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外交官を給与で援護射撃し(今回)、外務省人事を真正面から爆撃する。(次回)(その1)-08.04.28-

 外務委員会での質問が続いています。ガソリン暫定税率の期限切れをきっかけに、なかなか進まなかった国会審議も、堰を切ったように始まり、今月三回目の外務委員会での質問登板になりました。「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案」という非常に長い名前の法案の審議で、50分間、外交官手当てや外務省人事のあり方等について質しました。今回はまず手当について報告します。

<安すぎるのではないか?大使の価値>
 私は、農林水産省から出向で、OECDの政府代表部参事官としてパリに勤務したことがあります。その時の、私を含む日本の外交官達が悪戦苦闘する様子を「花の都パリ『外交赤書』」(講談社+α文庫)として出版し、一部登場人物を除き(?)好評を頂いております。
 そんな経緯もあり、昨年5月ドイツ黒い森視察の際に古巣のパリのOECD代表部を訪ね、北島信一大使とお会いしてきました。その際の大使の話に手当てが大幅に削減させていて大変だなどと聞いておりましたので、例によって資料要求して調べてみました。
 15年前、私の役職は参事官(本省の課長になりたてと同じ)で、在外勤務手当ては71万3千円でした。ところが今は、大使の手当てが74万円(93年 大使は124万円)と当事の参事官クラスにまで下がっているのです。手当ての下げ幅は当時比で大使は-40%(公使-30%、参事官-20%)で、一国の特命全権委任大使の手当がバーゲンセールになってしまっていたのです。
 これは01年に起こった外交機密費流用問題に端を発し、外交官の手当てが減額された名残ですが、大使や公使は、赴任地でいろいろな付き合いをすることこそ外交でもあるのです。一罰百戒でケチなことをせずに、今の何倍もどんと出して、後は領収書も何もとらずに自由に使ってもらったほうがいいのではないかと提案しました。その代わりに、目に見える外交成果を上げてもらわなければなりません。

<安すぎるのではないか?配偶者の価値>
 政治家の中には、配偶者の人気でやっと当選する人もいます。同様に、配偶者のサポートが重要な仕事の一つが外交官です。夫婦同伴での招待が多々あるだけでなく、奥さんのつながりで外交がうまく行くなどということもあり、配偶者も立派な外交官でもあるのです。ところが、最近は赴任地に奥さんを連れて行く人が減ったと聞いています。もちろん、男女共同参画社会でもあり簡単に仕事はやめることは出来ないでしょうし、夫唱婦随が正しいこととは思いませんが、その問題点が手当てであるならば考慮はするべきです。
 かつて40%あった配偶者への赴任手当が、現在20%に減額されているのです。しかし、再就職が可能な欧米先進国ならまだしも、今の仕事をやめて、子どもの教育環境の悪化が懸念される、発展途上国への赴任に20%の手当でついてきてくれるという奥さんや家族はどれくらいいるのでしょうか。
 私は、高村外相に、先の大使の手当や配偶者手当を、もっと大胆に上げる改革をやってもいいのではと提案しました。高村外相からは、ポピュラリズムに流されない私の提案に賛成しつつ、国民の理解が得られず、民主党も賛成しないので難しいとの答弁でした。外務省は財務省とこのくらいの国内交渉も出来ずに、欧米の手練れた外交官との外交交渉なんか出来はしないと思いました。

<近藤元次元農林水産大臣(宮沢内閣の官房副長官)>
 この点は、今はなき近藤大臣(近藤基彦議員の父)の主張を追悼の意味でぶつけたのです。
 上記の拙書は少々歪んだ編集方針の下、私や同僚のドジ話ばかりの本にさせられてしまいましたが、原稿にはほのぼのとしたいい話がたくさんありました。その一つが近藤大臣の暖かい配慮と鋭い指摘でした。パリが好きで、大臣になる前にも何度かこられ、私が在パリ中に最も多く訪問された政治家でした。その大臣が「お前らだけではなく、日頃迷惑かけている女房たちを連れて来ればごちそうする」と言い出されたのです。そこで、農林水産省から出向していた私たちカップルも恩恵にあずかりました。
 その席で、大臣はまず女房たちをねぎらいました。そこで例の配偶者手当の増額こそ時代の流れに沿うものと指摘されたのです。 その返す刀で「逆もある。俺なんかパリが好きでよく来ているが、あんた方は立派なダンナを持ったおかげで、3年もパリにいられるんだから感謝しなくちゃね。」といって両方をたててくれたのです。私は女房たちが聞こえないように「そう言われてみるとそうね、大したたことないダンナだけど」と言っているのを聞いていました。

<少なくなった味のある政治家>
 何人かの農林族の中に私を特に目をかけて(?)くれた方がおられ、近藤さんはまぎれもなくその一人でした。そのパリで「宮澤内閣ができたら、宏池会には俺みたいな党人はいないから、官房副長官になって支えなくちゃならない」と言い出されました。私は、「大臣経験がないのは藤波さんぐらいじゃないですか」といいかけたが、「そうしないと、内閣はもたない」と話さえ切られました。そして、その通り官房副長官になられ、私の帰国前に亡くなられてしまいました。
 私はお世話になった近藤さんに敬意を表して、高村外相に質問したのです。
(その2へ続く)