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2007年11月28日

党首会談・大連立・小沢辞任撤回騒動について(その4)07.11.28

<大阪市長選の民主党の勝利>
有権者は非常に正直ではないかとつくづく感じました。福田内閣発足後、最初の大きな首長選挙で、民主党が勝利しました、北九州市・福岡市の市長選から始まって、民主党が対抗馬を立てた主要な首長選は勝利しています。参議院選挙のように、一人区 農村部で民主党は相当支持を得ていますが、都市部の支持も前回の小泉劇場の選挙から比べると、着実に回復しているのではないかと思います。

今回の選挙は、民主党のごたごたのあった後ですけれども、新生民主党に有権者は掛けてくれたのではないかと思います。つまり、小沢代表が辞任を表明し、そのまま辞任し、後任選びでごたごたしていたりしたら、多分支持率は下がり、どうなったか解りません。しかし、すったもんだありましたれども、我々が少々強がりで言っていた、雨降って地固まるという状況になり、どうやら民主党に託してもいいのではないかと皆さん思ってくれたのではないかと思います。そういう意味では、やはり、大連立にストップをかける発言を最初にした、赤松さん。そして、TV中継されている中で、堂々と小沢さんに注文をつけ、あるいは、民主党議員団の内紛の熱気と国民の感性には相当ギャップがあると、淡々と指摘した仙谷さんの功績は大きいのではないかと思います。つまり、民主党は小沢独裁ではない、非常に民主的な党だという事を認識していただけたのではないかと思います。この勢いをずっと続けられたらというのが私の願いです。

<金属疲労を起こし、賞味期限の切れた自民党>
 ドイツのメルケル政権の大連立や、古くはブラント社民党党首とエアハルト キリスト教民主同盟の連立、そしてその後の社民党の第一党政権誕生を例に、大連立を擁護する人がいます。しかし、私は、小沢さんの大連立には絶対反対です。
政治のプロはどうあろうと、有権者の意にそぐわない行動は慎むべきです。それに、我が陣営には政権担当経験者も多くいます。政権交代の機は熟しつつあるのです。今の政権与党にだけにしがみ付く自民党議員、この人たちにやはり野党になっていただかなくてはなりません。明らかに民主党議員と比べて勉強不足です。小沢代表は政権担当能力がないといわれましたけども、政権担当能力というのはいろんな総合力です。政策の企画立案能力あるいは真面目さにおいては、私は民主党議員のほうが数段勝ると思います。ただ、残念ながら、調整能力とか国会対応のずるさとかいうことになりますとやっぱり、長年政権与党である自民党のほうが上です。
民主党のほうにこそ、政権担当というか意欲は、たまりたまったものがあります。自民党は、もう疲れ果てている党だと思います。つまり、賞味期限が切れた政党です。私は、民主党がやったらすべてうまくいくとは思っていませんが、今まで溜めて来たものを一挙に吐き出させるべく民主党に政権を任してもらうのが一番いいと思います。自民党の皆さんには、なにくそという思いを胸に、いろいろ切磋琢磨していただいてまた政権奪取をしていただく。これでもって日本の政治がよくなるのではないかと思います。

<政権交代後の政界再編はあってもよい>
よく民主党は右から左までいろいろな人たちの寄せ集まりだと言われます。その通りだと思います。しかし、自民党だって同じなのです。自民党で3K、古賀さんと加藤さんと亀井さんがテロ特措法に反対して退席したりすると、マスコミや評論家は、自民党は柔軟な党だ、いろんな人がいるともてはやし、民主党がそうなるとバラバラと批判します。政権与党になると、政権運営において露骨に対立が生まれてくるだろうと思います。そうした時は、私は政界再編、志を同じ人たちの党の再編があってもいいと思います。しかし、政権交代する前に今の自民党の皆さんと民主党の皆さんとが手を結ぶ事は公約破りにつながりあってはならない。その点では鳩山幹事長が、民主党が政権をとってからの連立あるいは再編がありうると言うのは同感です。今の段階では、大連立は一般的には王道とはいえません。もっと素直に進むべきと思います(以上、終わり。大切な節目ですので、少ししつこくまとめてみました。)

党首会談・大連立・小沢辞任撤回騒動について(その3)07.11.28

<小沢代表記者会見>
ナビゲーターの着いた車ですので、私もちらちらテレビの記者会見を見ながら支持者訪問を続けました。小沢さんは口下手です。ああいう時はいつも紙に書いてきてでっかい声で読み上げます。いつものスタイルです。しかし、ちょっと違うなと思ったことがあります。身柄を党の幹部に預けたというので、これは撤回の余地があるなと直感しました。
 詳細は省きますが、私もそれなりに関係者にTELやFAXをしました。そして、やっと撤回し、収まりました。新聞・メディア批判はおやと思いましたが、自らが連立をしかけたといった報道に余程腹に据えかねたのでしょう。

<仙谷由人さんの男気>
反小沢だといわれているグループの幹部も含め、ほとんどが小沢さんを慰留する中で、11月7日の両院懇談会で、仙谷さんが、小沢さんの勝手や国民・有権者との意識のギャップを指摘しました。いわば嫌われ役を買ってでたのです。その風貌とドスの効いた喋り方から「仙谷親分」とも称されますが、仙谷さんの面目躍如でした。TV中継されているとは知らなかったようですが、熱気に包まれてシャンシャンと終わろうとする会合で水を差すことは覚悟がいります。仙谷さんに拍手を送りたい気持でいっぱいです。仙谷さんの指摘をしかと胸に収め小沢さんにはこのような騒ぎは二度と起こさないようにしてもらわねばなりません。

<新旧の小沢包囲網は団結の印>
新聞各紙、あるいは週刊誌は、参議院で17人が自民党入りすると与野党逆転するという事が、まことしやかに言われ、小沢さんが離党するのに続いて行く参議院議員の名前が羅列されていました。しかし、そうしたことは起こりませんでした。確認はしておりませんが、大半の人たちが仮に、小沢さんが離党してもついて行く気持ちはなかったのではないかと思います。極めて健全な考えだと思います。
前に、(その一)で書きましたように、一新会の皆さんも必死で慰留したはずです。それからもう一つは、羽田孜さん、渡部恒三、石井一さん、こういった人たちも小沢さんにストップをかけたわけです。ですから、新旧揃って小沢さんを慰留したという事ではないかと思います。そういう意味では、民主党は成長したなぁと思います。
これを言うと、鳩山さん、菅さんに悪いのですが、代表を途中で辞めざるを得なくなっております。つまり、民主党は引きずり降ろしてしまったのです。鳩山さんは幹事長の人事、あるいは自由党との統合等でゴタゴタが続き、引きずり降ろされてしまいました。菅さんは保険料の未納(後で、岩見隆夫さんがすみません菅直人様と詫びた)くらいのことで、辞める必要はなかったのに係わらず、傷ついた党首の下では戦えないという都市部の議員の大合唱で引きずり降ろされました。とても公党とはいえないとその時の発言された石井一さんが怒っておられました。つまり、選んだ党首をかばい守るべきだと言われたのですが、若手は聞き入れませんでした。民主党は未熟だったのです。それから比べると、今回は辞任するというのに、慰留をすると大分違ってきました。
民主党は次々と党首を変えて新しい党首の下、まあ、新規商品でもって選挙に打って出よう人たちが多かったわけですが、ようやくそういった風潮は弱まって、政権交代を目指して一致団結しようという事になったのです。こういう点でも民主党はいい意味で自民党に近づきつつあるのではないかと思います。つまり自民党は政権与党であること一点について大同団結し、今の民主党はあと少しで、政権交代が出来るということで一致団結して政権交代しようという事になっているのではないかと思います。

<支持率アップの不思議>
 11月11・12日の週末、新聞各紙が世論調査をしました。民主党のごたごたにより支持率が大幅に下がると大方が予想していましたが、読売の調査は逆にわずかながら上がっていました。ビックリですが、仙谷さんの発言をTVで観たり聞いたりした人が、民主党の健全性を感じとり、支持し続けていただいたのではないかと思います。
 04年春、菅代表(当時)の保険料の未納に端を発し、1ヶ月くらい、すったもんだしてやっと岡田代表に落ち着きました。こんなんじゃ7月の参議院選はダメに決まっていると皆が考えていました、案に相違して民主党が国政選挙ではじめて50議席と自民党の49議席に勝利しました。つまり民主党が政権党になるためにもがいていると半分同情、半分期待で投票してくれたのです。今回は、幸いにして「何やってんだ、全く頼りにならないなあ」とハラハラしつつ、やっぱり頑張ってほしいと思ってくれたのです。いわば、ダメ虎だけどファンが逃げない阪神ファンと同じ心理になってくれているようです(阪神ファンの皆さんすみません)。この複雑な(?)期待に答えるべく民主党議員は政権交代を目指していかなければなりません。

2007年11月16日

テロ特措法と日本の役割(11/2外務委員会質問報告)07.11.16

(私の憲法観)
 私が03年9月に 初出馬した時、新聞各紙からいろいろなアンケート調査が届きました。それに例の悪字でこってりと私の考え方を書いた覚えがあります。憲法改正には○(賛成)とし、新聞に掲載されました。内容を読まない早とちりの護憲勢力から誤解され、今でも敵対的な言葉を浴びせられます。

 しかし、「絶対に日本の軍隊を海外になど派遣しないように憲法で明記」というのが私の主張で、そのかわりに自衛のための軍隊は持って当然であり、その部分も改正してよいというものです。私の荒削りの主張をきちんと読んでいた方もおり、その一人が、民主党リベラルの会の事務局の方でした。新人議員でして、次から次にいろいろな方と会っていたので忘れてしまいましたが、「アンケート調査の憲法関係をみて、最もリベラルの会にふさわしい主張をされたのは篠原さんだ」と殺し文句(?)を言われ、よくわからず加入しました。他の仕事が忙しすぎて、なかなか出席できませんが、熱心に勉強を続けています。

(イラクの自衛隊派兵の功罪)
 どこの国が侵略の意図を持って派兵するというか、そんな国はいません。アメリカのイラク攻撃も、大量破壊兵器を隠していると難癖をつけて爆撃しはじめました。ずっと後になってでたらめな口実だったと判明しました。いつも繰り返されることです。
 日本国の意思が働くような軍隊の派遣はあってはならず、国連なり国際協力の一員として、いわば傭兵として後方支援に参加するのが限度というのが私の考えです。岩國哲人さんもリベラルの会のメンバーでして、まさに私の考え方と同じなのが驚きでした。
 イラク派遣は、武器は使用せず、世界の軍事専門家が唖然とする中で役割を終えて撤兵しました。こんなやり方があるのかと叱りつけたいはずです。アメリカもアジアの近隣諸国も日本が軍事化国化するのを警戒しています。なかでも最も嫌がるのはアメリカです。詳細は避けますが、中川昭一さんが核兵器保有の議論をしてもいいと言われた後のアメリカ国内では、アメリカ政府の高官は会おうとしなかったと報じられています。つまり、日本は金を出し、後方支援をしていてくれるのが日本にとっても、諸外国にとっても1番安心なのです。この点が国際問題を考える時に死活的重要性を占めてきます。
 日本のタカ派は、いろいろ口実をつけて自衛隊を海外に派遣しようとし、アメリカがそれを望んでいると勘違いしているようですが、それは大変な間違いなのです。

(外務委員会における私の主張)
 突然でしたので、少々準備不足でしたが、当然のごとくテロ特措法について質問しました。わたしは率直に一議員として私の考えを述べました。そして、このテロ特措法こそが党首会談のきっかけとなっているからです。
 "例えば、海上における給油活動、いままで六年間やってきたんだから別にいまになって目くじら立てることではない。小沢代表は、国連の決議がないから駄目だ、アメリカが勝手に始めた一国の戦争であるから日本は参加するわけには行かないという。しかし、六年間やってたんのだから、今更あげつらってばかりいても仕方がない。もちろん80万ガロンの20万ガロンの虚偽報告はいけないこと等。
期限の11月1日までに法案は通らなかった。そしたらもうこだわることはない。国際社会からの非難 非難といわれているが、実はそれほど非難されていない。日本が大騒ぎするんで逆に騒ぎになっているだけ。
 湾岸戦争で血を流さず、汗を流さず、金だけと批判され忸怩たる思いもしたとよく言われ、二年前の外務員会でも質問しましたが、外国の論調でそういう明確なものを私は見たことがない。日本の関係者がそういうことにかこつけて、日本も自衛隊を海外に派遣しなければならない口実にしてむしろ悪用しているだけではないか。"

(提案型質問)
 例によって提案型の質問もしました。
 "日本にはできる事とできない事がある。できる事をやればいい。日本は中近東に信用をされている、なぜかというとイスラム教徒同胞の血を流すことに加担をしていない、古くを言えばあの大国ロシアにはむかった国で、そして戦争に勝ったというのもあると聞いている。この立場を利用して民生支援を中心に行くべきではないか。国会の期限切れがいいきっかけである。イラクとアフガニスタンを比べると、イラクのほうがずっと危険で、でも自衛隊を民生支援として派遣したのだから、このあたりでアフガン支援も民生支援だけに変えたらいい。"

 高村外務大臣は、民主党案をまとめてくれといった皮肉交じりの答弁でした。私は、いや、小沢さんと私の考え方は高村大臣との間より大きいかもしれないとやり返すと、どっと笑いがもれました。11月2日(金)午後2時40分、その20分後に2回目の党首会談が予定されていました。私は委員会室から東京駅に急ぎ、山形の鹿野・舟山会合に直行しました。その間に大連立という大きな動きがあったのです。

党首会談・小沢辞任・撤回騒動について(その2)07.11.16

(鹿野道彦さんの警告)
 鹿野さんは羽田さんやその他の自民党の皆さんと一緒に、清和会(旧安倍派)にいながら自民党を飛び出し、非自民を貫き通している方です。私の政治のご指南役の1人です。重要な場面になると山形からいろいろ電話がかかってきます。鹿野さんは当然党首会談を心配しておられました。例えば二度目の会談などさせるな。小沢さんは必ず連立の方に傾いていく。危ういから、菅代表代行か山岡国対委員長を必ず同席するようにしろと、11月1日(木)に電話してこられました。

 11月2日の15時からの二回目の会談では、鹿野さんの心配の通り大連立話が出てきました。これは、大方の有権者の期待を裏切ることになります。いくら大連立をして政権担当能力をしめすといっても、そんなことを国民は考えているのではありません。小沢さんは民主党の党首であるにもかかわらず、自民党の派閥の長の合従連衡と同じように気軽に考えられたのだと思います。その点では小沢代表は、後に仙谷さんに指摘されるようにコミュニケーション不足は明らかであり、国民の声も民主党議員の声も届いておらず、いわゆる空気を読めていなかったのです。


(11月4日(日)朝の予感)
 私にはよく勘が働きます。小沢さんが連立を皆に拒絶され、むくれているだろうなとすぐに予想できました。そこで朝、支持者訪問に行く車の中で一新会の幹部(といっても1.2期性が中心ですので私の同僚議員)の1人に、小沢さんが変な動きをされる可能性があるので一新会が止めるという役割を思い出させました。
 これには説明が要します、私は羽田さんの強い勧めで国会にでましたし、あまり派閥的行動をするのは嫌いなのです。しかし、一新会の2人の友人が来ましてしつこく迫るので、一つ条件をつけました。小沢さんはまた党を割って出ると言い出されるに違いない、ただそれをやったら小沢さんの政治生命も終わりだ。民主党の政権獲りも遠のく。それを止めるのが1番一新会の大事な役割だ、と念押しして約束させて入ったのです。
 その時が到来したからちゃんと約束実行の準備をしろと言って電話したわけです。電話の相手は、みんなが大騒ぎするからいけないので、粛々とやっていけばいいんだという答えでした。そうしたら、その日の午後2時に小沢さん辞任のニュースが飛び込んできました。16時から記者会見というので、わたしの嫌な予感はぴったり当たってしまったわけです。もう疲れがどっとでました。支持者訪問しながら、テレビを見てるかたもいっぱいいまして、今大騒ぎになっているときに何だ、とお子小言を頂戴することがしばしばありました。

(総理大臣 一度はやらせてみよう小沢一郎)
 私は、参議院選の応援で最後は「一度はやらせてみよう民主党」「総理大臣、一度はやらせてみよう小沢一郎」と叫びました。それが、有権者の声だったのです。それを踏みにじって、参院選で約束したことを実施するには連立の方が手っ取り早いというのは、とても有権者には理解されないはずです。有権者は、自公政権に代わる民主党政権に期待していたのです。私は、大連立の考えを持ち帰った幹部会で6人の幹部が続けて連立に反対したのは当然の事だと思います。小沢さん以外は、皆、同じ目標に向かっており、手段としても大連立など考えていなかったのです。

 小沢さんは、参議院の勝利に満足せず、総選挙に向けて地道な活動をしろと号令をかけていました。それと同時に、安易な妥協はよくないと言ってきましたが、それを飛び越えての大連立はやはり我々議員に対してもあまりに唐突です。政治のプロは考えて当然とか、評論家はもっともらしいことを言っていますが、そんな難しい政治はしなくてもよいのです。


(赤松広隆さんの勇気)
 赤松さんは、小沢さんに近い方で、06年末の政策マグナカルタ作成責任者でした。5回平場の議論をしましたが、いろいろな意見が出るのにどうも取り入れる雰囲気がなく、ひたすら小沢代表の意見ばかりを尊重しているように見受けられました。
私は、初回を除き4回ずっと出席し続け、やたらFTA・EPAを推進することが強調されていること、4ヶ所も出てくることを指摘し、農業の分野からは削除させました。しかし、どうもあと味の悪い会合でした。
 今、更に選対委員長という重席にある赤松さんが、大連立へ反対の口火を切ったとのこと。忠実な側近が堂々と代表に反対意見を述べるのはなかなか勇気のいることです。赤松さんも成長し、民主党が成熟した証拠かもしれません。

2007年11月15日

「篠原孝全国後援会・出版記念会」及び、国政報告会 再度のご案内07.11.15

日頃は篠原孝代議士の政治活動に対し温かいご支援ご支持を賜り心より厚く御礼申し上げます。
 先般よりご案内の篠原孝代議士の新書、『花の都パリ「外交赤書」』出版記念会開催まであと5日となりました。現在、東京での開催にもかかわらず、地元長野はもちろん、北は北海道から南は九州まで、遠路はるばる全国各地からご出席のご返事いただいており、皆様の厚いご支援に感謝の気持ちでいっぱいです。
 さて、会員の方より出版記念会は19:00~という事は周知されていますが、その前、
18:30から国政報告会を行うことを知らない方が多いとご指摘いただきました。ご案内に解り辛い部分がありましたことを陳謝申し上げます。
そこで、国政報告会を含めたご案内を下記のとおり再送させていただきます。
ご返事の締切は過ぎましたが、お1人でも多くの皆様と篠原孝代議士の新書出版をお祝いいたしたく存じますので、引き続き、FAX・メールでのご返事お待ち申し上げます。

                   記

日時: 2007年11月19日(月)
篠原孝国政報告会 18:30~
出版記念会 19:00~
場所: 虎ノ門パストラル 新館4F プリムローズ
        アクセス: 下記をクリック
     http://www.pastoral.or.jp/access/index.php


会費: 10,000円 
お申し込み先: 篠原孝国会事務所h06958@shugiin.go.jp
     参加される方のお名前、ご住所、ご連絡先電話番号をお知らせください。

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