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2009年3月31日

政治を動かすのは検察ではなく国民だ-09.03.31-

<誰もが口をつぐむ>
3月3日の夕方、新幹線あさま号の中で、小沢代表の大久保秘書が逮捕されたということを聞いた。それ以来、一週間ブログに何も書かないというのはけしからんとお叱りも頂いたが、自制していた。3月4日の信濃毎日新聞には私だけのコメントが載り、他の4人の長野を選挙区とする議員のコメントは載っていなかった。こういった場合はコメントを差し控えるのがルールなのだそうだ。同僚議員のブログも何を書いてあるか見てみたら、皆遠慮してほとんど書いていなかった。私も民主党の一員なので、こういう一大事について軽々しくメルマガやブログを出すのを控えていた。しかし、ここで27日の小沢代表の代議士会参議院総会での説明、お詫びの言葉で決着したのでこの問題について触れてみたい。

<27日の代議士会の発言>
順を追って書いていこうと思うが、先に27日の出来事に触れなくてはならない。27日、初めて一般の党員に対して小沢代表から陳謝・弁明があった。参議院の議員総会は誰も発言しなかったが、衆議院の代議士会は新聞で報道されているとおり、小宮山洋子議員と近藤洋介議員が国民の声を聞けといった主旨の発言をした。それに対して、小沢鋭仁議員と小宮山泰子議員が逆の小沢続投支持の発言をした。最後は、鳩山幹事長が受けた形で団結していこうとシャンシャンになった。

<自民党の逆襲を予測>
 こんな事を言っては何だが、私はこの自民党の逆襲、あるいは政府の逆襲を充分予想していた。こんなにすべてが順風満帆でいくはずがなかった。
 私のレジメの中には、昨年の秋以来こういうフレーズがある。一枚紙のレジメをミニ集会にはいつも使っているが、その最後は「最近の政局」という項目である。その中に「自民党の逆襲:石井一・山岡賢次のマルチ商法、最終標的は小沢代表の不動産問題か?」というものがある。これは、自民党はそう簡単に政権を渡さない、逆襲をしてくるということである。 具体的にどう逆襲をしてくるかと質問を受けたので、レジメに組み込んだものである。小沢さんの不動産問題というのも、質疑応答の中で「じゃあ小沢さんを標的にするとしたら具体的に何だ?」と聞かれたときに、昔から13億ほどの(あるいはもっとあるのかも知れないが)不動産について問題にし、選挙の前に突っついてくると答えていた。いつからか我が民主党に対し、自嘲的に言われだした「ホップ、ステップ、肉離れ」政党という冷やかしが、こんなにぴったりあてはまったことはない。私も冗談半分に言っていたが、罰が当たったのかも知れない。

<村井仁長野県知事元秘書の自殺>
 西松建設問題については、1月17日の国際評論家小野寺光一さんの「政治経済の真実」というブログにすでに、西松建設問題の最終標的は小沢一郎であろうと書かれていた。どこにもわかる人がいるものだと感心した。建設業界からの献金が小沢さんに多いということは、旧自民党派閥の経世会の多くの人たちが建設族であったことから充分に分かっていた。小沢さんにもその古い自民党の体質がそのまま残っていたことは否めない事実であろう。長野県の場合は、この西松建設問題は小沢さんケースより前に知識が広がっていた。村井仁長野県知事は20年来の秘書を与党の自民党の反対も押し切り長野県庁参事にしていたが、その参事が突然、裾花川べりの電柱で首をつり自殺していたのである。後日、西松建設が海外でこしらえた一千万円の裏金が渡っていたことが明らかにされた。

<表金と裏金の差>
そして小沢問題である。したがって長野県民は、村井-右近ルートは完全な裏金であり違法であるのに対して、小沢代表以下他の20人近くの政治家への献金は、未来産業研究会等からのものであり政治資金収支報告書に書かれている一応は表金であり、この差は歴然としている。自民党議員達はこぞって「手続き的には問題ないが、道義的に問題があるので返す」と言い出した。しかし返す先の、二つの団体はすでに2006年に解散しており、返す先がないのは皮肉なことである。小沢さんもこれらの自民党の議員達が言うとおり、法律的には何ら過失がないのだ。

<政権交代には辞任が一番>
 小沢代表はいろいろなところで、政権交代が大切だ、その為には代表の座とか総理の座とかにこだわらないと明言している。しかし、今回の決断はこの大目標には少々外れるのではないかと思う。つまり、来るべき総選挙の勝利や、民主党の政権奪取には小沢代表がつべこべ言わずにさっと辞めるのが一番である。議員も辞職して岩手に戻り、次の選挙で大量得票して再選されてくればすむ話である。そしてその間に法廷闘争と民主党議員の応援をしまくったほうがずっと得である。
ところが、事情が飲み込めない人たちはマスコミの報道に相当踊らされ、その結果、小沢さんは辞任すべきであるという人たちが8割近くを占める結果となった。仕方ないことである。そこに、小宮山、近藤議員のような人たちも加わり、民主党もぐらついている。
しかし、私は小沢さんの気持ちを汲んで、ここでおめおめと引き下がれないという意地に理解を示さずにはおられない。

<自信があるなら小沢総理になってから捜査すべし>
結論から言えば、検察はのぼせ上がりすぎである。日本の政権交代が目前という大事な時期である。そこに検察が介入したのである。「時効が目前でこの次期を逃すことは出来なかった」といった言い訳がよく言われるが、それならなぜもっと早くやらなかったのか。それから誰も言っていないが、それ程に自信があるなら、政権交代してからでも総理の犯罪としてメスを入れられるはずである。今までにも、逮捕収監され起訴された内閣総理大臣(芦田均、田中角栄)はいる。国民が大きな政権選択に期待をし始め、その総選挙が行われんとする矢先の突然の介入なのである。検察は大きなお世話、お節介をしているのだ。

<政争の激しい韓国・台湾でなぜ野党党首への検察介入がないか>
私は国策捜査とか強制捜査という言葉は使いたくない。しかし、外国から見たら日本は民主主義国家とは見えないに違いない。政敵を検察権力よって叩きのめすといった行為は、西側先進諸国ではとても許されないからである。そんなつもりはないと言っていても結果はそうなっている。
比べてみてもらうと分かるが、隣の韓国は政争の激しい国であり、毎回政権交代が行われると、前政権の大統領なりを刑事被告人に仕立てあげている。全斗煥大統領の場合は死刑宣告まで受けている。また、台湾でも陳水扁前総統は刑務所暮らしである。いずれも酷い政争の結果のように思われる。しかし、政権交代を果たした政権が前政権を糾弾しているのであって、その前に政敵の野党の党首を叩きのめして政権交代を阻むという非民主的なことはやっていない。そのようなことをしたらまず有権者なり国民が黙っておらず、暴動や大デモが起きてしまう。ところが日本の国民は検察に間違いはないと素直に従ってしまっている。本来、こうした卑しい動きを攻撃しなければならないはずのマスコミが、逆に小沢攻撃をしている始末であり、こうした動きを煽動している。
 一斉に小沢代表叩きをするマスコミは情けないかぎりであるが、日本は国民自体が万年与党馴れしてしまっているためかもしれない。お上、特に検察や警察は相当確たる証拠がないかぎり逮捕や起訴をしないと信じ込んでいる。なにしろ、首相が逮捕即違法と国会で発言する国なのである。

<民主政治のない日本>
自宅や刑務所で軟禁されたアウン・サン・スー・チーさんのミャンマーや、暗殺されたブット首相のパキスタンほどはひどくはないが、中川財務大臣の酩酊記者会見もあり、先進国からは日本の政治は韓国・台湾より遅れていると見られているはずだ。アメリカは現実的でありクリントン国務長官は麻生総理だけではなく、次期総理と目される小沢民主党党首にも会っていこうとした。その男をターゲットにした強引な捜査である。さすがのアメリカも驚いているに違いない。日本の政治を見続けてきたジェラルド・カーチス コロンビア大学教授の検察批判はアメリカの見方を代弁している(朝日新聞3月12日参照)。
 小沢代表は民主政治への不当な介入という検察の動きに対して何くそという思いを抱き、今はそれに政権交代以上に重きをおいてしまっている。私はたった5年の政治家生活であるが、この40年間政治を行ってきた小沢代表の心情を考えた場合、支持せざるを得ない。

<政権選択は有権者が行うもの>
 政治を動かすのは国民であり有権者である。それに検察は横槍を入れたのだ。
そう言えば裁判員制度も典型的な大きなお世話の制度である。国民が望んだわけでも何でもなく、今回と同じ刑事司法関係者の国民への押し付けである。今回も何もわからない国民に代わって日本の政治をクリーンにしていると粋がっているようだが、国民をバカにしているのを看過するわけにはいかない。検察は権力である。権力は、その行使には慎重の上にも慎重を期さなければならない。

2009年3月16日

3月10日の小沢・菅の3連ポスターへの張り替え-09.03.16-

<倫選特の民主党筆頭理事>
私は、今、外務委員会と倫選特(政治倫理及び公職選挙法の改正に関する特別委員会)の2つの委員会に所属している。後者は筆頭理事である。だから、公選法は、まさに私の委員会、倫選特の担当だが、ゴチャゴチャの問題ある法律である。20年前と比べると、選挙に金がかからなくなり(かけられなくなり)、私のような者まで国会議員になれるようになったのは、改正の成果である。その時々の問題を解決すべく何度も改正されてきたので、あちこちで整合性がとれなくなりつつある。

<6ヶ月前のポスター貼り替え>
 全体に流れる理屈は、政治活動と選挙活動の区分けであり、前者は比較的自由だが、後者は厳しい制限が課されている。その一つが、今回の任期満了前6ヶ月のポスターへの規制である。3年半も解散がないのは珍しいことであるが、選挙の前6ヶ月は1人のポスターは選挙活動とみなされ禁止され、2人以上の方とのポスター(業界用語で2連)は政治活動とみなされ、3月10日以降も張ることが許されることになっている。ポスターには、講演会なりの告知もしないといけないことになっているが、会場は駅前とか○○会議室とかで、実際には開かれないことも少なくない。普段は、解散の日以降にポスターを2連にしないとならないが、今回は、特殊なケースである。

<嫌われる麻生首相>
 相手は、一応弁士として来られる人でないとならないと解釈され、結局、同僚議員なり、地元の政治家(市町村長、県議等)となる。一番多いのは党首である。
 3月3日、小沢代表の秘書大久保氏が逮捕される前までは、マスメディアは自民党の候補者の相手選びの悩みを伝えていた。05年の選挙では小泉人気にあやかって、小泉首相とのツーショットばかりあり、小泉首相が応援に来ると黒山の人だかりができた。自民党は、選挙の顔として麻生首相を選んだものの、期待に反し、10%切るの切らないの支持率では、皆二の足を踏むのは当然である。舛添厚労相、石原幹事長代理、小渕少子化担当相等が代わって人気を博している。読売新聞によると、自民党は麻生首相が14%(41)のみに対し、民主党は小沢代表が7割(176)だそうだ。

<小沢代表とのツーショットにも暗雲>
 同僚議員の大半は当然小沢代表との2連ポスターで、手回しのよい者は既に張り替えていたし、遅い者でも3月10日を目指して完成寸前であった。そこに降って湧いたのが、西松建設問題である。かく言う私も3月3日夕方ポスターが届けられたが、その直前に大久保秘書逮捕のニュースがあさま号で上京中の私に伝えられた。秘書の「小沢代表とのポスターどうしましょうか」という心配が添えられていた。
 相手候補と比べて知名度の低い私は顔の大きい2連ポスターのほうがいいに決まっている。現に05年には岡田代表との2連ポスターにしていた。しかし、今回は代表代行が置かれており、選挙終盤、菅さんに長野入りしてもらった時に寂しい思いをさせてはならないと思い、小沢・菅の3連ポスターにしていた。始めての選挙の03年の時は、今とは逆の菅代表と小沢代表代行との3連ポスターだった。新人候補は合併したばかりの新民主党で2人に囲まれて写真撮影していたのだ。

<やっと増えた広報板>
 しかし、残念ながら、ポスターを張る場所、つまり広報板がほとんどなく、前2回ともそれほど張られておらず、死蔵された枚数のほうが多かった気がする。前2回は、解散から告示の間の僅かの間しか張れなかったのだ。しかし、今回は、任期満了選挙なら6ヶ月張れる。なおかつ、07年秋から08年春にかけてやっと1200ほどの広報板が設置され、いくらでも張れる条件が整っていた。
 私は当然、従来方針通り、3連ポスターでいくことにした。党首の人気で選挙するわけではなく、主役はあくまで本人なのだ。小沢さんを嫌う人がいてもそれはそれで仕方がない。もともと「篠原は絶対支持する。まあ民主党もいいが、小沢さんだけはどうも」という支持者が多い土地柄である。しかし、党首は党首であり、選んだのは我々である。今取沙汰されている件について本人が問題ないと言っている以上、信じて従っていくほかない。総理の使い捨てをしている自民党と同じことはしてはならない。筒井ネクスト農水大臣は知名度も上がったので他力本願をやめ、政策ポスターだけにしたという。見上げたものである。

<日本の中途半端な制度>
 それにしても変な制度である。6ヶ月前にポスターを禁止するなら2連だろうと3連だろうと絶対的に禁止すればよいのに、2人以上で講演会の告知なら許すというのは、今問題になっている、企業献金は禁止するが、政治団体ならいいというのと同じである。日本の制度にはこの手のものが多すぎる。
 今、小沢代表のポスターを剥がして他の人とのポスターを印刷している者は、それこそ政府お望みの内需拡大に貢献していることになる。しかし、資源の無駄であり、労力の無駄である。こうして政治にまた金がかかっていく。私などとは桁の違うお金の出入りに関心が持たれている間に、つつましやかな公費で政治活動している私のような政治家はますます苦しくなる。

<政治資金規正法の改正を目指す>
 政治資金規正法改正による公共事業受注企業の献金の禁止も取沙汰されるようになったし、政治とカネの問題もおかしな選挙制度も私の手で直していこうと思っている。そのため、私は今後も倫選特の委員を続けるつもりだ。