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2009年11月25日

相変わらずの「日程国会」に振り回された中小企業金融円滑化法 09.11.24

<波乱国会の始まり>
 19日(木)の深夜国会について好意的な論調はほとんどどこにもみあたらない。玄葉光一郎財務金融委員長の解任決議案が出され、それに続いて松本剛明議員運営委員長の解任決議案も出され、19日の本会議は久方ぶりの深夜2時までに及んだ。その引き金を引いたのは、解任決議案を出された玄葉委員長ではなく、会期内に法案を通さなければならないと日程に追い詰められた民主党国対の方針に他ならない。

<野党も賛成する亀井法案>
 亀井金融担当大臣が早くから中小企業を助けるために3年くらい借金の返済を猶予してもいいではないかということを言い出し、金融庁が法案を急いでいた。筋としては正しいので、野党でも反対できない法案であった。金融業界はやることはやってあるし、政府にそんなことまで介入されては困ると主張し、中小企業のほうは法律ができると返済猶予の大儀が立つのでやってほしいということで意見が分かれていた。その結果モラトリアムとか返済猶予とかいうどぎついものではなく、貸付条件の緩和という形で無難な法案となった。

<現場レベルは波静か>
 私は財金委員になったこともないが、役人として国会で法律を通す仕事をしてきたことをかわれ財務金融委員会の筆頭理事を拝命した。今臨時国会の目玉法案そして民主党政権初の法案をスムーズに通すための配置であり、その期待に応えるべく、10月末以来ずっと裏方を勤めてきた。
通常はこの手の重要法案は、途中で参考人の質疑を含めた3日間コースというのが相場となっている。 我々はというか私も民主党政権初の法律審議であり、うまく成立させるべく、自民党の竹本直一筆頭理事と折衝を重ねた。自民党と民主党の国対同士では、例年のことだが、野党となった自民党は、なるべく審議を遅らせようとし、民主党のほうはなるべく審議を早くしようとするせめぎ合いがあったが、現場レベルすなわち財務金融委員会の理事レベルでは、粛々と話が進んだ。竹本筆頭理事以下野党の理事も皆話のわかる人であった。

<詰まった日程から大荒れ国会へ>
 よくある審議を少しでも引き延ばそうという姿勢は全くなく、いろいろな話し合いで18日(火曜日が定例日)7時間で審議、審議日でない19日に参考人質疑、その後は、また話し合いをというところまでは決まっていた。一般の皆さんにはわかりにくいと思うけれども、参考人質疑は大臣が必要ないので、大臣が出席できない日でもできるということで、時たま定例日以外でも行なわれることがあった。
ところが、参議院との関係でどうしても19日本会議前午前中に採決し、午後の本会議に緊急上程して参議院に送らないと今国会で成立できなくなってしまった。そして、19日の本会議前の採決が国対から命じられた。間に立たされて困ったのが私と玄葉委員長である。玄葉委員長は責任感があり、議院運営委の筆頭の経験もあり、国会運営についてわかった方なので、いろいろ知恵を働かせてくれた。
そこで、日程の都合上19日の本会議にかけなければならないということを18日の夕方の理事会で初めて打ち明けた。言い出す私は胸が痛くつらいものがあった。かつての巨大与党自民党がしょっ中やっていたことをせざるえない立場となってしまったからだ。
 19日の朝の理事会でそれを正式決定し、その後の審議からボイコットが始まった。その昼に12:50まで参議院の総務委員会で答弁予定だった亀井金融担当大臣を昼12時に衆議院の財務金融委員会にきていただき、突然の採決を行ない、本会議に緊急上程することになった。自公がかんかんに怒ることはわかっていた。

<野党自民党の初のボイコット>
 予想されたとおりであるが、定時の午後1時からの本会議は開かれず、この間4回、横路衆議院議長に自民党の川崎国対委員長と議運の筆頭理事が申し入れに行った。そして本会議が開かれたのが夜の9時15分、公正な審議を踏みにじったということで玄葉委員長の解任決議案が出され、更にそれを受け入れて日程を勝手に決めて夜中に本会議を開いているということで松本剛明議院運営委員長の解任決議案が出され、この2つは記名投票となり深夜に及んだ。その後に行なわれた中小企業金融円滑化法案の採決には自民党・公明党は退席した。野党自民党にとっては初めての退席である。その席で私が簡単な賛成討論をし、共産党が嫌味たっぷりの賛成討論をし、すぐ採決をし、未明になってやっと全会一致で法案は通過することになった。後味の悪い採決であった。
私は長い賛成討論を用意していたが、午前1時を回らんかとしていたので、壇上まで走り、「ごく短い討論を致します」と始め、皆さんを笑わせ、早くやめてほしいという期待に応えることにした。

<必要な国会改革>
 これで20日(金)、全ての法案が、片肺飛行すなわち野党の自公欠席のもとで審議されると言われていたが、突如方針が転換され、採決をせず、来週になってからまた審議をすることになった。もちろん自公は審議に応じる気配はない。国対というのはこれだけ難しくめまぐるしく変わる。
つくづく感じるのは国会改革の必要性である。役人に答弁をさせないといことも大切かもしれないが、審議をどのようにするかというのが、1日前の理事会で決めてからでしか決まらないというのではなく、1ヶ月、2ヶ月の審議日程をしっかり決め、日程協議などを心配せずに審議できるようにしていかなければならない。今までどおりの「日程国会」では政治家同士の論戦に集中できないからだ。

<民主党に必要な議運・国対族>
 後1週間となった臨時国会であるが、この中小企業金融円滑化法案はたぶん参議院でもさっさと採決されるのではないかと思うけれども、他の法案についてはどうなっていくのかわからない。久しぶりに国対・議運にかかわり(役人時代以来久方ぶりに携わったということだが)、どうも民主党の人たちにはこういったことを経験し、ノウハウを熟知している人が少ない。青年の主張コンクールや弁論大会では優勝するような人達がたくさんいる一方、落とし所を心得て妥協点を探し出せる人は少ない。与党となった民主党が本格的な政権を作るためには、にはこういったことがさっさとできる人材の育成が、絶対に必要ではないかというのを痛切に感じとった一週間であった。

2009年11月11日

民主党の政策論議の場づくり-09.11.11-

 連日、民主党が打ち出す「政治主導」の記事が新聞を賑わせ、支持者の方からも、「民主党になって、毎日の新聞を読むのが楽しみになった」などとお褒めの言葉をいただいている。我が民主党にご期待くださる事に対しこの上ない感謝の思いでいっぱいである。しかし、新聞やニュースの華々しい報道とは裏腹に、過度に政治主導を掲げ、政府の力を強調するあまり、地元からの声や党内の議論が消えかねない現状が見え隠れしている。

<NHKニュースウォッチ9の報道>
 10月19日(月)に放送された、NHKのニュースウォッチ9は、内閣入りした政務官と地元の声の反映に苦慮する議員という2つの異なる角度から放送された。政務官の部屋で仮眠をとる疲れきった姿が放映される一方、私は松代真田十万石祭りに参加している姿で、まさに小沢幹事長がいう「内閣に関わらない議員は地元で選挙活動をすべし」を地でいっており、閣外の議員の意見が政策に反映されなくなっている状況を放送していた。余談だが、実際は私も例の亀井大臣のモラトリアム法案がかかる財務金融委員会の筆頭理事で忙しなのだが、そこはテレビ編集の味付けということであろう。

<歪められた農業者戸別所得補償>
 ちょうどその密着取材を受けているとき、私が長年関わってき農業者戸別所得補償が、来年度は米を先行させるモデル事業で5600億円を予算要求することが決まり大変な衝撃を受けた。私が手塩にかけて育んできた政策が、音を立てて崩れていく。麦・大豆・菜種・そば・飼料作物といった土地利用型作物に米並みの所得を補償することにより、米の過剰を減らし自給率も高め‥‥と狙っていたのに、米を先行させては何にもならない。「馬鹿な‥」と声をあげずにいられなかった。このいびつな形の事業(2011年度に1兆円で開始するのがマニフェスト)は既に政府内で 決定されており、我々は関与しようがないのだ。

<自民党の部会の暴走を反省>
 そもそも、民主党は党政務調査会(政調)という機関をもっていた。農業者戸別所得補償法などの党のマニフェストはここで多くの議員が膝を突合せ、知恵をしぼり合って作り上げたもので、民主党が目指す方向を作り上げる重要な機関であった。また、政調は各議員が地元から直接聞いてきた意見をもとに政策に盛り込んでいくという重要な役割を担っていた。ところが、政権交代後に民主党はかつての自民党の政調・部会を悪とし、民主党の政調の廃止を決定してしまった。政府と与党の政策は一つであるべきという理由からである。
確かに自民党政権下では政府と党の政策決定が食い違ったり、部会が力を持ち過ぎた嫌いがあった。更に、これが内閣の求心力を弱めることに繋がったという事実もあり、民主党でも 一定の制限を掛ける必要があることは認めるが、やり方が性急過ぎて極端なのだ。

<戸惑う新人議員>
 政治主導の名のもと、政策は各省の政務3役(大臣、副大臣、政務官)のみで十分とのことで、つけたしでできたのが各省政策会義(例:農林水産政策会義)である。これは、副大臣が主催し、政務3役で決定した政策を説明する会合でいわば説明会である。出席議員からの意見は参考までに聞き置かれるだけという受身的な会議のため、新人議員たちは、地元から聞いてきた、厳しい生活を何とかして欲しいという切実な願いを一体どこにもって行けばいいのか、いったい誰に頼めばいいのかと右往左往する羽目に陥っている。

<官僚主導が進む危険>
 NHKでも放送されていたが、政務3役の5人でその省庁の職務をすべて取り仕切ろうというのでは、官僚は何千人とおり多勢に無勢、勝負にならず、とうてい無理な話である。
 そこで何が起こるか答えは簡単である。官僚はたった5人の政務3役さえとりこんでしまえば、党への煩わしい手続きや他の与党議員への根回しもいらず、思うがまま政策を進められることになる。まさに官僚のやりたい放題ができるという危うい状況にあるのだ。

<与党民主党のルールは未確定>
 そして、最初の大事な法案が私の担当する財務金融委員会の例のモラトリアム法案である。亀井金融担当大臣が突如言い出したこの法案は、民主党のマニフェストにはなく民主党内の議論はほとんどなされていない。我々は金融 政策調整会議で大塚副大臣から説明を受け、それに対して意見を言うだけである。
 自民党が与党の時は、部会で了承されなければ法案は提出されなかった。これに異議、修正を唱える場が今の民主党にはどこにもない。与党自民党時代と異なり、議論の場は与えられていないので、野党と同じく委員会で質問をしていいのかということになるがそうもいかない。
このようにまだ我々与党民主党のルールは定まっていない。

<試行錯誤中の政策論議の場作り>
 これを司る山岡国対委員長は大変である。しかし、筒井信隆農林水産委員長等の意見も取り入れられ、○○委員会(質問)研究会で、党独自の議論が進められることになった。我が委員会が上記の重要法案をかかえていることから10月22日最初に財務金融委員会研究会を立ち上げ、民主党議員の勉強の場を作ることとした。これが多分定着していくものと思われる。これとは別に新人の勉強会も立ち上げ、国会議員の政策を 練る場には事は欠かないようにしていかなければならない。

<この問題の専門家?>
 上記のNHKの放送以降、私がこうしたシステムについて考えている代表として担がれることになったようで、週刊新潮のコラム「日本ルネッサンス」を連載している桜井よしこさんの取材が回ってきた。桜井さんのインタビューは、大敗きたした長野市長選の翌日(2時間しか眠れず 朝一番の新幹線で上京、朝日のいい加減な記事の対応で追われ‥‥と大忙しの時)で、約1時間に及んだ。どのようにまとめられるか気になったが11月5日号コラム<櫻井よしこ ブログ 2009年11月05日「力不足で可能か、民主の政治主導」>参照はこちらから、私自身の主張を私が書くよりわかりやすくまとめていただいた。プロのジャーナリストである。

 民主党は政権を獲得してからまだ2ヶ月、一時的な迷走は仕方あるまい。私もその限られたルールの中で全力を尽くしていくよう努力をしているところである。本件は時間をかけながらゆっくりと、あるべき体制に落ち着いていってもらいたいと心から願っている。
 民主党は、金属疲労を起こしてパイプの詰まり始めた自民党に代わり、国民の声を直接政治に反映させることをうたって勝たせてもらった事を決して忘れるべきではない。