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代表選こぼれ話 11.9.29

 代表選こぼれ話 その1
 皆が実践し、私が違反した「短期決戦マニュアル」

私は、別稿のとおり、鹿野グループの代表選の雑務を相当こなした。8月19日の出馬要請文やよりくだけた政策ビラ等も作成したが、ついでに短期決戦マニュアルを作成した。

<外部に漏れたマニュアル>
いつも選挙の時にする電話掛けの代表選版で、あくまで低姿勢、1期生重視、くまなく働き掛け、他候補の悪口は言わない等、当たり前のことだった。ただ鹿野さんの人となりのPR部分が入っているのが違うだけだった。ところが、これが外部に漏れることとなり、マスコミにも取り上げられることになった。私は忙しくてニュースも見ておれなかったが、TVにもそこかしこで取り上げられ、読売新聞にも主な部分が掲載されてしまった。
秘密ものということもないが、外部に出すものでもない。こういうものを外に出したり、やたら喋る人がいるのは困ったものである。内部でも、こんなものを作るのがいけないという人がいたが、私は珍しく声を荒げて、こんなものを外に出す者を叱るのが筋だと反論した。
ちょっと愚痴を言えば、民主党をまとめなければという健気な人たちの集まりではあったが、当選回数が多い方々なので私のマニュアルどおりこまめには電話掛けなどをしてくれる人は少なかった。5人の候補の中で、鹿野さんが一番知られていないというのに、1期生が5~6人しかいないというのも残念であった。

<他陣営にも活用される>
8月26日、菅総理の退陣を受けて、ようやく鹿野候補の会館回りを開始した。衆議院議員1期生143人が鍵をにぎり、よく挨拶する必要があった。私は人の名前と顔を覚えるのは自信があったし、これまた私が随行し、次の部屋に行く前に選挙区や特徴を耳打ちしては次々回っていた。
すると、明らかに他陣営の参謀の一人が、私を掴まえて、「あのマニュアルは篠原さんが作ったんでしょう。よくできているし、本当にその通りなんで我々も使っていいですか」と聞いてきた。皆に知れわたっているのだし、私は苦笑いして「どうぞご自由に」と答えるしかなかった。
私の作成した資料は、精緻な議員情報もマニュアルも他陣営でもそれなりに活用されたようである。

<説教する私が違反者?>
これで終わるかと思ったら、マニュアル話が投票日に再び登場してきた。
予想通り、1回目の投票で半数に達する人はおらず、決戦投票となった。その間の10分間のトイレ休憩。いつもと違い、男子トイレは長蛇の列。10分後には投票が始まり、民主党の3人目の総理が決まることもあり、皆緊張した面持ちである。少々出が悪くなった(?)用を黙々とたしている中、私と目を合わせた幹部が突然大きな声を出した。皆黙っている中なので、トイレの中のほとんどの人に聞こえていた。
「篠原さん、自分で作ったマニアルどおり、自分できちんとやったの」
これを聞いた何人かがクスクスと笑った。つまり、私が熱心さのあまり、さっぱり低姿勢ではなく、ついつい説教調になってしまったことを冷やかしたのである。その辺の事情を知る人だけが笑えたのである。
私は、知っているほとんどの人に電話をかけまくった。中には親しい議員もおり、ぐちぐち言うのでつい口調がきつくなってしまったのかもしれない。鹿野グループの他の者も同じように電話で依頼している。その者に対し「篠原さんが2~3度電話かけてきたけど、だんだん説教調になった」と答えたという。これがその時の幹部にも伝わったようだ。
どうも、私が相当熱心に選挙活動をしていることが相当の人に伝わっていたようである。


 代表選こぼれ話 その2
 「衆・1期生の皆さんへ」から「民主党国会議員の皆様へ」

<党員・サポーターを無視する勝手な選挙日程>
それにしても、いずこも権力を握った者が勝手をし出す。恒例の(?)途中辞任だから党員・サポーター選挙をしないのは仕方がないとしても、告示が27日(土)、投票が29日(月)というのは、あまりにひどすぎる。執行部の担ぐ準備の整った候補で有利に運ぼうとしたことは誰の目にも明らかだった。私は、こうした理不尽なことには歯向かわずにはおれない性分である。

<メルマガ・ブログと紙でPR>
鹿野さん擁立に当たって一番の問題は、1期生議員等に知られていないことだとわかっていた。だから一刻も早く選挙活動を始めたかったが、私も菅内閣の一員、菅総理が明確に退陣表明しないのに、閣内にいて開けっ広げに鹿野さんのPRをして歩くわけにはいかなかった。そこで、誰にも文句を言われないメルマガ・ブログに関連するものを書き、それを私の付き合いのある1期生議員に配布することにしていた。公式の選挙期間がたった2日、しかも鹿野さんが律儀に菅総理が辞めるまでは選挙活動をしない中、せめてもの限られた手段だった。

<一期生を標的>
どうでもいいことだが、代表選には公職選挙法の適用もなく、何をしても自由なのだ。だから、自民党ではニッカ、サントリーと実弾が飛び交ったと言われているが、民主党はただ電話賭けとビラを配るくらいである。今回は前原さんについて悪口満載の怪文書(?)が配布されたが、全体としてみれば、いたってきれいなものである。
日米仏でトップがどう選ばれるかという理論編2つ(自民党時代の総理の条件-11.8.23-、米・仏にみる国のトップの資格と選び方-11.8.23-)、鹿野さんの紹介編2つ(鹿野さんと農業者戸別所得補償-11. 8.27-、鹿野道彦さんの確かな政局を見る眼-11. 8.28-)を書き上げ、早めに配布する手筈を整えていた。山岡国対研修の私の班員14名、財務金融委員会16名、農林水産委員会16名等と数え上げていくと、143名中半数近くと交流があった。たぶん、1、2期性以外で1期生の名前と顔が一番よくわかるのは私かもしれない。

<いつの間にか民主党全議員配布>
準備が整ったところで、あまり出すぎたことをして票を減らすのもよくないので、大畠選対本部長と増子広報担当に了解をとろうとしたところ、せっかくなので全民主党議員に配布するということになってしまった。そこで、昔の幹部批判の部分を少々修正して前民主党議員に配布した。
しかし、そのため配布が2日遅れ、投票日までにいったい何人の議員が目を通してくれたが疑問である。親しい議員に聞いたところ、3分の1は読んでいたが、3分の1くらいは表紙だけ見たとかあやふやな答で、がっかりし、選挙戦が1週間近くあり、読める時間がもっとあったら、もっと得票できたのかもしれない。

<国会議員の活字離れとマスコミの無関心>
国会議員はだんだんずぼらになり、本も読まず、書類にも目を通さず、耳学問だけになっていく。そうした中、私の紙は合計14ページ、国民よりもずっと早いペースで進む(?)国会議員の活字離れの中、その他大勢の書類に埋もれたままになってしまったようだ。
マスコミもどうせ扱うなら、誰にもわかる電話かけの短期決戦マニュアルなんかではなく、少なくとも米仏のトップの選び方くらいには触れていいと思ったが、皆無だった。どうも小沢詣でだとか、票の引っ剥がしとかばかりに関心がいき、まじめな大切なことには目がいかないようである。