« TPPシリーズ3.TPP党内議論封じに反論する -11.11.1 | メイン | TPPシリーズ5.郵政民営化とTPPの類似性-11.11.4 »

TPPシリーズ4.元祖TPP:日米構造協議による大店法の改悪・廃止とシャッター通り化-11.11.2

 3回前のブログ(過熱するTPP交渉参加の是非の議論 11.10.28)でTPPと原発について執筆中と書いたが、TPPは急を告げているので、その一部をお届けする。
 今、私は鉢呂座長の党のPTと慎重に考える会の2つの会合に出ずっぱりである。役員会も加わり、ずっとTPP三昧である。そこでの主な議論は、医療、公共調達、資格、食品の安全性、共済等様々であり、日本の社会制度そのものの改変についてのものが大半である。予測は難しく、政府、推進議員、慎重(反対)議員間の議論がかみ合わない。
 なぜかというと、どういう内容の交渉になるかわからないからだ、となると、やはり過去の歴史なり事実から、TPPが日本にそのような影響を与えるかを学ぶしかない。2回前のブログ(TPPで考える、アメリカの戦後の日本の食生活大改造の恐ろしさ 11.10.31)がその一つだ。今回は日米構造協議の結果を受けた大店法(大規模小売店舗法)改正・廃止について、そして3回目には郵政民営化についてお届けする。

 日本の地方は疲弊した原因は、二つあると思っている。
一つは無節操な農林水産物の関税の引き下げであり、もう一つは日米構造協議の結果を受けた大店法の改悪による商店街のシャッター通り化である。地方の文化・伝統の担い手である商店街が空洞化し、日本の地方社会がいかにしてズタズタに引き裂かれていったかを示す。TPPは、この数倍の圧力で、日本を混乱させる方向性がある。

(大店法の制定による出店規制)
 大店法(大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)は、1973年に成立(74年施行)された。中小小売業保護の立場から、一定以上の面積(1,500㎡ 政令指定都市等では3,000㎡)を有する建物を規制の対象とし、店舗の新増設、開店・休業日数、閉店時刻について届出を課し、通商産業大臣は、周辺小売業に及ぼす影響が大きいと認めるときは、大規模小売店舗審議会の意見をふまえて勧告することができるという法律であった。
 しかし、経済の成長と共に、大規模店舗出店の勢いは止まらず、施行前の既存大規模店舗数 約1,700が、たった5年で2倍弱にまで膨れ上がっていった。同時に、中型店舗の新設も盛んに行われたことから、中小小売業者に対する大きな脅威となっていった。
そのため、1978年に規制対象を1/3の規模に引き下げるなど規制を強化し、さらに1981年には、通商産業省により、大規模店舗の出店を自粛する行政指導と、出店届出の「窓口規制」まで行われるようになった。

(日米構造協議により大幅規制緩和)
 この規制強化の流れが完全にひっくり返ったのが、アメリカの圧力ともいえる日米構造協議である。アメリカは、いろいろな日本的システムの中の一つとして大店法を厳しく攻撃した。外国製品をより自由に販売できる大規模店の出店が規制されているため、外国製品、なかんずくアメリカからの輸入品の販売が阻害されているという論理であった。常識的にみれば、とってつけたような難癖でしかない。ところが、驚くべきことに日本はこのアメリカの要求に屈していく。
 交渉の結果、大店法は改正され大幅に緩和されることになる。アメリカは通商301条(スーパー301と称された)による輸入停止や他の品目にも制裁措置を課すクロス・リタリエーションを楯にして日本を攻撃したが、日本国内の世論にも、大店法や複雑な流通機構は消費者の利益を侵害しているという米国の意見に同調する意見も多かった。
 1991年には、売場面積を、2倍の3,000㎡(政令指定都市等では6,000㎡)に引き上げ、商業活動調整協議会を廃止、出店調整は大規模小売店舗審議会に一本化、調整処理期間は1年以内とすること等を内容とする改正大店法が成立した。更に1994年には、1,000㎡未満案件は原則自由とされ、届け出をしなくてもよくなり、閉店時刻や休業日数の下限も緩和された。これらはすべて、アメリカの要望に沿ったものだった。

(大店法廃止で商店街が衰退)
 1991年の再改正大店法により、大規模店舗の出店はかなり容易になり、従業者50 人以上の大規模店は、改正前の1991年の9,009から2007年には2倍の17,547と着実に増え続けている。
また、1970年代後半から、大手資本を中心にしたコンビニエンスストアも普及し、個人商店を圧迫していった。1972年に2.3万店あったコンビには、1991年には4.2万店に増えた。
 その結果、従業者49 人以下の中小規模の店は、同期間に約160万から約122万と35万店も減少し、従業者1、2 名の個人商店になると、1982年に100 万軒以上あった店舗数が、1997年には71 万軒弱、2007年には50 万件を下回るほどになった。
 商店街団体に対して行っているアンケート調査によると、大店法改正後の1995年に商店街の抱える問題としもっとも多かったのは、「大規模店に客足がとられた」であったが、現在では退店・廃業の理由として62.6%が理由として後継者不足をあげている。若者が参入しない地域は衰退していくのは当然であるが、それもこれも大店法の改正が切っ掛けとなったのは明らかである。

(アメリカ型郊外店が地方の商店街を潰す)
 大規模店は、自家用車の普及やバブル期の地価の高騰を背景に、既存の商店街など町なかから、新たに開発された住宅地や幹線道路沿いなどの郊外に出店する傾向が強く、1990 年代に新規開業したショッピングセンター(SC)の60% 強が郊外地域に立地している。
 この結果、商店街のあちらこちらに廃業した空店舗が目立つようになり、シャッター通りという言葉が生まれた。郊外に進出するため商店街の既存の大規模店舗が閉鎖されるケースも相次ぎ、かつての賑やかなアーケード街はすっかりがらんどうになってしまっている。
 近代的消費のさきがけとして登場した百貨店でさえ、バブル崩壊以降の消費者の低価格志向や、近年は「ユニクロ」や「しまむら」に代表されるファストファッションと呼ばれる低価格衣料店に押されて、売上高、店舗数を減らし、とくに地域に根付いた地方百貨店の閉鎖は、アーケード街のシャッター通り化と相まって、その中心市街地の衰亡を強く印象づけている。
 商店街の衰亡は、商業の問題にとどまらず、中心市街地の空洞化という都市問題にまで発展し、コミュニティの崩壊にまでつながっている。また、消費者の側からみても、自家用車を持たない人々や高齢者などには、旧来の商店街の衰退は生活に大きな不便が生じる。いわゆる買い物難民もあちこちに増えている。

(地方の小さな市にも進出する全国チェーン店)
 私の選挙区に長野県最北の市、飯山市がある。かつては見事な商店街があったが、大規模店に押され、全国で見られる地方の商店街同様、今は閑古鳥が鳴いている。高速の豊田飯山インターから飯山市街地に行く間に、通称「群馬通り」と呼ばれる一大ショッピングセンターが田畑を潰して煌々と照明をつけている。しまむら、ガスト、かっぱ寿司、アメリカンドラッグ、タカギ、ワ-クマン、ベイシア、オートアールズ、カインズホーム、ツタヤ、ドコモ、・・・と、東京にも全国各地にもある店名が並ぶ。こののっぺらぼうな街並みは北信州の飯山の風景にはまったく溶け込まない。
 私は、アメリカとフランスで計5年間外国暮らしをしている。こののっぺらぼうな街のはずれの巨大なショッピングモールとウォルマートがどこにもあるアメリカ中西部と、どこでも小さな気のきいた店が並ぶフランスの街という両極端を見てきた。世間話をしながら、毎度おなじみのおじさんやおばさんの店を回るのと、ばかでかいスーパーで買い物するのと、どちらが住みやすくどちらが心豊かかは明かである。もちろんフランスにもスーパーはあるが、地元の商店街を木っ端微塵に蹴散らしてしまうような愚策は断じてない。むしろ、逆に、個人商店を守る工夫をしている。都市の魅力の根源がどこにあるか考えたらよくわかるはずである。
 EUは農産物64品目も守り、地方の商店街も守ったのだ。ところが、我が日本は、輸出しやすい環境を維持するために地元商店街を売り、自動車を売るために、丸太・製材から始まり、麦・大豆・菜種を次々にアメリカに差し出してしまった。この間違った政策が、日本の地方を不幸に陥れてしまった。彼我の政策の違いを見るにつけ、溜息がもれ、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

(日本的なものを進めるジャパナイゼーション)
 NZのケルシー教授は、アメリカは自国の規格をそのまま、TPP加盟国の規格にするということを狙っていると指摘している。まさに日米構造協議の大型版であり、TPP参加により日本の仕組み自体、例えば、労働規制や食品の安全規制、裁判の仕組みまでも、それこそ国のかたちまでも変えられてしまう大きな変化に見舞われるのではないかとさえ言われている。
 日本には日本のルールがある。それなりにうまく働いてきたのに、なんでもすぐアメリカのルールにしなくていいのだ。外務省・経産省とか財界はなぜか自虐的で、進んで日本的なものを捨てたがる人が多いようだが、今は日本的なものを守り、工夫してもっとよいものにしていくこと、すなわちジャパナイゼーションのほうが大切ではなかろうか。都市のコミュニティを存続させ、暖かみのあるその土地その土地の特色のある町並みと、各地の町民文化を継続させていくことにもっと目を向けるべきではないだろうか。われわれは、日本の安定したシステムをこれ以上アメリカ流に変えるべきではないと考える。