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りんごを再び大衆的果実へ 全国りんご大会(長野)に出席 -10.10.04-

<跡取りの養蚕嫌いをりんごが救う>
我が家は、小学校の途中までは養蚕と米が中心であり、特に「お蚕様」には家中を占領され、祖父母、父母、3兄弟は広い家の隅っこで小さくなって寝ていた。においも強烈であり、私はあまり好きにはなれなかった。長男であり、特に祖父には「跡取り」ということで、えこひいきされて育てられており、跡を継ぐのは当然のことと受けとめていた。そこで密かに俺が当主になったら蚕をやめてやると思っていたところ、いつの間にか養蚕は忽然と消えていった。

<1人前のりんご作業>
昭和30年代(1950年代)には、りんごが一面に拡がり消毒されたので、桑畑にも消毒液が飛び、敏感な蚕は消毒のかかった桑葉を食べられず、養蚕と果樹は両立しなくなった。従って、私が小学生の高学年になり、農作業に一人前に参画する頃は、すっかりりんごが中心になっていた。私のりんご畑の仕事は、剪定された枝を鉈(なた)を使って「枝こなし」することから始まった。その枝を丸めて竃(かまど)や風呂に使った。摘花(果)、袋かけ、消毒、葉摘み、玉回し、収穫、と1年中りんごと付き合い始めた。途中で桃やアスパラ、葡萄が入ったが、我が家の中心は今もりんごである。祖父にはすまないが、私が家を出てしまったので、末弟が跡を継いでくれている。

<ホース引っ張りと土管の撹拌という恐ろしい作業>
今はスピードスプレーヤーが果樹の間を走り回っているが、昔はホースを伸ばして畑中を手で消毒した。子供の大事な役割は、ホースがりんごの木にひっかからないように引っ張ること。そして畑の端にある土管の消毒液の撹拌作業である。消毒液が葉っぱから滴り落ちる中でホースを引っぱり、消毒の粉や液が飛び散る土管をかき回すのである。20~30年後、当時の万能の消毒薬、ホリドールやパラチオンに発癌性や催奇性があるなどと言われて使用禁止されても遅いのだ。私は害毒をたっぷり体に吸い込んでしまった。この悪影響が私の体に、そして子にでているのは悲しい現実である。

<母の本能から消毒作業は免除>
母は、強い消毒をすると翌日は半日寝てないと立ち上がれなかった。そして得た結論は、自分はもう子どもを産み終わっているからいいが、これから成長し、子どもを残さないとならない子どもにはこんな消毒は絶対手伝わせないということであり、以後、私は消毒作業から解放された。
いつの頃からか私は日本有機農業研究会霞ヶ関出張所員と呼ばれるようになるほど有機農業に共感を覚え、食べ物の安全性を追求するようになった。そして講演会で「篠原さんは農水省の官僚でありながら、皆に無視され、しいたげられながら、なぜ有機農業の味方をしてくれるのか」と聞かれることが度々あった。急に聞かれても何も思い当たらなかったが、ふと思いついたのが、母の子や孫を心配する本能の決断だった。

<りんごへの感謝の念>
私の大学資金は、50歳までの父の教員の給料とりんごの収入が支えてくれた。「りんごで育った信州牛」は中野市の畜産会社のキャッチフレーズだが、私はいわば「りんごで大学に行けた男」だった。だから、進んで今回も全国りんご大会に出席した。

<黄デリと紅玉の忘れられない味>
そのりんごも品種は様変わりした。私が手伝った頃は、祝(なるこ)、旭、紅玉、黄デリ、赤デリ、国光と決まっていた。そこに、陸奥、津軽、王林等が参入し、ふじの比率が高くなった。そして今、長野のシナノ3兄弟(シナノゴールド、シナノスウィート、秋映)である。しかし、私は今でも、とりたての黄デリと落下寸前で残った紅玉が忘れられない味である。どちらも地産地消、旬産旬消でないと味わえない味なのだ。
今年は猛暑で前年比140%高だが、やはり農家は困っている。消費は伸びないし、価格は低落傾向が続く。

<丸かじりりんごの復活>
ただ、問題もある。それは、すべてが芸術品のようなりんごとなり、簡単な丸かじりできるりんごがないことだ。あまりに高級化を目指し過ぎたのだろう。大きなふじは4つに切らなければ給食にも出せない。1人で1つ食べるには大き過ぎて、ついつい手が伸びなくなる。
世界中(といっても欧米中心だが)を歩いたが、りんごの皮を丁寧に剥いて4つあるいは8つに切って食べる国はない。大衆的な価格のりんごもなければ消費は下支えされない。その点では、丸かじり用のシナノピッコロへの転換は大歓迎である。

<りんごを食べて健康に>
「An apple a day keeps the doctor away. 1日1個りんごを食べれば医者いらず」とは英語の諺である。果物の秋、思い切りりんごをかじる日本人が増えてほしいものである。
(私は、役所作成の挨拶に上記の2点の話をし、前者に「奇蹟のりんご」の木村秋則さんの話を付け加えたら、いつも私のブログをチェックして意見を寄せてくれる畏友T氏から、あまり皆を刺激するようなことは言わないほうがよいというもっともな忠告をいただいた。誤解を解くために文章にしてみた。)