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2009年6月24日

鳩山総務大臣辞任はいびつな郵政民営化に原因あり-09.06.24-

<片手落ちへの世論の反発>
世の常は喧嘩両成敗である。
 ところが、麻生首相は、片方の鳩山総務相のみを切った。形式上は辞任だが、実質上は罷免である。更迭ともいわれる。その結果、国民の眼は節穴ではなく、内閣支持率が大きく下がったのは当然である。麻生さんは、人柄がよく誰の意見も聞いてしまう人だと鳩山総務相は庇った。委員会質疑を通じたわずかな付き合いながら、私もその点は全く同感である。答弁は正直で率直だった。しかし、ずっと支えてくれた側近中の側近を突き放すのは、私の信条に反する。それよりも何よりも、これまでかんぽの宿売却問題を放置しておいた優柔不断さは、トップリーダーとしての資質の欠如としか言いようがない。

<オリックスとのできレース>
 常識的にみて、かんぽの宿はいかがわしいことこの上ない。2400億円もかかって建設したものをわずか109億円で一括してオリックスに売り渡すというのは許されることではない。やれ雇用の確保を約束させたとか赤字の施設だからとか言い訳が続くが、これでは年金のグリーンピアと同じである。雇用一つみても、正規職員は僅かで、臨時だけでやってきている。赤字もたらたら経営しているからで、やりようによっては黒字になるところもたくさんあるという。
宮内義彦会長は、政府の規制改革会議の議長を10年以上連続して務めた。インサイダー取引めいていると疑いの眼を向けられても仕方があるまい。そして、それに乗っかかって平然としている西川善文社長はやはり辞任に値する。
アメリカでGMの経営責任が取り沙汰された時、「日本では辞任か自殺だ」と糾弾されたそうだが、日本の社長も平然と居座るようになり、武士道精神を失いつつあるのかもしれない。

<分社化は現場からずれる>
小泉・竹中・ホリエモン路線はあちこちで破綻している。
郵便局の現場はその最たるものである。分社化は東京の都合にだけ合わされたものであり、現場の苦労など全く眼中にないのだろう。1人の郵便局職員が、貯金を集め、簡保の集金をしていた。そして、1人暮らしの老人宅を訪問したり、道路の崩落を連絡したり地道なこともしていたのだ。ところが、分社化により1人何役というのがしにくくなり、以前よりペーパー業務が増えているのは間違いない。この延長で、農協も、金融、共済、貯金、販売、営農指導を4つに分社化とか言い出す輩がいるので嫌になる。農協の実態を知らない空論であり、暴論である。

<郵便局と農協の合併を>
民主党は国民新党と手を携えて郵政民営化を見直しすることにしている。私も、地元で小さな郵便局も含めて支持者訪問の一つに組み込み訪問してみたところ、意外なことに気がついた。郵便局と農協の支所が集落なり地域の中心地にあり、隣同士とかはす向かいとか大体同じ所にあるのだ。
となると、逆転の発想で、郵便局と農協を統合して地域のいわゆるワンポイントステーションと位置付けて何でもしてもらうのが一番ではないかと思う。郵便は金融と簡保、農協は金融と共済、この2つの業務は共通である。

<中山間地域に郵便農協を残す>
05年10月、郵政選挙で勝負がついた後の郵政民営化特別委員会で竹中平蔵郵政民営化担当大臣に農協と郵便の合併を示唆したところ、ふるさと小包便で連携をとっているといったボケた(?)答弁が返ってきた。今でも農協の支所が簡易郵便局を兼ねている所は600ヶ所あり、その支所も閉鎖されようとしている。ということは郵便業務も閉鎖されることを意味し、中山間地はますます不便になってしまう。近くに銀行の支店などあるはずもない地域では、農協と郵便局を一つにして存続させることを考えねばなるまい。
民間企業の人事に政府は口出ししないという言い訳はよいとして、それならば、他の国の責務をきちんと果たさなければならない。その証として、国が中山間地域の人々を救う政策を実行すべきである。なぜなら、政治は何よりも弱者に救いの手を差しのべなければならないからだ。

2009年6月23日

核にまつわる沖縄密約の現実と正直な告白-09.06.23-

- 5海峡を核自由通行で3海里に遠慮 -

6月5日、外務委員会で一般質疑を行ない、中曽根外務大臣中心に質問をした。今回はこれを報告したい。

<遠慮がちな領海>
 一般的に領海は12海里ということをご存知の皆さんは多いことだろう。これは海洋法条約の規定により「国の領海の幅は12海里を超えない範囲」ということが決まっていることによるものである。一方、領海及び接続水域に関する法律(領海法)というものがあり、これにより日本の領海が決められている。ところが、これが非常に軟弱な態度の法律なのだ。同法附則の第二項により特定海域として 宗谷、津軽、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道、大隈海峡の5箇所の領海が遠慮して3海里に設定されている。たとえばロシアとの宗谷海峡は、ロシアはちゃんと12海里を主張し、中間線を通る辺りまで領海が張り出している。ところが日本は遠慮して3海里で主張し、中間線との間にわざと公海をつくっている。他もすべて同じだ。
二国間でもめる関係にあるところでは、両国の話し合いで12海里未満のところもあるが、津軽海峡のように両岸日本なのに3海里のままにしている卑屈な例は世界中どこにも見られない。

この特定海域が決まったのは1977年鳩山威一郎外務大臣(鳩山由紀夫代表の父)の頃で、一体どういった目的でこうした遠慮が出来上がったと認識しているか中曽根大臣に質した。中曽根大臣からは、30年前と同じく、我が国が海洋国家、先進工業国家を目指し、国際交通の要衝である海峡に、商船や大型タンカーの自由な航行を保障するために、3海里と決めているとの答弁であった。ところが当時の鳩山外務大臣は、海洋法条約のルールが蓄積されてきたら12海里にする用意があるとも述べていた。そして、例の「当分の間」が32年も続いているのだ。

<非核三原則への対応は、通りゃんせ 通りゃんせ>
 私は、当時の人たちの判断も間違いではなかったと思う。この当時、12海里にしてしまえば、津軽海峡も大隈海峡も領海になり、潜水艦さえ黙って通ることは出来なくなり浮上しなければならなくなってしまう。この海峡を「通りゃんせ」の歌にもじって言えば、「通りゃんせ 通りゃんせ、ここはどこの海峡だ、核搭載船の海峡だ、日本の安全を守るため、いつでも自由に通りゃんせ」だったのではないかと思う。
 しかし、今、核兵器に対する情勢は変わった。やはりここは日本の12海里領海だと主張し、核搭載船は通れませんよと変更してもいいのではないか。国際航行の主要ルートを保障するというが、ジブラルタル海峡、ホルムズ海峡、マラッカ海峡といった国際海峡でもあるまいし、津軽や大隈は日本の海峡なのだ。
≪6月22日共同配信で東京新聞等の一面トップに本件が報道された≫  

<改正の条件が整った「当分の間」の処置>
 先ほどの「当分の間」に話は戻るが、この特定5海峡について30数年前当時の言い訳の一番は、海洋法会議等で国際的な解決を待つというものであった。この海洋法条約への批准は1997年に終わり、領海法も改正され、条件はとっくの昔に整っている。核兵器について世界の目は厳しくなっているのだ。それにも関わらずいつまでこの卑屈な態度をとっているのか、堂々と領海を主張してもいいのではないかと外務大臣に質したが、外務大臣は相変わらず外国船舶の自由航行うんぬんの3度目の同じ答弁を繰り返した。

<核搭載船の日本立ち寄り、通過の密約>
 6月1日、共同通信系列の新聞の1面トップに、核搭載船の日本立ち寄りや通過について黙認する密約があったことが報じられていた。歴代の4人の次官がA氏、B氏、C氏、D氏と匿名で語っている。外務省事務次官なり幹部が、伝えるべき総理と外務大臣をより分けていたという記事である。D氏は、国会で事実と違う答弁を続け、何か気恥ずかしい思いがあったもと述べている。早速、中曽根大臣は本当のことを伝えられているかと質したが、記事は承知しているが、これらについては聞いていない、このような密約は存在していないと理解しているとの答弁であった。つまり、選ばれなかったということであろう。麻生総理も多分選ばれなかった総理に入るのではないだろうか。しかし、総理や外務大臣が国家の一大約束事を知らずに、外務事務次官と一部の幹部だけが知っているというのは、菅直人代表代行が批判する官僚内閣制の最たるものである。菅さんの訪問したイギリスでは許されないことである。
 そもそも、核兵器搭載戦艦・潜水艦は日本に近づけない。潜水艦から他の船に核兵器を移した後に日本に寄港しないとならないが、現実的には到底考えられない作業である。だから、日本に2・3日停泊していくものの、それは持ち込みに当たらないという現実的考え方があってしかるべきである。そして、日本は知らないふりをする時代がずっと続いたのだと思う。
 かつて鈴木善幸元総理が農林水産大臣であったとき、核を抑制してもらっているのだ、だからそれぐらいはいいのではないかと核の通過に理解を示した国会答弁をしていた。しかし、冷戦終了後、1990年代は日本の周りにそこらじゅうにあった核はアメリカ本土に持って帰っているという。実は昔はそうでしたといってもいい時期が来ているのだ。このターニングポイントに外務大臣の任にある中曽根外務大臣に歴史に残る答弁を願ったが、答弁は密約の存在の否定という従来どおりのものであった。
 当日は外務省の幹部もそろって来ていた。大臣はそんな新聞報道は信用できないとの回答であったが、4人もの歴代次官が同じように密約の存在を認める発言をするだろうか。悔い改める時が来たと判断した歴代次官は立派である。皆さんもこういう先輩を是非見習って欲しいとエールを送り、この問題についての質問を終えた。

<シーシェパードは海賊ではないか?>
 余った時間にどうしても問い質したい質問が一問あった。日本船舶航行技術が危機的な状況にあることはかつて指摘したことである。一方、日本の文化・技術を守ろうと頑張っているものに捕鯨がある。そして今、国籍は日本ではないが日本関係の船舶を海賊行為から守るため、期限も場所も限定せず出かけて行く、海賊処罰法という勇ましい法律が6月19日に成立した。もう一方で、世界に名をはせている環境団体シーシェパードは日本の調査捕鯨船を攻撃している。彼らが調査捕鯨船に乗り込んだり、化学薬品の入った瓶を投げ込んだりする行為、これは明らかな海賊行為ではないか。政府の見解を質した。
 許しがたいこととしながらも、シーシェパードのすべての行為を海賊行為とみなすことができないとの答弁であった。おかしな話である。海賊処罰法の法律には、船舶を航行させて航行中の他の船舶に著しく接近し、若しくはつきまとい、又はその進行を妨げる行為を指定している。これはほかでもなくまさにシーシェパードの行為なのだ。
海賊処罰法の制定に当り、こういう法律は場所と期限を限定したほうがいい、今までもそういうふうにしてきたと忠告した。しかし、図に乗ってすべてのところに出かけて行く、世界の警官然とした法律が成立した。それならば、調査捕鯨船は日本船籍で、まさに日本の文化・技術を守らんと活躍している船なのだ。国籍の分からない日本に税金を払わないあやしい日本関係船を守るよりも、こちらこそ守るべきだと、嫌味的追求で質疑を締めくくった。

2009年6月22日

生産調整の廃止と農政―石破農相vs篠原シンポジウム―-09.06.22-

シンポジウムの篠原代議士の発言はこちらでご覧いただけます

<石破農相と農林族の争い >
 古い話になるが、代表選の前日5月15日、私は日本財団(東京財団)の主催による、農政のシンポジウムに出席した。あわただしい中での会合であったが、出席者が石破茂農林水産大臣、生源寺眞一東京大学農学部長、私という、多分今の日本の農政を語る上でこれ以上の設定はないという布陣だった。
 石破農相は非常に慎重な言い回しであったが、思いのたけは述べていた。今農政は自民党の中で相当もめている。何故かというと、石破農相がいってみれば民主党の言ってきた政策をそのまま横取りするかたちで言い出し、それに反発した自民党農林族との間で相当のせめぎあいがあるということである。
2点で対立している。一つは米が余りだしてから、農林水産省が緊急避難的と称してずっと続けている生産調整の問題、それから、農業者戸別所得補償の対象の問題である。

<民主党農政その1―生産調整廃止>
 我々民主党は、私が民主党に参画して以来、直接支払い(小沢代表の時に農業者戸別所得補償という名前に変えさせられた)を農政の柱の中心に据え、農林水産予算の3分の1の約1兆円をあてるということをずっと主張し続けている。私は冗談半分に、党首は5人も変わったけれども、農業者戸別所得補償を中心に据えた民主党の農政は微動だにしていないと言っている。生産調整は廃止し、米も対象にするという基本も貫かれている。
 農水関係者以外の皆さんには分かりづらいかと思うので、少々解説を要する。
生産調整というのは米が余りすぎているので米を作らないでくれということで、政府農林水産省はなんだかんだ理由をつけ、名前も変えてきているがお金を出し続けてきている。それに対して我々はそういった生産調整は廃止すべきだと提案している。ただ、この生産調整の廃止については自民党のほうからもクレームがついている。なぜかというと、07年の参議院に提出された農業者戸別所得補償法案においては、生産数量目標を各県、市町村でつくりそれを農家に示し、それに従って作った人たちに所得補償するというかたちになっているからである。その前の、06年に衆議院に提出した農政改革基本法の時にはそういったややこしい仕組みにはなっていなかったが、参議院での法制化の段階で、生産数量目標というのが法定化されていた。これを称して生産数量目標をつくるのなら生産調整をしているのと同じではないかと言われている。
しかし、基本的内容は変わっていない。ややこしい専門的なことになるが、これについては以下のとおりである。

<他の作物を優遇>
政府の生産調整は米をともかく作らなければいいという生産調整である。それに対して我々は米以外の自給率の下がってしまった土地利用型の作物、すなわち麦、大豆、菜種、飼料作物、雑穀といった作物をきちんと作る人たちには少なくとも米並みの所得は補償します、それによって日本の自給率を高めますというものである。副次的効果として、遊休農地が減少する。またこれらの作物は中山間地域でも簡単に出来るものであるというメリットがある。つまり、政府が米を少なくすることだけに重点を置いているのに対し、他の作物を作ることに重点を置いているのだ。これは、自給率の向上という意味合いで消費者を含めた日本国民のコンセンサスを得られている。したがって、生産数量目標といっても、自給率が0に近い菜種や、15%ぐらいしかない小麦や大豆と米とでは全く異なる。その結果、米の場合、作り過ぎると対象にしないということも考えられる、それが今、巷間、選択制と呼ばれている。つまり、きちんと米を減らす人には所得補償し、減らさない人には所得補償しないということである。

<民主党農政その2-米も直接支払いの対象>
次に大事な相違点は、我々は米を対象にし、政府は対象にしないことである。我々は、米は減らしてもらわなければならないが、だからといって米をないがしろにはできない。日本農政の問題は米をあまりにも重視しすぎてきたことにある。それを一挙に他の作物並みにしてしまったことにまた混乱の原因があると私は思っている。

<米への直接支払いは徐々に減らす>
したがって、米作農家もやっていけないので、農業・農村全体を活性化するためのセーフティネットとして直接支払いを農村全体に行き渡らせる。そのためには当然米も対象にする。04年に既にその表は作成してあるが、政権奪取1年目、X年後、Y年後、直接支払いをどの品目にそれぞれどのくらいかというのが書かれている。米については初年度5000億、X年後3500億、Y年後3000億とだんだん下げていくという表を作成している。かつ最初から規模について差をつけ、大きな農家にはたくさん直接支払いし、Y年後には50アール以下の農家には直接支払いしないという行程表まで示している。つまり、米については当面の措置として直接支払いするが、その他の自給率が本当に下がってしまって採算が合わないためほとんど輸入に頼っている作物は、復活させるべく直接支払い(戸別所得補償)を続けるというものであった。

<防衛オタク、農政オタクの石破農相>
石破農相は防衛族と思われているが農林族でもある。私が勤めた農林水産政策研究所の農業総合研究という雑誌を読んでいるという農政オタクでもあった。農政と防衛と二つの分野を熱心のやられる人は自民党に多い。書いたことがあるが、玉澤徳一郎さん、中川昭一さん、赤城徳彦さん、そうした人たちと並んで、石破さんも入っている。首相は総裁選に出て立派だからという理由で農林水産大臣にしたのではない。石破さんが農政に並々ならぬ情熱を持っていることを承知の上で指名したヒット人事の一つであった。
その石破農相が、民主党の農政と同じく、生産調整の廃止、米も所得補償の対象とすると言い出し、慌てたのは自民党農林族である。私は、できれば早く政権交代し、民主党で政策を実行したいと思っているが、農家・農村が疲弊しきっているので、自民党政権の時に農家・農村が元気になるのであれば、早いにこしたことはない。

<関心を持たれた石破・篠原対談>
シンポジウムは、主催者の東京財団に言わせると、相当申し込みがあり、瞬く間に満席になったという。顔ぶれをみると、かつて知ったる農政通の辣腕記者、あるいは大学の先生、経済評論家等、壇上から見ているとそうそう顔ぶれの人たちに興味をもって出席していただいていたことがわかった。約2時間のシンポジウムであったが、コーディネーターがベラベラ喋り捲り、会場から私に対して、早く話をやめさせろという目配せをする人が数人いた。私もじっと堪えていただが、お目当ては一に石破農相、そして次は民主党農政であり、二人のやりとりに関心が持たれたのだ。隣に余計なお喋りはやめろとメモを差し入れた。
もう一つ余談になるが、そのあと、主催者の加藤秀樹さんも交えて、皆で中華料理を食べながら農政論議の続きをした。石破農相は農林族との論争に少し疲れているのか会場では慎重であったが、中華料理屋の場ではそれこそ闊達に話していた。

<総選挙の争点となる米の生産調整>
自民党は14兆円の補正予算のうちの1兆3千億円を農政につけた。これを88兆に置き換えると、6兆円か7兆円になる大型予算である。あきらかにこの1兆円というのは民主党の農業者戸別所得補償の1兆円を意識したものだと思われる。07年の参議院選挙では、民主党の農政が支持され、大逆転、1人区で23勝6敗となった。自民党は総選挙に向けて必死で奪われた農民票を奪い返そうとあの手この手のことをしだしている。我々民主党もすでに石破農相に公開討論を申し出た。なぜかというと、自民党の食料戦略本部が石破農相に公開討論をしようと申し出ているからだ。ところが、石破農相の返事は自民党との調整がついてからということになっている。かくなる上は、自民党と民主党との農政についての公開討論を申し出るつもりである。ささやかであるが、米を巡る農政が次期衆議院選挙の争点の一つとなりつつある。

2009年6月21日

舵を変な方向に切った農地法改正 -09.06.21-

 今国会で、農政の根幹をなす農地法の改正が行われた。改正とは言うが実態はまるで新法のようであった。民主党もいろいろ意見を申し述べ、他の省庁の法律が民主党からの修正案を取り入れているのと同様、野党民主党の要求を取り入れ大幅に修正されて衆議院を通過し、参議院でも賛成多数で可決された。

<自作農主義から耕作者主義へ>
農地法は長らく自作農主義というのを標榜してきた。しかし、途中からその考え方が変わってきた。詳しいことは避けるが、今回の改正は耕作する人を擁護するということを前面に出した法律改正である。何も目新しいことはなく、今実態がそうなっているのを追認した法律にすぎない。しかし、問題もいっぱい孕んでいる。

<標準小作料も消える>
古ぼけた法律になっていたことは確かだ。例えば、今回の改正で、小作という言葉が一切この法律から抜けた。確かに、もう小作人、地主という言葉は農村地域でも聞かれないので、その実態に合せた改正である。ただ、それと同時に標準小作料という制度も完全に廃止された。ただ、この標準小作料や農作業標準賃金等は私の地元のローカル紙、北信タイムスや北信ローカルに毎年きちんと公表される。これが、農村の賃金料や労働力のやり取りの時の基準とされる。小作という言葉はなくなっても、ある程度の相場を示さないといけないと思うが、競争原理を重視し、自由に決めていいという方針の延長線上で、廃止されてしまった。農村に住んで生活をしたことがない霞ヶ関の役人が考えるちゃちな机上の空論に基づく改悪であり、現場は多分いくら地代を払い、いくら賃金を払うかを自分自身が決めなければならず混乱するのは目に見えている。

<まかり通るおせっかい政治>
そもそも論で言えば、私がかねてから言っている役人のおせっかい、政治家のおせっかい、そういった類の典型的な法律改正あるいは立法である。つまり、国民なり、農民が要望などしていないにも係らず、勝手にこれがいいんだ、これが正しいのだといって押し付けた法律を作る類の典型的な例である。憲法改正、教育基本法改正、そして私が大反対して潰したサマータイム。こういったことは国民が知らない間にかってに進んでいることである。この農地法の改正も全く同系統に属する。

<農地法が悪くて農家・農村が疲弊したのか>
 もっともおかしなのは、今の農政のなかで、農地法の改正がそれだけ喫緊かという事である。農地法の改正によりあたかも農業・農村がバラ色になってくるように言われているが、農地制度が問題で日本の農業・農村が疲弊しているのではない。農村は農産物価格が下がり、一生懸命働いても食べていけない、生活していけないから疲弊しているのであって、この点を直さずに農地法を直したところで、何の意味もないことである。後継者が安心して農業に取り組めるようにすることが先決であり、そのために、まずはセーフティネットとして、農業者戸別所得補償により農業・農村全体の底上げをすべきだというのが民主党農政の根幹である。
原因でもないことに手をつけてやったやったと騒いでいるのが今の政府の実態である。現実には今でも企業は農業に十分参入できるのだが、それをしないというのは儲けにまったく繋がらないからである。

<遊休農地解消のツケを農業委員会に回す>
もう一つ、非常の禍根を残す内容が含まれている。
遊休農地の解消に一生懸命にならなくてはならないという気持ちはよくわかる。しかし、これまた、その原因は農地制度にあるのではない。それにもかかわらず農地制度にあるかごとく決め付け、なんと農業委員会にこの遊休農地の解消のツケを回す形になっている。
我々民主党は2004年の農業再生プランで、市町村長が遊休農地については有効活用すべしととりあえず所有者に勧告し、その所有者がそれに従わない場合は、所有権はいじらないが、利用権については、市町村長が、例えば隣でまじめにやっている農家に耕させるといった命令を下す提案をした。政府はそれを中途半端に真似て都道府県知事にする改正を行った。ところが、都道府県知事は現場を知らないし、一度もその法律が動くことはなかった。

<農業委員には重荷の権限>
馬鹿みたいな話であるが、政府も市町村長にしようとしたが、市長会・町村長会からそんな悪い役割を我々にされては次の選挙は持たないという反対理由により潰されたと聞いている。もしこれが事実だとしたら噴飯ものである。地方の首長としての気概も何も感じられないということになる。
今度は、実質的にはほとんど選挙も行われず、地区の推薦でなっている農業委員の皆さんに、この辺の農地を耕さないのはけしからん、そうじゃなかったらどこにどうやって貸すか我々が決めるぞということをさせるわけである。農業委員にとっては残酷な法律改正である。

<企業は農業にまじめに取り組むか>
私は今回の農地法の改正、悪いことばかりではないないと思うが、いろいろ問題を孕んでおり、単純に喜べないでいる。最もおかしいのは、繰り返しになるが、農地制度が癌ではないのにあたかも農地制度が癌であるかのようにいい、農地法を改正している点にある。これで企業参入とかで一時的に農村に踏み込まれ、採算が合わないとなるや、やーめたとさっさとほったらかしにして去っていく姿が見えてくる。どさくさに紛れて悪い方向に向き出した観もある。

2009年6月12日

河村たかし名古屋総理(?)の行末-09.06.12-

衆議院第一議員会館538号室の隣が、河村たかし先輩代議士の部屋だった。同い齢、名前も一緒、共通の友人がいる偶然がすぐわかった。
 騒さい隣人はすぐ「おみゃぁ、国会議員年金廃止議員連盟に入らんといかんぞ」と用紙を持って訪れた。年金問題を巡り、既に週刊誌等マスメディアで報じられており、私もよく承知していたので、すぐ二つ返事で「いいですよ」とサインした。

<議員年金廃止の言いだしっぺ>
 「おみゃぁえらい、なんもよう聞かんとすぐサインをしたのははじめてじゃ」(何分、変な名古屋弁なので、正確ではないかもしれないが、まあこんな言い回しだった。)
 それからは、気に入ったとかで初対面の私に5回連続当選するための秘訣とやらを延々と1時間以上のたまわった。自転車に旗を立てての選挙運動、バス旅行での有権者との語らい等押し売り説教であり、TVタックルの乗りそのものであった。もうキャラクターとして定着してしまっているのだろう。

それ以来、行ったり来たり交遊が続いた。坂ばかりの長野では自転車は無理だというと「車の後ろに積んでいって、集落が近づいたら降りて行けばいい」とか、それはしつこかった。親切なのか、自分の趣味を押し付けているのか不明だが、面倒なので、2005年の衆議院選では私の地元の栄村にも来てもらった。「日本も広いなぁ、いろいろあることがわかったよ」とようやく納得してくれた。
 TVマスコミ中心に千客万来、隣の部屋はいつもにぎやかだった。そしてその後も「総理を狙う男」、赤坂議員宿舎反対と自己流を貫き通した。

<河村たかしを1度でいいから代表選に出す会の会長>
 私はいつしか「河村たかしを一度でいいから代表選に出す会」の会長だと冗談をいい始めた。皆に愛され、あらゆるところに応援に行っているにもかかわらず、20人の推薦人が集まらないのだ。一時、18人集まり、あとちょっとになったと本人は言っていたが、口さがない同僚議員は「19人と言わないところがどうも怪しい。19人だとあと一人で出れてしまうから」と茶化した。それからひどい時は、私ともう一人という時もあった。そして、とうとう一度も代表選に出れずに辞職となった。
 TVタックル等のTV出演で十分有名だが、やはり代表選に出馬するのは意味が違う。民主党の層の広さをアピールするためにも心残りである。ただ、逆から言えばやはり代表にはもっとしかるべき人をということなのだろう。私も同僚議員には「投票しなくてともいいから推薦人にだけは名を連ねてくれ」と冗談半分に依頼していた。その場合、得票数が20票を下回ることも予想された。

<赤坂議員宿舎問題>
 河村さんは議員年金のあと話題を提供したのが、赤坂議員宿舎問題である。わざと千駄木にアパートを借り、そこから国会に出勤した。私もその近くに下宿していたこともあり、2.3度飲みに行った。しかし、私はとても賛成できなかった。
 私は、九段宿舎だったが、赤坂に移り大分体が楽になった。よく知らなかったが夜の受付の人に言わせると私が議員会館で一番遅くまで仕事をしている議員だそうだ。ボランティア秘書の妻に言わせると、効率が悪いだけとのことだが、夜中の1時だろうと歩いて帰れる。
 議員宿舎もJRのフリーパスと同様もともとタダだったのである。こっちのほうが理にかなっている。地方を選挙区とする議員は家賃の高い東京でどうやって家を確保するのか考えてみるとわかる。選挙で金と家が必要になったり、いらなくなったりする。議員宿舎がなかったらその手間と金が大変である。

<同僚議員を叩いて人気を博す>
 他に格好をつけて委員長手当てももらわなかったが、これも賛成しかねる。ヒラ委員は、出れない時は一応差し替えを用意しなければらないが、それほどきちんとしていない。ちょこちょこ席も空けている。しかし、委員長はそうはいかない。手当てが1日6000円である。こんなものを拒否しても何にもならない。いってみれば新入社員と役員給与の差にすぎない。
 どうも同僚議員の悪口を言って、自分が人気を博しているところが一般の同僚議員にはしっくりいかなかったのだろう。私は、「兼業国会議員」とあだなをつけ、国会議員本来の仕事をするように注意し続けた。代表選に出るなら、議員年金、赤坂宿舎、委員長手当てだけではなく、もっと政策を、そして日本のあるべき姿を明らかにすべしと注文をつけたが、あまり聞いてもらえなかった。

<地方自治についての見識>
 しかし、名古屋市長をめざしたからだろう、地方自治について、建設的なことを本に書き始めた『おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ -- 反骨のサムライ世直し十番勝負!』 KKロングセラーズ 2006年9月、『この国は議員にいくら使うのか』 角川SSコミュニケーションズ 2008年9月 と2つを物にしている。
 今回、自らの給与を年2500万円を800万円とし、1期4年の退職金4200万円はもらわない、市民税を10%減税する、各地に協議会を開く等の公約を掲げた。その点は、ポッとなった東国原知事や橋下知事と異なり、かなり準備した上での市長就任である、だてに5期も国会議員を務めたわけではない。一議員として国政において頭に描いていたことを名古屋市長として実行せんとしているのだ。

<名古屋の大統領に期待する>
 河村さんは福島県矢祭町が町議会のある日のみ3万円の手当てを出すだけで、一議員年90万円の手当てにしたことを絶賛している。民主党市議会議員団は相当嫌がって別の候補擁立を画策したほどである。しかし、名古屋市民は変な名古屋弁をはなし、「燃えよドラゴンズ」の歌をかけて自転車で選挙運動する河村たかしに名古屋市政を託した。
 市議会や市役所職員から猛反発が予想される。失言もあるだろう。過剰なパフォーマンスもあるだろう。しかし、河村たかしは基本的にまじめで正直な男である、名古屋市長の負託を受けたのであり、思い存分やってほしい。必ずや見本となる市政を成し遂げてくれるはずである。