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2010年1月26日

中山間地域活性化の夢2つ(飯山市新年会あいさつを加筆修正)10.01.26

<与党議員はへらずぐちを叩かず>
 与党になった民主党の衆議院議員 篠原孝です。
 与党になったからへらず口を叩いてはいけないと注意を受けたので自戒の意味で申上げることにしています。(笑)
 おかげさまで、昨年は始めて小選挙区当選させていただき、政権交代も実現することが出来ました。ただ、予想されたことですが、なれないせいでフラフラの政権運営です。私は傍らでハラハラしております。(笑)

【農業者戸別所得補償報告】
<唯一の前倒し、農業者戸別所得補償>
 農業者戸別所得補償についてご報告します。
 直接給付が財政的にも効果があり、効率がよいということで、欧米ではかなり前から行なわれていますが、日本国政府は国民を信用せず、共同でないと補助金は出しませんでした。しかし、自公政権で定額給付金が最初の直接給付となりました。子ども手当も、高速道路の無料化も同じです。ただ、地方負担とか自主的寄付、あるいは6000億の予算を1000億に削られるなど先送りされ、暫定税率の廃止は実質的には完全に先送りとなりました。
 そうした中で、農業者戸別所得補償だけが2011年度実施が1年前倒して一兆円の半分の5618億円の予算として実施されることになりました。本当は、2010年は制度設計に全力をあげるべき年なのに、そっちは先送りという本末転倒した話です。

<歪められた政策>
 この政策、2004年にでき、恥ずかしながら5代目の代表ですが、一貫して民主党農政の柱となってきました。2006年代表になった小沢さんに、悪女の深情けとでも言うのでしょうか、すっかり気に入られ、名前を直接支払いから、農業者戸別所得補償と変えられました。そして今回は、幹事長として満額確保要求した結果です。わが子が可愛いい典型ですね(笑)
 党内議論は全くの無視し、米だけ先行とかとんでもないことを言い出し、理由も無く作物の単価をバラつかせて農家を混乱させ、制度設計もろくにせずに、私が大事に育ててきたものとはかなり違って、、、、あっと、野党的な発言となってしまい慎まないとなりません(笑)

<富倉スノウヒルズ>
 次に新年ですので、2つの夢をお話したいと思います。
 一つは、飯山に新幹線が通る頃は、この手つかずの農村風景は資源となり超高級住宅地、保養地になるということです。既に冬景色がいいということで移り住んでいる方がおられます。今日も楽しそうに雪かきされている世田谷からの移住者に会いました。
 パソコンをおもちの方は、最近の私のブログ「-芋井ヒルズ、七二会ヒルズ、小田切ヒルズが脚光を浴びる日- 09.12.31」をお読みいただきたいと思います。デュアルライフ(仕事は大都会でし、週末は田舎でのんびり過ごす)にピッタリなのが新幹線駅が出来た後の飯山です。
 こういうことを言うと悪いのですが、秋山郷と違い、長野市の中心から15分のところで、自然環境に恵まれている長野市の西山地区は、欧米先進国なら高級住宅地で、六本木ヒルズどころではないということです。
 その中間の飯山は自然も人情味も残る日本のふるさと、10年後は冬景色を好む人たちにの人気の的となり、富倉スノウヒルズとして超高級リゾート地になっているかもしれません。第2の軽井沢です。皆さんもその準備をしていただいてもよいと思います。

<Uターンを側面援助>
 二つ目は、観光なりよそのヒトの前にここで生まれて育った人達に戻っていただくことです。我々は「コンクリートから人へ」のスローガンの下、政策を大胆に実行し始めました。子ども手当が典型です。
そろそろ親父もガタがきはじめた、自分の会社もどうなるかわからない、そこで中山間地域なり地方に戻って農業をしたいがどうやって食っていけるかわからない、という人たちが多いはずです。この人たちに援助の手を差し延べ、キッカケを与えたらいいのです。 
 高度経済成長時代、ほっておいても田舎のまじめな若者が、東京に吸い込まれていきました。最初は次男なり三男、女性だったのに、長男・長女まで出ていかれてしましました。そして、限界集落ばかりが増えてしまいました。まさに、向都離村(都に向かって村を離れる)ことがずっと続いたのです。そしてこの人達が日本の発展を下支えしてきたのです。

<Uターンに5年間100万支給>
 このあたりで逆、つまり向村離都にしないとなりませんが、残念ながら、村にはそんなにお金の吸引力がありません。しかし、人手は不足しています。田畑が放置され、山と森が荒れています。意を決してふるさとに戻らんとする人に、年間100万円、生計を立てていく目処がつくまで5年間継続して支援する方策が考えられます。Uターン限界集落活性化手当とでもいえるでしょう。1万人でいくらかかるかというと100万円×1万人=100億円、5年間で500億円です。日本経済を活性化したかどうか不明の定額給付金が2兆円です。定年前なら30代でも50代前半でもよいと思います。これで過疎地に若者なりがふるさとに戻れ、子どもも戻れるなら、こんな安上がりの中山間地域活性化はないと思います。

<飯山でモデル事業を>
 30代前半で子どもが3人いたら、子ども手当の100万円もあります。それなりにやっていける低成長時代の中山間地域の活性化にはこれぐらいのテコ入れ必要です。
農業者戸別所得補償は、野党時代の2004年に主張し始め、実現に5年かかりましたが、今回は与党ですし3年以内に実現したいと思います。
 今回はせっかくの機会ですので夢を2つ語らせていただきました。出身者と濃密なコンタクトをとる飯山の皆さんに、このモデル地区となっていただきたいと思います。

2010年1月 4日

保護主義がなぜ悪いか -10.1.4- 長野経済新聞2010年1月5日寄稿

<地方疲弊の3大原因>
日本の地方が疲弊し切っている。これは誰の目から見ても明らかである。地方へのバックアップにはいろいろな手法があると思うが、鳴り物入りでスタートした「ふるさと納税」も善意に頼る仕組みであり、ほとんど効果を挙げていない。それでは一体どのような政策手法があるのだろうか。

私は、日本の地方の疲弊の原因として、

①自明のことであるけれども第一次産業の疲弊

②やたら頼った落下傘工場が外国に出て行ってしまったこと

③大型郊外スーパー、レストランが出来てしまったこと

があげられると思っている。つまり、自由化、規制緩和の行き過ぎが日本の地方を疲弊させたということだ。

<自由貿易は絶対的善にあらず>
 これについて、前から注目していたが、フランス人の人類学者エマニュエル・トッドという人が本を書いている。人口統計に表れた乳児死亡率の高さから1976年の昔にソ連の崩壊を予言し、最近では金融崩壊にも警鐘を発していた。世の中には先の見える人がいるのである。
 結論は、自由貿易は必ずしも善ではなく、むしろ保護主義のほうが貿易であっても拡大させ、経済の活性化に繋がっている。規制緩和なり自由貿易がすべて善だというのは間違いだということだ。私は実感としてこのことを常々考えており、20数年前の産経新聞の「正論」という雑誌に「自由貿易は絶対的善にあらず」という小論を寄せたことがある。私の主張は農産物の自由化を阻止せんがための遠吠えのように聞こえて、あまり皆さんには聞き入れてもらえなかった。

<過度の自由化がリーマンショックの原因>
 しかし、金融の過度の自由化、規制緩和がリーマンブラザーズの破綻を招き、金融システムの崩壊が世界経済を直撃した。そして貿易にも打撃を与え、世界を不景気に落とし入れてしまった。今や政府が介入したり、バックアップしなければ持たない企業や産業界が増えているのだ。典型的な例が自動車会社である。
 ビッグ3がよもや政府の援助なしでは潰れてしまう事態がくるとは予想できなかったのではなかろうか。

<日本の農村風景を変えた農産物自由化> 
 日本の今の現状を見るにつけても、日本の農村を疲弊させたのは、1にも2にも外国からの農産物の輸入だったと思う。現にかつて作っていた菜種は消え、田んぼの畔に作っていた大豆も消え、小麦も作らなくなっている。長野は降雨量は700ミリと少なく、水はけもいいので小麦に向いており、お焼きやうどんやそばといった麺類の消費が今でも日本一であり、その原因は小麦が良く取れたからだった。
 詳述はしないが、EUはかつて捨てたひまわり・菜種・大豆を保護して見事に復活させている。民主党は、私が中心となりこれを見習って日本でも戸別所得補償により、これらのいわゆる土地利用型作物を復活させようとしている。

<保護主義による貿易拡大>
 自由化や規制緩和は経済を活性化させるための手段であったが、いつの間にか目的化してしまって、何でも自由化し規制緩和しなければいけないという風になってしまったのではないかと思う。
 トッド曰く(私の解説も入るが)、農業を保護し、日本でそれなりのものを作れるようにしておき、農家がちゃんとやっていけるようになっていれば、農家もいろいろなものを買う購買力がある。したがってその買うものの中に外国からの輸入品も含まれるのでかえって貿易は拡大するというものである。これが本当であるかどうかは実証してみる必要があるが、これだけ地方が疲弊してしまっては、トッドの考え方に惹かれるのは無理はないのではないか。

<大店法改正がシャッター通りの原因>
 大型店舗とシャッター通りとの関係も図星である。
私が1990年頃、日米構造協議というものを農水省の対外調整室長としてどっぷりと担当した。その時に日本人が妻だという、リン・ウイリアム通商代表が盛んに、大規模店舗法によるスーパー進出の規制を緩和するように主張した。それを受け入れて、日本中の郊外に田畑をつぶしてスーパー・コンビ二がはびこり出した。これによりまたたくまに地方の商店街が疲弊していった。
 これに対しフランスは頑として地域の商店を守る政策を堅持し、小さな店がパリでもどこでも残っている。フランスの規制があまりにも厳しいので、フランスのスーパー、カールフールは自由な日本にも進出したが、あまり芳しい成績は残していない。

<農産物自由化をやめ、大規模店舗を規制すべし>
 過度の自由化過度の規制緩和をして、社会全体がガタガタになってしまっては元も子もない。私は日本の地方を活性化するには、思い切って過度な農産物を自由化をやめ、国内で作れるものはなるべく国内でつくるようなシステムに変え、かつ、かつてのように商店街が生き残れるように、郊外の大規模店舗を規制するのが一番近道ではないかと思う。しかし、残念ながら、あいかわらず工場誘致とか、大規
模店舗の進出等に血眼になっている地方自治体が多いのにはがっくりさせられる。
 大胆な政策転換が必要なのは、国だけではなく地方も同じなのだ。