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藤井裕久官房副長官は菅政権の下支えと重しの役割を担う -藤波孝生、近藤元次に続く調整役を期待 -11.02.02

<二人の大物官房副長官>
 鳴り物入りの内閣改造が行われた。藤井裕久さんが、渡部恒三さんに継ぐ年長者(78歳)でありながら、官房副長官として菅内閣を支えることとなった。今改造内閣の目玉はこれにつきるのではないかと思っている。私が霞ヶ関・永田町に関わった1970年代以降、大臣を経験した大物政治家が官房副長官に就いたのは、藤波孝生さん(労働大臣)と近藤元次さん(農林水産大臣)の2例しか知らない。通常官房副長官は若手の登竜門にすぎない。

<藤波対加藤の異例の米価折衝>
 今から30余年前は、米価は米価審議会で、与野党、政府、消費者、生産者を巻き込んで、一週間も掛けて決められていた。ある時、最後の折衝は自民党幹事長と官房長官なり農林水産大臣の間で行なわれていたが、中曽根内閣の二階堂進幹事長と後藤田正晴官房長官の超大物の二人は、自民党の将来を担う二人の中堅に収拾を任せた。異例のことだったが、自民党総裁室で、政府の代表の藤波官房副長官と加藤紘一自民党米価対策小委員長の最後の折衝が行なわれた。ちょっとした事情から私一人だけがメモ取りとして同席した。自民党のうるさい農林族とは一線を画し、紳士然とした存在の加藤さんと重厚な藤波さんとの味のある折衝の場が今でも頭の中に焼き付いている。

<藤波さんの加藤さんへの情け心>
 二人ともそれぞれの立場を説明し(言い合い)、熾烈な議論が戦わされた。米価決定に筋書きがあるなどと言われるが、毎年どうなるかわからないのだ。1時間半ほどで話がついたが、藤波さんは「このまま戻ると加藤さんの頑張りが足りないといわれるから、もう少し世間話でもしてこの部屋を出ることにしましょう」と切り出し、1時間以上世間話に費やした。何度も切った張ったの場面を切り抜けてきた藤波さんならではの加藤さんへの配慮である。今の民主党議員に著しく欠ける「人間力」であり、政策決定プロセスへの配慮である。二人だけでなく、自民党の議員は米価決定に関与することで、政策決定の勘所を体で覚えていったのだ。
 その時、後に政界に入り親しくなる松木けんこう農林水産政務官が、すでに藤波さんの秘書をやっていたことは知る由もなかった。

<近藤大臣の旦那と妻の双方へバランスのとれた配慮>
 近藤さんはパリの好きな人であった。私がOECD代表部時代でも数回は来訪された。近藤農林水産大臣のときには、我々農林水産省出向組に対し、「おまえらだけだとフランス飯はご馳走しないが、奥さんたちを連れてくれば、美味しいレストランでご馳走してやる」と言われた。「日本と違って外国に来ると奥さんの役割が大きい。それをねぎらったりしていないだろう。代わりに俺がねぎらってやる」という温かい配慮であった。
 ところが、夕食中には「俺はパリが好きで、今は大臣で公務出張だが、あんたたちは幸せだ。こんな気の利いた旦那を持ったから、パリに3年もいれる。羨ましいかぎりだ。旦那に感謝したほうがいい」と、逆に妻たちに説教されたのである。食事が終わったあと、妻たちがこそこそ話しているのが私の耳に入ってきた。「そうよね。皆が旅行に来るパリにこんなに長くいられるなんて、大したことないと思ってた夫にも感謝しなければいけないわね」。もっとも、私の妻ではなく、他の誰かの奥さんだったが。

<妻の役割を評価する粋な人>
 近藤大臣は外交官の妻に手当を出す、いわゆる「妻加俸」についても一家言を持っておられ、単身赴任が増えるに従い、その妻加棒が徐々に少なくなっていることに憤慨されていた。「今は奥さんが働いていることも多い。その奥さんが仕事を辞めてくるのだから、逆に手当を上増しして出すべきである。外交官であるにもかかわらず、奥さんが一緒に来ないなどという不届きなことは許すべきではない」。男女共同参画の立場からみるとどうなっているのかは私はわからない。

<宏池会の下働きできる人>
 その近藤さんが「いずれ宮沢喜一政権を作りたい。経世会(竹下派)は議運や国対をやってきて根回しできる調整役がいっぱいいるけれども、宏池会はお公家さん集団で、理屈をこねるのはいくらでもいるが、雑巾がけできるのは俺以外にはいない。だから宮沢政権ができたら、俺が官房副長官になって宮沢政権を支える」とポツリと言われた。私は、なんというか話し易い相手なのだろう。政治家に限らず、よくこういう打ち明けたような話をされることが多い。しかし、私は藤波さんの例をあげ、「近藤大臣のような大物は官房長官でしょう」と反論してしまった。ところが、私がパリにいる間に宮沢政権が誕生し、本当に近藤官房副長官が誕生した。近藤さんは、心底宮沢政権を支えんとする義理固い有言実行の人だったのである。どうやって決まったかは知らないが、多分近藤さんが申し出、それを宮澤総理が素直に受け入れたのであろう。うるわしい仲間なのだ。

<調整役欠如の結末>
 ところが悲しいことに、官房副長官の現職中に政治家として脂の乗り切った63歳で癌で亡くなられてしまった。激務だったのであろう。「コンちゃん」の愛称で親しまれ、一言発すれば皆がうなずき、コンちゃんの言うことなら聞いてやろうという雰囲気を備えていた人であった。格好よく振舞おうとするような人ばかりが多い民主党にはほとんどないタイプの重厚な味のある政治家であった。そして、近藤官房副長官という下支えを失った宮沢政権は崩壊し、非自民の細川政権が誕生した。

<歓迎すべき組織人の登場>
 今回、タイプは全く違うが、再び超大物の藤井官房副長官が誕生したのは大歓迎である。経験不足を指摘される菅政権の中で、最後の奉公をと引き受けられたのであろう。数少ない妥協のノウハウ、あうんの呼吸を知る貴重な政治家である。官庁の中の官庁財務省に22年勤めた人でもあり、官僚組織を動かした経験が政権という組織を動かすノウハウにもつながることとは請け合いである。
政界でも修羅場をくぐり抜けてこられた藤井官房副長官が、菅政権の下支えをしながら、重しになられんことを期待してやまない。