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代表選ちょっといい話 11.9.29

 代表選ちょっといい話 その1
 松木けんこうさんの人情投票

<首班指名は記名投票>
国会の1番重要なものの1つである首班指名は、記名投票で決められる。つまり、左側に「篠原孝」と書いた上で「野田佳彦」と書く。各党ともその党首名書くのが普通である。
ところが、今回、小沢一郎と海江田万里が1票ずつあった。私は、松木さんは相変わらず小沢一郎命だなあと感じて電話をした。ところが、小沢一郎と書いたのは、元秘書で民主党を離党している石川知裕さんで、松木さんは海江田万里と書いていたのだ。


松木さんは、ただ一人、菅直人総理の不信任案に賛成し、民主党を除名されている。ところが、一新会の重要メンバーであり、TPPを推進してきた海江田さんの擁立はいかがなものかといろいろ注文をつけたらしい。その結果かどうかはしらないが、海江田さんは、5人の候補者が揃った討論会で「TPPは慎重に検討する」と答え、趣旨を変えたことにどよめきが生じていた。

<民主党代表選で投票できないかわりに国会で投票>
松木さんの説明は以下のとおりだった。
自分たちの要望を聞いて海江田さんの元来の主張を曲げて、TPPを慎重にと言ったのに、自分は、民主党から除名されていて、代表選では海江田さんを投票できなかった。その分、投票権がある本会議の場で投票したのだという。海江田さんの柔軟な対応に敬意を表すべく一票を投じたのだ。大勢には影響のない無効な一票だが、彼はまた自分なりの筋道を通したのである。
私はこの説明を聞いて唸ってしまった。松木さんは、一般の民主党議員からみると何か変な行動をしているように見えるが、ひょっとしておかしいのは他の議員たちで、松木さんこそ当たり前のことをしているのかもしれない。


 代表選ちょっといい話 その2 
 鹿野さんの上着のシグナル

連日開催された鹿野選対会議も、8月28日夜最終段階を迎えていた。私の票読みによると53票だった。従ってとても当初に目標した2位は無理で、決戦投票では1位か2位のどちらかに投票しなければならないというのが見えてきた。

<自主投票から鹿野さん一任へ>
そこで議論が始まった。正直な者が、自主投票とポロリと漏らした。もっと正直に「どうも野田Gや前原Gのチャラチャラした人たちは嫌いだ」と言う人がいた。ずっと楽しくやってきた選挙戦の中で、ちょっと気が滅入る場面だった。私は我慢できず発言した。
「親小沢、反小沢の内輪揉めばかりじゃよくないから、鹿野さんを代表にして党内融和を、と主張してきたのだから、その我々が、あっちが嫌だこっちが嫌だと言っても始まらない。この際、一致団結して投票することにして、鹿野さんに任せましょう」

<TV時代に合った上着を脱ぐ合図>
異論は無かった。静かな私の一言が、野田政権誕生への重要な一石となったのだ。
その後、どうやって鹿野さんの決断を皆に知らせるかについて議論となり、誰が言い出したか、「上着を着たままなら1位に、脱いだら2位に」ということで決まった。
こうしてTVで何度も流された、上着を脱いだ鹿野さんが出来上がったのだ。翌日の小学校6年生の国会見学では、野田首相は皆が知っていたが、鹿野さんは知らなかった。しかし「あの上着を脱いだ人か」と気付いてくれた小学生も現れた。

<久方振りの下位連合の勝利>
第一回目の投票が、海江田143、野田102、前原74、鹿野52、馬淵24だったが、2回目の決戦投票は、野田212、海江田177、無効3となった。数合わせをしてみると、野田・前原連合、馬淵を加えてもまだ16たらない。明らかに鹿野さんの上着脱ぎで、約40以上が野田に流れたことは間違いない。全く知らなかったが、党首選で下位連合が逆転勝利を収めたのは、55年振りだという。
もし、着たままだったら海江田215、野田174となったというのが私の計算である。また、鹿野グループはもともと小沢グループの人たちが大半であり、自主投票なら海江田と書く人が多く、やはり野田政権は誕生しなかったことになる。

<感謝の念のない野田陣営>
判断基準は、鹿野さんがマスコミの前でいみじくも述べたとおり、党内融和である。それには鹿野さんが一番だったが、2番目は野田さんであろう。
海江田陣営は、この厳然たる事実を認識し、鹿野さんにしてやられたと思っているが、どうも野田陣営はユーモア演説による1回目102票の勢いで勝利したと思い込んでおり、あまり感謝の念がないようである。