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日本型根回し・調整の達人岩倉具三氏の死を悼む –一生かけて日本の農政を下支えた-10.10.05

 私がブログで、友人・知人の追悼を寄せるのは、尊敬する後輩 永岡洋治、自民党の若き宰相候補であった中川昭一(元財務大臣・元農林水産大臣)、青木一 前中野市長についで4人目だと思う。
 自民党の農林水産分野の裏方をずっと務め、政務調査会事務部長などを歴任してきた岩倉具三さんが73歳の若さで亡くなった。明治の元勲 岩倉具視さんの玄孫だという。同じような名前なので、多分その血筋かなぁと思ったが、鼻が大きく、ちょっと日本人離れした風貌であった。ドイツ人の血も混じっているという。

<農政の陰に岩倉あり>
 農林水産省で仕事をしていて、岩倉さんの世話にならないものはいない。何故かというと、農林部会・水産部会の取りまとめを岩倉さんが仕切ってきたからである。自民党の最も自民党たるゆえんは農林族である。米価闘争の頃などは1週間、いわゆるベトコン議員たち(米価値上げを要求する農村地帯を地盤とする議員:「米価問題懇談会」をもじって呼ばれるようになった)が騒ぎまくった。自民党農林族は、古くは中川一郎、渡辺美智雄が農政をリードし、その後は羽田孜、加藤紘一、 保利耕輔に引継がれ、中川昭一、松岡利勝と続いた。

 米価審議会の会場である三番町分庁舎、あるいは自民党本部や議員会館の中でそれは熾烈な議論が行われた。
 政治を巻き込んだ米価闘争ははるかかなたの昔の話になってしまったが、政策決定の見本が農政であることに変わりはない。うるさ型の農林族議員の間を走り回り、それを取りまとめてきたのは、他ならぬ岩倉さんであり、まとめられたのは類い稀なる能力とお人柄の故である。

<岩倉具視を引継ぐ政策調整のDNA>
 日本型組織、日本型社会の中では、根回しや調整が大事だが、皆が一家言を持つ農政というややこしい分野であり、大変だったに違いない。ご先祖の岩倉具視さんも公家でありながら明治新政府の中で重きをなした。たぶん、岩倉さんは政策調整のDNAをきっちり引継いでいるのであろう。
 余談になるが、政界のDNAの偉大さには驚くことが多い。小泉進次郎氏の父親似は誰もが頷くであろう。ワンフレーズのうまさ、当意即妙の応答と瓜二つである。一方、我が民主党でみれば、田中真紀子さんの角栄さんを凌ぐ迫力や、羽田雄一郎参議院国対委員長の誰にも嫌われることのない人柄は、それぞれの父君と瓜二つである。

<自民党総出の告別式>
 自民党の農政の中枢にいた人たちは、皆岩倉さんの世話になっている。70台前半の少々早い逝去であったが、聖イグナチオ教会の告別式には、谷垣自民党総裁、石原幹事長も出席された。弔辞は、石破茂政調会長はどうしても参列できず、事務方が代読した。自民党の幹部総出は、その功績からして当然のことである。我が民主党からは羽田孜最高顧問と私だけが出席した。農政の結ぶ縁である。
 東大時代から空手部の猛者であり、今でも朝稽古をかかさず、その稽古を終えた後に自宅で息を引き取ったという。空手着をまとい一心不乱に稽古に打ち込む岩倉さんの姿が思い浮かぶ。

<友人代表、保利耕輔さんの温かい弔辞>
 友人代表として、保利耕輔さんが切々と岩倉さんの人となりを紹介され、その早い死を悼まれた。その中に、岩倉さんが1992年、私がOECD代表部勤務の頃に来られたことがでてきた。保利農林水産貿易調査会長、大河原太一郎さん、柳澤伯夫さん3人の農政の重鎮が時のGATT事務局長ダンケルに会いに来たのである。

<岩倉さんの気が利いた会談セット>
 ジュネーブにWTO(かつてのGATT)の事務局があるが、ジュネーブでは来客が引きも切らず、行っても各国の代表団がダンケル事務局長と話せるのはせいぜい10数分である。
 そこで一計を案じたのがOECD閣僚理事会の合間の会談である。OECDは格の高い組織であり、GATT事務局長も出席を義務付けられていた。半日は貿易問題で議論するが、あと半日は「世界の経済」とかいうもので、言ってみれば暇な半日である。そこで、岩倉さんと連携して、その間にダンケルvs. 農林幹部会談がセットされた。OECD本部の会議場の横にある小さな部屋でダンケルと農林族3人の代表との懇談が2時間以上に渡って行われた。  
 保利さんは岩倉さんが写真に写っているという話をしみじみと触れられたのだ。多分その写真を撮ったのは代表部の参事官であった私のような気がする。このくだりは拙書「花の都パリ「外交官赤書」」(講談社+α文庫)に書いた。

<すべての重要案件は岩倉さんを通ず>
 私が農政に本格的に関与しかけた頃、もう既に自民党の農林部会は岩倉さんが仕切っていた。農林水産省では、農林族議員の根回しの前に岩倉さんのチェックを受けるのが常だった。つまり、岩倉さんは農政の主要な決定にすべて関与していたのである。英独語に通ずる岩倉さんは、国際的な問題にもピタリのまさに万能の人だった。官僚は2年ごとに異動するが、岩倉さんは、ずっと自民党農政の官房長のような立場であり、生き字引となった。後に、玉沢徳一郎農林水産大臣の政務秘書官も兼任したが、むべなるかなである。

<自社さきがけ連立政権のまとめ役>
 その調整能力を買われ、自社さきがけ政権というややこしい連立政権時に、自民党政務調査会調査役として全体の調整も岩倉さんに任されていた。
 私は民主党の議員になってからも岩倉さんにいろいろご指南役をお願いしていた。民主党の組織、政策決定のあり方がなっていないので、いつもお伺いをたてていたのもその一つである。例えば、農林水産委員長と党の農林部会長と兼任の有無、当選回数の差、役割分担の仕方などつい最近尋ねたばかりであった。

<岩倉さんの意外な励まし>
 私は民主党の議員が、調整とか根回しとかいうことに対しての感覚がおよそゼロに近いことを嘆いたところ、岩倉さんに励まされたことがある。
 岩倉さんが自社さきがけ政権の時に一番困ったのは、自民党単独政権ではなく、連立政権であるにもかかわらず、自民党の意向だけを通そうとする自民党議員だったという。その反対に最も話がわかり、村山富市首相を仰いで政権党の自覚を持ち、一生懸命汗をかいてくれたのは旧社会党の皆さんだったという。だから民主党の議員も政権与党となればいずれは変わっていくから心配に及ばず、というものである。約1年前の政権奪取直前のことである。

 ところが、さっぱり与党的意識は芽生えず、丹羽宇一郎中国大使ではないが「成権政治」に陥っているようにしか見えないので、岩倉さんにまたお伺いを立ててみようと思っていた矢先の訃報であった。

<必要な民主党事務局改革>
 なにもすべて自民党の真似はしなくていいが、やはり政権与党のノウハウは自民党に学ばなければならない。私は民主党の体裁が整っていない組織について、あれこれペーパーを書いては関係者に意見を述べている。タネを明かせば、その相当部分は岩倉さんに知恵を借りていたのだ。
 私が党運営の一部を任されたら、真っ先にしたいのは、民主党事務局でも岩倉さんのような人を育成することである。私が民主党に参画してから7年、党の農政担当職員は4人目である。こんなことをしていては、民主党の政調職員に第2の岩倉は誕生しない。今、民主党の政調にはプロが必要である。私は政調職員の研修会の講師第1号は岩倉さんと決めていた。この私の企ても実現できないままになった。
民主党幹部は口を開けば政治主導と言う。しかし、ブログでいろいろ述べたとおり、政治主導は国会議員主導であり国民主導である。岩倉さんは、その一部すなわち与党主導の何たるかをずっと経験し続けた人であった。政治主導の本質も岩倉さんこそ見抜いていたのである。

<退職後も続いた農政への情熱>
 岩倉さんは退職後、発展途上国の農林技術協力に命を掛けておられ、アヘンの原料ケシの生産地であるビルマのトライアングルゾーンにソバ栽培を振興したり、アフリカにネリカマ米を普及するということで飛び回っておられた。その関係で同じようなことに熱心な三原朝彦さんや松本さんと一緒に赤坂のスペイン料理屋で杯を酌み交わしたのもつい最近のことである。

 今、天国に行った岩倉さんは、また持ち前の調整能力を発揮し、根回しをし、先に逝った皆さん方の取りまとめ役を買って出ていることであろう。