますます衰退してしまう。教育くらいは、自然豊かな田舎で行うべきなのだ。
高校も、そもそも町のはずれに造られた。かつては、生徒が徒歩や自転車で通うことを考えたが、今は交通網が発達して相当遠くからも通えるようになったし、もっと大胆な見地に立ってもいいはずである。つまり、長野でも、中心部(松本市や長野市)から過疎地の高校へ通わせる発想の転換が必要である。町から田舎の学校に通うなら、通勤ラッシュとは反対方向で通学は苦にならないし、地方路線の経営改善にも役立つ。
教育環境のためにも、地域の活性化のためになり、一石二鳥になるはずである。