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2008年09月30日

小沢内閣名簿で08年総選挙を勝利する08.9.29

<政権選択選挙>
 次の総選挙は政権選択選挙になるといわれています。麻生内閣は明らかに選挙を意識して組閣されています。今まで、政権交代、政権交代と民主党は言ってきましたが、次の総選挙こそその絶好のチャンスですが、国民に、民主党が政権を担ったらどういう政策を打ち出すのかをマニフェストで示さねばなりません。次に重要なのは、それをいったい誰が担うかということです。つまり、小沢内閣の布陣に関心がいきます。

<03年11月の幻の菅内閣名簿>
 私が初めて民主党に参画した2003年の秋の総選挙で、当時の菅直人代表は投票日の4日前、テレビ朝日の報道ステーションで組閣名簿を発表しました。その日のことはよく覚えています。なぜかというと、菅代表が突然私の応援に来てくれた日の出来事だったからです。総選挙の後半4日程は日程を空白にし、僅差の選挙区に訪れることになっているのだそうです。一日目に新潟の西村智奈美、菊田真紀子、長野の下条みつ、そして私と続け、午後6時のあさまで上京し、その後、テレビ朝日に直行したそうです。
ただ、総選挙が終わった後、私は選挙についての建白書をまとめ、「総選挙投票日の4日前の発表ではあまりにもとっぴすぎた感がする。どうせするなら、もっと前に正々堂々と、自分たちの政策はこういうメンバーで実行すると示すべきだ」ということを提言しました。
 今回の党大会で小沢代表は無投票で当選され、党の執行部は選挙も近いということで全員再任されました。ただ、ネクストキャビネット(NC、次の内閣)のメンバーについては、政権選択の選挙でもあり、いままで以上に注目もされているので、自分に一任してほしい旨の発言がありました。私はこれについては大賛成です。政権選択選挙です。マニフェストと同時に、誰がそれを実行するかということも示すべきなのです。

<小沢内閣名簿への期待>
 今、小沢内閣名簿を公表すべきとするもう1つの理由があります。今まで何回も自民党のそれぞれ違った人たちが首相になり、擬似政権選択が行われてきました。今回の麻生新内閣誕生後の世論調査でも総理として麻生太郎と小沢一郎のどっちがふさわしいかというと、56%と23%といった具合で、小沢代表がほぼダブルスコアで負けています。しかし、この次の総選挙でどういう政権がいいかという問いには、民主党中心、野党中心の政権が自民党政権を上回っています。ただ、この差は少なく、逆の調査結果もあります。そこに矛盾があるのです。

<解散日か公示日に組閣名簿を発表>
 そうしたときに、民主党の閣僚名簿をみるとなかなか期待のもてる人がいるということで民主党の候補を選んでくださる方もいるのではないかと思います。
 最近でいう党首力で闘うのではなく、総力戦で戦うということが必要なのです。ですから、解散の日あるいは遅くとも公示日には民主党の小沢内閣の組閣名簿は発表する必要があるのではないかと思います。

<民主単独>
 組閣にあたって、一党員として意見を言わせてもらえば、第一に、民主党単独にすべきだということです。野党との共闘というのはあるかと思いますが、それは政権をちゃんと獲ったあかつきに考えればいいことで、その前にやるというのは急ぎすぎです。選挙協力ができなくて戦っている人がいる中で、他党の人たちを内閣に入れるというのは筋が通りません。

<民間人は比例区1位>
 二つ目は、民間人を入れるとしたらその方に議席をやはり取っていただけなれればなりません。しかし、いきなり選挙というのは無理なので、適当なブロックの比例の1位にして、他を2位にするということで議席を確保していただくのが一番だと思います。竹中平蔵大臣が議席もないのに何を言うかということで、参議院選挙比例区に出なければならなかったと考えると、先に準備しておくのがいいということです。これは思わぬ効果もあるからです。
 私の選挙区でもそうですけれども、「民主党は比例区は全員一位だから、比例区に民主党と書いておけば当選できる、だから小選挙区は自民党の何々さんを書いてください」ということが全国で言われています。わが党が全員、小選挙区と比例区1位の重複立候補とし、惜敗率で比例区の当選を決めるということをしていますので、上述のウソが受け入れられてしまっています。ところが、1位がその閣僚になるべき民間人で、他の全員が2位となると、あれ、おかしいじゃないかということで、こうした間違いも是正されるはずです。

 おぼっちゃんお友達麻生内閣に対して、迫力満点の田中眞紀子さんをどう配置するか、民主党の重みをどうベテランの入閣で打ち出すか、若手で新鮮味をどう出すか、小沢代表は思案中と思います。わたしも胸をワクワクして待っているところです。

2008年09月29日

私の記事が『朝日新聞9月29日』に掲載されました08.09.29

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私の記事が『信毎新聞9月29日』に掲載されました08.09.29

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2008年09月19日

役人(農林水産省)への未練とWTO農業交渉08.09.19

<M農林水産審議官の初心貫徹>
 9月10日にジュネーブ入りしましたが、同じ時、M農林水産審議官が、WTO農業交渉の再開に向けた事務レベル協議にジュネーブ入りしていました。一年後輩です。在任2年、日本農業の将来を左右する瀬戸際の交渉の事務方の最高責任者です。熊本生まれのまじめな男で、入省直前に我々48年組が招待した49年入省組の歓迎会で、「将来留学したい」と明言していた姿を克明に覚えています。

 私のように偶然留学し、成り行きで国際関係の仕事をした者と異なり、M氏は希望どおりイギリスへ留学し、アメリカ大使館へ一等書記官で出向し、帰国後も国際経済課でウルグアイラウンドを担当し、国際関係の仕事をしてきました。ただ、課長補佐時代は、一年下の年次の後任となったり、私が初代の水産貿易調整官の3代目になったりと少々冷遇されていました。私がOECD代表部にいた時に出張してきたのを捉えて、「農林水産省に見切りをつけて、OECD事務局入りしたほうがいいのではないか」と余計なお節介をやいたのをつい昨日のことように覚えています。

<不透明な役人人事>
 役人の人事はどこの誰がどういう基準でしているのか不透明です。100メートル10秒切るとか、ホームラン500本とかスポーツの世界と違い、誰にもわかる基準がありません。ですから、守屋武昌防衛次官の例にみられるように、いかがわしい役人がたくさん出世していきます。どうも私の見方とポストとは、特に農林水産省の場合大きな乖離があります。私は、彼の能力、誠実な人柄、英語力は高く買っていました。そうした中、いつの間にか実力が認められ審議官になりました。珍しく私の評価と人事が一致し、うれしい限りです。
 残念ながら、ジュネーブではすれ違いで、ゆっくり話す機会がありませんでしたが、頑張れと声援を送り続けています。

<国際交渉で通用する私のアイデア>
役人生活30年、あれをしておけばよかった、これをしておけばよかったというのはあまり考えないようにしていますが、一つだけ、農業交渉だけは自分の手でやりたかったと思うことがあります。OECDで1991年から1994年まで仕事をさせてもらいましたが、私の考える政策なり理屈が農林水産省よりもOECD農業委でのほうが通用するということに気づいたからです。冗談を混ぜつつ説明する私の発想が、各国の代表団に受け入れられたのです。もう一つ、私がURの対応策として1990年頃から考えていた、米と麦のセクター・アプローチを、1993年の最終場面でEUが肉のセクター・アプローチとして打ち出したことがあります。私の発想はEUなり欧米人の方が理解が得られやすいのです。
私は、ちょっとしか発言の機会のなかった日米構造協議や水産庁企画課長時代のロンドン出張で、国際会議の場で正論を吐いて流れを作っていくことにますます自信を持ってきました。私の国会での理論的な質問(?)を知る人たちはそれなりに納得してくれるのではないかと思います。

<国際舞台の根回し>
私は役人としては自由に発言し、過激な農政提言を文章にして出版していましたので、出世というようなことはほとんど考えませんでしたが、農業交渉だけは私に任せてくれたらなあという思いがありました。私が采配を振る時に下にいて欲しいなという人物として、2年後輩の故永岡洋治衆議院議員とK氏、元気のいい4年後輩Y氏を頭の中に描いていました。いずれもアメリカ留学組です。農林水産省の役人は、自民党の農林部会の皆さんばかり根回しに歩いていますが、その根回しのノウハウを国際舞台に活かすのです。理論家の永岡氏、人柄で信用を勝ち得るK氏、馬力で勝負のY氏をそれぞれの国に派遣して仲間を増やすのです。日本に有利な仕組みを世界のルールにすることができる確信めいたものがありました。

<役立たなかった英語の鍛錬>
 OECDから戻って水産庁企画課長になりました。海洋法対策を取り仕切る課で激務でした。自分でスパスパやったほうが早いのですが、課長になったのだからなるべく部下に任せようと慣れない努力もしていましたし、余計疲れました。それでも、通勤にはウォークマンをかかさず、国際部門での再登板に備えて英語力の維持に注意を払いました。しかし、いつの間にか私は国際関係の主要部局に行くこともなく、農林水産政策研究所長を最後に退職し、国会議員になってしまいました。

<政権交代か農業交渉か>
 国会議員になってからは、羽田さんの要請に応えるべく、民主党農政の推進に全力を注いできました。また、私が手塩にかけた直接支払いの「農業者戸別所得補償」が農家に受け入れられ、04年の参議院選では1人区で半分の13議席に勝利し、05年の衆議院でも地方の同期議員はほとんど当選、07年の参院選では29の1人区で23勝と政権交代の実現に向け大きく貢献した自負があります。07年参院選勝利は、年金・政治と金とよく言われますが、第一は我々の農政が受け入れられたのです。
 しかし、私が去った農林水産省は、国際交渉では相変わらず受身で、押されっぱなしでどんどん後退しました。EPA・FTAもオーストラリアとまで話が進んでいます。前述のとおり、国内農政より国際的な圧力に屈しないことこそ日本農業活性化に不可欠なのです。そっちが全くうまくいっていません。
2泊4日という強行日程の中、時差調整の時間もない中、ボーっとする頭の中で、政権交代は他の政治家に任せ、私は農林水産省に残り、国際交渉にあたっていたほうが、日本農業のためになったのではないかなどと、つまらぬことを考えていました。
農林水産省の役人として国際交渉のトップ、あるいは準トップでバリバリやれなかったことが、唯一の心残りです。農林水産省を去って早5年、その意味でも一刻も早く政権交代、そして、私が交渉の第一線の指揮を取れるようにする以外になくなりました。

2008年09月18日

ジュネーブWTO(IPU)会議報告08.09.18

<日本農業の混乱の要因は輸入自由化>
 先の「花の都パリ『外交赤書』」の中にも書きましたが、1993年の12月ウルグアイアイランドの決着では、私が直接担当でもないのに、将来の日本の農業、農政を左右するWTO交渉のことはなるべく気にしないように心がけてきました。しかし、実は一番気になっていました。中国からギョーザを輸入しなくてはならなくなったのも、日本の農村から菜の花が消えたのも、そして日本の地方が疲労しきっているのも、元はといえば、安い外国産農産物や材木のせいなのです。そこにまた追い討ちをかけんとするのがWTO農業交渉なのです。いくら国内政策をがんばっても国境措置が緩かったら全く意味がないのです。
この点が国民一般に理解されていません。農業交渉こそ日本の農家に死活的重要なのです。
 胃が痛くなりかけた頃、幸いにしてインドのナート商工相が農産物の緊急輸入制限をめぐり、とても今の案ではのめないということで決裂しました。急に農産物の輸入が増えたときは、緊急輸入制限ができるようになっていますが、その条件が厳しすぎるという理由です。日本こそ、インドに組していいわけですが、傍観したまま、漁夫の利を得る形で救われました。このままいけば、重要品目(関税引き下げを免まぬがれる品目)が6%となり、メタメタな結果に終わる寸前だったのです。

<二泊四日の海外出張>
 解散総選挙が近づいている中、筒井信隆現NC農林水産大臣の代打で、急遽ジュネーブの各国の議員たちのWTO会議に出張しました、9月11から13日で当初の予定では、9月12日の臨時国会の開会日と重なりましたが、断れない理由がありました。自民党は谷津義男、若林正俊といった農政のプロを出しているのに、民主党は順番の海外出張という無責任。私が怒り改善を求めた手前断れず、選挙間近というのに渋々出かけました。役人時代で最も疲れる出張が3泊5日、それを2泊4日です。いろいろな意味で、国会議員のほうが冷遇されている気がします。参議院の大河原雅子さん(民主党)と市川一朗さん(自民党)の2人と一緒でした。

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<ラミーWTO事務局長の悪だくみ>
 ドーハラウンドは7月末にまとまりかけたのに、すんでのところで決裂してしまいました。ラミー事務局長は、ほとぼりのさめないうちに再開し、あわよくば今年末の任期までにまとめたい魂胆。そうはさせじというのが、少なくとも私(日本)その他諸外国。ファルコナー農業委議長もたっぷり参加する会合。若林前大臣から背景と対応について電話で30分ほど程の示唆がありました。
<参加者最多発言者>
 会合では3回発言しました。多分会合参加者の中で最大の回数のはずです。1つのテーマで2回の発言はできません。4テーマの中から1回述べる。あと2回はラミー事務局長とファルコナー農業委議長への質問です。いずれも3分なり2分という時間制限があります。
 質問-コメントの要旨は以下の通りです。
対ラミー:ドーハラウンドの開始時と比べ食料事情が大幅に変化した。中国・インドがSSM(特別緊急輸入制限措置)に反対し決裂したのが象徴的。したがって基礎的食料について別のルールを導入すべきではないか。
(これに対して、ラミーは、農業も他と同じ。補助金が多すぎると反論)

 対ファルコナー:日本ではミニマムアクセス米で2つの大問題が発生。1つは76万トンのうち6万トンの輸入が出来ず。もう一つは事故米が食用に回され食の安全の面からミニマムアクセス米は疑問が投げかけられている。こんな制度はもうやめる以外になく日本は来年は輸入しなくてもいいのではないか。
(ファルコナーは、ミニマム・アクセスは義務ではなく輸入の機会を与えるだけと答弁、汚染問題はSPS(食品安全規則)で処理と返答)

 気候変動と貿易:私の考案の地産池消・旬産旬消、フードマイレージの考えを紹介し、地球環境時代にはCO2排出を抑えるため、物の輸送を少なくすることが必要
(これに対し、会場から拍手が起こる)

 OECDと違い、ラミーとファルコナーへの質問を除けば、言いっぱなしで緊張感に欠けましたが、久しぶりの国際会議でそれなりの発言ができ達成感もありました。ただ、表立ってドーハラウンドの進展に反対するわけにはいかず、最後のとりまとめペーパーは、早い妥協を謳う点では、いつもの国際会議と同じになってしまいました。
 収穫は、国会答弁等でわかっていたことですが、ファルコナーはミニマムアクセスは単なる輸入機会の提供でよいと明言したことです。私は日本に帰ったらミニマムアクセスの放棄を政府に迫るつもりです。

<北島大使との懇談>
 9月10日、時差ぼけの中、北島大使公邸の夕食会に参加しました。北島寿府代表部大使には、在勤手当について外務委で質問した時の資料を届けました。私の著書「花の都パリ外交赤書」を数部買って部下に読ませたとのこと。昔話にも花が咲きました。また、私は届けていないのに「農的循環社会への道」と「EUの農業交渉力」の2冊の本が出てきたのにはびっくりしました。

 会議中に菅さんと小沢鋭仁さんから9月15日(月)の愛媛の農政会合に出ろとの指示がありましたが、私自身の選挙に専念することにします。

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