植えて使って日本の森林を大きく育てる -2011.6.19-
北信州森林組合中心の植樹祭が山ノ内町夜間瀬のどんぐりの森公園で開催された。県全体の植樹祭には参加したことがあるが、北信のものは初めてだった。久し振りに私のあいさつの一端を加筆修正してお届けする。
<天皇陛下も植樹祭にご参加>
天皇陛下は田植えをお一人で皇居の中でしていらっしゃいますが、全国レベルの植樹祭は、天皇陛下にもご出席いただいて各県持ち回りで行われています。それだけ木を植えることが大切であるからです。
なぜかといいますと今循環社会と盛んに言われますが、太陽エネルギーが物を真に生産するのは植物だけです。それをもとに動物は生き永らえているのです。木は植物の代表なのです。
<中国の砂漠化>
日本は雨も多く、土も豊かですが、土地を収奪しすぎると砂漠となってしまいます。
緑の少年団の皆さん、先日中国から何が飛んできたか知っていますか。そうです、黄砂です。量が段々増えています。これが元でのどを痛める人もいます。そして驚いたことに、黄河という大河でさえ途中で水を全部使われてしまい、海に川の水が到達しなくなるまでになってしまいました。
その点では、日本は平均降雨量1800mmと非常に恵まれていますから、そのようなことはありません。
<中国の大植林運動>
中国は雨が少なくて、砂漠が北京のすぐ北にある万里の長城のすぐ近くまで押し寄せてきています。そこで中国は、鄧小平国家主席のイニシアチブにより1980年代から10歳以上の国民に年間3~5本の義務植樹を行わせる「全民義務植樹運動」を開始しました。西暦0年にはもっと緑があったということが歴史書等でわかっています。北京オリンピックに向けてさらに拍車がかかり、西暦0年の林を復活しようというキャンペーンの下、毎年約300万haずつ森林面積を増やしています。日本は横這いですが、世界平均では毎年520万haの森林が減少している訳ですから、いかに中国が熱心に植樹活動をしているかが分かります。日本も負けてはいられませんので、今日も頑張って植えてください。
<ご先祖様の植林>
今日、周りを見渡しますと木ばかりです。しかし、よく見ると分かるとおり、植えられた木と雑木林とがあります。戦争中に木をたくさん切ってしまって、木材が不足してきました。洪水の心配もありました。そこで国策として大植樹運動が行われました。皆さんの曾おじいさんや曾おばあさん、つまり皆のおじいちゃんやおばあちゃんのお父さんお母さんたちが、戦後せっせと山のてっぺんまで杉や桧や落葉松を植えてくれたのです。
<関税ゼロで中山間地域が疲弊>
ところが、1951年まで占領下であった日本は、突然丸太の関税をゼロにされてしまい、1964年には外貨割当制度がなくなり、製材も関税がゼロになったために、外国から木材がどんどん輸入されるようになりました。今話題となっているTPPという協定に含まれる関税ゼロの恐ろしさは、中山間地域の疲弊をみればよくわかります。
昔、僕が小学生の頃は、1反歩(10a)の杉の木を切れば、豪華な結婚式を開くことができ、嫁入り道具をたくさん持たせて娘を嫁にやることができました。しかし、木を切り出すのにお金がかかり、輸入材と比較すると採算が合わなくなり、せっかくご先祖様が植えてくれた木が切り出せないようになって放置されています。もったいない話です。
<ドイツの黒い森視察>
2007年に菅直人総理と一緒にドイツの「黒い森」と呼ばれる森林地帯を一週間かけて視察しました。日本人には一度も会わないような伐採現場から、製材所、建設現場、森林の大学等いろいろと見て回りました。そしてどこでも「自然に合って長持ちをするから、半径50km以内の木で家を建てている」と同じことをくり返し聞きました。日本とは大きな違いです。ドイツでは人口100万以上の大都市はほんの僅かで、国造りもそもそも地方分散をよしとして行なわれています。だから、脱原発もできるのです。
<木こそ地産池消>
日本でもドイツを見習わなければなりません。僕は食べ物に関して「地産地消」(そこでできたものをそこで食べる)という言葉を作りました。木こそ輸入に伴うCo2の排出が大きいので地産地消すべきなのです。
いつか皆さんが大きくなって家を建てることもあると思います。その時は、今の皆さんが植えた木が大きくなっているはずです。皆さんの植えた木も含めて、この辺りの木で家を建てるようにして下さい。
原発で困っている福島県の農家を助けるため農林水産省は「食べて応援」というスローガンを作りました。木も「使って育てる」気持ちでやっていかなければいけないのではないかと思います。
今日は、中国に負けずに怪我しないようにたくさん木を植えて、日本をもっと緑の国にしましょう。