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鹿野道彦さんの確かな政局を見る眼 -05年8月8日の小泉郵政解散を予測(05.09.15のブログを再編)- 11.08.28

<05年9月の鹿野さん、苦汁に満ちたお祝い電話>
 9月11日の総選挙は、民主党にとって結党以来の大敗北となる無惨な結果だった。
郵政解散・総選挙という事態を予想しきれず、準備できなかった民主党の重大なミスが招いたものだ。
9月13日(火)午後9時頃、苦杯をなめた鹿野道彦さんから当選祝いの電話があった。私は慰めたいもののどう話したらよいかわからず、電話をできずにいたのに、自分のことには全く触れず、ひたすら大逆風の中での私の再選を喜び、民主党の改革、政権奪取、日本の再生について頑張るように励まされた。私には、とてもできない芸当である。当選10回(当時)、自民党時代に農林水産大臣、総務庁長官を務めたベテランのその気配りに頭が下がった。一つも愚痴は言わなかったが、はらわたが煮えたぎっていたに違いない。無念の敗北だったからである。

<05年3月に小泉郵政解散を予測>
 私は、民主党は幹部の政局判断ミスにより、かくも大量の落選者を出したことを明確にすべきだと思い、既に05年9月15日、ほぼ同様のブログを書いたが、今回の代表選に及び、鹿野さんがいかに政治を知っているかを知ってもらいたいので、少し書き直して再び紹介する。
 鹿野さんが私に小泉純一郎首相の郵政解散を最初に話したのは05年3月のことであった。次のようなやりとりの会話があった。
   「この次の選挙に向けて支持者訪問してるだろうな、小沢さんの言うとおりドブ板をやらないとダメだぞ」
   「はい、罪滅ぼしもあって、中山間地域を回りだしたんですが、あまり山の中で二度と来れないようなんで、支持者訪問を全戸訪問に切り替えて、谷から谷へと回っています」
   「バカ、何を悠長なことをやってんだ。この国会の会期末で小泉は郵政解散に打って出るはずだ。もっと人の多いところを早く回らないとダメだ」

<はずれ亀井予測と対抗法案まで準備した鹿野さん>
 8月だって亀井静香さんは、郵政解散なんて150%ないと言っていたのに、鹿野さんは3月に予測していたのだ。政治の師匠なので、私は半信半疑で里におり、鹿野さんのアドバイスどおり新興住宅の中でも人口稠密地帯を回った。
 鹿野さんは、郵政問題が国会で対立軸となる初夏には、民主党の郵政の対抗法案を用意し、先の国会に提出すべきだと主張し、かつ行動を起こしていた。口先だけが先行する政治家が多い中、鹿野さんは民主党の危機を察知し、素早い行動を起こした。まさに未熟な民主党議員の中にあって稀に見る先見の明のある熟練政治家なのだ。

<信念を貫く潔い政治家>
 他の同僚が次々と自民党に戻ったり、自民党と手を組んだりする中、ただひたすら二大政党制による政治改革の目標を追い続けた。その点、羽田さん、北沢さん、等と同じ筋を通す信念の政治家なのだ。
ところが、その鹿野さんも不運にも辞めた秘書が悪さをし、新聞ダネとなってしまった。そのため民主党に迷惑をかけないよう潔く離党した。これが原因で、それまで選挙には滅法強く、今同僚の近藤洋介さんの父近藤鉄雄さんと同じ選挙区でもほとんど負けたことがなかったのに、その後は小選挙区で負けるはめになってしまった。そして、前述のとおり05年選挙では議席を失った。

<赤プリの対抗法案作成会合>
 94年に自民党を飛び出してから11年、「今ほど政権奪取の好機はない」と意欲満々だった。「国民の為にも政権交代し、日本を再生せねばならず、小泉政権を早く終わらせなければならない」と民主党の煮え切らない対応に苛々していた。そして、そういう思いを同じくする同志と赤坂プリンスホテルで会合を持ち協議し、当時の幹部にも対抗法案の提出を促した。鹿野さんは、私に法案作りを命ぜられたが、農業再生プランもあったので断ったが会合には参加した。その結果、中野譲議員等が主要メンバーとなり対応法案も作り上げた。

<鹿野さんの必死の対抗法案をふみにじった、政局オンチの執行部>
 両院総会では、末松義規さんが鹿野さんの主張や対抗法案の必要性を訴えたが、岡田克也代表、仙谷由人政調会長等の執行部は、四の五の長々と言訳し、我々の主張を受け入れなかった。
鹿野さんは「小泉は昔からよく知っている。友人もいない。郵政民営化が趣味だ。国民のことも国家のことも考えていない。自民党のことも考えていない。自分の趣味の方が大切なんだ。だから常識も何も通用しない。解散でも何でもやる。それなのに何も準備しない民主党はボロ負けする」と珍しく嘆いた。

<自民党に騙され選挙中にブレて大敗北>
 一方、小泉総理は7月5日の衆議院での採決後、解散の準備を進めていた。私は鹿野さんの予想もあり、また少々こうした予知能力(?)も多少あるほうなので、森前総理の官邸での演技で解散を悟った。官邸で缶ビールはともかく、ひからびたチーズを出すなどありえないことだからだ。皆がまんまと騙されていた。
 民主党は議論をおそれ、守りに入ってしまったのだ。自民党の党を割る議論を高みの見物していたのだ。これでは、国民から見放されるのは当然である。
 選挙戦の最中にやっと気付いた岡田代表や仙谷政調会長が預け入れ限度額を1000万円から700万円とし、500万円にするとか、郵貯・簡保を縮小とか慌てて対案の説明を出した。岡田代表は民営化どころか廃止まで発言した。しかし、すべてが手遅れだった。
 この執行部が今再び幹事長と代表代行にいる。たてて加えて、10年の参院選の最中にも菅総理が消費税を巡り不用意な発言をして敗北した。やはりどうみても拙いのだ。これでは民主党がまた再びガタガタしているのもムベなるかなである。

<鹿野さんが戻ってきたのは天啓>
 この時の口惜しさは、私の当時のブログで表現したほうがよいのでそのまま再掲する。
「何よりも残念なのは、日本政界がこの事態を予測して手を打とうとした鹿野道彦さんを失ったことだ。これで政権交代がまた遅れ、日本の停滞が続くことになってしまった。民主党にとっても痛手で、政局を見る眼のある人がまた一人欠けたのだ。民主党の鹿野さんの必死の叫びに耳を傾けなかった幹部に猛省を促したいと思う。」

 しかし、天は我々をそして民主党を見捨てなかった。鹿野さんは09年選挙で復活した。予算委員長、農相と続けた今、日本の政治が鹿野さんを必要とする時を迎えたのだ。
 今、その時の鹿野さんの確かさを知る議員が鹿野さんを代表、総理にしようと団結して取り組んでいる。