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2008年6月17日

前原前代表の民主農政批判への反論 08.06.17

 先週来新聞等に取り上げられている、前原前民主党代表への反論の件についてまとめました。
数回に分ける予定でしたが、顛末が気になっておられる方もいらっしゃるようですので、少し長くなりますが、一度にアップさせて頂きます。

(前置)
 先週、私も含め3人の民主党NC農林水産大臣(その経験者)が前原前代表に退場勧告するという3ページにわたる文書を全民主党議員に配布し、騒ぎになりました。
この件についてきちんと報告しなければなりませんので、まず冒頭なぜそんな荒っぽいことをしたか、簡単に箇条書きしておきます。

①前原前代表が1兆円の直接支払い(農業者戸別所得補償)の法案を提出したのにもかかわらず、参議院選の小沢マニフェストを問題視し、我々の手掛けてきた農政をバラマキ農政と断じている矛盾は看過できない。

②参議院選において上記施策を支持し、勝利の要因となったが、期待した農家の皆さんが、前原前代表の批判に動揺しており、きちんと反論しておく必要がある。

③道路特定財源の暫定税率廃止・一般財源化や後期高齢者医療制度の廃止等、民主党の政策は60~70%近くの方に支援されてきたが、民主党の対応や、政権交代となると30%程度の支持しかない。この要因は、民主党はバラバラでまとまらないのではないかという不安があり、前原前代表の発言がそれに拍車をかけた。

④前原誠司という民主党を背負う人材が、一連の不用意な発言により信頼を失いつつあるが、本人のためにも民主党のためにもこの流れを阻止する必要がある。


<前原前代表のバラマキ発言>
 6月8日読売新聞の4面に「民主、前原副代表、小沢マニフェスト批判」という記事が載りました。10日発売の月刊誌中央公論7月号紙上で自民党与謝野馨前官房長官と対談し、前原さんは、参議院選挙のマニフェストについて「仮にこのまま民主党が政権を取っても、まともな政権ができない」と述べ、実現性に強い議論を投げかけました。田原聡一郎さん等に煽られて筋のよくない発言を繰り返していました。
 前原さんは「民主党が最もしてはいけないのは国民の耳ざわりのいいことばかりを言い、仮に政権を取ったときに、やっぱりできませんとなること、すぐ自民党に政権がかえることは最悪だ」と述べ、参議院選公約の抜本的見直しが必要だと強調しました。それに加えて、7日には京都市内の会合で農家への戸別所得補償制度については田原聡一郎さんの「バラマキだ」という批判について、「私もそういう気持ちが強い」などと述べました。
 これにカチンときたのが、農家への戸別所得補償制度に取り組んできた農政関係者です。同僚議員からも農家からも何という不謹慎な発言か、放置すべきではないとの電話が入りました。そこで週末から筒井信隆現NC農水大臣と連絡を取り合い、対応を協議しました。

<私の手塩にかけた政策>
 「1兆円の農業者戸別所得補償(直接支払い)」は、私が30年間農林水産省に勤め、羽田さんに口説かれて民主党入りし、農政を手掛けて4年余、手塩にかけた政策です。他の民主党の一連の政策と違うのは、政府の施策の対案ではなく、民主党がこうすべきと先に打ち上げて、ずっと主張し続けてきたものです。そして政府が後から慌てて真似して対応している政策です。主張の内容も1兆円という金額も菅、岡田、前原、小沢の4代表の間、変わっていません。前原さんは「15.3兆円の財源も反対を押し切って小沢代表のエイヤーで決まった」などと、またまた内部に反対者がいたかのごとく際どい発言をしていますが、この施策は、06年国会と前臨時国会・08年国会の2回にわたり審議されました。小沢代表が名前だけは「農業者戸別所得補償」と命名しましたが、内容は、ずっと前から同じです。

<筒井NC農林水産大臣が激怒>
 激怒したのは、筒井信隆NC農林水産大臣です。筒井さんこそ鳩山代表時代の大臣でもあり、私同様に農政に真剣に取り組んできた超熱血漢です。(古い話ですが、1985年、拙著『農的小日本主義の勧め』を読んだ弁護士筒井信隆さんが、感動したと手紙をくれて以来の付き合いです。そして、その後なんと、私の超理想的な循環社会に向けた改革を選挙公約にして社会党から立候補して当選。仙谷由人さん、松原脩雄さんと並び、社会党ニューリーダーの1人として活躍し始めたのです)。

<前原前代表時に1兆円の法案提出>
 この1兆円の農業者戸別所得補償制度は、他ならぬ前原代表の時に法案化し、登壇物となり、私も本会議の答弁者となりました。前原代表辞任後に山田正彦NC農林水産大臣と私が36時間に及ぶ審議の答弁をしたものです。前原さんは他人事のように言っていますが、前原代表のお墨付きを得て国会に提出した法案なのです。
 バラマキの件については、私が本会議場で「バラマキという代名詞は、たくさん予算を使い、担い手の育成に失敗し、農業、農村を疲弊させた(自民党)農政につくべき代名詞であって、我々民主党の法案の上につく代名詞ではない」と答弁し、自民党の野次と民主党の拍手で包まれたのです。それを今頃になって、何を無責任なことを言うのかというのが、我々農政担当者の憤りです。この点について前原さんに反論の余地はありません。小沢さんがエイヤーと決めたものではなく、前原代表が最終決定したのです。

<筒井原案ペーパー>
 週があけ東京に帰りますと、筒井さんから電話があり、反論をきちんとペーパーにして全議員に訴えたい、ということで原案が私の所に送られてきました。かなり過激な内容ですが、気持ちは十分分かるので、「筒井さんだけにさせるわけにはいかない、前大臣の私と、前々大臣の山田正彦さんも深くこの戸別所得補償制度には関わっているので、連名にしてやりましょう」と応じました。私は他の人たちが書いた文章はよほどでない限り直さないようにしています。
 筒井さんの原案に前原前代表の菓子パン投げ捨て事件が書かれていました。週刊文春に掲載されたネタです。そのネタだけは削除した方がいいと言う意見を言いましたが、聞き入れられませんでした。
対応は、終始現NC大臣の筒井さんの主導で進みました。筒井さんの発案で、反論をメールで全民主党議員に送付することになりました。文章にしてちゃんと世間に出すことには賛成しました。なぜなら、前原前代表は内部でろくに議論もせず、民主党農政はバラマキなどと外に出してしまっており、それに対抗するには、ある程度外に出す以外にないと考えたからです。

<不成功の収拾策>
 とはいえ、できれば穏便に収めたいという一方の気持ちも働きます。私が前原さんと会って話をすることとし、11日(水)朝からアポイントを取り始めました。しかるべき弁明を聞き、少しは文面を柔らかくしたり、あるいは前原さんの対応によっては、紙の配布をやめてもいいと考えましたが、ご本人の都合がつかずついに会えませんでした。そして12日の11時半には「前原誠司民主党副代表の妄言を糾弾し、その退場を勧告する」という過激なタイトルの文章が、全議員に配信されてしまいました
 その内容は過激ですが、農政を担当する者なら誰しももっともなことと納得するはずのものです。
私と話したことはすべて書き込まれていましたし、筋立ては話し合った通りです。
 私は、専ら農業者戸別所得補償制度に関係する矛盾(代表当時に1兆円の法案を提出、審議の始まる直前に辞任、その後の参院選の1人区勝利の原動力に対する認識不足、自民党を利する愚かさ等)を問題にしました。筒井さんは、農地制度や企業の農業への参入の未熟な主張にも噛み付いていました。弁護士の告発文そのもので激烈です。

<幹部のお叱りと同僚議員の反応>
 6月12日の夜は、本来ならば閉会日の前日になっていました。参議院で、憲政史上、初めて首相の問責決議が行われました。夜は国対の会合がありましたが、もっぱらこの件が話題になりました。大半の皆さんは私が過激な文章を書いたと誤解していました。
 やはり、「菓子パンが品格を下げた」という人が大半でした。完全な後付の理由で屁理屈ですが、菓子パンの件がなかったら、前原さんは反論の余地がなく、菓子パンがあったことにより、どっちもどっちだということになり、丁度よかったのではないでしょうか、と言い訳してその場をつくろいました。
 それよりも何よりも、なんでこんな内輪もめを外に晒すようなことをするのかと厳しいお叱りも受けました。

<疲れた二週間>
 すべて覚悟の上でしたが、6月8日以来ずっとこの件で動き回り疲れました。その前の週はサマータイム法案の代替案でほぼ全議員を回り、今週は秘密裏に本件で動いていたからです。
もちろん、他の手法、しかるべき内部の会合での前原さんに対する注意発言等も考えましたが、実現しませんでした。
 この他に、些細なことですが、そこそこ大切な問題(?)も浮上して、大忙しでした。こちらは、案の定、単なる事務局の手続き上の勘違いで即決しました。

<建設的な前原・篠原会談>
 ようやく、13日朝、前原さんともしっかり話をする機会を持てました。ここでは機微に触れるので詳細は触れませんが、これを機会に民主党の政権獲りに、政治改革に、そして日本をよりよい国にするために、どっしり構えて行動してほしいと注文をつけ、前向きで建設的な話し合いが行なわれたことだけを記しておきます。私は、前原さんに期待する者の一人なのです。
(2006.4.4「前原代表10年後に再起を期す」参照」)

<国民・マスコミの反応>
 マスメディアも国民も同じですが、自・民の対立により「内輪もめ」のほうが面白いに決まっており、格好の餌食になります。それよりも何よりも敵側の自民党は大喜びです。この記事や中央公論の対談の記事(加えてVoiceの記事もあり)を最大限活用して、揚げ足取りをしてくるに違いありません(後述のとおり予想どおり全国の議員等に発信する6月13日付けのFAX NEWSで、これ見よがしに引用されました)。
 このようなことについてはマスコミも興味を持って報道しましたし、ネット上の書き込みも多くあります。筒井さんへの意見のうち8割は支持で、2割は党内の議論を封ずるのか、というようなものだそうです。私の所にも若干来ていますが、支持するもののほうが圧倒的に多いような気がします。

<日本の美学>
 前原副代表は、昨年秋、新テロ特措法を巡る党の対応について「小沢代表と考え方が違う」と発言。小沢代表も激怒し、「それなら党を出て行け」と応じ、その場面がTVで何度も流されました。こうしたことが、民主党は寄せ集め政党でバラバラという印象に拍車をかけました。
 前原さんは、堀江メール問題で民主党をガタガタにしました。そして、責任をとって代表を辞めました。民主党をここまで回復させた小沢さんにあれこれいう資格はありません。どんなに党の政策に不満でも、少なくとも、小沢さんが代表の間ぐらいは黙っているのが前党首としての美学です。

<農政論議の活性化の一助に>
 かくなる上は、農政論議が党内でも自民党とも湧き上がり、再び衆院選の争点の一つになることを望まずにはいられません。食料価格の高騰で、サミットでも環境と並んで食料問題がクローズアップされてきました。それにもかかわらず自給率39%という恐ろしい国日本がノーテンキであまり深刻に考えていません。
 こんな余計な騒ぎに煩わされずに、農政改革に政治改革に専念しなければなりません。
 前原さんには、これを機会に農政にも本格的に取り組んでほしいと思います。民主党内部で議論すべしという私の言に、前原さんは、農林水産部門会議にも出るようにすると素直に応じました。もともと素直な人なのです。

<なぜ多い農林・防衛族>
 前原さんが農政にあれこれ発言するのは、実は当然なのです。たぶん本人は気付いていないと思いますが、国家はどうあるべきか、国民の生命財産をいかに守るかと真剣に考える、いわゆる防衛族、なかんずくタカ派は、農政にも関心がいくようです。古くは、中川一郎さん、赤城宗徳さん、今でいうと、玉澤徳一郎さん、中川昭一さん、石破茂さん等です。つまり、防衛と農政の二つの分野に熱中している政治家が多いのです。国家の存立に深くかかわるからです。

<環境・防衛族出現の理由>
 この延長線でいくと、ゴア前米副大統領は軍事の専門家から環境の専門家にもなっていきました。環境が核戦争よりも危険だと気付いたからです。ついでに、日本でこういう人がいるかというと、知られていませんが、谷津義男さんが農業と環境を二つの柱にしています。ちなみに私は多少欲張って安全保障(外務)、環境、農林水産(食料)の3分野を中心に活動しています。
 将来、前原さんには、得意分野に防衛の他に農政も加わることを願ってやみません。

<前原さんは民主党の中曽根康弘を目指すべき>
 2006年12月15日、「安倍の前原化現象の予感」で書きましたが、トップになる時期が少々早過ぎたようです。何事にも旬があり、私は食べ物の世界で旬産旬消を唱導していますが、旬が間違ったのです。政権を何度も潰し、何度か作ったなどと尊大な発言をする評論家や小泉純一郎元首相に、首相の候補などとおだてられてその気になってはなりません。
 私は民主党の中曽根康弘たらんとすれば良いような気がします。タカ派、若手ホープという点は共通です。中曽根さんは同じ齢の田中角栄さんに先を越されましたが、首相として5年間日本の舵取りをしました。首相になったのは64歳でした。それでも少しも遅くはありません。
私は、前原さんが研鑽を積み、成熟し頭に白髪がまじり、薄くなった頃に日本のリーダーのなることを楽しみにして待つ一人です。

2008年6月15日

サマ―タイム導入法案の顛末      08.6.15

<全議員根回しの理由>
 前号で報告しましたとおり、6ページのペーパーを作り、参議院の議員会館を手始めに、ほぼ全議員を、私自身が2人のインターンを連れて回りました。なぜかというと、サマータイム法案は、臓器移植法案と並んで「党議拘束」がなく、個々の価値観、識見で採決する典型的な事例とされていたからです。普通は、各党で議論をして、各党で可否を決めるのですが、例外となる代物なのです。一人一人に訴える以外に国民に不便を強要する法案を阻止する方法が残されておらず、時間がありませんでした。
 中には私が説明すると、「何だ、時計を変えるなんて知らなかった、ただ1時間始まる時間を早くするだけかと思っていた」というような方もいましたし、問題は提起できました。

<反対しにくい超党派議員立法>
 超党派議員連盟というのは、何か、清く正しく美しいことをしているというイメージがあり、超党派議員連盟で立法したものについては反対しにくいとも言われているようようです。その点については、さすが二階俊博総務会長は「超党派の議員立法が多すぎて内容もわからず総務会で簡単に了承されるのは問題だ」と指摘されました。私も全く同感です。さすがです。
 平成16年の社会経済生産性本部による議員アンケート調査では、ほとんどの人が賛成でした。明白に反対している人は10人弱、どちらかというと反対という人は10数人、その2番目のグループに私も入っています。

<福田ビジョンとの連動>
 今回、急に騒ぎ始めたのはおかしいなと思っていましたら、原因は後からわかってきました。洞爺湖サミットを控えて発表された「福田ビジョン」の中に「2010年度からサマータイムを導入する」という1項目が入っていたのです。これがために5月29日から急に一挙に走り出したようです。
 やはり、政権与党・自民党は大したものです。民主党はネクストキャビネットに法案登録しただけで党内では何も議論していませんが、自民党では、環境部会、総務会等で議論されたようです。私のペーパーに沿っていろいろな会合で発言していただいた方がたくさんおられ、時期尚早ということで今国会には提出されなくなりました。徒手空拳の動きでしたが、目的は達成されました。

<然るべき援軍>
 援軍もあちこちからまいりました。一つは、睡眠学会がさっそく睡眠障害がおこるという文書を全議員に送りつけてきました。もう一つは、毎日新聞に坂村健東京大学教授がコンピュータの観点からサマータイムは好ましくなく、世界に向けてサマータイムの廃止を提案していくべきだと主張されました。これは、私が日本型のサマータイム(時計を変えずに始まる時間を早める)がうまくいけば、世界中が日本のやり方に倣ってくるということと同じ主張です。

<久し振りの小泉元首相登場>
 そうした中で、もう一つユニークだったのは、小泉元総理で、私に直接電話で「賛成だ。自分も1年前から全くそう思っている。がんばれ」と言って激励してきました。その後、横浜市内の講演では「サマータイム法案について反対だ。サマータイムを導入したい企業や役所は勝手にやったらいい。法律で縛る必要はない」という発言をされています。

<時計をいじることこそ国家の介入>
 少々カチンときたのは、3年前、食育基本法が国家の食生活に対する介入だとして、民主党が愚かにも反対しました。私は地産地消、旬産旬消を唱導してきた手前、立つ瀬がありませんでした。それを今回、そう主張した同僚議員がこのサマータイム導入法案に賛成していることです。矛盾は明らかです。食育基本法で計画を作っても強制力もなく、食生活の介入などにはならないと思います。それに対して、このサマータイム法案は時計をいじるわけですから、強烈な国家の介入です。これこそ許せないわけですが、環境にやさしいということだけで賛成してしまっています。論理的な思考ができないのでしょう。

<おせっかい政治は慎むべき>
 サマータイム法案、今国会では諦められたようですが、また出てくるかわかりません。私はひょっとすると国会議員になって一番大きな仕事をしたかもしれません。なにしろ、ほぼ9割の議員の部屋を回ってサマータイム法案の断念に貢献したのですから。
 私が議員に届けたビラのほうにも書きましたが、最近の政治は「おせっかい」が過ぎます。教育基本法、憲法改正、裁判員制度の導入、みな同じです。
我々政治家は余計な出過ぎは慎み、本当に必要なところに力を注がなければなりません。

2008年6月11日

私の記事が『夕刊フジ6月10日』に載りました08.06.11

080611サマータイム.jpg

2008年6月 2日

サマータイムは時間をいじらず、始まる時間を早めれば足りる08.06.02

<超党派サマータイム議連>
洞爺湖サミットを控え、地球環境問題についての議論がじわじわと進んでいます。エコロジストの端くれとしての私には大歓迎すべきことです。そのような中で5月29日夕方5時30分より超党派のサマータイム制度推進議員連盟総会が開かれました。そうそうたるメンバーの皆さんがひな壇に並びました。私はお金がないのであまり議員連盟には入らないことにしていますが、ふと見ると新たに入る議員は会費がいらないと書いてあり、気になったので出席してみました。経団連や連合の代表の方、もちろん各政党の代表の方、こぞって気勢をあげ、サマータイム制度の導入について熱弁をふるっておられました。そして法案の提出が決まりました。

私は省エネルギーをしていくべきという点では全くその通りだと思います。CO2の排出削減、ワークライフバランスの実現、明るい夕方を活用しプライベートな活動を充実させること等いずれも大賛成です。
はずかしながらただ一人手を上げて発言させてもらいました。私の言わんとしたことは以下の通りです。

<時刻の切り替えより頭の切り替え>
省エネルギーについては大賛成。福山哲郎さんが先ほど「絶対反対だと同僚議員から電話があったと、挨拶でおっしゃいましたが、それを賛成に回すイイ方法があります。時刻の切り替えというのがありますけども、頭を切り換えていただいて、時計を直さずに、始まる時間を早めたら良いのではないでしょうか。それで足ります。

<長野の知恵>
私のふるさと、長野県では、夏と冬、学校の始まる時間は違っていました。夏は8時、冬は9時です。その地方、季節にあわせてそういった知恵を働かせれば良いのではないでしょうか。夏休みは8月1日からお盆の8月16日までと決まっていました。2週間ちょっとです。その代わり、大雪が降っている間、寒中休みがありました。真夏には農家は朝4時から働き、「めしめ(メシ前)仕事」と称しています。しかし、昼食後、3時近くまで昼寝をします。そして日差しがきつくなくなった頃、農作業に出かけ、夕方になるまでずっと仕事をします。このようにして、それぞれの季節に合わせて時間を変えて仕事をすれば良いのです。時計をわざわざ直す必要はないのです。
中曽根弘文さんが、サマータイムに変えたりするのに必要な予算は国が面倒をみるとおっしゃっていましたが、夏に始まる時間と終わる時間を早くすることにはお金がほとんどかかりません。広中和歌子さんは、20年近くサマータイムの国に住んでいたが、全然不便はなかったとおっしゃいましたが、それ以上に、仕事や学校の始まる時間を早めるのは何の不便もありません。日本の時計メーカーはすぐ、時刻が自動的に直る仕組みを内蔵させるといいますが、それも必要ないのです。

<理解されたか不明>
マスコミ界から木元教子さんが来られ、他の意見もじっくり聞いて実現してほしいと正論を説かれたので、そそのかされて一人意見を言いました。ひな壇以外の発言は私一人で、気になりましたが、皆さんがポカーンと聞いておられまして、「その通りだ」と言う人が数人おられたようです。その1人が渡辺秀央さんで、隣の新潟県で同じような経験されているからだとわかりました。

<2人の元同期議員の檄>
私がわざわざ嫌われる発言をする理由があります。2003年11月初当選の同期で今落選中の本多平直さん、松崎哲久さんが、前回、サマータイム法案がかかりそうになった時に私に声をかけてきました。本多さんがサマータイム導入のアンケート調査の私の書き込みを読んで、同好の士として声をかけてきたのです。この2人から「落選中なので、自分たちでの分まで頑張ってくれ。もし、このままサマータイム法案が通ったら篠原さんの責任」と脅されているからです。

<ルールを守る日本国民>
15年ほど前、パリに赴任した折、フランス政府の高官の優秀さをほめました。「あなた方は優秀でいろいろなシステムを考えても、フランス国民はなかなか言うことを聞いてくれなくて大変ですね。その点日本は官僚が前例踏襲ばかりでダメだけど、国民が素直で従ってくれるから楽だ。だから、フランスの立派な官僚と日本の国民が結託したら世界一立派な国になる」。そうするとフランスの役人は大喜びしましたが、あまり喜ぶので皮肉・嫌みを付け加えました。「だけど、そんな国は堅苦しくて住みにくいけどね」。ドッと笑いが出て話が終わりました。
日本人はどの国民よりもルールは守ります。フランスでは、時刻を切り替えなければサマータイムは実現できませんが、日本では、素直で立派な国民故に別の手法により目的が達成されます。この規制緩和の時代に国民に時刻の切り替えを押しつけるのは無粋です。

<日本方式を世界に広める>
サマータイムには世界中の国民が不便をかこっているはずです。時計をいちいち変えたりするというのは不便なはずです。それよりも日本人の知恵、すなわち四季の変化に応じて生活スタイルを変える日本の仕組みの方がすっと良いはずです。もし日本で季節を区切って、この日から1時間始まるのを先にし、終わる時間も1時間繰り上げましょうということをきれいに実施できたら、世界の国々は日本のやり方を学んで、日本方式に変わるだろうと思います。現に国会でも6月1日からノーネクタイとするというルールが定着しています。国の機関、学校、地方公共団体、銀行、大企業等が率先してやれば、すぐに広まっていきます。簡単なことなのです。
私は、本多さんと松崎さんのためにもペーパーを作って、全議員にサマータイムの考え方の全面支持、ただし開始時間や終了時間を1時間早める修正案の全面支持を訴えていくつもりです。