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画家 三沢忠 文部科学大臣賞受賞祝賀会における挨拶。08.02.29

( 私の地元中野市の生まれ育ちで日展の評議委員の画家三沢忠さんが、
この度日本の絵画での最高の栄誉である文部科学大臣賞を頂きました。
私もその受賞祝賀会に招かれて挨拶をいたしました。その挨拶をご紹介
いたします。)

 三沢忠画伯、栄誉ある文部科学大臣賞受賞おめでとうございます。
私は三沢さんの絵は、三沢さんの才能が根底にあるとは思いますけれども、
我が故郷中野市の風土が生み出したものではないかと思います。中野には
すでに全国的に著名な芸術家がいます。作曲家の中山晋平です。それから、
合併いたしました豊田村の作詞家の高野辰之です。長野県中野市といって
も、なかなか皆さんにおわかり頂けませんが、中山晋平、高野辰之二人の
名前をあげ、日本の心の『ふるさと』はメロディー・歌詞も我が郷土の作詞家
・音楽家が関わっているといって自慢しております。日本のふるさとの歌はま
さにこの北信濃の風土の賜物です。そこに今回三沢忠画伯が加わりました。

 芸術家には、私は感性が必要だと思います。かつて私の講演を、知らなか
ったですが山本コウタローというシンガーソングライターが聞いておりました。
そこで私は、今と似た様な話をいたしました。そうすると山本コウタローさんが
私に言ったことは、「自分は東京生まれの東京育ち。だから、『走れコウタロー』
のあと『岬めぐり』と、この2つで歌手生活は終わった。自分には感性がなか
った」と嘆きました。それに対し松山千春さんは、北海道に根を張ったシンガー
ソングライターで、長続きしています。

 今日大雪が降っておりまして、皆さん方がおっしゃる通り、「雪の画家」、
「山の画家」三沢忠にふさわしい日じゃないかと思います。三沢さんの山の
絵は、毎日毎日見て育った北信五岳、あるいは高社山、これがずーっと心
に残っておられるからではないかと思います。

 私が大学時代、友人を中野北の駅で降ろして、ずーっと北信五岳をみなが
ら田麦まで歩かせたことがあります。そのときの私の友人は、ずっと感嘆詞
を発し続けました。「綺麗だ、こんな山の形が綺麗なところは見たことがない」
そう言っていました。私も、言われてみればそうだなぁという気がしました。
「篠原、よくこんな良い景色のところであんなくだらない受験勉強などする気に
なったなぁ」と余計なことを言っていました。残念ながら、私の住家は田麦でし
て北信五岳が見えません。それに対して、三沢さんは若宮の生まれ、まさに
朝起きたときから目の前に幾通りもの北信五岳を見て育たれたのではないか
と思います。私も画才は無い訳ですけれども、若宮に育っていたならば、もう
少しまともな絵を描けたりするのではないかと悔やんでおります。

 私は芸術心は全くありません。先ほどは青木市長が、芸術的素養がないと
言っておられましたが、あの格好でフルートを吹いたりしています。私は、芸術
の都パリに3年ほどおりましたけれども、恥ずかしいことに今でもそれ程絵画に
対する知識は深くありません。しかし場所が場所ですので、色々絵も見て歩き
ましたところ、同じ山の絵ばっかし描いている画家にも出会いました。そして有
名な画家には、そこで生まれて育った風土というのがあり、それが根強くずっと
その画風に残っているというのも知りました。三沢さんは典型的なそういうタイ
プの画家ではないかと私は思います。

 中野の三沢忠から長野の三沢忠になり、日本の三沢忠になりました。芸術
家の人生は長いと聞いております。これを機に更に世界の三沢に発展される
ことを祈念いたしまして、私の今日のお祝いのあいさつとさせて頂きます。