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市民権に次いで「村民権」も得た金子さんの有機農業 -2011.02.21.-

今、政局で揺れている。この件についても私のこうしたらいい、あるいは、こうすべきというのは山ほどあるが、内閣の片隅にいるので直接触れるのはやめておく。
 その代わり、心が晴れ晴れすることを報告したい。本当は2011年の年始のメルマガ、ブログにする予定だったが、例によって時間がなく今になってしまった。

(有機農業による村づくりで天皇杯)
昨年末、12月26日(土)、私は久しぶりに埼玉県比企郡小川町にいた。私の30年来の友人、金子美登・友子ご夫妻の霜里農場のあるところであり、平成22年度農林水産祭むらづくり部門天皇杯受賞のお祝いに駆けつけたのだ。金子さんは、私と同世代の農業者大学校の第1回卒業生で、1971年以来ずっと有機農業をやってこられたが、それが集落全体に広がり、関東農政局管内では久方ぶりの村づくり部門天皇杯に繋がったのだ。

(変人扱いされた有機農業)
金子さんの霜里農場は、有機農業の世界ではとっくの昔から有名である。研修希望者は引きも切らず、外国人も惹きつけられて来る。いってみれば、埼玉県の隠れたパワースポットなのだ。本人は人格者であり、決して愚痴ったのも聞いたことがないが、近所の農家にはなかなか受け入れられなかった。1975年、金子さんはヘリコプターによる農薬散布に反対し、村人からは変人扱いされていたこともあり、農家は見向きもしなかった。

(徐々に手を差し延べる近所の仲間)
 有機農産物の産直は当然行なわれており、金子さんにはファンは多くいたが、近隣で最初に手を差し延べたのは、晴雲酒造の無農薬酒「おがわの自然酒」、小川精麦の「石臼挽き地粉めん」であった。それでも、20年近く経っていた。
 ようやく近隣の農家で金子さんの有機農業を皆で学ぼうという姿勢が出てきたのは、金子さんの就農から30年後の2001年である。当時の安藤郁夫下里機械化組合長が、有機農業を学びに若者の集まる金子さんに指導を頼みに行ったのである。こうしてやっとのこと有機農業を柱とした村づくりが始まった。
 それから天皇杯までの10年はまさにトントン拍子だった。大豆から始まった有機農業の対象も03年に麦、06年には米にまで広がった。03年には昔から小川町で作られていた大豆の在来種「青山在来」も復活した。

(大変貌を遂げる下里地区)
 約30haの田畑が、小さな丘にすっぽりと囲まれた下里地区は、大変貌を遂げる。安心安全を求める人たちは、下里の大豆も米も麦も相場の倍以上で買い取ってくれる。例えば、今年度下落が著しく、1万2000円ぐらいになってしまった米も1俵3万円である。農林水産省はTPPで関税ゼロにされたら、米もコシヒカリ等の超高級米の10%しか残らないと試算しているが、下里の米は、まさにこの残る10%に入る米である。
 
(拡がる支援の輪、復活する自然)
そして、農村の有縁社会を地で行き、オクタという会社が、社員に有機栽培米を届けることで協力を始めた。農薬をやめたときからトンボの種類も増え、カブトエビ等も増えてきた。09年には直売所もできた。畦道には彼岸花も植えられ、散歩に来る人たちも増えたので、休むベンチもでき、住民同士の交流の輪も広がった。07年には農地・水・環境対策も取り入れられた。10年には、30戸の全農家が参加する有機農業の里となった。

(市民権から村民権へ)
 金子さんは全国の有機農業のリーダー的存在だったが、やっと近くの人たちにも受け入れられたのである。有機農業は1992年に農水省に有機農業対策室が設営するなど、それなりの市民権は得ていたが、やっと村民権を得て集落でも受け入れられるようになったのである。近くの人に受け入れられるのが1番むずかしいのだ。安藤さんも農業をやって50年、初めて農業が楽しくなったという。そしてついに国も天皇杯をもって有機農業を認知することになった。1人黙々と有機農業に取り組んだ金子さんにとっては、それこそ長い道のりであったに違いない。
 
(霞が関出張所員)
40年前は、有機農業は変人・奇人のやること。有吉佐和子さんの「複合汚染」が広く読まれたのは35年前の1975年、日本有機農業研究会が設立されたのは1971年、私が初の論文「21世紀は日本型農業で」をきっかけに、一楽照雄会長に全国あちこちの有機農業の会合に引っ張りまわされ始めたのは1982年。その頃に初めて金子さんの農場を訪れている。従って私と金子ご夫妻の付き合いもかれこれ30年近くになる。それ以来、日本有機農業研究会「霞が関出張所員」(メンバーがつけたあだ名)を務め、国会議員になってからは、ツルネン・マルティさんと並んで有機農業の大応援団を形成している。

(政界の金子さんの有機農業グループ)
 私は金子ご夫妻との縁で、多くの仲間と知り合いになった。OECDにいた頃、金子さんに日本の環境NGOの1人として来てもらったが、そこに一緒に来られたKさんは、お医者さんの奥さんで食の安全から有機農業の信奉者で、ずっと付き合いさせていただいている。感度のよい五十嵐文彦衆議院議員は、忙しいのに有機農業の会合によく顔をだしておられた。参議院議員となる前の小川敏夫さんに初めて会ったのもこの頃である。私が選挙に出ると知ったこのグループの皆さんは、わざわざ長野まで応援に来てくれた。縁は異なもの金子友子夫人は菅総理の20代からの友人ということもあとで知った。すべて金子さんの有機農業が引き合わせてくれた縁である。

(健気な役所の後輩に心も晴れ晴れ)
 年末の押し迫った26日、私は県議選を控え、地元にすぐ帰らなければならなかったので長居はできなかったが、お祝いの会合には町長や松崎哲久衆議院議員も参加したなごやかなものであった。地産地消よろしく地元のおいしい食べ物がテーブルに並び、おいしい酒も土産にいただいた。
 心があたたまることがもうひとつあった。
 この祝賀会は研修としての公務出張ではなく、ひとりで出かけた。会場に着いてみると、農林水産省の現役官僚も何人もいたのでオヤッと思った。
 宮本関東農政局長、埼玉県農政課長に出向経験のある山田審議官、松尾農業環境対策課長等である。彼等も公務と関係なしにお祝いに駆けつけていたのである。皆、金子さんとの個人的付き合いからの出席であり、金子さんの人徳のなせる業であろう。
 天下りで叩かれ、給料が多いと叩かれている役人だが、こうした交流をしている役人は他の省庁にはそれほどいまい。農林水産行政が人の交流とともにある証左である。
 大事な年末の休日をわざわざ潰して出席していることに頭が下がり、彼らの健気さにほっとし、晴れ晴れとした気持ちになって会場を後にした。