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2007年01月10日

投票の機会均等を教育の機会均等に 07.01.01記

長野市内には119の投票所ある。この119投票所のうち、半数以上の63投票所は開票所から遠く、投票箱を運ぶのに時間がかかるため、1時間早めて午後7時に閉まる。この63投票所の有権者数は全体の9%に過ぎない。また、選挙ポスターを貼る地区別公営掲示場の配置数では、人口約2500人の栄村が53、その5倍の1万2500人の小布施町は73である。栄村は一掲示場当たりの有権者が41人で、長野市の489人に比べると十倍優遇されている。
これは、日常生活の範囲内で候補者の顔を知ることができ、投票に行けようにすることにより、投票における機会均等を保障するためである。過疎地のことを考慮した美しい制度だ。
<北信ローカル元旦号寄稿に掲載>

しかし、他の分野では、過疎地は機会均等どころか、ますます不便を強いられている。携帯電話は通じない、テレビは映らない。福祉、教育の機会は奪われっぱなしである。病院はなくなり、学校は閉鎖される。路線バスが廃止されると、子どもや高齢者は学校や病院にすら通えない。平地の北信総合病院ですら、医師不足が深刻化している。都市と農村(地方)の格差は拡大するばかりである。
子どもは、空気のきれいな景色のいいところで育てたほうがいい。例えば、廃校になった長野市の小田切地区から街中へバス通学させるのではなく、むしろ、街中から小田切小学校に通うスクールバスを出して、町の子を山の学校にというのが本当の教育の機会均等ではないだろうか。山の中といってもふもとまで車でほんの10~20分の距離なのだ。
過疎地でも、選挙がらみの機会均等だけでなく、もっと日常的なことについて、平地と同じアクセスが保障され、どこにでも住めるようにしなくてはならない。ヨーロッパの条件不利地域で過疎がそれほど進まず、田舎で堂々と生きている人が多く、農村のほうが美しいのは、社会資本の整備が田舎でも充実しているからにほかならない。
選挙制度の美しい優遇は、過疎地の教育や医療等にも広めていかなくてはならない。これは、まさに政治がやるしかない。

安倍の前原化現象の予感 新年寄稿版07.01.01記

<仲良し内閣の危うさ>
安倍内閣の閣僚の一つの特徴は仲良し側近の重用だろう。全員は政治経験が浅く、ご指南番が必要というのに何たることかと首もかしげたくなる。政権政党の自民党が、経験も不足、力も不足、タカ派そのものという危険満載の安倍総理になるのは傍から見ていてもハラハラする。国民は小泉で刺激を受けすぎ、もう普通の政治家では関心も持たず、支持もできなくなってしまっている。
<長野建設新聞 新年ご挨拶の寄稿に掲載>

<選挙の顔で選ばれる自民党総裁>
小選挙区制の下、無関心層なり無責任層の多い都市部では党首で投票先を選ぶ有権者が多い。まして有権者と議員の関係が遠い参議院議員選挙は、まさに党首の人気が勝敗を左右する。5年前に自民党が参院選の顔として仕方なしに小泉を選んだため、今またその次が異例の若さの安倍でなければ持たなくなっている。安倍を凌ぐ刺激は女性初の総理総裁、野田聖子ぐらいしかない。
そこへいくと民主党は、前原前代表は別に選挙の顔として選んだわけではなくまだましである。
前原にいずれ代表になってほしいと思うが、もっとしっかり実力を蓄えた後、民主党が政権に向かったりする絶頂期の時にこそふさわしい党首である。

<幼すぎるトップ就任>
安倍も、67歳ですい臓癌で逝った父晋太郎の無念さが先立ち、焦って総理の座を手にしたのが命取りになる可能性がある。「当選10回、60歳前後、党三役1回、閣僚2~3回」はだてにできあがった自民党総裁の条件ではない。
それに引き換え、小沢人事は全く逆で全体に目を配り、ベテランやプロを配置した見事なものである。
前原体制はやはり、党運営の為の根回しの仕方も知らない仲良しグループで周りを固め、墓穴を掘った。中曽根康弘元総理は衆議院議員になった時から総理を目指し、満を持して総理に就任した。それでもかなり考え方の違う後藤田正晴という重鎮を自分をチェックしてくれるご意見番として官房長官に据えている。前原43歳、安倍52歳若くしてトントン拍子で自信過剰になり、ともに驕りが過ぎるようである。

<安倍の前原化で政権交代>
安倍も前原も、2人とも格好がよい、タカ派的体質、自信過剰と似ている所が多い。しかも、人事の仲良し側近重視もそっくりである。ベテランのアドバイサーの欠如から内部崩壊していくことも共通のような気がしてならない。つまり安倍の前原化である。
その次に、また自民党の中で総理の椅子をたらい回しされてはならない。我が民主党は、安倍政権の崩壊の時を絶好機ととらえ、一気に政権交代に向けて突進していくしかない。

高校再編を考える 07.01.01記

高校再編で、来春統合予定の中野高校、中野実業両高校は、新校名を「中野立志館」と決めた。市出身の高野辰之作詞の唱歌「ふるさと」にある「志(こころざし)を果たして、いつの日にか帰らん」の歌詞にちなんだものだ。統廃合により、母校の名が消えることは、卒業生にとって辛いことだが、新しい校名に故郷の思いを刻んで再出発するのだと前向きに考えるしかない。
<北信タイムス新年号寄稿として掲載>

私は、過疎地の学校が生徒数の減少により統廃合され、都市の学校に生徒が集まるというのは、仕方のないことだとは思わない。イギリスやアメリカでは、大学は大都会にはなく、田舎にある。イギリスの全寮制中高等学校も田舎にある。私がアメリカ留学時に半年過ごしたカンサス州立大学もマンハッタンという小さな田舎町にあった。アメリカでは○○州立大学はすべて田舎にある。小・中・高校も町はずれや田舎にある。勉強にネオンサインや商店街は必要ないからだ。日本も同じようにすべきなのだ。工場ばかり田舎に移ってくるが、教育こそ田舎がぴったりなのだ。
1983年、中山素平は、国際大学を新潟県南魚沼市に創った。また、2000年には、立命館アジア太平洋大学が大分県別府市に、2004年には、国際教養大学が秋田市の郊外にできた。いずれも、英語で授業を行い、留学生も多く通っている。
地域の活性化を考えると、固定観念は打破しなくてはならない。便利さを享受している都市に、さらに教育まで備える必要があるだろうか。せめて学校ぐらいは田舎にあってよいというか、むしろ田舎にあるべきだと思う。人口に合わせて学校を潰していたら、田舎はますます衰退してしまう。教育くらいは、自然豊かな田舎で行うべきなのだ。
高校も、そもそも町のはずれに造られた。かつては、生徒が徒歩や自転車で通うことを考えたが、今は交通網が発達して相当遠くからも通えるようになったし、もっと大胆な見地に立ってもいいはずである。つまり、長野でも、中心部(松本市や長野市)から過疎地の高校へ通わせる発想の転換が必要である。町から田舎の学校に通うなら、通勤ラッシュとは反対方向で通学は苦にならないし、地方路線の経営改善にも役立つ。
教育環境のためにも、地域の活性化のためになり、一石二鳥になるはずである。

2007年01月04日

民主党幹部の三人三様 07.01.01記

小沢一郎代表は、今政治生命をかけて参院選勝利に向けて一人区行脚を行っている。
<小沢代表の価値観>
次の内閣農林水産担当として近くで接すると、改めてその合理的な考えと自らの論理・信念への強い自信・こだわりに感心させられる。岩手の米作地帯水沢で育ち、農業・農村にはことのほか思い入れが強い。47歳にして全盛期の自民党幹事長となって以来政局の人となったが、元はと言えば、ベトコン議員であった。その小沢は、消防団の組める地域社会、つまり相互扶助・ボランティア精神のある健全な日本社会を維持するために農家に戸別所得補償をすべきと主張する。
<株式会社長野経済新聞社(建設タイムズ新春特集号)に掲載>

<田舎生まれの菅代表代行>
菅直人代表代行は、都会生まれのませた青年が市川房枝と会い政治の世界にのめり込み、野党第一党の幹部に登りつめたと思われているが、実は山口県の宇部で高校2年まで過ごしている。基本的価値観は、日本の田舎で培われているのだ。その菅が、日本の伝統社会の力強さに気づき、今や農林漁業の再生なくして日本の再生なしと断言し始めた。
<安全な食べ物を追求する鳩山幹事長>
鳩山由紀夫幹事長は、政治にも愛が必要だとか、歯の浮くようなキャッチフレーズを口にしても、手並みのよい御曹子然とした雰囲気から全く違和感を感じさせない。選挙区を北海道に定め、マクロビオティックなる生活スタイルを信奉している。安全な食べ物にこだわり日本の農業を何とかせんと考えている。
三人三様、日本の温かい絆で結ばれた農村地域社会に思いを馳せている点で共通である。
<3人との昔のかかわり>
小沢がまだ若かった頃(1983年)地元の農業者の会合に講師で行ったことがある。まだ初々しい若手議員の頃である。鳩山は、私と同じ頃(1977年)アメリカに留学しており、共通の友人から鳩山との会食に誘われたが、疲れていたので遠慮した。その後、私が水産庁企画課長として200海里排他的経済水域の設定等に取り組んでいる時、さきがけの政調会長で、国会内で突然政界への進出を打診されたことがある。当然断ったが、今同じ党にいる。菅とは、2003年秋の総選挙の折、長野駅頭に応援に来てくれたのが最初の顔合わせである。ただ、会う前から民主党に欠ける農政の担当としてTV討論で挙げて待っていてくれた。後に、環境グループ等に共通の友人が多くあることを知った。
<3人で力を合わせて政権奪取>                             
突っ張りすぎる小沢、攻撃的言辞がうますぎる菅、人が好すぎる鳩山、どこかちょっとずつ危うい所があり、何となく支えてやらなければと思わせる三人である。来年の1月にはこの3人のスクラムが功を奏し政権交代を直前になっていることを願わずにはいられない。