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丸太関税ゼロで疲弊した中山間地域-2011.1.25-

「木造建築を禁止した政策ミスが災いした中山間地域の疲弊 - 長野建設新聞2011年1月1日寄稿」に加筆

<小さすぎる林業の生産減少>
 2010年10月1日、菅直人総理は所信表明演説で、唐突に「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加を検討」と表明した。
TPPとは、人口に膾炙しているFTA/EPAとは異なり、10年後には例外なくすべての物品の関税をゼロにするというものである。日本も2国間のFTA/EPAは既に13か国と結んでいるが、いずれも米等の例外が設けられている。
 その折、農業への影響試算として農林水産省の出した、農業生産額4.1兆円減少が過大だと批判を受けた。1週間後、漁業4200億円、林業500億円と公表され、数字に強い人は、林業がなぜそんなに大きな影響を受けないのか疑問に思われたに違いない。答えは簡単。林業は既にとっくの昔から関税ゼロの影響を受けており、それ以上打撃を受けないところまでズタズタにされているだけのことなのだ。

<関税自主権を放棄する愚行>
 1951年、占領下で日本が関税自主権も失っている中で、丸太の関税がゼロにされた。サンフランシスコ講和条約が成立する直前の関税撤廃であり、北西部(ノースウエスト)から日本に木材を輸出せんとするアメリカの企てを感じざるを得ない。
 今は関税ゼロにするのが善で高い関税が悪のように言われているが、関税自主権こそ独立国家の証しである。明治政府が、江戸末期に押しつけられた関税自主権もない不平等条約を、必死で是正せんと外交を繰り広げたことを忘れているのである。更に、1964年、外貨割当制度がなくなり、製材の関税もゼロとなり、木材の完全自由化が完成し、今や合板の関税が5%残るだけとなっている。

<国の形を歪め、森を壊した丸太・製材関税ゼロ>
 この間の林業の疲弊、中山間地の崩壊にはすさまじいものがある。1970年から2000年までの30年の間に14万集落のうち5%の7,543集落が消え、限界集落が急増した。2010年の国政調査では、更に、3000集落が消えている。同じ間に、木材の自給率は95%から18%に下落した。
 木材の価格は最盛期の4分の1に下がっている。米価も最高値の2万4000円(60kg)から半分の1万円そこそこに下落したと問題にされるが、その倍の下落なのだ。同じ期期に高校や大学の新卒者の初任給が18~24倍になっているのと比べると、いかに採算が合わなくなっているか一目瞭然であろう。その結果、伐採しても赤字になるだけとなり、間伐等の手入れをしても採算が合わなくなってしまった。これでは山が荒れ、中山間地域に人が住めなくなるのは必定である。

<木材を必要としない国内事情>
 それではなぜ、林業では50年も60年も前に関税ゼロの自由化がなされたのか疑問に思われるはずである。前述の占領軍(アメリカ)の悪い意向という外からの圧力はあったものの、そうせざるをえない国内の事情もあった。
 戦後の復興で木材需要が急増し、あちこちの山の木が伐り出された。戦争中の無謀な伐採に拍車をかけたことから、日本の山村は禿山にならんとしていたのである。慌てた政府は、伐採した後の植林を奨励した。私の祖父母の世代が、急峻な傾斜地にもそれこそ必死で木を植えたのだ。しかし、木は伐採まで数十年かかる。今の今の需要には追いつかず、木材を自由化し、旺盛な建築需要に応えざるを得なかったのだ。ここまではやむをえないとして、ある程度許されることではある。

<木造建築を抑えた愚かな政策>
 そこに更に追い討ちをかけたのが、政府の間違った判断であり、誘導だった。1950年、火災を恐れて木材で公共建築物を建てるべきでないと言い出し、「都市建築物の不燃化の促進に関する決議」(衆議院)をしている。1955年には森林過伐を抑えるため、「建築物の木造禁止の範囲を拡大する閣議決定(木材資源利用合理化方策)」までしている。森林退化を問題にしたのは、今の環境問題を考えると先見の明のある政策決定であるが、需要を押えるために木造建築を押えるというお達しは、明らかに行き過ぎである。
 同じ頃、米も自給できず、アメリカからMSA小麦という安い余剰小麦の輸入を迫られていたことから、池田勇人大蔵大臣は「貧乏人は麦を喰え」とのたまわった。米は生産者米価を高くし消費者米価を低く抑え、政府は逆ざやが発生していたのに対し、小麦は安い小麦を輸入し高く売って順ざやが発生したのである。今と同じく財政規律を重視した大蔵大臣は、学校給食にも輸入小麦を使ったパン食を導入するという世界でも稀に見る愚策に走り、日本の農業や日本人の食生活を歪める元凶となった。

<パン食とコンクリート校舎>
 今考えると、外国産木材、外国産小麦に頼り、国産材や国内農産物をないがしろにする区分けは、それこそ愚かな政策決定であった。しかし、素直な国民は、政府のお達しに従い、パンなどほとんど食べたことのない地域でもパン給食が始まり、田舎の校舎までコンクリートで造ることになった。
 一方で高度経済成長期を過ぎると、安い輸入木材に押されて国産材はさっぱり売れなくなった。こうして、多くの山林は、手入れの値打ちもなくなり、放置されることになった。その結果が、前述の限界集落化、山村の消失である。そうした中、小麦も大豆も輸入に任されてしまったが、一方、米だけは別格で生産奨励され優遇された。そして、皮肉なことに1970年代後半からは米余りとなり減反、転作を強いることになった。そして遅ればせながら、1990年代になってやっと米飯給食の声が上がり始めた。
 米は778%の高関税で守られ、いつも批判の対象となるが、この高関税故に農村が山村と同じにならなかったのである。

<当然の国産材利用、公共建築物の木造化>
 時は流れ、2010年、米飯給食に遅れること20年余、やっと公共建設物木材利用促進法により、低層の公共建築物はなるべく国産材を使うべし、と180度方針が逆になった。日本の山には祖先の植えてくれた木が大きく育っている。合板技術も進歩し、間伐材も有効活用出来る形になりつつある。路網を整備し、製材工場を維持出来れば日本の木材はいくらでも使えるのだ。森林・林業再生プランで、民主党政権は林業活性化を成長戦略の一つと位置づけている。
 米の関税をゼロにして、農村までもズタズタにせんとする愚かな政策が急に走り出した。例のTPPである。これがいかに愚かな政策かは、林業の衰退、山村の荒廃をみれば明らかである。私は二度とこんな政策ミスは犯してはならないと肝に銘じている。