« 2007年06月 | メイン | 2007年08月 »

2007年07月31日

舟山康江応援演説冗談編(舟山康江紹介編)07.07.31

7月27日記
 対立候補が篠原と同姓なので、私は垂れ幕は作ってもらえず、演説の機会はほとんどありませんが、59回目の誕生日の7月17日には、昔からの私の友人、押井喜一鶴岡市議のリクエストにより、仙谷由人、河村たかし両議員に混じった応援弁士を務めることになりました。結局、都合3回聴衆の前に立ちました。
 まじめ編(政策編)と冗談編(舟山康江紹介編)に分けて、その応援の一部を紹介します

Ⅱ 冗談編(舟山康江紹介編)

<1 ほめ上げ>
 私は、舟山さんが農林水産省に入省したときの上司の1人でして、司会の方からご紹介いただいたとおり、舟山候補の生みの「親」かもしれません。兄というのは、やはり近藤洋介さんぐらいまでですかね(笑)。
 舟山さん、3年前と比べて成長しました。といっても背が伸びたわけでもないし、横に太ったわけでもありません(笑)。前回は、民主党の幹部にも好き嫌いがあったようですが、今はにこっと笑って誰とでも握手して、ことごとく応援に来させるまでになりました(笑)。政治家になりつつあるのです。
 もともと素質がありました。入ったときから元気がよくてハキハキしていました。話もしっかりしていますね。
 3年前に、どこかの個人演説会で菅さんと並んでいたら、私の袖を突っついて、「篠原さん、舟山さんは出藍の誉れですね」というんです。何のことかと思ったら、「篠原さんより話の内容がずっと理路整然としている」(笑)。その話にも磨きがかかりました。この私がちゃんと刷り込みをしたからかもしれません(笑)。
 せっかくですので、舟山さんの改革力を示すエピソードを一つ紹介します。
 国際企画課の親睦会費が給料から天引きされていました。一泊二日で温泉に行き夜はコンパニオンも来て飲み食いして帰ってくる典型的な課内旅行が行なわれていましたが、舟山さんを中心とする若手女性陣が「もったいない、無駄遣いだ」とクレームをつけ、それをやめさせたそうです。勇気ある誰かが(笑)グチャグチャ言ったら、「私たちがコンパニオンの代わりをする」という妥協が成立したそうです。すごい改革力、交渉の解決力です。
 私はその実行のとき、パリ勤務になっておりまして、参加できませんでした。幸いにしてか、不幸にしてか、舟山さんのお酌で酒がゆっくり呑めたか、緊張した議論になったか、私は結果は知りません(笑)。
 舟山さんは、間違っていることや無駄なことを放置しておけない正義感、そしてそれを正す実行力が備わっています。議席を得させていただけたならば、すぐに役立つ人です。そして、しばらくするとすぐに私の域に達します(笑)。
 この点を見抜いたのが、自称目の肥えている仙谷由人元政調会長です。他の同年齢の女性議員と比べて「格段の差」と言い切り、「日本のサッチャーになれる」と鶴岡で褒めちぎっていました。少々持ち上げすぎと思いますが、まあ、素質の上に最初に鍛えた人がよかったのでしょう(笑)。

<2 出馬経緯>
 3年前の4月上旬、私は農業再生プランもまとまり、選挙対策委員長代理の堀込さんに候補者の決まり具合を尋ねましたところ、1人区11人が決まっていないとのこと。私は、「どんなにいい農政をアピールしても、候補者がいなかったら勝てるわけないじゃないですか」と発破をかけました。すると反撃され、「嫌味を言ってないで候補者探しを手伝え」と言われてしまい、民主党の目標、すなわち『参議院は女性3分の1』という方針に従って、女性を探すことにしました。そこで、頭に浮かんできたのが舟山さん。風の便りに農林水産省を辞め東北のひなびた町(笑)に嫁いで行ったということを思い出したのです。調べてみると山形県小国町。再生プランの責任者鹿野道彦次の内閣農林水産大臣の地元、近藤洋介さんの選挙区、すべてがビンビンときました(笑)。
 ただ、平和な家庭を壊すのも気が引け、私は堀込さんに私の名前を出さずに鹿野さんと近藤さんに、こういう人がいることを紹介するならということで、住所、電話等を伝えました。しかし、ダメでした。全く政治家は口が軽くて信用できません(笑)。
 鹿野さんから「農業再生プランは少々遅れてもいいから舟山さんをくどけ」という厳しい命令です。鹿野さんは、車を飛ばして舟山さんに会いに行き、一目ぼれしてしてしまったようです(笑)。やはり、立派な政治家は人を見る眼もあるようです。「絶対当選させる。いい候補だ」と興奮気味でした。
 しかし、私は女性をくどくなんてしたこともなく苦手です(笑)。近藤さんもどうもダメらしく、すぐ断られて一旦は諦めたようです(笑)。私だってダメで、すぐ拒否されました。そりゃ当然です。ところが救いの主はダンナ様です。太っ腹で、せっかく声がかかったんだからやってみろと後押ししてくれたのです。まさに男女共同参画の見本の家庭です。
 今回、優勢がちらっと伝えられていますが、本当に何としても当選してもらわなければなりません。なぜかというと、舟山さんは、山形ののんびりした田舎でゆっくりした人生を送ろうとして農林水産省を辞めて小国町に移り住んだのです。農林水産省にろくな男がおらず(笑)、気がついてみたら予備校時代のダンナ様が一番だったようです(笑)。
 三木武夫さんが椎名裁定により首相に指名された時に「青天の霹靂」と言いましたが、この言葉は舟山さんにこそ当てはまります。普通の主婦として一生を送ろうとしていた舟山さんにとってこそ、参議院選挙に立候補するなど全く思いもよらない想定外のことでした。言ってみれば、私が、人生を大きく狂わせてしまったのです。
 ですから、今、責任をとって、地元の羽田雄一郎議員の選挙をさておいて、山形に常駐しているのです。ダンナ様の英断に報いるためにも舟山さんに当選してもらわないとなりません。

舟山康江応援演説まじめ編(政策編)07.07.31

7月27日記
 対立候補が篠原と同姓なので、私は垂れ幕は作ってもらえず、演説の機会はほとんどありませんが、59回目の誕生日の7月17日には、昔からの私の友人、押井喜一鶴岡市議のリクエストにより、仙谷由人、河村たかし両議員に混じった応援弁士を務めることになりました。結局、都合3回聴衆の前に立ちました。
 まじめ編(政策編)と冗談編(舟山康江紹介編)に分けて、その応援の一部を紹介します。

Ⅰ まじめ編(政策編)

<1 小沢、菅の共通の価値観編>
 今回、民主党は、3つの約束、7つの提言をまとめました。小沢代表は、3つの約束に「年金、子育て、農業」を選びました。年金、子育ては、全国民に関係がありますが、医療や雇用、分権といったその他の重要課題より農業が先なのはおかしいと都市部の議員は思うかもしれません。しかし、3つ目にまさに小沢代表の政治家としての信念が表れています。
 小沢さんは、合理的な考えの持ち主ですが、かねがね地域社会の安定こそが大切だとして、「消防団の組める地域社会」でないといけないと言ってきました。口下手な小沢さんには上出来の表現です(笑)。農村地域社会の崩壊には危機感を持っており、安定した地域社会の維持のためにはお金を注ぎ込んでもいいと常々発言し、その一つの表れが全販売農家に対する戸別所得補償です。
 我々が3年前に1兆円の直接支払いを導入する案を提示したところ、政府自民党は、昨年の通常国会に例の品目横断的経営安定対策を打ち出してきて、今年から実行に移されています。4ha以上の農家しか対象にせず、さもなければ20ha以上の集落営農にして5年以内に生産法人化という農村に混乱を生じさせている政策です。日本農業新聞の世論調査によると専業農家でも26%しか支持せず、逆に我々民主党の政策を55%も支持してくれています。大規模農家だけでは農村はバラバラになるのをわかっているからです。
よく、アメリカのネオコンと呼ばれる人たちがやたらタカ派的政策を取り入れたと批判されますが、実は、本来は、市場原理主義を貫徹していくことこそ彼らの考えでした。しかし、今やアメリカでもそういう考えは追いやられました。それを、日本は、小泉・竹中・ホリエモン路線はやたら突っ走り、安倍政権もそれを引き継いでいます。つまり、行け行けどんどんは今やボケた日本政府しかとっていません。
 菅直人代表代行は、都会生まれの都会育ちで都会的センスの持ち主で、市川房枝さんと出会い、弱小社民連から野党第1党の党首になったと思われているかもしれませんが、実は、高校2年の夏までずっと山口県の宇部市で育った、皆さんと同じ田舎っぺなのです(笑)。その菅さんが、日本の再生のためには、農山漁村を子育てに適した地域社会として復活させなければならないと言っています。
 最近は、「おせっかいの復活」とまで言い出し、結婚しない人たちが増えたのは、近所のおせっかいおばさんがいなくなったからだと。
 つまり、小沢、菅の二人のトップが安定した地域社会こそ日本の強さの根源と考えている点では、全く共通の価値観を有しており、雰囲気は大分違いますが(笑)、皆さん、ご心配なく、分裂することはありません。
 そして、民主党の3つ目の政策の象徴的候補が、この舟山康江さんです。だから、小沢さんが、1人区行脚の第一番に山形を選び、何度も足を運んでいるのです。多分、こんなに大勢の幹部が次々と応援に来てくれたところはありません。

<2 小沢民主党党首必然編 ―なぜ歴代農相の重鎮が民主党か―>
(小沢一郎党首が経済や地方重視の経世会(宏池会)の流れをくみ、それに対して、安保条約、憲法、教育の岸―安倍派、中曽根派の流れをくむ安倍晋三と対峙するのは歴史の必然、つまり生活重視の党=民主党と抽象的雲の上のことが好きな自民党=地方・経済軽視の二台政党制となっている。07.03.07のブログ「2007年3月1日予算委員会「地域間格差問題」集中審議報告(その3小沢民主党の「生活維新」の系譜)」参照)
 この戸別所得補償の農政は、私の前々々任の鹿野道彦次の内閣農林水産大臣の時にさんざん議論して打ち立てました。それを我々はずっと主張し続け、今、小沢代表の下開花し、自民党の4ha以上云々という大規模優遇、小規模切捨て農政と論争をしているのです。
 羽田孜、鹿野道彦、田名部匡省と民主党に実力派農林水産大臣が多い理由があるのです。鹿野、田名部のお二人は、町村派つまり昔の福田、安倍派です。多分、農山漁村を大切にするお二人は、憲法とか教育とかにばかり目が行く皆さんと肌が合わずに自民党を飛び出されたのです。羽田さんは小沢さんと同じ系譜ですし、かくして、二大政党は生活や経済重視の民主党と憲法・教育・安保などばかりに目が行く自民党とに分かれたことになります。
 自民党に残った生活・経済重視派の旧経世会(津島派)は、久間防衛大臣の辞任で1人の閣僚もいなくなり、宏池会は3つに分裂し昔の面影はありません。そのかわり、森・小泉・安倍と三代続けて首相を出した町村派や中曽根派の系統の伊吹派は我が世の春を謳歌しています。「官邸の少年団」と揶揄されるタカ派の中堅は大体この仲間です。
 もう皆さんはおわかりでしょう。民主党が政権を奪取した暁に、自民党の一部が民主党と手を握るなり、入ってくるとしたら、それは旧宏池会の面々であり、羽田、小沢の昔の仲間、津島派ということになります。

<3 政権交代>
 私は、羽田孜元総理に「民主党の政権獲りに協力してくれ」と大それた頼まれ方をして衆議院議員になりました。今それが実現の一歩手前になりました。羽田さん、小沢さん、鹿野さんたちが飛び出されて15年経ちました。
 2005年の小泉劇場選挙でちょっと道草をくいましたが、ようやく実現の時がやってまいりました。よく言われているとおり、二大政党制なり、政権交代がないのは日本だけです。
 今、政治とカネの問題が争点の一つになっています。
 これなども、政権交代で相当防げるのです。つまり、政権の座から与党の座から3年4年と離れていたら、そう甘い汁ばかり吸っていられなくなります。よく韓国で政権交代の度に、前政権を糾弾します。そこまでならなくとも、チェックが必ず働くのです。
 他の国と同じく、軽やかに政権交代をすべきです。
 私は、民主党が絶対だとは思いません。民主党がずっと勉強してきたものを政権をとって実行し、だめだったら、また、他の党、自民党が生き残っていたら自民党に戻せばいいのです。しかし、自民党が首相をとっかえひっかえ擬似政権交代してグダグダ政権の座に据わり続けることだけはやめにしないとなりません。

山形に駐在して舟山康江候補を応援07.07.31

7月27日記
 前回の参院選では東北の1人区で、山形の舟山さんだけが自民に負けてしまいました。舟山さんは私の農林水産省の後輩で、結婚して小国町に住み着いていたのを、私がちょっと口をきいて選挙に引っ張り出してしまい、惜敗でした。今回も佐賀の川崎稔さん、香川の植松美恵子さんと並んで、2回目の挑戦です。
 年金、子育て、農業が民主党の3つの約束です。最後の分野の象徴的候補ですが、7月14日が3人目の子どもの1歳の誕生日という子育て真っ最中の母親でもあり、子育ての訴えにも身が入ります。注目の選挙区の一つです。

私は、7月8日以来、駅ビルのホテルメトロポリタンに陣取り、あちこち訪問して舟山支持をお願いして歩きましたが、悩みは方言。親しく話してくださるのはいいのですが、わからないこともしばしば。私について何か言われているなあと思ったら、私のTV出演のときの発言についてのご意見でした。私の本を読み、講演を聞いた方が農業関係者にはたくさんいます。
 私は1982年以来、講演依頼に応じてあちこちに行きましたが、山形県は農政・農業について最も熱心に勉強している県の一つで何回も来ました。嬉しいことは、その私を覚えていてくれ、思わぬ再会もあることです。
 庄内地域を回っていた時に、阿部という名刺をいただき、ふと元気のいい農協青年部長で同じ名前の人を思い出し、案内していた堀孝治坂田市議に話しました。そして数10分後、庄内みどり農協で「阿部茂昭農協組合長」と再会。20数年前を語り合いました。
 阿部さんは、民主党の農政が私の年来の主張であることはすぐわかりましたが、その時の論敵の叶芳和さんが民主党の全国区候補になっていることには?でした。

 中野市のエコファーマーで山形の果樹農家と交流のある荻原安治さんからは友人の名簿もいただき、電話をかけたりハガキを出したりしました。残念ながら、他県の応援にも行かざるを得ず、友人の最も多い置賜地方(近藤洋介さんの2区)へはあまり行けませんでした。

 私は、長野1区の羽田雄一郎選対本部長ですが、どのマスコミの世論調査でも超安泰なので、告示後は3日しか長野におらず、すまない気持ちで一杯です。私は次の選挙のためにも、長野1区で雄ちゃんの応援をするのが一番ですが、そうもいきません。民主党の「2人区内の衆議院議員の1人区への応援指令」を私ほど忠実に実行している者はいないようですが、気を緩めることなく、最終日まで山形にいることにしました。ただ、本部は山形はかなりリードしてきたので、他の1人区の応援にも行けと指示してきました。全国での勝利を優先させていただき、やせた体に鞭打って強行スケジュールで1人区の各地を応援してきました。6月以降、合計17県を回りました。
 自分で言うのも何ですが、長妻昭議員は年金の顔と全国区でもてはやされていますが、私も実は隠れた農政の顔なのかもしれません。目立ちませんが、地道に地方での縁の下の支えに徹した選挙戦でした。

2007年07月23日

『フィナンシャルジャパン』9月号に私の記事が載ります07.07.20

写真5

2007年07月14日

羽田元総理の政権奪取目標、実現に一歩近づく=農政を訴え農村部に民主党議員を増やすシナリオが進行中=07.07.14

7月11日記
 民主党の重点施策が「年金・子育て・農業の3つの約束と7つの提言」と決まりました。農業が3つのうちの一つになっており、私が民主党の国会議員になってから取り組んできたことの集大成ともいえます。小沢代表の感度の良さが出た3つの重点施策です。

堀込征雄前衆議院議員と羽田孜元総理から、「民主党の政権獲りに手を貸してくれ」「農政は君に任す」「当選させる」等、甘い誘惑が始まったのは、1996年頃でした。羽田さんは、他の民主党幹部が、民主党が都市政党だけに安住し、それで政権を獲れると思っていることに疑問を投げかけ、「田舎の支持を続けてくれる有権者に支えられた議員」を多く誕生させることが、民主党政権の近道だと私に熱っぽく説きました。都市部の有権者は浮気っぽく、政権交代後は批判勢力になり、都市部出身議員だけだと脆い政権となるとも予告されていました。この点は、政権をとる前に小泉郵政選挙で都市部の議員が大量に議席を失い、風頼みの脆さが実証されてしまいました。
 今、やっと再び政権交代の芽が生まれてきました。羽田さんのお見通しのとおり、1人区農村県の勝負というどぎつい形の参院選となり、ここで勝利したほうが勝つという図式です。2000年が小泉・真紀子フィーバーで0(2)勝25敗、それが前回農業再生プランで9(13)勝14敗、そして今、29の1人区で20はとると頑張っています。
 私は3年前の参院選では、延べ16回他の道府県へ選挙応援に出向きました。1期生議員としては異例の回数でした。今回、農政マンガビラが300万部出回り、農政が選挙の3本柱の1つとなりました。そもそも全国紙の世論調査で、農政は項目にも入っていないのです。1に年金、2に教育とかいっているのと少々ずれがありますが、田舎では疲弊する農業が大問題となり、政治の助けを必要としています。
 もう一つ見逃されているのが、年金と農村の問題です。最も高齢化しているのが農村です。年金問題は農村でこそ大問題です。自民党の所得再配分政治が小泉政権で変わり、ひずみがもろに出たのが農村です。まさに小泉・安倍政治への審判が下る選挙なのです。中川秀直自民党幹事長のいう中間選挙などという生易しいものではありません。
 自民党政治は、いつのまにか「大都市、大企業、大規模農家」のための政治に片寄り、「小市町村、中小企業、小規模農家」は忘れられています。政治は、後者に手を差し延べなければならないのは明らかです。
 私は今回は、1人区の山形の舟山康江さんの応援に専念せよという党本部の指令をいただき、8日から山形入りしました。ところが、何の因果か、対立候補が篠原なにがしとやら同姓で紛らわしいので表舞台に立つな、という事務所の温かいのか冷たいのかわからない配慮をいただき、裏方で関係者回りに徹することになりました。その合間を縫って、時々全国の応援に出かけることにしています。10~11日は北海道、12朝は羽田参議院議員の出陣式で地元長野ですので、山形の本格的活動は12日午後以降になります。

2007年07月13日

追悼 宮沢喜一07.07.13

7月6日記
 はるかかなた昔(?)、1982年から2年間、私は鈴木善幸内閣のお膝元に出向し、安全保障問題を担当しました。その時の官房長官が、政治家としてまさに油が乗り切った宮沢さんでした。池田勇人首相には気に入られ重用されたものの、同じ大蔵省の先輩の大平正芳首相とはそりが合わず、冷遇されていました。選挙中に亡くなった大平さんの後任として図らずも首相になった鈴木さんは、自らの補佐役として宮沢さんを近くに置きました。後の中曽根首相を支えた後藤田正晴官房長官と並ぶ大物・重鎮であり、文字通り内閣の要でした。

鈴木さんは、大平さんの弔い選挙で大勝し、図に乗ってタカ派的体質を強める自民党を苦々しく思っていました。そこに釘を刺すべく内閣に「総合安全保障関係閣僚会議担当室」を設置しました。そこに農林水産省から食料安全保障担当で出向させられていたのが私でした。
 外務省から審議官クラス、通産省から課長クラス、外務と農水から課長補佐クラスが常駐出向し、その他関係各省から併任出向がありました。当時は、閣僚会議も存在しましたが、防衛庁からはオブザーバーで正式なメンバーではなく、鈴木さんの軍事を突出させないという強固な意志が働いていました。
 ところが、伊東正義外務大臣が、そうした首相の意に反して日米同盟を軍事同盟と言い切り、罷免(解任)させられました。同じ派閥で大平・伊東のまさよし(正芳・正義)コンビと鈴木・宮沢には相容れないものがあったようです。25年後の今、集団的自衛権の行使を認めるといった風潮を鈴木さんはどうみておられるか明らかです。
 そういえば、今の自民党は、小泉劇場、目くらまし選挙で、巨大与党になったところは似ています。しかし、首相は鈴木さんのような重厚・老練な平和主義者と正反対、宮沢さんのような名補佐役もおらず、数の力にまかせて強引に事を進める経験不足の首相が、憲法改正まで口にして暴走しています。四半世紀の歳月の流れを感じざるを得ません。
 鈴木さんと宮沢さんは、安全保障についての価値観は完全に共有していました。鳴り物入りでスタートした総合安全保障関係閣僚会議は、マスコミ、特に海外から関心が寄せられ、2ヶ月に1度開かれる会合の後の記者会見は大勢の記者で埋まりました。諸外国には、日本政府が初めて本格的に安全保障問題に取り組んだと映ったのです。
 名うてのタカ派青嵐会の暴れん坊、中川一郎さんが科学技術庁長官で、多分属人的理由で総合安保会議のメンバーでした。意見も過激でした。しかし、司会進行を勤める宮沢さんは、時々自分の意見を散りばめつつ、軌道修正されていました。事務方もほんの僅かしか入れない珍しい秘密会合で、記録は、私と外務省から出向したMさんのメモだけです。必死でメモをとりまとめました。
 ところが、メモに集中しすぎ、どんなやりとりがあったかはメモを見直さないとわからなくなってしまいました。そんな時、宮沢さんの「簡にして要」の記者会見を聞き、今回はこういう議論があったのかと頭の整理ができました。宮沢さんは気を使って司会をしながら、メモも取らないのに要点をきちんと頭の中に入れ、理路整然と説明されていたのです。頭がいいというのはこういう人をいうのかと舌を巻きました。
 後に私が政治家となり、民主党のリベラルの会の皆さんに共感を覚えるのは、この2年間の鈴木・宮沢ラインにどっぷり仕えたからかもしれません。だてに2年間官邸入りし、猪木正道防衛大学校長や高坂正尭教授と勉強会を重ねていたのではありません。
 宮沢さんの薫陶に応えるべく、私も心して安全保障問題、憲法問題に対処していくつもりです。

2007年07月09日

巨大与党自民党の野党転落に備えた周到な準備07.07.09

7月6日記
 久間防衛相の原爆投下もしょうがなかったという失言問題もあり、仙谷由人決算行政監視委員長は安倍首相の出席を求めて開会せんとしましたが、与党自民党・公明党が審議を拒否し、委員会は流れてしまいました。前述(6/30のブログ)のように、農林水産委員会も、いろいろ政治とカネの記載のでたらめさが指摘される赤城新大臣を危ういとみて開会に応じておりません。参院選の投票日が1週間ずれて何百億円の無駄遣いになる会期延長をしておいて、強行採決で法案を通したら後は知らん顔というのは、国会軽視で国民をバカにした対応です。現下の問題をとりあげてきちんと議論をして正しい方向に持っていくのが国会の役割です。

今緊急の問題として、農林水産委員会のミートホープ社の偽装問題、WTO農業交渉、緑資源機構の廃止、赤城大臣の政治とカネ、内閣委員会の久間防衛相失言問題、環境委員会の温泉爆発問題があります。それらを合わせて決算行政監視委員会や予算委員会を開くことも必要です。にもかかわらず、与党が審議拒否というのは前代未聞のことです。
 もう一つおかしな前代未聞のことがあります。自民党が民主党の農政提言(農業再生プラン)に対し、あれこれ誹謗中傷をし始めました。主なものは以下のとおりです。
1.自由民主党・討議資料(全農協配布資料) 06年10月
  『民主党小沢代表の農政についての考えは、実行不可能で無責任』
2.自民党FAX NEWS 07年1月
  『民主党・菅氏の自民党農政批判は事実誤認の数字違い』
3.中川秀直自民党幹事長・公式サイト民主党農業政策批判 07年1月28,30日
4.中川昭一自民党政調会長・衆議院本会議(施政方針演説に対する質問)
  で民主党農業政策批判   07年1月29日
 そして、とどのつまりが、全く同じスタイル、つまりカラーで4頁のマンガによる選挙ビラ「デタラメな民主党農政」です。思わず苦笑いです。正直言いまして、私は「民主党が政権をとれば」「自民党政権が続けば」というドギツイ言葉が踊る山岡賢次議員の案にはあまり賛成できなくて、いろいろ意見を言いました。しかし、喧嘩っ早い同僚議員はほとんどが、この挑発的なスタイルが好きなようです。私の担当した林政版は、前向きな「民主党が政権をとれば」は使いましたが、「自民党政権が続けば」は使いませんでした。
 しかし、巨大与党が恥も外聞もなく「気をつけよう甘い言葉と民主党」といったちゃちな中傷的文言が散りばめられたビラを作ったのです。年金で菅元厚生大臣に責任をなすりつけようとしたのと同じ類です。どうも農政版は回収されず出回っているようです。民主党が政権を握り、私が与党民主党の責任者になったら、こんな子供じみたことは絶対にしません。
 私は、一連の民主党の批判に対し、まとめて反論ペーパーを作成して関係者に配布していましたが、皆に配れという上層部の意見や同僚議員の何人もがほしいと言うので、最後の代議士会でその反論を配布しました。趣旨説明の際に以下の皮肉を言いました。
 「自民党が国会運営においても審議拒否とか、まるで野党のようなことをし出しました。さらに加えて農政分野では、自分たちの政策を訴えるビラではなく、民主党農政の揚げ足を取るだけのビラを作って配布し出しました。巨大与党自民党は、さすが余裕があるようで、着々と野党に成り下がるための準備を始めています。」
 私の皮肉がどれだけ通じたかわかりませんが、本会議では前列の長島昭久議員から「隣の北神と大笑いして聞いてましたよ。街宣に使える!」と言って握手を求めてきました。もっとも、これは私が多少アレンジしたものの、元は菅代表代行が嫌味を言っていたのが先です。
 民主党は政権準備党などと先走って言ったこともありますが、準備万端整っているかというと多少心細くなります。自民党が着々と野党になる準備をしているのに対抗して、わが民主党は心して与党政権党になるための準備をしないとなりません。

久しぶりの小沢代表レクはぶら下がりレク07.07.09

7月5日記
 7月1日(日)、21世紀臨調主催の党首討論が開かれました。
 前日の夜、党本部の農政担当から党首討論用の資料を揃えているという緊急要請が入り、なんとか資料だけは提出してありました。私は、クタクタに疲れた支持者訪問の後、夜中までNHKの録画中継をハラハラしながら見ました。25分間ずつ交互に質問するという、本物(国会)の党首討論にはない趣向が取り入れられており、安倍首相の質問は、民主党農政についてもかなり時間が割かれていました。

別のメルマガで紹介しますが、昨年秋から、政権与党の民主党農政に対する批判にはすさまじいものがあり、明らかに入念に用意しての攻撃でした。自給率向上の可能性、財源等についてかなり突っ込まれていました。小沢代表は、自給率については、私が以前レクした成果もあり、小麦や大豆の日本の単収が世界最高の半分しかないなどときちんと答えていましたが、1人区で固唾を呑んで見守る農民には、もっとはっきりと答えてほしいというのが、私の願いです。
 早速代表担当に電話してレクの時間をセットしました。小沢代表は各地、特に1人区回りに忙しく、めったに東京にいませんが、7月5日の国会閉会に向けて東京入りしており、7月5日の午前8時30分から党本部で待機ということでセットされました。7月4日夜「森と里の再生プラン」の論説懇を終えた後、10時頃からボランティア秘書の妻と2人で午前2時までかかって、既に作ってあった一連の自民党の指摘に対する反論を最新版に修正し、最近の「森と里の再生プラン」まで10種類の資料を用意して臨みました。ちょうど9時から共同記者会見、その後、10~15分間ずつ単独インタビューがセットされていました。
 このインタビュー記事が7月6日の各紙に一斉に載りました。日本農業新聞も15社の一つで、神経を使いましたが、たいした発言はなく掲載されませんでした。理由は簡単です。小沢代表の党本部到着が大幅に遅れた上、そこに鳩山幹事長の緊急案件が入ったため、私は待たされ続け、8階から6階に降りる間の「ぶら下がりレク」しかできなかったからです。FTA・EPAと自給率向上との関係等微妙なものもあり、30分は必要でしたが残念でした。
 残念ながら、完全に選挙に突入し、党首クラスは大忙しで、どこかで遭遇した時しかレクの機会はなくなりました。ただ、また党首討論があるなら、この時は事前に打ち合わせをしないとなりません。

「森と里の再生プラン」の論説懇と民主党の柔軟性07.07.09

7月5日記
 民主党は自民党などと比べ組織がきちんとしていません。地方組織だけでなく、党本部の組織も、よく言えば柔軟です。ですから、驚くべきことに、私の意見が、政策的なことばかりではなく、庶務的なことも含め、農林水産省の管理職時代よりずっとよく通ります。

例えば、3年前の参院選前、私1人が農業再生プランをどうやって配布するか頭を悩まし、1枚紙を作り、注文で配布しました。民主党のビラとしては破格の110万部が配られました。3年前も年金で民主党が勝ったと一般的には言われていますが、27の1人区で6年前の0(推薦2)勝25敗から13(民主単独9)勝14敗となり、民主党の勝利の原動力となったのは、民主党が本格的に農政に取り組むことを知らしめたこのビラと菅代表(当時)がそれこそ頻繁に農村行脚した賜物です。
 やはり勝てば官軍、それまで農政関係のペーパーは党の例えばNC閣議で成案を得るには2~3回農林水産部門会議に突っ返されるのが常でしたが、強引な(?)私の手法もあってか、さっさと通るようになりました。
 マンガ版農業再生プランを作り、72万部が出回り、民主党農政が農村現場に徐々に浸透していきました。
 そして今回、山岡賢次さんが、農政で使ったマンガビラに注目して、その延長でどぎつい選挙ビラを作成し、全国に300万部配布しました。これに気をよくして、他の分野にも波及して配布されています。年金などは4種類も作成されました。感度のいい山岡賢次という政治家個人の資質もありますが、民主党はそれだけ風通しがいいということです。
 そしてマニフェストと比べて大きく改善されたのは、すべてのビラが注文制になったことです。私は紙の無駄を省くべく、いつも口を酸っぱく言ってきました。第2弾のマンガ版農林漁業再生プランは、注意を怠って、まじめすぎ手早すぎる事務局が都市部議員にまで一律300部配布してしまい、大人気ない議員が無駄と文句を言い、それが全国紙の囲み記事に掲載されてしまいました。その後は徹底し、今回も「注文制」を強く主張し、少々無駄が省けています。ただ使途も考えず、私のように何でもとりあえず2000部とか注文していては同じですが・・・
 次がPRの仕方です。国会詰めの記者は細かい政策にはあまり興味を持たず、民主党の中はバラバラだとかいうことなどにばかりに関心を持ち、それしか記事にしません。そこで、私は、農業再生プランは、農林水産省に出向いて、2つの記者クラブで説明してきました。そして、これをすべてのビラについてもすべきと提案しました。山岡賢次さんは何かと硬直的な幹部の中では本当に物分りがよい人で、これもすぐ実行に移され、担当が関係各省の記者クラブに発表・説明に行きました。
 本家本元の私がやらないわけにはまいりません。7月4日、立派な冊子の「森と里の再生プラン」とマンガ版を引っ提げて菅代表代行と2人で農林水産省に出向き2時間たっぷりと説明し、夕方は論説委員を招き、夕食入りで懇談会を開き、PRに努めました。

 1  |  2  | All pages