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TPPシリーズ7.TPPで米の輸出という矛盾-11.11.6

 連日TPPの議論が白熱している。そんな中、よく繰り広げられる、農業を強化して輸出産業として位置づけるという、耳障りよいことこの上ない主張。今回は、この矛盾に切り込みたいと思う。

<楽観的すぎる農業とTPPの両立、TPP農業刺激活性化論>
 TPP推進論者が決まって言うことに、TPPを機に日本の農業を輸出産業にすべきというものがある。曰く、「日本の農業は大切であるが、現在の農業の現状は、減反し小規模零細農家も多く、競争力がなさすぎる。貿易の自由化を契機に大規模化を進め、競争力ある農業をつくり、自給率も向上させる」である。
 言葉にすればもっともらしいが、関税をゼロにしたら、大規模専業稲作農業こそ競争で潰れていき、自分(や親戚一同)の食べる米ぐらいは自分で作ろうという健気な兼業農家しか生き残ることはできないだろう。経済学あるいは農業経済学上の常識なのに、素人ばかりか専門家までも同じようなノーテンキなことをいう人が多いのに驚かされる。たとえ、現在の農地を集積し20~30haに規模拡大しても、そもそもたかがしれているのだ。その200倍の規模のアメリカ、1000倍の規模のオーストラリアにどうやって太刀打ちができるというのだろうか。大量に安い米が輸入され、今の大豆(6%)や菜種(0.04%)や小麦(9%)の自給率並みになるのは明々白々である。
 それならば、今の戸別所得補償を使って農家に、内外の米の価格差分を補償すればいいという人もいる。しかし、3~4兆円にもなる財政負担を国民が許容してくれるのか、私には疑問である。更に楽観的な主張で、米は例外になるかもしれないからとにかくTPP交渉には参加すべしという、かなり乱暴なものまでもが横行している。

<イチゴと米は別の競争力>
 日本の米が、中国の米の20倍の価格で売られている。りんごふじが1個3000円、いちご一粒が200円という具合だ。それでも飛ぶように売れていると、小泉政権のときにまことしやかに言われていた。最近は聞かれなかったが、鹿野農相の地元山形県のサクランボを例に、体力を強化した結果国内でも高級品として売れるようになった、などととってつけたことを言う閣僚も現れた。
 しかし、食べ物は、そこで取れたものをその時に食べる、地産池消・旬産旬消が原則であり、あまりあちこちに輸送することは好ましくない。特に生鮮品は劣化するため、保冷輸送にも無駄なエネルギーが必要になる。
 ましてや、これが米や小麦や大豆なのどの土地利用型の基幹作物には、全くあてはまらないことがわかっていない。

<原発事故で傷ついた日本食品の安全性>
 日本の食べ物はおいしく、安全で、健康的ということがブランドであった。しかし、3月11日の福島第一原発事故でその名声は大きく傷ついてしまった。食品の安全にうるさいEUだけでなく、毒入り餃子、残留農薬野菜等数々の危なげな食材を日本に持ち込んだ中国までもが、輸入もほぼ全面禁止している。放射能検査をした13都県については、全て検査証明をつけ、それ以外の県は、その県で生産されたことの証明書をつけなければ輸入させないという厳しい輸入制限を実施している。
 一方、いつも難癖をつけてくるアメリカは、日本で生産制限を解除した品目を、ほぼそのまま輸入制限解除品目にしている。この点だけは感心する。日本ほど放射能や安全性にうるさい国はないということを知っており、また大した輸入額でもないことから、日本の基準をそのまま認めているのだ。いくら放射能は目に見えず国民が心配しているとはいえ、中国やEUのしていることは厳しすぎると思うが、日本の食べ物の安全神話は、完全に傷つけられてしまった。

<日本の米輸出の可能性>
 日本の米の輸出は生産量840万tのたった0.02%しかない。中国は18倍の1.3億tの大消費国で市場としては魅力があり、ジャポニカ米(短粒米)と日本式炊飯器も人気を博している。鹿野農相は、ことのほか米の中国輸出に熱心であり、農相就任前から筒井農林水産副大臣等とともにその推進に当たってきた。大臣就任後も同様で3月11日の震災さえなければ、3月の春分の日をはさんだ連休に、関係都道府県の知事と一緒に中国へ米の輸出の最終打ち合わせに行くことになっていたが、全てキャンセルされた。原発事故はこんなところにも悪影響を与えている。
 また、差別化差別化というが、同じ食べ物、そんなに大きな差があるはずがない。また、同じ気候、同じような土壌・環境さえあれば、同じものを作ることもできる。日本の優れた品種や栽培技術は、どんどん海外に流出しており、現にアメリカやオーストラリアで和牛が生産され、韓国では日本で育種されたイチゴが生産されている。米にしても、アメリカ、オーストラリアではコシヒカリやあきたこまちも作っている。工業製品と同じく、栽培技術もやがて追いつき、価格差は、規模や人件費の違いになってくる。規模の面では、前述したように、アメリカやオーストラリアに太刀打ちできない。関税が撤廃されれば、今は長粒種しか作っていない所でも、すぐ短粒種に転換し、日本向けに輸出してくることは明らかだ。
 だから、日本が超高級米を外国に輸出するなどということは、ニッチ(隙間産業)で考えられても、これを主流としていくとは考えられない。

<中国の金持ちがコシヒカリを食べ、日本の非正規雇用者が外国米を食べる矛盾>
 中国は13億の民、10%の富裕層がいるとしたら1億3千万人、たった1%の超富裕層でも1300万人、それが北京とか上海とかの大都市いるとすれば、確かにそれだけでも魅力的な大市場になる。世界の超高級品が一番売れるのはアメリカで、次が中国であると言われるが、納得せざるを得ない。ところが、我が日本ではそれら高級品はほとんど売れないそうだ。日本の平等社会、社長の給与も新入社員のせいぜい10倍程度ということに起因しており、日本はそういう点では格差の少ないいい国なのである。
 この海外の格差が日本に持ち込まれるなら、稼ぐ人はいいものを食べ、稼げない人は安い食べ物にしかありつけなくなる。つまり、中国人の富裕層が、日本の安全でおいしいコシヒカリを食べ、日本の何百万人もの年収が200万円に満たない非正規雇用者が、東南アジアや中国から輸入された質の悪い米を食べることになるのだ。果たしてこんなことを国策として推進すべきだろうか。

 それよりもやはり食べ物もエネルギーも、なるべく近くて、自分の近くの人たちに提供していく地産地消が基本である。いざという時を考えても地産地消が一番いいということは、3.11の震災にいやというほど教えられたばかりである。
 この期に及んで枝野経産相が再び農業輸出産業論を振りかざし始めた。自由貿易は一つの手段でしかないのに、それこそ目的化してしまい、それにそった社会構造や産業構造にしないとならないという強迫観念にとらわれているのである。あたかも輸出していなければ産業でないというのは、明らかに間違っている。日本はまずは1億2700万人の日本人に質のよい食料を供給することを考えるべきであって、輸出など二の次三の次でよいのだ。