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2009年5月23日

久しぶりの予算委員会質問 -都市と地方の格差是正を主張-09.05.23-

先週、永田町は民主党代表選一色になった。さる、5月11日(月)小沢前代表が突然辞任。私はそのニュースを、衆議院の予算委員会出席中、秘書からのメールで知った。これを同僚議員に見せ、驚いているところがテレビニュースなどで放送されたようだ。その、民主党代表選は16日(土)に行われ、鳩山由紀夫、岡田克也2名が候補者に名を挙げ、激戦を征し鳩山由紀夫候補が新代表になった。
 そもそも、なぜ委員でもないのに予算委員会の席にいたか。久しぶりに翌5月12日(火)の衆議院予算委員会で質問に立ち、総理を含め麻生内閣の面々と対峙することになったためである。当日は、岡田克也委員の関連質疑だった。おりしも、岡田氏の代表選への出馬がうわさをされ始めた時である。そのため、私の前に質問する岡田委員の45分間の質疑には、何台ものテレビカメラが向けられ、猛烈なフラッシュが浴びせられた。私の番になり、「フラッシュの数も、質問時間も半分でありますが、内容はずっと濃い(などというと失礼ですが)質問をさせていただきます。」と切り出した。

<東京内・世襲制偏った麻生内閣の布陣>
 今回は、まず現麻生内閣の偏りについて指摘するため、現内閣(2008)、鈴木善幸内閣(1980)、吉田茂内閣(1946)の各閣僚の出身高校の所在地と、2世3世のいわゆる世襲議員の占める割合を示した資料を提示し、質問を始めた。出身大学の一覧を作成した報道機関もあろうが、出身高校の所在地に着目したのは、私が初めてではないだろうか。私は、人の人生観や価値観は、中学や高校の多感な時期にこそ出来上がるものであると考えている。その時、どういった環境で、何を見、何を肌で感じ過ごしたかが大切だと思う。
 麻生内閣は「お友達内閣」だと、組閣当時からマスコミに揶揄されてきた。閣僚17名(組閣当時は18名だが、中川財務相が酔っ払って脱落)中、文教族が8名(47%)、世襲は11名(65%)である。今回調べた、出身高校の所在地が東京近県であった閣僚は、東京11名(65%)となる。世襲議員のほとんどは東京近県の私立や国立の中高一貫校の出身だった。
 1980年の鈴木善幸内閣は閣僚21名中、東京近県高校出はたった4名(19%)と非常に少なかった。ただ面白いことに、この内閣にいた石破二郎自治大臣や中曽根康弘行管庁長官の息子が現内閣に入閣している。このように息子や甥等の親族が世襲したケースを調べると、11名もが後々の世襲を生み出している。
 
<気骨・反骨の吉田内閣>
 一方、1946年の吉田内閣はさすがに気骨のある人が多く、ほれぼれする。吉田茂はもとより、小日本主義で戦争に反対した石橋湛山、企画院グループ事件で追われた和田博雄、反軍演説の斉藤隆雄と非常に重厚な布陣である。東京近県の高校出身者は15名中たった2名(13%)、世襲は吉田茂首相1人にすぎなかった。
 私は、東京近県の高校出身者が2名、4名、11名とだんだん増え、併せて世襲も1名、3名、11名と代々増えてきていることを指摘した。余りに偏った人事で、基本的な価値観が非常に似通った人たちばかりでやっているのは良くないのではないかと、麻生総理に質した。
 総理は、祖父である吉田茂氏が勉強嫌いだったと本人が言っていたと紹介しながら、民主党の党首(当時小沢氏)も幹事長(鳩山氏)も東京の高校だと嫌味を言った。そして、資料を見てへぇと思い参考になった、人を広く集めるべきだという意見は正しいとの答弁であった。

<受験優等生が集中する霞ヶ関>
 私は、東京出身だからダメとか、世襲だからダメとか、けちなことは言うつもりはない。限られた一握りの人たちのグループばかりになっていることが問題なのだと更に続けた。
 1983年の某省の入省者は17人中、神奈川県の栄光学園出身者が5名(25%)もいた。中高一貫校は全国平均なら5%しかないものなのだが、国立・私立の中高一貫校出身者が15名(75%)であった。東京近県も14名(70%)と集まりすぎていて異様である。普通の地方の公立高校を出てきた人は1人だけであり、1つの省庁にこれだけ同じようなバックグラウンドの人たちばかり集まったのでは、ワンパターンな発想しか出てこないのではないか、地方の事など考えることが出来ないのではないかと甘利行革担当大臣に質した。

<農水省のすばらしい人事交流制度>
 今年の4月から、農水省女性キャリア官僚が、地元の木島平村に人事交流で送り込まれている。地方の感覚を肌で感じて来いということで、全国に何人か送り込まれており、非常にいいことをやっていると思う。そこで、石破農林水産大臣に、それならは農林水産省の採用は全国区で7人、地方区で7人とし、例えば北海道・東北・九州各1名と、最初からその枠組みの中から採用してはと提案した。大臣からは、現地の感覚を分かった人間を採用することは大切である、しかし、東京生まれでも農政を一生懸命やろうという基準で採用したいとの、あまり素直でない答弁。そこで、すぐに議論したがると少々嫌みで切り返した。

<医学部を中山間地域に移転>
 人口10万人当たりの医師数の統計で上位五位は、京都・徳島・東京・鳥取・福岡の順である。東京や京都はなんとなく理解が出来るが、なぜ徳島と鳥取が上位に入るのかは不思議ではないだろうか。その理由は、人口が少ないのに医学部のある大学があるからである。医学部の定員はどこも100名前後であり、自然と母数の人口が少ない地域が上位にあがってくる。逆に人口急増地域の神奈川や千葉、埼玉が下位になるのである。つまり医学部のある大学を置くこと、これが医師不足の解決策になるのだ。
 例えば、徳島大学の医学部で学び6年過ごせば、そこに住もうという人も出てくる。医師不足で困っている中山間地、例えば栄村に東京大学医学部があってもかまいはしない。むしろ東京大学医学部が東京になければならない理由が無いのだから移せばいい。たとえ新設しても300億円あればできるのだ、14兆円の補正予算で何個出来るのかと塩谷文部科学大臣と舛添厚生労働大臣に質した。塩谷文部大臣からは大学があるからそこにい続けるということには直結しないとの答弁だったので、石破農水大臣にも言った地域枠というものが必要になると再度提案した。一方、舛添大臣からは、総合的な判断・インセンティブによる地域の医師の拡充を考えていきたいとの答弁であった。

<農業者戸別所得補償制度の合理性>
 一人当たりの老人医療費は、長野県が71万6千円と全国で一番少ない県である。一方、一番高いのは、麻生総理、舛添厚労大臣の地元、鳩山総務大臣の選挙区である福岡県の108万2千円。その差は36万円。総理の失言の一つをもじり、何もしないでたらふく飲んで食べている福岡県人の医療費を、私みたいにまじめな長野県人が余計に払っていることになると皮肉った。
 舛添厚労大臣からは、長野県は保健師が多いことや、就業率が高く1人暮らしの老人が少ないことが原因ではないか。福岡県が多い理由は総理共々研究させてほしいとの予想どおりの答弁だった。
 長野県人と福岡県人の差は36万円。1322万人の75歳以上の老人全てが長野県人なら、5兆円の差が出る。これを若者も含めた全医療費にすると、長野は9位で福岡37位。その差額は20兆円にもなる。この差の理由の1つは長野県の老人の就業率がトップであることだ。老人がまじめに農業をし働いている。働く喜び、これこそ医者にかからず健康に暮らすことに役立っていると言えるだろう。そこで5兆円や20兆円の節約ができるのだから、その分、ちゃんと農業をやれるように1兆円の農業者戸別所得補償など安いものではないかと畳みかけた。

<政府がいつのまにか取り入れた民主党の政策>
 高速道路の休日ETC普通車の1000円(2年限定)、3歳から5歳の子供に3万6千円(一時的)、道路特定財源の一般財源化。これらは、そもそも民主党の政策である高速道路の無料化、年31万2千円の子供手当て(恒久)、道路特定財源の廃止の一部分だけを抜き取ったものだ。ところが、現行の法体系を変えないままで無理やり導入したため、混乱をきたしていることは否めない。私が言い続けて来た農業者戸別所得補償も一部分だけ取り入れられ、政策目的という骨の無い運用がなされている。しかし、私は、これはいいことだと思っている。政策内容のいいものは、お互い切磋琢磨してやっていけばいいのだ。そのために大連立などというけちなことは考えなくて良い。オバマ大統領は、政敵の共和党からも閣僚を選んでいる。民主党のうるさい皆さんも入閣させるなどという大胆な発想で、政策を展開して欲しいと質問を締めくくった。

翌日、私の質問内容の記事が読売新聞の2面と地元の信濃毎日新聞に取り上げられた。
13日、民主党はしめくくり総括質疑に反対、審議拒否、予算委員長に詰め寄った。その中に動員された私もいた。それを見た自民党議員が「篠原さん、昨日の質問の続きをやってよ」と大声を出した。私の質問要旨が配られており、興味のある質問がまだ残っていることを知っていたからである。一部の方々は代表選候補者の質問よりも、関心を持ってくれたようである。

2009年5月13日

昨日予算委員会で質問した記事が、『読売』『信毎』5月13日 両紙に掲載されました09.05.13

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委員会の様子はこちらでご覧ください

<読売新聞5月13日より>
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<信濃毎日新聞5月13日より>
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2009年5月 8日

よみがえれ、サケの遡上する信濃川-09.05.08-

国会質問報告 決算行政監監視委員会

 長野県の千曲川(214km)は新潟県に入ると信濃川(153km)と名前をかえる。日本一長い(367km)である。私は、今年の2月から3月にかけて千曲川の西大滝発電所の下流と千曲市の2箇所でサケの稚魚放流に参加した。長野県と新潟県の両県にある「水辺環境研究会」の事業である。当日は雪の降る中、子供たちと一緒になって「大きくなって戻っておいで」と願いを込めてサケの稚魚を放した。稚魚たちは、ここから信濃川を通り、海までの長い道のりを下って行くのだ。しかし、その途中で63.5kmも水が枯れた川となり、大きくなって遡上する時にも障害となる。JR東日本の持ち物である宮中ダムと東京電力の西大滝ダム2つのひどい関所が原因である。
 私は、4月20日の決算行政第4分科会で、金子一義国土交通大臣と対峙することになり、この問題について質問した。

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<子供たちと千曲川にサケの稚魚を放流する>

【JR東日本の違法取水】
 国土交通省は宮中ダムでの不正取水に対する、JR東日本の虚偽報告を重視し、2009年3月10日に水利権の取り消し処分を言い渡した。不正取水量はどれぐらいなのかはイメージしづらいが、過去7年間にわかっただけでも3億1千万トン。実際はそれ以上なのだ。
 国土交通省は再三自主点検を要求してきたが、JRからは適正であるとの虚偽報告を受けてきた。虚偽報告はインチキ米屋にもあったが、電力会社やJRという大企業、優等生がそれ以上の悪さをしていたのであり、水利権の取り消しという重い処分は当然であろう。

【命を抜き取られる川】
 宮中ダムの不正取水により、か細い信濃川が63.5キロも続く。こんなかわいそうな川は日本中、世界中でもどこにもない。他の先進国なら一週間とて許されず、アメリカなら裁判で完全に覆されて、ダムはとっくに壊されていただろう。
 さすが辛抱強い越後の人も10年ぐらい前から運動を起こした。当然である。川の水が流れていないのだから、住んでいる人はいやでも気がつく。
 しかし、JR東日本は国土交通省から警告を10年間も無視し、改善した、話し合って決めた水量だなどと主張し、不正取水を続けた。おまけに電力が自由化され、発電した電力が余ったときは電気を売っていた。電気が余っているなら、余る分だけ取水せずに本流に水を流すのが常識なのではないだろうか。

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<宮中ダムのゲートを全開にした、本来の信濃川の姿>

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<宮中ダムで取水された信濃川と7トン以下の表示はしないようにプログラムがいじられていた放水量メーター(2006年9月)>

【エセエコ】
 東京都内の人は、普段利用している山手線が、新潟の信濃川の犠牲による発電で動いていることを知らないのではないだろうか。「クリーンな電力で東京都内の列車を動かす」かつてJR東日本がホームページで宣伝していた文言だ。水力発電であるから確かにクリーンな自然エネルギーだが、それを生み出す過程で、川を干上がらせ、川の生物を殺し、サケの遡上を阻んでいる。これではエセエコ企業であり、けしからぬことであると主張した。
 
【JR東日本は償うべき】
 水はパブリックグッズ(公共財)なのだ。かつてはお国のため、東京の電車を動かすためといってしかたなく川の水が取水されていたのだろう。しかし、今やJR東日本は民間企業である。宮中ダムにより電力費をわずか2百億円におさえつつ、あげくに売電までもやって、3千億円以上の利益を上げられている。一民間会社が、パブリックグッズを使ってこの利益を上げて良いはずはない。
 水力発電はクリーンエネルギーであり、電力も必要である。取水件の再許可をしなければならない時はくると思う。しかし、その時は相当な償いがあってしかるべきである。
 宮中ダムによる取水権を再度与えるための協議会においては、放水量を7トンから40トンに増やすという協議が行われているが、信濃川の水がない区間の田口直人十日市市長は150トン戻せと主張している。こういう地元の声に素直に応ずるだけではなく、JR東日本の駅弁をすべて魚沼産コシヒカリに変えてもいいのではないかなどと質した。
 また、魚に対する償いもしてもらわなければならない。現在のダムには魚道というものが申し訳程度についてだけだ。急勾配すぎることや折り返しまでもあり、遡上してきたサケのほとんどが上れずダムのところで死んでいく。世界の魚道からいえばとってつけたようなものでしかない。みんなの水や川を一人占めして利益を得ている企業には、相当お金を掛けさせても魚に優しい形の魚道を作らせてしかるべきである。
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<宮中ダム魚道(やせていてかつ運動神経のいいサケしか上れないのでは?)>

【サケは森の恋人】
 カキの養殖をしている畠山重篤さんが、上流にしっかりした森がなかったら、いい栄養分に富んだ水が流れてこず、海苔も魚も貝も育たない。だから「森は海の恋人」だと言い出した。
 もう一つの栄養源は海の底にある。万有引力の法則で栄養分はどんどん下に下がっていく。海の底に一番栄養分が貯まる。その栄養をまた陸上そして森に返すのは遡河性魚類のサケ類なのだ。海に出て栄養を蓄えたサケは4年して遡上する。そこで子孫を残して死んでいく。それを鳥が食べ、熊が食べ、糞を森に返していく。サケがいなければ山は栄養がなくなってしまう。つまり「サケは森の恋人」なのだ。
 アメリカはそれを理解している。だからもう新しいダムは建てないし、サケが自力で上れるよう、河川も元に戻すべく、よほど洪水が起きる所以外コンクリートにしない。日本では環境活動のサケ放流も、アメリカ、カナダではよくないことになっているのだ。人間の手を借りずにサケが自力で生きられるようにするのが優先されている。

【もう一つの関所、西大滝ダム】
 宮中ダムを越えて遡上出来たサケにはもう一つの関所がある。東京電力が所有する西大滝ダムである。こちらは我が長野県の飯山市に位置する。この水利権の更新も2010年と間近に迫っているのだ。ここでも大量のサケの遡上がとめられ息絶えていく。しかし、ここはサケだけの問題ではない。上流では、土砂が流れず河床がどんどん高くなってきている。住民はいつ洪水が起こるかとひやひやしながらの生活を強いられるという人間の問題でもあるのだ。この件も宮中ダムと同様検討していってもらいたいと質問を締めくくった。