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党首会談・小沢辞任・撤回騒動について(その2)07.11.16

(鹿野道彦さんの警告)
 鹿野さんは羽田さんやその他の自民党の皆さんと一緒に、清和会(旧安倍派)にいながら自民党を飛び出し、非自民を貫き通している方です。私の政治のご指南役の1人です。重要な場面になると山形からいろいろ電話がかかってきます。鹿野さんは当然党首会談を心配しておられました。例えば二度目の会談などさせるな。小沢さんは必ず連立の方に傾いていく。危ういから、菅代表代行か山岡国対委員長を必ず同席するようにしろと、11月1日(木)に電話してこられました。

 11月2日の15時からの二回目の会談では、鹿野さんの心配の通り大連立話が出てきました。これは、大方の有権者の期待を裏切ることになります。いくら大連立をして政権担当能力をしめすといっても、そんなことを国民は考えているのではありません。小沢さんは民主党の党首であるにもかかわらず、自民党の派閥の長の合従連衡と同じように気軽に考えられたのだと思います。その点では小沢代表は、後に仙谷さんに指摘されるようにコミュニケーション不足は明らかであり、国民の声も民主党議員の声も届いておらず、いわゆる空気を読めていなかったのです。


(11月4日(日)朝の予感)
 私にはよく勘が働きます。小沢さんが連立を皆に拒絶され、むくれているだろうなとすぐに予想できました。そこで朝、支持者訪問に行く車の中で一新会の幹部(といっても1.2期性が中心ですので私の同僚議員)の1人に、小沢さんが変な動きをされる可能性があるので一新会が止めるという役割を思い出させました。
 これには説明が要します、私は羽田さんの強い勧めで国会にでましたし、あまり派閥的行動をするのは嫌いなのです。しかし、一新会の2人の友人が来ましてしつこく迫るので、一つ条件をつけました。小沢さんはまた党を割って出ると言い出されるに違いない、ただそれをやったら小沢さんの政治生命も終わりだ。民主党の政権獲りも遠のく。それを止めるのが1番一新会の大事な役割だ、と念押しして約束させて入ったのです。
 その時が到来したからちゃんと約束実行の準備をしろと言って電話したわけです。電話の相手は、みんなが大騒ぎするからいけないので、粛々とやっていけばいいんだという答えでした。そうしたら、その日の午後2時に小沢さん辞任のニュースが飛び込んできました。16時から記者会見というので、わたしの嫌な予感はぴったり当たってしまったわけです。もう疲れがどっとでました。支持者訪問しながら、テレビを見てるかたもいっぱいいまして、今大騒ぎになっているときに何だ、とお子小言を頂戴することがしばしばありました。

(総理大臣 一度はやらせてみよう小沢一郎)
 私は、参議院選の応援で最後は「一度はやらせてみよう民主党」「総理大臣、一度はやらせてみよう小沢一郎」と叫びました。それが、有権者の声だったのです。それを踏みにじって、参院選で約束したことを実施するには連立の方が手っ取り早いというのは、とても有権者には理解されないはずです。有権者は、自公政権に代わる民主党政権に期待していたのです。私は、大連立の考えを持ち帰った幹部会で6人の幹部が続けて連立に反対したのは当然の事だと思います。小沢さん以外は、皆、同じ目標に向かっており、手段としても大連立など考えていなかったのです。

 小沢さんは、参議院の勝利に満足せず、総選挙に向けて地道な活動をしろと号令をかけていました。それと同時に、安易な妥協はよくないと言ってきましたが、それを飛び越えての大連立はやはり我々議員に対してもあまりに唐突です。政治のプロは考えて当然とか、評論家はもっともらしいことを言っていますが、そんな難しい政治はしなくてもよいのです。


(赤松広隆さんの勇気)
 赤松さんは、小沢さんに近い方で、06年末の政策マグナカルタ作成責任者でした。5回平場の議論をしましたが、いろいろな意見が出るのにどうも取り入れる雰囲気がなく、ひたすら小沢代表の意見ばかりを尊重しているように見受けられました。
私は、初回を除き4回ずっと出席し続け、やたらFTA・EPAを推進することが強調されていること、4ヶ所も出てくることを指摘し、農業の分野からは削除させました。しかし、どうもあと味の悪い会合でした。
 今、更に選対委員長という重席にある赤松さんが、大連立へ反対の口火を切ったとのこと。忠実な側近が堂々と代表に反対意見を述べるのはなかなか勇気のいることです。赤松さんも成長し、民主党が成熟した証拠かもしれません。