« 2007年6月 | メイン | 2007年8月 »

2007年7月31日

舟山康江応援演説冗談編(舟山康江紹介編)07.07.31

7月27日記
 対立候補が篠原と同姓なので、私は垂れ幕は作ってもらえず、演説の機会はほとんどありませんが、59回目の誕生日の7月17日には、昔からの私の友人、押井喜一鶴岡市議のリクエストにより、仙谷由人、河村たかし両議員に混じった応援弁士を務めることになりました。結局、都合3回聴衆の前に立ちました。
 まじめ編(政策編)と冗談編(舟山康江紹介編)に分けて、その応援の一部を紹介します

Ⅱ 冗談編(舟山康江紹介編)

<1 ほめ上げ>
 私は、舟山さんが農林水産省に入省したときの上司の1人でして、司会の方からご紹介いただいたとおり、舟山候補の生みの「親」かもしれません。兄というのは、やはり近藤洋介さんぐらいまでですかね(笑)。
 舟山さん、3年前と比べて成長しました。といっても背が伸びたわけでもないし、横に太ったわけでもありません(笑)。前回は、民主党の幹部にも好き嫌いがあったようですが、今はにこっと笑って誰とでも握手して、ことごとく応援に来させるまでになりました(笑)。政治家になりつつあるのです。
 もともと素質がありました。入ったときから元気がよくてハキハキしていました。話もしっかりしていますね。
 3年前に、どこかの個人演説会で菅さんと並んでいたら、私の袖を突っついて、「篠原さん、舟山さんは出藍の誉れですね」というんです。何のことかと思ったら、「篠原さんより話の内容がずっと理路整然としている」(笑)。その話にも磨きがかかりました。この私がちゃんと刷り込みをしたからかもしれません(笑)。
 せっかくですので、舟山さんの改革力を示すエピソードを一つ紹介します。
 国際企画課の親睦会費が給料から天引きされていました。一泊二日で温泉に行き夜はコンパニオンも来て飲み食いして帰ってくる典型的な課内旅行が行なわれていましたが、舟山さんを中心とする若手女性陣が「もったいない、無駄遣いだ」とクレームをつけ、それをやめさせたそうです。勇気ある誰かが(笑)グチャグチャ言ったら、「私たちがコンパニオンの代わりをする」という妥協が成立したそうです。すごい改革力、交渉の解決力です。
 私はその実行のとき、パリ勤務になっておりまして、参加できませんでした。幸いにしてか、不幸にしてか、舟山さんのお酌で酒がゆっくり呑めたか、緊張した議論になったか、私は結果は知りません(笑)。
 舟山さんは、間違っていることや無駄なことを放置しておけない正義感、そしてそれを正す実行力が備わっています。議席を得させていただけたならば、すぐに役立つ人です。そして、しばらくするとすぐに私の域に達します(笑)。
 この点を見抜いたのが、自称目の肥えている仙谷由人元政調会長です。他の同年齢の女性議員と比べて「格段の差」と言い切り、「日本のサッチャーになれる」と鶴岡で褒めちぎっていました。少々持ち上げすぎと思いますが、まあ、素質の上に最初に鍛えた人がよかったのでしょう(笑)。

<2 出馬経緯>
 3年前の4月上旬、私は農業再生プランもまとまり、選挙対策委員長代理の堀込さんに候補者の決まり具合を尋ねましたところ、1人区11人が決まっていないとのこと。私は、「どんなにいい農政をアピールしても、候補者がいなかったら勝てるわけないじゃないですか」と発破をかけました。すると反撃され、「嫌味を言ってないで候補者探しを手伝え」と言われてしまい、民主党の目標、すなわち『参議院は女性3分の1』という方針に従って、女性を探すことにしました。そこで、頭に浮かんできたのが舟山さん。風の便りに農林水産省を辞め東北のひなびた町(笑)に嫁いで行ったということを思い出したのです。調べてみると山形県小国町。再生プランの責任者鹿野道彦次の内閣農林水産大臣の地元、近藤洋介さんの選挙区、すべてがビンビンときました(笑)。
 ただ、平和な家庭を壊すのも気が引け、私は堀込さんに私の名前を出さずに鹿野さんと近藤さんに、こういう人がいることを紹介するならということで、住所、電話等を伝えました。しかし、ダメでした。全く政治家は口が軽くて信用できません(笑)。
 鹿野さんから「農業再生プランは少々遅れてもいいから舟山さんをくどけ」という厳しい命令です。鹿野さんは、車を飛ばして舟山さんに会いに行き、一目ぼれしてしてしまったようです(笑)。やはり、立派な政治家は人を見る眼もあるようです。「絶対当選させる。いい候補だ」と興奮気味でした。
 しかし、私は女性をくどくなんてしたこともなく苦手です(笑)。近藤さんもどうもダメらしく、すぐ断られて一旦は諦めたようです(笑)。私だってダメで、すぐ拒否されました。そりゃ当然です。ところが救いの主はダンナ様です。太っ腹で、せっかく声がかかったんだからやってみろと後押ししてくれたのです。まさに男女共同参画の見本の家庭です。
 今回、優勢がちらっと伝えられていますが、本当に何としても当選してもらわなければなりません。なぜかというと、舟山さんは、山形ののんびりした田舎でゆっくりした人生を送ろうとして農林水産省を辞めて小国町に移り住んだのです。農林水産省にろくな男がおらず(笑)、気がついてみたら予備校時代のダンナ様が一番だったようです(笑)。
 三木武夫さんが椎名裁定により首相に指名された時に「青天の霹靂」と言いましたが、この言葉は舟山さんにこそ当てはまります。普通の主婦として一生を送ろうとしていた舟山さんにとってこそ、参議院選挙に立候補するなど全く思いもよらない想定外のことでした。言ってみれば、私が、人生を大きく狂わせてしまったのです。
 ですから、今、責任をとって、地元の羽田雄一郎議員の選挙をさておいて、山形に常駐しているのです。ダンナ様の英断に報いるためにも舟山さんに当選してもらわないとなりません。

舟山康江応援演説まじめ編(政策編)07.07.31

7月27日記
 対立候補が篠原と同姓なので、私は垂れ幕は作ってもらえず、演説の機会はほとんどありませんが、59回目の誕生日の7月17日には、昔からの私の友人、押井喜一鶴岡市議のリクエストにより、仙谷由人、河村たかし両議員に混じった応援弁士を務めることになりました。結局、都合3回聴衆の前に立ちました。
 まじめ編(政策編)と冗談編(舟山康江紹介編)に分けて、その応援の一部を紹介します。

Ⅰ まじめ編(政策編)

<1 小沢、菅の共通の価値観編>
 今回、民主党は、3つの約束、7つの提言をまとめました。小沢代表は、3つの約束に「年金、子育て、農業」を選びました。年金、子育ては、全国民に関係がありますが、医療や雇用、分権といったその他の重要課題より農業が先なのはおかしいと都市部の議員は思うかもしれません。しかし、3つ目にまさに小沢代表の政治家としての信念が表れています。
 小沢さんは、合理的な考えの持ち主ですが、かねがね地域社会の安定こそが大切だとして、「消防団の組める地域社会」でないといけないと言ってきました。口下手な小沢さんには上出来の表現です(笑)。農村地域社会の崩壊には危機感を持っており、安定した地域社会の維持のためにはお金を注ぎ込んでもいいと常々発言し、その一つの表れが全販売農家に対する戸別所得補償です。
 我々が3年前に1兆円の直接支払いを導入する案を提示したところ、政府自民党は、昨年の通常国会に例の品目横断的経営安定対策を打ち出してきて、今年から実行に移されています。4ha以上の農家しか対象にせず、さもなければ20ha以上の集落営農にして5年以内に生産法人化という農村に混乱を生じさせている政策です。日本農業新聞の世論調査によると専業農家でも26%しか支持せず、逆に我々民主党の政策を55%も支持してくれています。大規模農家だけでは農村はバラバラになるのをわかっているからです。
よく、アメリカのネオコンと呼ばれる人たちがやたらタカ派的政策を取り入れたと批判されますが、実は、本来は、市場原理主義を貫徹していくことこそ彼らの考えでした。しかし、今やアメリカでもそういう考えは追いやられました。それを、日本は、小泉・竹中・ホリエモン路線はやたら突っ走り、安倍政権もそれを引き継いでいます。つまり、行け行けどんどんは今やボケた日本政府しかとっていません。
 菅直人代表代行は、都会生まれの都会育ちで都会的センスの持ち主で、市川房枝さんと出会い、弱小社民連から野党第1党の党首になったと思われているかもしれませんが、実は、高校2年の夏までずっと山口県の宇部市で育った、皆さんと同じ田舎っぺなのです(笑)。その菅さんが、日本の再生のためには、農山漁村を子育てに適した地域社会として復活させなければならないと言っています。
 最近は、「おせっかいの復活」とまで言い出し、結婚しない人たちが増えたのは、近所のおせっかいおばさんがいなくなったからだと。
 つまり、小沢、菅の二人のトップが安定した地域社会こそ日本の強さの根源と考えている点では、全く共通の価値観を有しており、雰囲気は大分違いますが(笑)、皆さん、ご心配なく、分裂することはありません。
 そして、民主党の3つ目の政策の象徴的候補が、この舟山康江さんです。だから、小沢さんが、1人区行脚の第一番に山形を選び、何度も足を運んでいるのです。多分、こんなに大勢の幹部が次々と応援に来てくれたところはありません。

<2 小沢民主党党首必然編 ―なぜ歴代農相の重鎮が民主党か―>
(小沢一郎党首が経済や地方重視の経世会(宏池会)の流れをくみ、それに対して、安保条約、憲法、教育の岸―安倍派、中曽根派の流れをくむ安倍晋三と対峙するのは歴史の必然、つまり生活重視の党=民主党と抽象的雲の上のことが好きな自民党=地方・経済軽視の二台政党制となっている。07.03.07のブログ「2007年3月1日予算委員会「地域間格差問題」集中審議報告(その3小沢民主党の「生活維新」の系譜)」参照)
 この戸別所得補償の農政は、私の前々々任の鹿野道彦次の内閣農林水産大臣の時にさんざん議論して打ち立てました。それを我々はずっと主張し続け、今、小沢代表の下開花し、自民党の4ha以上云々という大規模優遇、小規模切捨て農政と論争をしているのです。
 羽田孜、鹿野道彦、田名部匡省と民主党に実力派農林水産大臣が多い理由があるのです。鹿野、田名部のお二人は、町村派つまり昔の福田、安倍派です。多分、農山漁村を大切にするお二人は、憲法とか教育とかにばかり目が行く皆さんと肌が合わずに自民党を飛び出されたのです。羽田さんは小沢さんと同じ系譜ですし、かくして、二大政党は生活や経済重視の民主党と憲法・教育・安保などばかりに目が行く自民党とに分かれたことになります。
 自民党に残った生活・経済重視派の旧経世会(津島派)は、久間防衛大臣の辞任で1人の閣僚もいなくなり、宏池会は3つに分裂し昔の面影はありません。そのかわり、森・小泉・安倍と三代続けて首相を出した町村派や中曽根派の系統の伊吹派は我が世の春を謳歌しています。「官邸の少年団」と揶揄されるタカ派の中堅は大体この仲間です。
 もう皆さんはおわかりでしょう。民主党が政権を奪取した暁に、自民党の一部が民主党と手を握るなり、入ってくるとしたら、それは旧宏池会の面々であり、羽田、小沢の昔の仲間、津島派ということになります。

<3 政権交代>
 私は、羽田孜元総理に「民主党の政権獲りに協力してくれ」と大それた頼まれ方をして衆議院議員になりました。今それが実現の一歩手前になりました。羽田さん、小沢さん、鹿野さんたちが飛び出されて15年経ちました。
 2005年の小泉劇場選挙でちょっと道草をくいましたが、ようやく実現の時がやってまいりました。よく言われているとおり、二大政党制なり、政権交代がないのは日本だけです。
 今、政治とカネの問題が争点の一つになっています。
 これなども、政権交代で相当防げるのです。つまり、政権の座から与党の座から3年4年と離れていたら、そう甘い汁ばかり吸っていられなくなります。よく韓国で政権交代の度に、前政権を糾弾します。そこまでならなくとも、チェックが必ず働くのです。
 他の国と同じく、軽やかに政権交代をすべきです。
 私は、民主党が絶対だとは思いません。民主党がずっと勉強してきたものを政権をとって実行し、だめだったら、また、他の党、自民党が生き残っていたら自民党に戻せばいいのです。しかし、自民党が首相をとっかえひっかえ擬似政権交代してグダグダ政権の座に据わり続けることだけはやめにしないとなりません。

山形に駐在して舟山康江候補を応援07.07.31

7月27日記
 前回の参院選では東北の1人区で、山形の舟山さんだけが自民に負けてしまいました。舟山さんは私の農林水産省の後輩で、結婚して小国町に住み着いていたのを、私がちょっと口をきいて選挙に引っ張り出してしまい、惜敗でした。今回も佐賀の川崎稔さん、香川の植松美恵子さんと並んで、2回目の挑戦です。
 年金、子育て、農業が民主党の3つの約束です。最後の分野の象徴的候補ですが、7月14日が3人目の子どもの1歳の誕生日という子育て真っ最中の母親でもあり、子育ての訴えにも身が入ります。注目の選挙区の一つです。

私は、7月8日以来、駅ビルのホテルメトロポリタンに陣取り、あちこち訪問して舟山支持をお願いして歩きましたが、悩みは方言。親しく話してくださるのはいいのですが、わからないこともしばしば。私について何か言われているなあと思ったら、私のTV出演のときの発言についてのご意見でした。私の本を読み、講演を聞いた方が農業関係者にはたくさんいます。
 私は1982年以来、講演依頼に応じてあちこちに行きましたが、山形県は農政・農業について最も熱心に勉強している県の一つで何回も来ました。嬉しいことは、その私を覚えていてくれ、思わぬ再会もあることです。
 庄内地域を回っていた時に、阿部という名刺をいただき、ふと元気のいい農協青年部長で同じ名前の人を思い出し、案内していた堀孝治坂田市議に話しました。そして数10分後、庄内みどり農協で「阿部茂昭農協組合長」と再会。20数年前を語り合いました。
 阿部さんは、民主党の農政が私の年来の主張であることはすぐわかりましたが、その時の論敵の叶芳和さんが民主党の全国区候補になっていることには?でした。

 中野市のエコファーマーで山形の果樹農家と交流のある荻原安治さんからは友人の名簿もいただき、電話をかけたりハガキを出したりしました。残念ながら、他県の応援にも行かざるを得ず、友人の最も多い置賜地方(近藤洋介さんの2区)へはあまり行けませんでした。

 私は、長野1区の羽田雄一郎選対本部長ですが、どのマスコミの世論調査でも超安泰なので、告示後は3日しか長野におらず、すまない気持ちで一杯です。私は次の選挙のためにも、長野1区で雄ちゃんの応援をするのが一番ですが、そうもいきません。民主党の「2人区内の衆議院議員の1人区への応援指令」を私ほど忠実に実行している者はいないようですが、気を緩めることなく、最終日まで山形にいることにしました。ただ、本部は山形はかなりリードしてきたので、他の1人区の応援にも行けと指示してきました。全国での勝利を優先させていただき、やせた体に鞭打って強行スケジュールで1人区の各地を応援してきました。6月以降、合計17県を回りました。
 自分で言うのも何ですが、長妻昭議員は年金の顔と全国区でもてはやされていますが、私も実は隠れた農政の顔なのかもしれません。目立ちませんが、地道に地方での縁の下の支えに徹した選挙戦でした。

2007年7月23日

『フィナンシャルジャパン』9月号に私の記事が載ります07.07.20

写真5

2007年7月14日

羽田元総理の政権奪取目標、実現に一歩近づく=農政を訴え農村部に民主党議員を増やすシナリオが進行中=07.07.14

7月11日記
 民主党の重点施策が「年金・子育て・農業の3つの約束と7つの提言」と決まりました。農業が3つのうちの一つになっており、私が民主党の国会議員になってから取り組んできたことの集大成ともいえます。小沢代表の感度の良さが出た3つの重点施策です。

堀込征雄前衆議院議員と羽田孜元総理から、「民主党の政権獲りに手を貸してくれ」「農政は君に任す」「当選させる」等、甘い誘惑が始まったのは、1996年頃でした。羽田さんは、他の民主党幹部が、民主党が都市政党だけに安住し、それで政権を獲れると思っていることに疑問を投げかけ、「田舎の支持を続けてくれる有権者に支えられた議員」を多く誕生させることが、民主党政権の近道だと私に熱っぽく説きました。都市部の有権者は浮気っぽく、政権交代後は批判勢力になり、都市部出身議員だけだと脆い政権となるとも予告されていました。この点は、政権をとる前に小泉郵政選挙で都市部の議員が大量に議席を失い、風頼みの脆さが実証されてしまいました。
 今、やっと再び政権交代の芽が生まれてきました。羽田さんのお見通しのとおり、1人区農村県の勝負というどぎつい形の参院選となり、ここで勝利したほうが勝つという図式です。2000年が小泉・真紀子フィーバーで0(2)勝25敗、それが前回農業再生プランで9(13)勝14敗、そして今、29の1人区で20はとると頑張っています。
 私は3年前の参院選では、延べ16回他の道府県へ選挙応援に出向きました。1期生議員としては異例の回数でした。今回、農政マンガビラが300万部出回り、農政が選挙の3本柱の1つとなりました。そもそも全国紙の世論調査で、農政は項目にも入っていないのです。1に年金、2に教育とかいっているのと少々ずれがありますが、田舎では疲弊する農業が大問題となり、政治の助けを必要としています。
 もう一つ見逃されているのが、年金と農村の問題です。最も高齢化しているのが農村です。年金問題は農村でこそ大問題です。自民党の所得再配分政治が小泉政権で変わり、ひずみがもろに出たのが農村です。まさに小泉・安倍政治への審判が下る選挙なのです。中川秀直自民党幹事長のいう中間選挙などという生易しいものではありません。
 自民党政治は、いつのまにか「大都市、大企業、大規模農家」のための政治に片寄り、「小市町村、中小企業、小規模農家」は忘れられています。政治は、後者に手を差し延べなければならないのは明らかです。
 私は今回は、1人区の山形の舟山康江さんの応援に専念せよという党本部の指令をいただき、8日から山形入りしました。ところが、何の因果か、対立候補が篠原なにがしとやら同姓で紛らわしいので表舞台に立つな、という事務所の温かいのか冷たいのかわからない配慮をいただき、裏方で関係者回りに徹することになりました。その合間を縫って、時々全国の応援に出かけることにしています。10~11日は北海道、12朝は羽田参議院議員の出陣式で地元長野ですので、山形の本格的活動は12日午後以降になります。

 1  |  2  | All pages