« 2007年07月 | メイン | 2007年09月 »

2007年08月28日

2007年参院選応援日程07.08.28

7/4(水)
○ 午後、菅代表代行と農水省で「森と里の再生プラン」の記者レク
○ 夕方、「森と里の再生プラン」「自民党との農政論争」について論説委員との懇談会
○ 午前2時までかかって、7/5早朝の小沢代表説明資料作り (九段宿舎泊)

7/5(木)
○ 8時30分、党本部で待機するも、小沢代表大幅遅刻、鳩山幹事長が飛び入りで「ぶら下がりレク」(?)しかできず。
○ 10時、農林水産部門会議で、「森と里の再生プラン」「自民党との農政論争」の説明
○ 代議士会でも、上記2つを配布して説明。「自民党が野党になる準備」と皮肉
○ 本会議後直ちに鳥取へ
○ 夕方、鳥取の川上義博候補の会合で農政講演及び応援 (倉吉泊)

7/6(金)
鳥取発羽田へ。終日、会館で書類整理     (杉並自宅泊)

7/7(土)
○ 午後、熊本入り、農業関係者会合
○ 夕方、松野信夫候補の参加する会合に参加、激励 (阿蘇泊)

7/8(日)
○ 熊本発佐賀入り、川崎稔候補のミニ集会で弁士。大串博志衆議院議員同行。
○ 佐賀からJRで福岡へ。福岡空港から仙台空港に飛び、JRで山形入り。 (山形泊)

7/9(月)
○ 舟山康江事務所で鹿野道彦さんと打ち合わせ
○ 午後、あいさつ回り。 (山形泊)

7/10(火)
○ 山形空港より札幌経由で稚内
○ 午後、松木謙公衆議院議員の支持者に農政問題で講演
○ 多原かおり候補街宣に合流。河村たかし衆議院議員同行。
○ 稚内地区松木謙公議員パーティでの挨拶
○ 二次会で松木議員、多原候補、支持者と会食 (稚内泊)

7/11(水)
○ 北海道豊富町、幌延町の湿地の酪農地帯を水害に悩む酪農家の案内で視察
○ 羽田に戻りJRで長野へ  (長野泊)

7/12(木)
○ 8時、羽田雄一郎出陣式
○ 10時長野発JRで14時、山形入り。山形の挨拶回り。 (山形泊)

7/13(金)
○ 山形市挨拶回り
○ 夕方、遊佐町、庄内町で弁士。菊田真紀子、近藤洋介衆議院議員同行。
○ 終了後、鶴岡で遅い夕食。加藤紘一、村田吉隆両自民党衆議院議員と遭遇。
○ 深夜、山形市に戻る。 (山形泊)

7/14(土)
○ 午前、挨拶回り先が休みなので、休養、洗濯
○ 午後、小沢代表が舟山事務所を激励
○ その後、新幹線に乗り込み、山形から米沢まで小沢代表の隣の席で、7/5の残り・その他を説明(この場面が後日NHKの特集で流れる)
○ 夕方、上山市の個人演説会に壇上に上がるだけ。菅直人、安住淳衆議院議員、増子輝彦参議院議員同行。    (山形泊)

7/15(日)
○ 早朝、山形発、岩手県八幡平で平野達男候補の街宣車に合流。主浜了参議院議員同行。小沢流(?)スポット街宣。
○ 夕方、仙台へ。岡崎トミ子候補を激励。
○ 帰ろうとすると台風の雨で仙山線は間引き運転のためバスで山形へ。 (山形泊)

7/16(月)
○ 朝日町、大江町の街宣を伴走車で手伝い、舟山さんが渡し残した方々に団扇ビラを配布。いい運動。松本剛明政調会長同行。
○ 朝日町の個人演説会だけで、旧知の北角・近藤洋介衆議院議員秘書の運転で新庄へ (新庄泊)

7/17(火)
○ 手違いで案内者来ず。代理の藤島さんの案内で新庄地区の関係者挨拶回り。
○ 午後、草島鶴岡市議の案内で挨拶回り。
○ 新潟沖地震で地元も被災。北沢県議より早く見舞えと電話で叱られるも帰れず。
○ 夕方、鶴岡の個人演説会。珍しく関係者のリクエストで私も応援演説。「硬派の代表仙谷由人、軟派の代表河村たかし」(私の冗談)と紹介。
○ 夕食を河村さんととり、深夜、山形に戻る。59歳の誕生日だが周りは誰も知らず。(山形泊)

7/18(水)
○ 午後、地震の被災地のお見舞いで、中野市農協、荻原勉市会議員のえのきの培養センター、飯山市役所・農協、水野晴夫さん、佐藤晴夫さんのえのき施設のお見舞い
○ 夕方、須坂、中野の羽田雄一郎議員の個人演説会
○ 被災地飯山の個人演説会は中止で、西條さんの家で羽田候補を含めたミニ集会。議論が沸騰し、23時まで。
○ 車で直江津のホテルへ。24時20分着 (直江津泊)

7/19(木)
○ 朝一番のJRで金沢へ
○ 午後、石川県金沢で一川保夫候補の街宣に合流し応援。原口一博衆議院議員同行。
○ 北陸農政局へ立ち寄り、夕方福井へ
○ 辻一彦元衆議院議員、旧知の有機農業農家と夕食会
○ 夕方、笹木竜三衆議院議員とともに、若泉征三候補の個人演説会2ヶ所。原口一博衆議院議員同行。
○ 夜、笹木竜三さんと懇談 (福井泊)

7/20(金)
○ 奈良へ向かい樫原市で、中村哲治候補の街宣車に乗り、スポットで応援。細野豪志衆議院議員同行。
○ 午後、京都府亀岡で松井孝治候補の街宣車同乗
○ 夕方、滋賀県で2ヶ所、徳永久志候補の個人演説会。奥村展三、川端達夫衆議院議員、林久美子参議院議員同行。
○ 奥村さんと夕食 (守口泊)

7/21(土)
○ 早朝、農民ミニ集会で1時間講演。三日月大造衆議院議員同行。
○ 午後、愛知県入り。農民ミニ集会3ヶ所。鈴木克昌、岡本充功衆議院議員同行。 (杉並自宅泊、半月ぶり)

7/22(日)
○ 午後、栃木県の谷博之候補応援のため、那須塩原下車。4人の国会議員夫人(Oh勝手レディースin栃木)とともに街宣3時間
○ 山形経由鶴岡入り (鶴岡泊)

7/23(月)
○ 朝から20年来の友人の押井喜一鶴岡市議、阿部県議の案内で鶴岡市近辺の農協、森林組合、土地改良区等の挨拶回り
○ 昼食は3年前と同じ食堂で、元気のいい高橋浩さんと農政論議
○ 夕方、新庄市で同じタイプの林久美子参議院議員、高井美穂衆議院議員の応援で個人演説会。私は出番なし。(二人とも話がうまくなった。舟山3人、高井2人、林1人の母親、年齢もこの順とか。三姉妹になるとは言いえて妙)
○ 関井鶴岡市議と鶴岡へ戻り、夕食 (酒田泊)

7/24(火)
○ 堀孝治酒田市議の案内で、昨日同様関係者の挨拶回り
○ 庄内みどり農協で、25年前の農協青年部委員長阿部茂昭さんと再会。講演会に来て以来の付き合いだったが、お互い政治家になったことも組合長になったことも知らず
○ 午後、庄内空港発羽田経由長野入り。
○ 街宣の後、2ヶ所で羽田雄一郎候補の個人演説会。松本剛明政調会長同行。(告示後、長野にいたのは18、24日の2日のみ。皆さんの冷たい視線を浴びる) (長野泊)

7/25(水)
○ 羽田雄一郎候補の県庁前街宣に1時間合流、その後山形入り。
○ 高橋前県議、加藤孝市議の案内で挨拶回り。
○ 夕方、舟山康江2000人大集会。松本政調会長、中野博子衆議院議員同行。 (山形泊)

7/26(木)
○ 午前、天童市、山形市挨拶回り
○ 午後、寒河江市挨拶回り
○ 寒河江市、河北町で久しぶりの応援弁士。渡部恒三さんの代理のため、冗談オンパレードでサービス。 (山形泊)

7/27(金)
○ 舟山大勝の世論調査を受け、党本部が青森応援を命じてきたため、青森へ。
○ 青森十和田市で平山幸司候補の街宣合流。田名部父娘と一緒。
○ 夕方、三戸町で農業講演会の後、深夜、山形へ。 (山形泊)

7/28(土)
○ 長野事務所が今頃になって、長野で最終街宣をと言い出し困惑
○ 最終日まで山形に残る予定をキャンセルして、早朝天童市(敵地)街宣。
○ 大宮経由で長野へ。
○ 長野市内から千曲市へ2時間余、羽田雄一郎街宣に合流。
○ 母校長野高校が決勝で松商学園に敗れ、37年ぶりの夏の甲子園出場ならず残念。
○ 15道府県にまたがる選挙戦を無事終える。手応え十分で大勝の予感。 (長野泊)

7/29(日)
○ 7/22に選挙終了の予定だったことから、中野市市民テニス大会に参加申し込み、キャンセルせず、息子とダブルス出場。久しぶりのテニスで連戦連敗。
○ 予想どおりの大勝で肩の荷が下りる。応援にも行った1人区福井の若泉征三さんの惜敗は残念至極。
○ 舟山さん、平野達男、高橋千秋の両氏に次ぐ得票率で大勝。責任を果たし、一息。
○ 羽田雄一郎さんは圧勝で3選。一度でいいからこんな楽な選挙をしてみたい

2007年08月24日

安倍首相へのお節介アドバイス-岡田元代表と小沢代表の人事をみならうべし-07.08.24

07.8.18記
<若すぎた菅体制>
 03年秋、羽田さんの強い勧めで、民主党衆議院議員として第一歩を歩み始めました。そこで身近で接してみて、まず当時の菅体制の腰弱さにびっくりしました。菅代表の下で、岡田幹事長(50)、枝野幸男政調会長(39)野田佳彦国対委員長(46)といふ布陣でした。率直な話、これではとても狡い自民党とは伍していけず、政権奪取はほど遠いというのが実感でした。つまり次の内閣にこそピッタリのはず。とりまとめ役はできるとして、百戦練磨の自民党議運・国対とせり合うにはいくらなんでも経験不足は否めません。

心配したとおり、04年4月28日に端を発する菅さんの保険料未納問題では、体制を支えることはできませんでした。むしろ、退陣を仄めかしたりした幹部もいた始末です。この件は、当時のブログに書きましたが、(「年金問題と民主党として私の見解」2004.6.3)代表は辞める必要はなかったのです。明らかに社会保険庁の怠慢でした(今消えた年金で皆さんすぐその杜撰さがわかるのではないでしょうか)。これを5月7日は10日の両院議会で主張したのは、石井一さんです。ところがこういう政局を乗り切る役員に鹿野道彦さん、渡部恒三さんといった重鎮は皆無でした。まさに若さを露呈したのです。

<学習した岡田さんの挙党体制>
 その後の代表選びも、小沢さんが一旦は受けたものの、ひっくり返すに及び迷走し、結局、岡田前幹事長が代表になりました。体制を守りきれず崩壊させた張本人が代表になるなんて、自民党ではありえないことです。今の自民党で言えば、安倍首相が退陣した後、中川秀直幹事長が総裁になることですから。岡田さんは、自ら火中にいて、脆い体制に震感したはずです。藤井裕久さん(71)を幹事長にし、9月の本格政権では、川端達夫幹事長、仙谷由人政調会長という重布陣で、次の内閣も菅国土交通相等大物を充てました。若い民主党は、マスコミや国民にはアピールしても実際には、危なっかしいばかりであることを身をもって体験したからです。
菅さんも、一つの仕事を成し遂げて50代で政界に転じた03年の同期生を、すぐ役立ち政権を担える人と持ち上げはじめました。つまり、民主党が、ジャリタレ政治家(?)ばかりでは政権担当能力に欠けることに、ようやく気付いたのです。

<鹿野さんの先見の明を無視して大敗>
 ところが、その岡田代表(体制)も小泉首相の解散への執念を見越した鹿野道彦さんの、郵政民営化に対しての対抗法案を用意すべし、という度重なる忠告も聞かず、ボロ負けしました(詳細は「鹿野道彦さんの確かな政局を見る眼」2005.9.15)。自民党的な策略を見抜ける者が役員にいなかったのです。これに対し、百戦練磨の自民党は万全の準備をして毎日のように新しい女刺客を発表し、マスコミを翻弄し続け、国民もすっかり騙し切ったのです。

<前原体制は元祖仲良しグループ>
 その後を受けた前原誠司体制が、菅体制など問題にならないほど、お友達、仲良しグループ体制でした。そして、案の定、自壊していきました。その直前に前原体制を救ったのは、他ならぬ大重鎮、渡部恒三さん、平成の水戸黄門でした。これで、経験者の知恵の重要性が皆にわかったはずです。
 06年春、前原さんに代わった小沢さんの人事は見事でした。皆がさぞどぎつい人事をするのだろうと固唾を呑んで見守る中、役員室長まで含めほぼ全員留任でした。これで党内は安堵し、小沢体制ができあがったのです。人事がいかに大事かの見本です。小沢色など後から出せばいいのです。

<存在するルールには理由あり>
 一方06年秋、新たに発足した安倍内閣。前原体制とのあまりの類似性にびっくりし、9月下旬に「安倍内閣の前原化現象の予感」という、雑文を書きましたが、秘書からあまりに過激と制止され、ブログ掲載はしませんでした。しかし、12月15日の安倍首相の不信任案提出の日にちょっと加筆しただけで出しました。
 ついこの間まで、総理・総裁の要件は「当選10回、閣僚3回(外務、財務を1回)、党三役1回」でした。小泉首相までは、ほとんどの人がこの要件を満たしていました。
 自民党は選挙に勝たんがため、上記の要件を無視し、人気の小泉・安倍に走ってしまったのです。05年の総選挙までは成功しましたがもう通用はしません。国家の運営よりも政権にしがみつくことを優先したことに天罰が下ったのかもしれません。
さて、結論です。安倍さんが、菅さん、前原さんが同じように犯した過ちを是正するのは、たった一つしか残されていません。小沢さんに倣い、あっと言わせる太っ腹の人事をし、岡田さんに倣い、40代の若手など排除し十分経験を積んだ重鎮だけの内閣にすることです。

<具体的アドバイス>
例えば、
①その道に詳しい経験豊富な族議員の代表を閣僚とし、閣僚の半数以上は、2度目の入閣者とする。民主党よりも人材はずっといるのです。
②仲良し・お友達グループ、少年官邸団からは1人も入閣させない。まず、猛省している姿勢を示す必要があります。
③国民受けを狙った実力の伴わない女性官僚は1人も入閣させない。国民はもう女性閣僚には食傷しているはずです。
④論功行賞とみられる人事は一切しない。その証として自らの出身派閥の町村派からは、党役員は別として1人も入閣させない。政界でもどこでも嫉妬が怖いのです。
⑤問題の農林水産大臣は、政治とカネの問題を避けつつ、思い切った政策転換をするため、学者から選ぶ。ただ、大昔の東畑精一さんのようなふさわしい学者がいるかが問題です。

<民主党に必要な調整役>
これぐらいすれば、党内も国民も、反省したことを認めるでしょう。趣味を出すのは実績を作り、実力を身につけてからにしたらいいのです。安倍さんは少々のぼせ上がりすぎたのです。本当の再チャレンジではありませんが、自らの言に従い、・美・し・い・再・チ・ャ・レ・ン・ジをすべきなのです。
 それにしても、民主党に足らないのは、あうんの呼吸がわかり調整能力に長けた人です。そういう人が2~3人いたらもっと楽々と政権がとれるのですが・・・。

2007年08月21日

8月16日付夕刊フジに私の記事が載りました07.08.21

新聞

2007年08月20日

8月19日朝日新聞に私の記事が載りました07.08.20

ブログ

2007年08月17日

自民党系業界団体からの民主党候補二人の落選と3年後の農業界からの擁立07.08.10

小沢代表の強い意向もあり、かつては比例区に自民党からしか出ていなかった二つの団体、日本看護協会、日本青年会議所からそれぞれ山崎まやさん、高竹和明さんが出馬されました。私はそれなりに2人の選挙を応援しました。例えば、山崎さんが長野に来られた時は、私の戸別訪問を一緒にしかつ介護関係者のところを回りました。北沢俊美さんがそういった関係の仕事をされていましたし、そうとう実のある訪問ができたのではないかと思います。一方高竹さんは、出馬が決まってから長野青年会議所会合等にも来ましたし、岡山で江田五月さんの関係もあり東京でも会っていました。選挙ハガキの宛名も300名ほど貢献しましたし、最後の段階では、長野青年会議所理事長のOBの方から特別な要請がありましたので、近所の青年会議所メンバーに電話をいれるなど協力しましたが、残念ながら2人とも当選できませんでした。

自民党の当選ラインが20万強になっているのに対し、民主党は6万票。全候補者があとちょっと頑張れば当選できたのではないかと悔やまれます。当然、反省すべき点も多くあります。出ていただいておきながら、結局民主党はどれだけ党として応援したかということです。しかし、組織がほとんど自民党に流れている中、相当応援してあげなければならなかったはずですが、そうした組織的対応ができなかったのではないかと思います。例えば、出身県の重点候補として「選挙区(地方区)は〇〇、比例区(全国区)は山崎」という具合にしてやったかということです。山崎さんにはすぐ残念でしたねという電話を入れましたが、慰める言葉もありませんでした。
一方、民主党農業関係者が目くじらを立てた自民党候補の山田俊男前全中専務は、舛添要一さんに次ぐ、第2位の得票で当選しました。自民党ではありませんが、農業界、農協界の意地をしめした点は良かったと思っています。農政を専門にする議員が誕生したわけです。しかし、土地改良の代表の段本幸男さんが、当選できませんでした。そういう意味では官僚OBが、業界代表として比例区という図式は成り立たなくなったのかもしれません。
29の1人区では23も勝ちましたが、比例区には民主党農政に共感を持つ農業者が投票する候補がいませんでした。06年秋にこの点はわかっていましたし、候補を擁立せんとしましたが、断念しました。07年4月に再びこの点が問題にされ、NC農林水産担当大臣の私は責められることになりましたが、やっぱり手遅れでした。6万票ぐらいならとれたのではないかと悔いが残りますが、後の祭りです。
かくして3年後には必ず農協界から1人民主党候補を立てる決意としました。ただ、今回の比例区(全国区)の苦戦を考えると、なかなか手間が掛かるなあというのが正直なところです。

2007年08月15日

【小沢代表への緊急車中レク】

小沢代表は7月14日南九州へ行く予定が台風の影響で予定が狂い、青森、秋田を経て突然山形の舟山候補応援にも訪れました。
 7月5日に予定していた、レクが十分できなかったので、その分をきちんとレクをしなければならないと思い、準備をしていました。例によって慌しく、立ち去るということで、やむをえず新幹線の中でレクをすることになりました。異例ことですが、時間がないので新幹線の横の席に座り、山形駅から米沢駅の間30分間レクをしました。

NHKのニュースウォッチ9でこの場面が放送されたそうで気づかれた方も多いと思います。7月1日の21世紀臨調主催の党首討論の時25分間の安倍首相の質問のうち、半分程は農政問題にあてられました。2人のやりとりを聞いていて、ハラハラするものがありました。小沢さんは選挙で1人区を中心に飛び回っており安倍首相と比べ勉強している時間が少なく、相当不利なのです。自民党が、反論ビラまで作って攻撃してきますし、慎重な言い回しが必要とされます。戸別所得補償制度についてじっくりレクをし、意見交換することができました。それにはちょうどいいネタがありました。11日の日本農業新聞の記事に、政府の品目横断的経営安定対策は23%しか支持がないのに対し、54%が民主党の戸別所得補償制度を支持している、という世論調査の結果です。これを小沢代表に伝えると、「こんなに知られているのか」と喜ばれました。ただ、私がある言い回し注意するとすぐ納得してくれましたが、逆に私がうっかり違う表現をするとすぐ注意を受けました。小沢さんにレクをすると、いつもこのような調子になります。
しかし、小沢代表の命名の戸別所得補償制度が今回の参議院選挙における1人区大勝利の原動力になったことを考えれば、何度も行き来しながら名前を変え、すり合わせをしてきた甲斐があったということです。

迷走する自民党政権:民主党政権への期待 07.8.5記

<憲法より生活重視>
 自民党の不人気のあおりを受けて4つ議席を減らした公明党の太田代表は、選挙、安倍首相に注文をつけたそうですがその気持ちがよくわかります。
要するに、安倍首相は思い上がりええかっこしすぎたのです。自分こそ日本の将来のことを考えている、といった不遜な態度には私はとてもついていけません。
 憲法改正など国民は大した関心もないのです。教育基本法しかり。安倍内閣は自分の好きなことだけは押し付ける「おせっかい内閣」でしかありません。国民の声を汲み取って応える姿勢に夥しく欠けたのです。その極め付けが、大敗にもかかわらず平然と続投することです。

<度重なる参議院否定行動>
 郵政民営化法は衆議院で通り、参議院では否決されました。それを小泉首相は衆議院を解散しました。まさに、参議院の役割の否定です。そして今回、自ら小沢さんを選ぶか私を選ぶかの選挙だといっておきながら、今になって政権選択の選挙ではないと開き直り続投するという虫のよさ。二枚舌と言葉の軽さに驚くばかりです。何よりも2人揃って参院選の存在理由を蔑ろにしています。

<発言の自由失い、数で決める民主主義を失った自由民主党>
 続投せんとする安倍首相に注文をつけているのが舛添要一さんと石破茂さん、加藤紘一さん、中谷元さん、後藤田正純さんなど数人というのは唖然とします。また、刺客を送り込まれたらたまらんとでも思っているのでしょうか。自民党から自由な雰囲気がなくなってしまいました。
 安倍首相は首相指示で自分の趣味を押し通すために平気で強行採決をしてきました。
数で勝っているのだから、文句あるか、という猛々しい振る舞いです。驕れる者も久しからず、参院で保革逆転しました。
 安倍首相の民主主義はやはり数で決めるという理屈によれば、参議院民主党は数の力で法案をどんどん否決していいことになります。そして、安倍首相は今度は甘んじてそれを受け入れなければなりませんが、我々民主党は、そんな愚かな国会対応は、するつもりはありません。

<国民が望み始めた政権交代>
 選挙後の報道番組の中で、カーチス・コロンビア大学教授が「安倍政権ではなくて自民党政権だ」と喝破しました。安倍首相が「私の内閣」と言うことに対する強烈なパンチです。アメリカは大統領制ですし、ブッシュ政権と言ってよいが、日本は議院内閣制だから、自民党が政権を担っているにすぎないというのです。まさに図星です。
 そして、今回の選挙結果は、その自民党に愛想が尽きたというのが、国民の本音かもしれません。そして、その時は、やはり、小沢政権ではなく民主党政権なのです。

篠原孝の偏り参院選選挙総括 07.8.3記

選挙総括が大変遅くなってすみません。
山形県を拠点とする全国応援、羽田雄一郎候補の最終街宣、当選祝い、お礼挨拶廻り
等で机に向う暇がなく遅れてしまいました。気が付いたまま書きますので、参考まで。

<年金選挙は言われているほどなく、1人区の農政選挙の勝利>
民主60、自民37、非自民系無所属6(又は7)と民主党が大勝しました。
内訳をみるとどこが勝ったか良くわかります。
まず比例区は前回(04年)19が1つ増え20、次に3人以上の選挙区、愛知、神奈川、
東京は前回も2。今回、新たに埼玉と千葉が2とれました。
 2人区は、北海道、新潟で2人擁立したものの、結局二大政党制を反映して、前回と同じく全部民主1、自民1。
 そして問題の29の1人区は
01年(1人区27)   非自民  2 (民主 0) :自民 25
04年(1人区27)   非自民 13 (民主 9) :自民  14
07年(1人区29)   非自民 23 (民主17) :自民  6
と89年の23:3以来の大勝でした。
つまり、比例区と都市部が年金と、政治とカネの関係の不規則発言勝利だとすると、それで増えたのは、比例区が1と都市部2の計3だけで、後は1人区の勝利ということになります。それでは、1人区のほうが政府・自民党の敵失に対する批判が複数区より数段上回ったのでしょうか。
地域間格差にあえぐ農山漁村の多い1人区は民主党の農政、すなわち戸別所得補償制度に期待したのです。これが、全国紙のマスメディアにはわからないようです。

<地方の反乱、田舎の反乱>
 各紙がいろいろな見出しを使っていますが、今回の選挙を最も的確に表現すると、「地方の反乱」、「農村の自民離れ」と言えるでしょう。従来ほとんど自民が圧勝していた人口10万未満の小都市・町村部で民主党比例区が前回と比べ3ポイント上昇し38%となり、逆に自民党は3ポイント減の32%となりました。地域間格差を実感した人たちが反旗を翻したのです。

<1に年金、2に子育て、3に農業>
 3つの約束の3番目に農業がきました。もともと小沢代表が農村ばかり向いていると不満を持つ人がいましたし、都市部の議員は疑問をもっているはずです。
 しかし、小沢代表は歯牙にもかけず、農業を第3の柱に選びました。このメッセージは全国津々浦々にパァーっと伝わりました。都市政党だと思われていた民主党が農政も重視していることが鮮明になり、驚きを持って迎えられたのです。

<政治勘のよい小沢代表>
3年前も農業再生プランで戦おうとしている中、直前の両院総会に示された民主党のマニフェストでは農政の項目が消えていました。8つあったものが何の説明もなく、農政が1つなくなり、7つになっていたのです。私は激怒して説明を求めました。当時の担当幹部はプロセスがわからないと言い訳し、実務担当は四の五の言いましたが、私は認めず「謝罪して訂正しろ」と迫り、8つに復活しました。民主党幹部の感度の悪さ、事務手続きのいい加減さを象徴する出来事でした。
ところが、今回、農政は10の項目から3つ選んだうちの1つになったのです。小沢代表の政治勘のよさを表しています。
私は選挙告示直前、これで1人区の大勝利を確信しました。
 15県応援行脚しましたが、私はどこでも「民主党のマニフェストには農業、農村を元気にし、地域間格差を是正したいという小沢代表の強い意志が働いている」と宣伝しまくりました。

<小沢代表の1人区行脚>
 今回に限らず参院選は1人区の勝負であることは誰の眼にも明らかです。小沢代表はこの1年間1人区行脚を続けてきました。都市部では街宣せず、必ず借景に田んぼや畑のある所で応援し、それがTVのニュースで伝わりました。ずっと見捨てられてきた農民、地方の人々が小沢代表、民主党に将来を託そうしたのは明らかです。

<一度はやらせてみよう民主党。 総理大臣、一度はやらせてみよう小沢一郎>
 私は、いつからか上記のフレーズを必ず使いました。あちこち回ってみると有権者の気持ちを最もよく表していると思ったからです。私は「民主党は絶対だ、などとは思わない。民主党政権になってもいろいろうまくいかないことが多いでしょう。しかし、自民党がとっかえひっかえ60年も政権を維持し続けるのは絶対によくない」とも必ず付け加えました。日本国民も二大政党や政権交代の意義に気づき、やっと一度はやらせてみようと云う気になってくれたのではないかと思います。

<自民党から離反した農村>
 あまり気づいていませんが、あの小泉旋風の時ですら、農村県の民主党議員は議席を維持できたのです。つまり、既に農村部の民主党支持が固定化しつつあったのです。
 例えば、北海道の松木謙公さんは武部幹事長を相手に2万票も増やし、仲野博子さんは小選挙区に当選できました。かくいう私もあの逆風の下で9300票も増やしているのです。もちろん、長野市は都市部と同じでドサッと自民党に流れ小坂さんには離されましたが、田舎度が高いほど私の得票増が目立ちました。
 つまり、農村部の情に厚い、律儀な有権者が03年の総選挙のとき以来、徐々に民主党を向いてくれ始めたのです。
こんなことを言うと都市部の有権者に叱られるかもしれませんが、田舎の有権者は浮気をしません。一度決めたら辛抱強く支持し続けてくれます。かつて民主党は都市部の浮気っぽい票に頼っていました。だから、小泉郵政選挙ではバタバタ落選したのです。その民主党が、どっこい農村部では支持を確実に固いものにしつつあるのです。
 小泉前首相は政策を都市部の支持者層に向けてシフトしました。後を受けた安倍首相は、可哀相にその負の遺産をそのまま受け継ぎ、年金問題とリーダーシップの欠如により肝心の都市部の票も失ったのです。それが自民党の都市部での敗戦につながりました。

<残念だった福井、鹿児島>
 上述の03年同期の農村部の議員で、落選したのは福井の若泉征三さんと熊本の松野信夫さんの2人ぐらいでした。この2人が今回、参院選に出馬しました。もちろん2人とも応援に行きました。松野さんが当選しましたが、若泉さんは2973票という僅差で敗れました。残念でなりません。 
そして、2664票の僅差だったもう1つは鹿児島の皆吉いなおさんでした。6月に応援に行き、なかなか良い候補とわかり期待していました。しかし、あの保守系王国鹿児島でこれだけの差というのは驚異的です。明らかに田舎は怒っており、「農民一揆」を起こしたのかもしれません。

2007年08月11日

【農家の大半が支持した戸別所得補償】

選挙期間中の7月11日、日本農業新聞は世論調査結果を一面で報じました。農村部でも内閣不支持が上回ったことがトップニュースでしたが、おやっと思ったのは品目横断的経営安定対策で例の「4ha以上の農家のみに直接支払を集中、さもなくば20haの集落営農」が22.8%しか支持されず、逆に戸別所得補償が53.8%も支持されました。この差がそのまま民主党へ大量の票の流れとなったと思われます。今まで自民党とその候補の名しか書いたことのない人達が民主党とその候補に投票したのです。だから、東北、四国で非自民(民主党)が全勝し、1人区26勝につながったのです。

ほうっと思ったのは、政府が大規模専業農家を優過しようとしているにもかかわらず、専業農家ですら26%しか政府の品目横断政策を支持せず、55%が民主党の戸別所得補償政策を支持していたことです。農家はよくわかっており、農家を分断する政策などを導入されたら、農村地域社会の絆がこわれていくことを心配しているのです。
現場と遊離した机上の政策が、安倍首相と同様に厳然と拒否されたのです。この政策を修正しないのは、安倍首相か退陣せず続投すると同じことになります。柔軟に政策変更できなければ、次期総選挙で再び強烈なNOが示されることは間違いありません。

【民主党農政の象徴的候補、舟山ヤスエ候補圧勝の意義】

私が、党本部から命じられ担当した舟山さんは、岩手の平野達男さん、三重の高橋千秋さんに次ぐ第3位の得票率で圧勝しました。
平野さんと高橋さんは再選で2年前も非自民が勝った唯二のところで、当然の結果だろうと思います。しかし、舟山さんの場合予想以上の大勝でした。民主党がマニフェストで3番目に農業を掲げた関係から、私は色々なマスメディアの取材を受け、この三つ目の農業を象徴する選挙区はどこかと記者から聞かれました。私は決まって人としては、舟山さんと答えました。北海道大学卒業後、農林水産省に10年いて、典型的な農村山形県小国町で、7年間生活したということから、舟山さんが象徴的な候補といえます。

象徴する選挙区はどこかときかれた場合は、全国唯一の現職同士が激突する栃木県をあげました。その栃木で現職の国井友幸農水副大臣と、宇都宮大学の農学部を卒業し、県議を経て参議院議員になり農政を熱心にやってきた谷博之さんの戦いだということ申し上げてきました。その通り大激戦でしたが、栃木県は谷さんが相当差をつけ当選できました。私も終盤競っているということで応援に行きましたが、勝手レディーズin栃木ということで、山岡さん、福田さん、簗瀬さん、谷さんの4人の国会議員の奥さん達が同じ赤いシャツを着て応援している熱意には驚かされました。
いずれにしろ、農村の民主党の支持が自民党の支持よりも大きく上回ったのは確実です。これはなにも安倍さんのせいだけではありません。その前の小泉政権構造改革と称し地方に冷たい態度を取りました。それよりも、もっともっと先、口では農業保護と言いつつ、農村などどうでもいいとほったらかしにして、ヨーロッパに比べれば何も手当てをしてきませんでした。その結果、本当に地域間格差が拡大したのです。私はこのことを今年3月の予算委員会で追及しましたが、安倍さんはいきりたって、突っぱねるだけでした。そうした報いが今の選挙に現れたのではないかと思います。

【痛手を負った自民県連が敗因を指摘─民主党の地方重視策(農家への戸別所得補償)】

年金にやられた、閣僚の政治と金、閣僚の不規則発言等、自民党の大敗の原因が列挙されます。そうした中で、日経新聞が自民党の県連を対象に敗因を調査したところ7割が、民主党の地方活性化策にやられたと答えたという。そして惨敗続投の安倍首相に地域格差是正、地方活性化策をしてほしいとしています。(8月4日朝刊)

年金は、政府の失政、いわば敵失です。政府・自民党が嫌われただけであり、基礎年金、一元化という政策が支持されたわけではありません。それに対し、野党の政策が理解され、心を掴んだのが、農家への戸別所得補償政策です。北川正泰さんがマニュフェスト導入を唱え、民主党がとびついて03年の総選挙から山ほどいろいろな約束がなされてきましたが、どれほど有権者が読みこなし、投票行動に表れたか疑問です。例えば、高速道路の無料化といった政策は話題にはなったが、それからといって民主党に投票した人は何人いたか不明です。
そういう意味では、今回、農家が民主党の農業政策を支持して民主党に投票してくれたのは、稀有のことかもしれません。マスメディアは、気がつかないようですが、地元で直接有権者に接する人たちはよくみています。何が投票行動に大きな影響を与えたか一番わかっているのです。ひょっとすると痛手を被った自民党農林族や幹部こそその原因をよくわかっているかもしれません。
町村信孝さんは、民主党が得点をあげたわけではないと言い切っています。確かに、4ha以上といったあまりに非現実的要件設定や安倍首相の危機管理能力の欠如を考えると敵失もあったことは責めません。しかし、その反対に、民主党農政と小沢さんのリーダーシップなりカリスマ性は、得点になったと思います

【タラレバ若林農林水産大臣】

政治の世界でも、どこの世界にもタラレバをいいだせばキリがない。しかし、私は今回の一連の農林水産大臣の退任劇をみるにつけ、最初の安倍内閣の組閣でより農政に精通した若林正俊農林水産大臣が誕生していたら、こんな混乱はなかったのではないかとつくづく悔やまれます。それは、松岡さんも農林水産行政を真剣にやってこられましたが、農林水産省の金融課長、農政課長を歴任されるという超エリートコースを歩まれた若林さんの方が、農政通という点でも、政治キャリアからしても、上だと思います。

安倍さんはなにを間違えたか、若林さんを農林水産大臣にせず、環境大臣するという、私からいいますと大チョンボをしでかしています。こうしたチョンボが後で尾を引くのは世のならいで、松岡さんは自殺、その後任の赤城大臣も事務所費をめぐる説明や答弁の拙さから退任、そして、今若林さんが、環境大臣・農林水産大臣を兼任されています。あと1ヶ月の農林水産大臣、その後留任されるかもしれませんが、全力を尽くし、そしてこの難しい時期、特にWTOの決着をむかえる時期ですし、頑張ってほしいと願うばかりです。

2007年08月09日

8月4日付日本農業新聞に私の記事が載りました07.08.09

農業新聞

 1  |  2  |  3  | All pages