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政権交代選挙-09.07.25-

<解散よりも任期満了選挙では>
 7月21日、午後1時4分 衆議院が解散し、衆議院議場は万歳三唱に包まれた。作家の高村薫さんはこの解散を「デッドエンド解散」と表現した。自民党も解散日程も国民感情もすべてがデッドエンド(行き止まり)の解散という意味である。麻生政権は誕生しすぐに解散を打つだろうと言われた昨年10月から、年を越し、春が来てまだ決断を先延ばしにし続け解散せざるを得ないところまで引っ張った。我々衆議院議員はもちろん、待たされ続けた国民も気分的に行き場のない状況になってしまったのだ。解散というよりも任期満了選挙に近いのが実情である。

<最後までブレまくる麻生首相>
 7月12日の東京都議選は、民主党が34から54議席へと20議席も躍進させる歴史的大勝利となった。逆に自民党にとっては10議席減の48を38議席へとらし、公明党23議席とあわせても過半数を得ることができなかった。
石原慎太郎東京都知事がKYだと切って捨てる麻生首相や自公政権に対する国政への不満が、都議会の選挙に大きく影響したのは間違いない。麻生総理はすべての自民党候補者の選挙事務所を廻り、応援し、てこ入れを行う歴代総理では異例の対応をとった。そうまでしてこの惨敗である。

<抜けなかった伝家の宝刀>
 そして、舌の根も乾かぬうちに、国政と都政は無関係とのたまい、言うことのブレ、やることと言うことのブレが最後までみられた。
すでに内閣支持率は2 0%を切っており、当然党内から麻生降ろしの風が吹き荒れた。我が民主党からは衆議院の即時解散総選挙を要求されつづけ、麻生総理にとってはまさに前門のトラ、後門の狼であった。麻生総理は昨年秋の就任以来解散権は自分にあると繰り返し、民主党への牽制だけではなく党内の反麻生勢力へ伝家の宝刀をちらつかせながらの政権維持、党内秩序維持を図って来た。しかし、宝刀自体の賞味期限が間近に迫っており、今回ばかりはさすがに乗り越えることが出来なかった。その後、麻生総理が自分の解散権を無理やり発動させ、退路を断つように強引に決めたのが8月30日の投票である。

<予想通りの麻生降ろし>
 通常は解散を発表し、その後に公示日を決めるものなのだ。手順が全く逆な上に、肝心の解散は21日の週のいずれかという漠然としたものであった。
当然予想されたことだが、この一週間の猶予の時間に麻生降ろしが本格化した。元幹事長である、中川秀直、加藤紘一、武部勤の三氏や若手が中心となり、自民党両院議員総会を開催するよう署名を集め始めた。両院議員総会は党大会に代わって決議を行うことが出来る会議で、全自民党議員の3分の1以上の署名で開催することが出来る。反麻生派の自民党議員はこの議院総会を開き麻生総理の退陣を要求するつもりであった。署名は小泉チルドレンをはじめとする若手や選挙で苦戦が予想される議員を中心に3分の1以上集まった。選挙の顔として7割近くの得票で選ばれ麻生首相を10ヶ月で引きずり下ろそうとしたのだ。しかも、我々の不信任案に反対しておきながら、矛盾も極まれりである。

<断末魔の悪あがき>
 ところが、ここから茶番劇が始まった。所属派閥の役員や党の役員室から署名をした議員一人一人に本当に署名したかどうか確認の電話が入り、時に公認をとり消すなどの脅しともとれる説得が続き、一人また一人とその署名がとり下げられという。そして、中川グループは人数が足りていると主張し、執行部は足りていないといいながら、白黒つけることなく自民党の好きな灰色決着となった。
その代わりに決議権のない両院議員懇談会を衆議院解散前に執り行うという、ガス抜きでお茶を濁す決着となった。両院議員懇談会で麻生総理は都議選での敗北、党内の混乱を陳謝したものの、反麻生勢力からもほとんど批判の声は上がらなかったそうだ。自民党議員でない私にさえも行き場の無い無気力感が伝わってくる顛末であった。

<小選挙区で勝利を目指す>
 民主党にとっては、解散から投票日まで40日と法律で決められたギリギリの長さで、思いもよらない長丁場を戦うという結果となった。昨年秋から1年以上待たされた挙句、また待たされることになった。8月の投票日というのも戦後初というまさに異例ずくめの解散総選挙となった。
世に解散の名はバカヤロー、黒い霧、死んだふりといろいろある。今回も、がけっぷち、追い込まれ、やけっぱち、自滅、破れかぶれといろいろ言われているが、民主党からみると政権交代解散に他ならない。政権交代実現のデッドライン(締め切り)の選挙である。
私も、40日間、粉骨砕身戦いたいと思っている。