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テロ特措法と日本の役割(11/2外務委員会質問報告)07.11.16

(私の憲法観)
 私が03年9月に 初出馬した時、新聞各紙からいろいろなアンケート調査が届きました。それに例の悪字でこってりと私の考え方を書いた覚えがあります。憲法改正には○(賛成)とし、新聞に掲載されました。内容を読まない早とちりの護憲勢力から誤解され、今でも敵対的な言葉を浴びせられます。

 しかし、「絶対に日本の軍隊を海外になど派遣しないように憲法で明記」というのが私の主張で、そのかわりに自衛のための軍隊は持って当然であり、その部分も改正してよいというものです。私の荒削りの主張をきちんと読んでいた方もおり、その一人が、民主党リベラルの会の事務局の方でした。新人議員でして、次から次にいろいろな方と会っていたので忘れてしまいましたが、「アンケート調査の憲法関係をみて、最もリベラルの会にふさわしい主張をされたのは篠原さんだ」と殺し文句(?)を言われ、よくわからず加入しました。他の仕事が忙しすぎて、なかなか出席できませんが、熱心に勉強を続けています。

(イラクの自衛隊派兵の功罪)
 どこの国が侵略の意図を持って派兵するというか、そんな国はいません。アメリカのイラク攻撃も、大量破壊兵器を隠していると難癖をつけて爆撃しはじめました。ずっと後になってでたらめな口実だったと判明しました。いつも繰り返されることです。
 日本国の意思が働くような軍隊の派遣はあってはならず、国連なり国際協力の一員として、いわば傭兵として後方支援に参加するのが限度というのが私の考えです。岩國哲人さんもリベラルの会のメンバーでして、まさに私の考え方と同じなのが驚きでした。
 イラク派遣は、武器は使用せず、世界の軍事専門家が唖然とする中で役割を終えて撤兵しました。こんなやり方があるのかと叱りつけたいはずです。アメリカもアジアの近隣諸国も日本が軍事化国化するのを警戒しています。なかでも最も嫌がるのはアメリカです。詳細は避けますが、中川昭一さんが核兵器保有の議論をしてもいいと言われた後のアメリカ国内では、アメリカ政府の高官は会おうとしなかったと報じられています。つまり、日本は金を出し、後方支援をしていてくれるのが日本にとっても、諸外国にとっても1番安心なのです。この点が国際問題を考える時に死活的重要性を占めてきます。
 日本のタカ派は、いろいろ口実をつけて自衛隊を海外に派遣しようとし、アメリカがそれを望んでいると勘違いしているようですが、それは大変な間違いなのです。

(外務委員会における私の主張)
 突然でしたので、少々準備不足でしたが、当然のごとくテロ特措法について質問しました。わたしは率直に一議員として私の考えを述べました。そして、このテロ特措法こそが党首会談のきっかけとなっているからです。
 “例えば、海上における給油活動、いままで六年間やってきたんだから別にいまになって目くじら立てることではない。小沢代表は、国連の決議がないから駄目だ、アメリカが勝手に始めた一国の戦争であるから日本は参加するわけには行かないという。しかし、六年間やってたんのだから、今更あげつらってばかりいても仕方がない。もちろん80万ガロンの20万ガロンの虚偽報告はいけないこと等。
期限の11月1日までに法案は通らなかった。そしたらもうこだわることはない。国際社会からの非難 非難といわれているが、実はそれほど非難されていない。日本が大騒ぎするんで逆に騒ぎになっているだけ。
 湾岸戦争で血を流さず、汗を流さず、金だけと批判され忸怩たる思いもしたとよく言われ、二年前の外務員会でも質問しましたが、外国の論調でそういう明確なものを私は見たことがない。日本の関係者がそういうことにかこつけて、日本も自衛隊を海外に派遣しなければならない口実にしてむしろ悪用しているだけではないか。”

(提案型質問)
 例によって提案型の質問もしました。
 “日本にはできる事とできない事がある。できる事をやればいい。日本は中近東に信用をされている、なぜかというとイスラム教徒同胞の血を流すことに加担をしていない、古くを言えばあの大国ロシアにはむかった国で、そして戦争に勝ったというのもあると聞いている。この立場を利用して民生支援を中心に行くべきではないか。国会の期限切れがいいきっかけである。イラクとアフガニスタンを比べると、イラクのほうがずっと危険で、でも自衛隊を民生支援として派遣したのだから、このあたりでアフガン支援も民生支援だけに変えたらいい。”

 高村外務大臣は、民主党案をまとめてくれといった皮肉交じりの答弁でした。私は、いや、小沢さんと私の考え方は高村大臣との間より大きいかもしれないとやり返すと、どっと笑いがもれました。11月2日(金)午後2時40分、その20分後に2回目の党首会談が予定されていました。私は委員会室から東京駅に急ぎ、山形の鹿野・舟山会合に直行しました。その間に大連立という大きな動きがあったのです。