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自民党時代の総理の条件 -当選10回 60歳前後 党三役1回 閣僚3回(うち1回外務か大蔵)-  11.8.23

民主党政権が誕生し、鳩山由紀夫、菅直人と2人の総理が生まれたが、どうもピシッとしていない。トップが国を統治する政治家として訓練されてきていないのであり、ある面では仕方がないことである。
それに対して、各国の政治システムはいろいろ異なっているが、先進国にはそれなりの政治のトップをつくる仕組みというのが出来上がっており、自民党時代にもそれなりのものがあった。

<自民党時代の総理の条件>
最近40年、つまり田中角栄以降の総理がどのような経歴の持ち主かというのを表にしてみた。自民党政権ではよく、総理・総裁の条件として、当選10回60歳前後、党三役1回、閣僚3回で、内外務か大蔵(現財務)を1回経験するということがあげられていた。もっというと、3回のうち経済関係閣僚が2回というのもあった。
田中角栄、三木赳夫、福田赳夫、大平正芳まではこの条件を一つも外すことなく全部クリアしていた。三角大福中とか言われていたが、すべて条件を整えた大物が派閥の領袖をしていたことになる。反小沢と親小沢のようなひどい対立ではなく、総裁選で戦ってもお互いに枢要ポストに就いて政権運営では協力し合ったからだ。戦った相手方を排除したり、負けた側が足ばかり引っ張ったりすることは少なかった。閣僚が好きかってに発言することもずっと少なかった。今よりずっと大人の政治だったのだ。

<鈴木善幸総理の妙味>
大平の急死を受けて、急遽総理となった鈴木善幸は、外務も大蔵もやっていなかったものの、総務会長を何度もやって、他の条件は満たしていた。あまりにも熾烈な投票に飽きた自民党の知恵で選んだ温厚篤実なつなぎ役であり、それでも2年続いた。私は内閣総合安全保障関係閣僚会議担当室の末席で身近に仕えた。
中曽根も当選14回を数え、大臣は、科技、運輸、防衛、通産、行政管理と何度もやり、幹事長、総務会長2回と、外務・大蔵経験がなかっただけで、最も満を持して総理になった政治家の一人である。だから5年も長持ちした。思いがけずポッと首相についたのとはわけが違う。同年齢同期の田中に遅れること10年、しかし、大宰相となり今も健在である。急ぎすぎる若手には中曽根を見習ってほしいと思っている。
今からみると、人材がひしめく自民党の黄金時代だったのである。

<はじめての非自民政権の混乱>
その後、竹下登、宮澤喜一もすべての条件を備えていたが、宇野宗佑、海部俊樹は、党の役職と大臣の回数等で欠けている。当然のごとく細川護熙は役職や閣僚経験はなく、熊本県知事2期だけである。しかし、アメリカ同様、県の知事としてマネジメントの経験を積んでいた。羽田孜は、意外なことに党の役職はやっていなかったが、大蔵も外務もやり、農水大臣も2回と大臣の経験は豊富であった。当然社会党の村山富市は、閣僚経験はないが、55年体制の社会党国対委員長をやり、あうんの呼吸は心得ていた。何よりも人格者で誰からも嫌われない人だった。
その後、自民党政権にもどり橋本龍太郎、小渕恵三も完全に条件を備えていた。

<劣化した自民党総裁総理>
その後から、やはり自民党の劣化が見られるのかもしれない。森 喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と続いたが、すべてどこか欠けている。例えば森は、党の役職は、三役すべてやっているが、大蔵・外務をやっていない。小泉にいたっては、大臣を厚生と郵政とやっているが、党の役職もなければ、外務・大蔵もなかった。それでもしつこく総裁選に出続け、最後には参議院選用の顔として選ばれ、田中眞紀子の効果もあり自民党が圧勝した。そして、中曽根を凌ぎ、5年も首相の座に居続けた。特異な才能のある、日本では珍しい政治家だった。

<選挙の顔で選ばれてしまった総裁総理>
しかし、自民党はこれ以降、与党たらんがため責任政党の理念を失い選挙の顔で総裁を選ぶようになり、例の厳しい総理の条件は消えてしまった。安倍にいたっては当選5回、福田も当選6回、党の役職も外務・大蔵も経験していない。短命に終わったのは、やはり経験不足である。
 選挙に負けて退陣したが、麻生が最近の自民党の政権の中では、形式上は全ての条件を満たしている。ただ、ほとんどは馬の合った小泉長期政権の時の急ごしらえポスト経験にすぎず、経験者の重さは感じられなかった。

<小泉により一挙に大衆化した日本の政治>
 菅直人は市民運動家から宰相に登り詰めた。しかし、それより先に大衆の心を掴んだのは、田中であり、小泉である。
 小泉により、日本国民は禁断の木の実を食べた。政治が面白くなったのである。これ以降、芸能人のスキャンダルや社会的問題よりも政治や政治家絡みの記事(といっても残念ながら政策論議ではないが)が多くなった。そして、週刊誌ネタを提供する目立った政治家や、TVで映りがよく喋りがうまい政治家がはびこるようになった。
今ようやくそうしたドタバタ政治も国民に飽きられている。いや、呆きれ果てられており、政治の信頼を取り戻すのは容易なことではない。大衆を再び沸かすとしたらもう日本初の女性宰相しかないが、そんなことをしている暇はない。地味で堅実な人に日本のトップになってもらい、じっくりと政治に取り組んでもらう以外はない。
民主党は政権与党になったものの、政権運営の稚拙さがたたり支持率は下がりっぱなしである。選挙基盤の弱い140人余の新人議員は自民党末期と同じく選挙の顔だけで代表を選ばんとしている。責任政党の堕落を意味しており、絶対に避けなければならない。

<是正すべき日本の制度的欠陥>
日本では、佐藤栄作の7年8ヶ月が最長で、最近では中曽根と小泉が5年持っただけにすぎない。かつて、竹下は、日本では「歌手と総理は2年の使い捨て」と嘆いていたが、今や2年持つと長いと感じられるようになった。小泉以降、安倍、福田、麻生、鳩山、菅と2年と持たないのだ。これでは対等の外交などできないのは当然である。日本の政治の安定のため、いつも不信任案に追いかけられ、参議院が必要以上に強い影響力を持ってしまう日本の制度的欠陥は修正しなければなるまい。

<珍しい元清和会の民主党議員>
 私が菅の次の首相に擁立せんとしている鹿野道彦に触れなければならない。
鹿野は清和会(福田派)のプリンスと呼ばれた。人を見る眼のあった福田は、自らの派閥は次は安倍、そしてその次に鹿野と指名していたという。責任あるトップは、トップになった途端に引き際を考え、次に後継者のことを考えるものだ。
しかし、安倍は、安竹宮小と呼ばれたポスト中曽根で竹下が選ばれ、宰相の座に就くことなくおしまれつつ外相で亡くなってしまった。このため順番が狂い、三塚博に引き継がれた。その後に鹿野は政治改革の熱情に動かされ、自民党を飛び出し、新党みらいを立ち上げた。民主党の元自民党は、羽田、小沢、渡部等 元経世会がほとんどだが、武村正義等と並び珍しく清和会出なのだ。羽田同様に昔の同僚の自民党議員からも嫌われていない人柄のよさがある。

<民主党のいぶし銀的存在 鹿野道彦>
 以来17年、野党を貫き通し、やっと政権交代にこぎつけ2度目の農相に就いた。歴史に、まして政治にはif(もし)は許されないが、安倍総理が誕生していたら、そして鹿野が自民党にとどまっていたら、とっくの昔に鹿野総理が実現していたかもしれない。
 当選11回、69歳 自民党で農相と総務庁長官の2回の閣僚を経験し、今2度目の農相。自民党で党三役はしていないが、自民党時代に小沢幹事長の下で副幹事長をやり、民主党で国対委員長として汗をかき、民主党では初代予算委員長を務めている。経歴という点では小沢に次ぐ。
民主党では羽田同様派閥活動は一切せず、地道に仕事をこなしてきた。自民党の派閥政治を批判していた民主党の中堅までが、○○会や○○グループを造って同じ穴の狢なっているのと大違いである。その意味では鹿野こそ民主党の理念を背負い続ける象徴的存在なのだ。
ここにも私が鹿野に期待する一つの理由が存在する。

総理の条件(日本版)PDFファイル