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2007年8月28日

2007年参院選応援日程07.08.28

7/4(水)
○ 午後、菅代表代行と農水省で「森と里の再生プラン」の記者レク
○ 夕方、「森と里の再生プラン」「自民党との農政論争」について論説委員との懇談会
○ 午前2時までかかって、7/5早朝の小沢代表説明資料作り (九段宿舎泊)

7/5(木)
○ 8時30分、党本部で待機するも、小沢代表大幅遅刻、鳩山幹事長が飛び入りで「ぶら下がりレク」(?)しかできず。
○ 10時、農林水産部門会議で、「森と里の再生プラン」「自民党との農政論争」の説明
○ 代議士会でも、上記2つを配布して説明。「自民党が野党になる準備」と皮肉
○ 本会議後直ちに鳥取へ
○ 夕方、鳥取の川上義博候補の会合で農政講演及び応援 (倉吉泊)

7/6(金)
鳥取発羽田へ。終日、会館で書類整理     (杉並自宅泊)

7/7(土)
○ 午後、熊本入り、農業関係者会合
○ 夕方、松野信夫候補の参加する会合に参加、激励 (阿蘇泊)

7/8(日)
○ 熊本発佐賀入り、川崎稔候補のミニ集会で弁士。大串博志衆議院議員同行。
○ 佐賀からJRで福岡へ。福岡空港から仙台空港に飛び、JRで山形入り。 (山形泊)

7/9(月)
○ 舟山康江事務所で鹿野道彦さんと打ち合わせ
○ 午後、あいさつ回り。 (山形泊)

7/10(火)
○ 山形空港より札幌経由で稚内
○ 午後、松木謙公衆議院議員の支持者に農政問題で講演
○ 多原かおり候補街宣に合流。河村たかし衆議院議員同行。
○ 稚内地区松木謙公議員パーティでの挨拶
○ 二次会で松木議員、多原候補、支持者と会食 (稚内泊)

7/11(水)
○ 北海道豊富町、幌延町の湿地の酪農地帯を水害に悩む酪農家の案内で視察
○ 羽田に戻りJRで長野へ  (長野泊)

7/12(木)
○ 8時、羽田雄一郎出陣式
○ 10時長野発JRで14時、山形入り。山形の挨拶回り。 (山形泊)

7/13(金)
○ 山形市挨拶回り
○ 夕方、遊佐町、庄内町で弁士。菊田真紀子、近藤洋介衆議院議員同行。
○ 終了後、鶴岡で遅い夕食。加藤紘一、村田吉隆両自民党衆議院議員と遭遇。
○ 深夜、山形市に戻る。 (山形泊)

7/14(土)
○ 午前、挨拶回り先が休みなので、休養、洗濯
○ 午後、小沢代表が舟山事務所を激励
○ その後、新幹線に乗り込み、山形から米沢まで小沢代表の隣の席で、7/5の残り・その他を説明(この場面が後日NHKの特集で流れる)
○ 夕方、上山市の個人演説会に壇上に上がるだけ。菅直人、安住淳衆議院議員、増子輝彦参議院議員同行。    (山形泊)

7/15(日)
○ 早朝、山形発、岩手県八幡平で平野達男候補の街宣車に合流。主浜了参議院議員同行。小沢流(?)スポット街宣。
○ 夕方、仙台へ。岡崎トミ子候補を激励。
○ 帰ろうとすると台風の雨で仙山線は間引き運転のためバスで山形へ。 (山形泊)

7/16(月)
○ 朝日町、大江町の街宣を伴走車で手伝い、舟山さんが渡し残した方々に団扇ビラを配布。いい運動。松本剛明政調会長同行。
○ 朝日町の個人演説会だけで、旧知の北角・近藤洋介衆議院議員秘書の運転で新庄へ (新庄泊)

7/17(火)
○ 手違いで案内者来ず。代理の藤島さんの案内で新庄地区の関係者挨拶回り。
○ 午後、草島鶴岡市議の案内で挨拶回り。
○ 新潟沖地震で地元も被災。北沢県議より早く見舞えと電話で叱られるも帰れず。
○ 夕方、鶴岡の個人演説会。珍しく関係者のリクエストで私も応援演説。「硬派の代表仙谷由人、軟派の代表河村たかし」(私の冗談)と紹介。
○ 夕食を河村さんととり、深夜、山形に戻る。59歳の誕生日だが周りは誰も知らず。(山形泊)

7/18(水)
○ 午後、地震の被災地のお見舞いで、中野市農協、荻原勉市会議員のえのきの培養センター、飯山市役所・農協、水野晴夫さん、佐藤晴夫さんのえのき施設のお見舞い
○ 夕方、須坂、中野の羽田雄一郎議員の個人演説会
○ 被災地飯山の個人演説会は中止で、西條さんの家で羽田候補を含めたミニ集会。議論が沸騰し、23時まで。
○ 車で直江津のホテルへ。24時20分着 (直江津泊)

7/19(木)
○ 朝一番のJRで金沢へ
○ 午後、石川県金沢で一川保夫候補の街宣に合流し応援。原口一博衆議院議員同行。
○ 北陸農政局へ立ち寄り、夕方福井へ
○ 辻一彦元衆議院議員、旧知の有機農業農家と夕食会
○ 夕方、笹木竜三衆議院議員とともに、若泉征三候補の個人演説会2ヶ所。原口一博衆議院議員同行。
○ 夜、笹木竜三さんと懇談 (福井泊)

7/20(金)
○ 奈良へ向かい樫原市で、中村哲治候補の街宣車に乗り、スポットで応援。細野豪志衆議院議員同行。
○ 午後、京都府亀岡で松井孝治候補の街宣車同乗
○ 夕方、滋賀県で2ヶ所、徳永久志候補の個人演説会。奥村展三、川端達夫衆議院議員、林久美子参議院議員同行。
○ 奥村さんと夕食 (守口泊)

7/21(土)
○ 早朝、農民ミニ集会で1時間講演。三日月大造衆議院議員同行。
○ 午後、愛知県入り。農民ミニ集会3ヶ所。鈴木克昌、岡本充功衆議院議員同行。 (杉並自宅泊、半月ぶり)

7/22(日)
○ 午後、栃木県の谷博之候補応援のため、那須塩原下車。4人の国会議員夫人(Oh勝手レディースin栃木)とともに街宣3時間
○ 山形経由鶴岡入り (鶴岡泊)

7/23(月)
○ 朝から20年来の友人の押井喜一鶴岡市議、阿部県議の案内で鶴岡市近辺の農協、森林組合、土地改良区等の挨拶回り
○ 昼食は3年前と同じ食堂で、元気のいい高橋浩さんと農政論議
○ 夕方、新庄市で同じタイプの林久美子参議院議員、高井美穂衆議院議員の応援で個人演説会。私は出番なし。(二人とも話がうまくなった。舟山3人、高井2人、林1人の母親、年齢もこの順とか。三姉妹になるとは言いえて妙)
○ 関井鶴岡市議と鶴岡へ戻り、夕食 (酒田泊)

7/24(火)
○ 堀孝治酒田市議の案内で、昨日同様関係者の挨拶回り
○ 庄内みどり農協で、25年前の農協青年部委員長阿部茂昭さんと再会。講演会に来て以来の付き合いだったが、お互い政治家になったことも組合長になったことも知らず
○ 午後、庄内空港発羽田経由長野入り。
○ 街宣の後、2ヶ所で羽田雄一郎候補の個人演説会。松本剛明政調会長同行。(告示後、長野にいたのは18、24日の2日のみ。皆さんの冷たい視線を浴びる) (長野泊)

7/25(水)
○ 羽田雄一郎候補の県庁前街宣に1時間合流、その後山形入り。
○ 高橋前県議、加藤孝市議の案内で挨拶回り。
○ 夕方、舟山康江2000人大集会。松本政調会長、中野博子衆議院議員同行。 (山形泊)

7/26(木)
○ 午前、天童市、山形市挨拶回り
○ 午後、寒河江市挨拶回り
○ 寒河江市、河北町で久しぶりの応援弁士。渡部恒三さんの代理のため、冗談オンパレードでサービス。 (山形泊)

7/27(金)
○ 舟山大勝の世論調査を受け、党本部が青森応援を命じてきたため、青森へ。
○ 青森十和田市で平山幸司候補の街宣合流。田名部父娘と一緒。
○ 夕方、三戸町で農業講演会の後、深夜、山形へ。 (山形泊)

7/28(土)
○ 長野事務所が今頃になって、長野で最終街宣をと言い出し困惑
○ 最終日まで山形に残る予定をキャンセルして、早朝天童市(敵地)街宣。
○ 大宮経由で長野へ。
○ 長野市内から千曲市へ2時間余、羽田雄一郎街宣に合流。
○ 母校長野高校が決勝で松商学園に敗れ、37年ぶりの夏の甲子園出場ならず残念。
○ 15道府県にまたがる選挙戦を無事終える。手応え十分で大勝の予感。 (長野泊)

7/29(日)
○ 7/22に選挙終了の予定だったことから、中野市市民テニス大会に参加申し込み、キャンセルせず、息子とダブルス出場。久しぶりのテニスで連戦連敗。
○ 予想どおりの大勝で肩の荷が下りる。応援にも行った1人区福井の若泉征三さんの惜敗は残念至極。
○ 舟山さん、平野達男、高橋千秋の両氏に次ぐ得票率で大勝。責任を果たし、一息。
○ 羽田雄一郎さんは圧勝で3選。一度でいいからこんな楽な選挙をしてみたい

2007年8月24日

安倍首相へのお節介アドバイス-岡田元代表と小沢代表の人事をみならうべし-07.08.24

07.8.18記
<若すぎた菅体制>
 03年秋、羽田さんの強い勧めで、民主党衆議院議員として第一歩を歩み始めました。そこで身近で接してみて、まず当時の菅体制の腰弱さにびっくりしました。菅代表の下で、岡田幹事長(50)、枝野幸男政調会長(39)野田佳彦国対委員長(46)といふ布陣でした。率直な話、これではとても狡い自民党とは伍していけず、政権奪取はほど遠いというのが実感でした。つまり次の内閣にこそピッタリのはず。とりまとめ役はできるとして、百戦練磨の自民党議運・国対とせり合うにはいくらなんでも経験不足は否めません。

心配したとおり、04年4月28日に端を発する菅さんの保険料未納問題では、体制を支えることはできませんでした。むしろ、退陣を仄めかしたりした幹部もいた始末です。この件は、当時のブログに書きましたが、(「年金問題と民主党として私の見解」2004.6.3)代表は辞める必要はなかったのです。明らかに社会保険庁の怠慢でした(今消えた年金で皆さんすぐその杜撰さがわかるのではないでしょうか)。これを5月7日は10日の両院議会で主張したのは、石井一さんです。ところがこういう政局を乗り切る役員に鹿野道彦さん、渡部恒三さんといった重鎮は皆無でした。まさに若さを露呈したのです。

<学習した岡田さんの挙党体制>
 その後の代表選びも、小沢さんが一旦は受けたものの、ひっくり返すに及び迷走し、結局、岡田前幹事長が代表になりました。体制を守りきれず崩壊させた張本人が代表になるなんて、自民党ではありえないことです。今の自民党で言えば、安倍首相が退陣した後、中川秀直幹事長が総裁になることですから。岡田さんは、自ら火中にいて、脆い体制に震感したはずです。藤井裕久さん(71)を幹事長にし、9月の本格政権では、川端達夫幹事長、仙谷由人政調会長という重布陣で、次の内閣も菅国土交通相等大物を充てました。若い民主党は、マスコミや国民にはアピールしても実際には、危なっかしいばかりであることを身をもって体験したからです。
菅さんも、一つの仕事を成し遂げて50代で政界に転じた03年の同期生を、すぐ役立ち政権を担える人と持ち上げはじめました。つまり、民主党が、ジャリタレ政治家(?)ばかりでは政権担当能力に欠けることに、ようやく気付いたのです。

<鹿野さんの先見の明を無視して大敗>
 ところが、その岡田代表(体制)も小泉首相の解散への執念を見越した鹿野道彦さんの、郵政民営化に対しての対抗法案を用意すべし、という度重なる忠告も聞かず、ボロ負けしました(詳細は「鹿野道彦さんの確かな政局を見る眼」2005.9.15)。自民党的な策略を見抜ける者が役員にいなかったのです。これに対し、百戦練磨の自民党は万全の準備をして毎日のように新しい女刺客を発表し、マスコミを翻弄し続け、国民もすっかり騙し切ったのです。

<前原体制は元祖仲良しグループ>
 その後を受けた前原誠司体制が、菅体制など問題にならないほど、お友達、仲良しグループ体制でした。そして、案の定、自壊していきました。その直前に前原体制を救ったのは、他ならぬ大重鎮、渡部恒三さん、平成の水戸黄門でした。これで、経験者の知恵の重要性が皆にわかったはずです。
 06年春、前原さんに代わった小沢さんの人事は見事でした。皆がさぞどぎつい人事をするのだろうと固唾を呑んで見守る中、役員室長まで含めほぼ全員留任でした。これで党内は安堵し、小沢体制ができあがったのです。人事がいかに大事かの見本です。小沢色など後から出せばいいのです。

<存在するルールには理由あり>
 一方06年秋、新たに発足した安倍内閣。前原体制とのあまりの類似性にびっくりし、9月下旬に「安倍内閣の前原化現象の予感」という、雑文を書きましたが、秘書からあまりに過激と制止され、ブログ掲載はしませんでした。しかし、12月15日の安倍首相の不信任案提出の日にちょっと加筆しただけで出しました。
 ついこの間まで、総理・総裁の要件は「当選10回、閣僚3回(外務、財務を1回)、党三役1回」でした。小泉首相までは、ほとんどの人がこの要件を満たしていました。
 自民党は選挙に勝たんがため、上記の要件を無視し、人気の小泉・安倍に走ってしまったのです。05年の総選挙までは成功しましたがもう通用はしません。国家の運営よりも政権にしがみつくことを優先したことに天罰が下ったのかもしれません。
さて、結論です。安倍さんが、菅さん、前原さんが同じように犯した過ちを是正するのは、たった一つしか残されていません。小沢さんに倣い、あっと言わせる太っ腹の人事をし、岡田さんに倣い、40代の若手など排除し十分経験を積んだ重鎮だけの内閣にすることです。

<具体的アドバイス>
例えば、
①その道に詳しい経験豊富な族議員の代表を閣僚とし、閣僚の半数以上は、2度目の入閣者とする。民主党よりも人材はずっといるのです。
②仲良し・お友達グループ、少年官邸団からは1人も入閣させない。まず、猛省している姿勢を示す必要があります。
③国民受けを狙った実力の伴わない女性官僚は1人も入閣させない。国民はもう女性閣僚には食傷しているはずです。
④論功行賞とみられる人事は一切しない。その証として自らの出身派閥の町村派からは、党役員は別として1人も入閣させない。政界でもどこでも嫉妬が怖いのです。
⑤問題の農林水産大臣は、政治とカネの問題を避けつつ、思い切った政策転換をするため、学者から選ぶ。ただ、大昔の東畑精一さんのようなふさわしい学者がいるかが問題です。

<民主党に必要な調整役>
これぐらいすれば、党内も国民も、反省したことを認めるでしょう。趣味を出すのは実績を作り、実力を身につけてからにしたらいいのです。安倍さんは少々のぼせ上がりすぎたのです。本当の再チャレンジではありませんが、自らの言に従い、・美・し・い・再・チ・ャ・レ・ン・ジをすべきなのです。
 それにしても、民主党に足らないのは、あうんの呼吸がわかり調整能力に長けた人です。そういう人が2~3人いたらもっと楽々と政権がとれるのですが・・・。

2007年8月21日

8月16日付夕刊フジに私の記事が載りました07.08.21

新聞

2007年8月20日

8月19日朝日新聞に私の記事が載りました07.08.20

ブログ

2007年8月17日

自民党系業界団体からの民主党候補二人の落選と3年後の農業界からの擁立07.08.10

小沢代表の強い意向もあり、かつては比例区に自民党からしか出ていなかった二つの団体、日本看護協会、日本青年会議所からそれぞれ山崎まやさん、高竹和明さんが出馬されました。私はそれなりに2人の選挙を応援しました。例えば、山崎さんが長野に来られた時は、私の戸別訪問を一緒にしかつ介護関係者のところを回りました。北沢俊美さんがそういった関係の仕事をされていましたし、そうとう実のある訪問ができたのではないかと思います。一方高竹さんは、出馬が決まってから長野青年会議所会合等にも来ましたし、岡山で江田五月さんの関係もあり東京でも会っていました。選挙ハガキの宛名も300名ほど貢献しましたし、最後の段階では、長野青年会議所理事長のOBの方から特別な要請がありましたので、近所の青年会議所メンバーに電話をいれるなど協力しましたが、残念ながら2人とも当選できませんでした。

自民党の当選ラインが20万強になっているのに対し、民主党は6万票。全候補者があとちょっと頑張れば当選できたのではないかと悔やまれます。当然、反省すべき点も多くあります。出ていただいておきながら、結局民主党はどれだけ党として応援したかということです。しかし、組織がほとんど自民党に流れている中、相当応援してあげなければならなかったはずですが、そうした組織的対応ができなかったのではないかと思います。例えば、出身県の重点候補として「選挙区(地方区)は〇〇、比例区(全国区)は山崎」という具合にしてやったかということです。山崎さんにはすぐ残念でしたねという電話を入れましたが、慰める言葉もありませんでした。
一方、民主党農業関係者が目くじらを立てた自民党候補の山田俊男前全中専務は、舛添要一さんに次ぐ、第2位の得票で当選しました。自民党ではありませんが、農業界、農協界の意地をしめした点は良かったと思っています。農政を専門にする議員が誕生したわけです。しかし、土地改良の代表の段本幸男さんが、当選できませんでした。そういう意味では官僚OBが、業界代表として比例区という図式は成り立たなくなったのかもしれません。
29の1人区では23も勝ちましたが、比例区には民主党農政に共感を持つ農業者が投票する候補がいませんでした。06年秋にこの点はわかっていましたし、候補を擁立せんとしましたが、断念しました。07年4月に再びこの点が問題にされ、NC農林水産担当大臣の私は責められることになりましたが、やっぱり手遅れでした。6万票ぐらいならとれたのではないかと悔いが残りますが、後の祭りです。
かくして3年後には必ず農協界から1人民主党候補を立てる決意としました。ただ、今回の比例区(全国区)の苦戦を考えると、なかなか手間が掛かるなあというのが正直なところです。

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