« 2012年02月 | メイン | 2012年04月 »

2012年03月02日

議事録として記録を残すのは政治・行政の常識-12.3.2-

 2月26日(日)の朝日新聞のコラム「波聞風問」に、私の農林水産副大臣の時の秘書官 皆川治の著書『被災、石巻五十日』(霞ヶ関官僚による現地レポート、国書刊行会)が記録を残す好例として紹介されていた。混乱を続ける民主党政権のお蔭で、大体暗い話ばかりが多い中、久し振りの明るい話で喜ばしい限りである。

<私の皆川石巻市役所援軍命令>
 3月11日、東日本大震災の日、皆川秘書官は義父の葬儀のため休暇をとり石巻に行っていた。そこに大地震そして大津波である。心配していたところに携帯から電話が入った。棺は流されたが、参列者は皆安全な丘の上に逃げて無事とのことでホッとした。そして律儀な秘書官は、交通網が復活したらすぐ東京に戻る、と言って電話を切ろうとした。私はそれに対し、帰らなくてよいから、困っている石巻市に出向き名刺を出して復興の手助けをしたいと申し出て、しばらく東京に戻って来るな、と命じた。鹿野大臣の了解もとらず、事務方にも説明せず、私の独断であった。

<農林水産省の3,4月のベストセラー、皆川レポート>
 それからの皆川秘書官の活躍は目を見張るものがあった。その中の一つに「皆川レポート」と呼ばれる、石巻市役所からの現場報告がある。現地の様子が手にとるようにわかるものであった。最初は読みやすい手書きでFax、途中からパソコン経由になったが、食料の調達等でてんてこ舞いで、現地の様子がよくわからない霞ヶ関の農林水産省の役人にとっては、貴重な情報源となった。3から4月の当分の間、省内のベストセラーであった。震災担当の誰もが読まなければならないものとなった。
 震災当日、私は、日頃、議員会館で秘書をしてくれる妻を副大臣室の手伝いに来させていた。妻はかつて農水省に勤務していて様子がわかることもあり、5月に秘書官が戻ってくるまで、ボランティアとして副大臣室で働いた。その間に気を利かした秘書課が代わりの秘書官をよこしたが、断って突っ返した。皆川秘書官にすまないと思ったからだ。

<記録を後世に残すのは当然の義務>
 役人稼業は前例横並びが基本である。2ヶ月振りに戻った皆川秘書官に、これまたすぐ命じたことがある。レポートをちょっと整理し、ドギツすぎるところだけを削って、記録として残すべく本にしろ、ということである。少々手間どったが、貴重な記録としての価値に気づいていただいた国書刊行会より出版の運びとなった。このような良い出版活動をされる国書刊行会に深く感謝したい。お蔭で、毎日、読売、西日本、河北新報等に紹介され、活用していただいているようであり、これまた喜ばしい限りである。
 私は、これに先立ち2010年宮崎県の口蹄疫現地対策本部長時代に、関係各市町長全員に、口蹄疫の記録をそれぞれきちんと残しておくようにお願いした。なぜならば、口蹄疫の発生は10年振り、その前は92年振りであった。10年後ならいいが、30年後に発生した時は事情が分かっている人がいなくなる。しかし、その時に記録に残っていれば、危機的な対応に役立つことはうけ合いである。私の要請を覚えていてくれたのか、畜産の専門家でもある橋田実西都市長が『畜産市長の口蹄疫130日間の闘い』(書肆侃侃房)にまとめてくれた。多分、牛豚を27万頭も処分した宮崎県も、その貴重な記録をまとめてくれているはずである。私は気付かなかったが、秘書官が石巻からレポートをきちんと送り出したのは、宮崎で私が記録が大切だと言い回っていたことが耳に残っていたからだという。私も満更、余計なことばかり言っているわけではないと、久しぶりに少々鼻が高くなった。

<アメリカの記録3000頁と日本の官邸の記録なしの大きな差>
 安井孝之記者の主題は、3.11以降の官邸の諸々の会合の議事録がなかったことについてのものであった。そして、当時の関係省のメモや記憶で復元させるとしても、所詮オリジナルな記録にはなりえないと、官邸の怠慢さを批判するとともに、震災対応録を残した皆川レポートをほめてくれていた。
そこに書かれていなかったが、アメリカでは日本とのやりとりだけで3000頁に及ぶ記録が残されていた。彼我の違いに驚くばかりである。いかに政権運営の経験がないとはいえ許されるべきことではない。この時の官邸の関係者、菅直人、枝野幸男、細野豪志等は、いずれも政治家になる前に、しかるべき組織人として働いたこともなく、組織的に仕事をするということが端から頭にないようだ。もう少し常識を持って仕事をしてもらいたいと願うばかりである。残念ながら、本人たちは若い頃からの政治稼業で、個人技でのし上がってきており、次に残すとかに限らず、皆に承知してもらう、それぞれの部署に任すとか、日本社会の常識に欠ける。ところが、自分がこうしたちょっと常識に欠けていることを自覚しておらず、やたら政治主導だとか振りかざす。総理に偶然なれ、若くして閣僚になった未熟な成功者なのであり、もう少し謙虚に地道に仕事をしてもらわなければならない。

<経済連携PT役員会の議事録>
 野田首相が、群馬県川場村の農業視察をした日のぶらさがり記者会見でAPECホノルル会合前の決断(?)を仄めかしたことからTPPの議論を突然することになり、最初から大もめにもめた。詳細は省くが、その過程で役員会でのやりとりが問題になった。皆、神経過敏になっていたのである。そこで、誰がどう言ったのか問題になったが、何と驚いたことに民主党のまじめな事務局はテープにとり、議事録を作成していたのである。立派というほかはない。かくして、経済連携PTは熾烈な議論であったが、結論をまとめることができた。一匹狼の我儘な政治家を相手にする事務局は、それでも政治家自身より先に訓練され、必要に迫られて記録を残す習慣がついているのは心強い。

<1カ月開催されない緊急PT>
 ところが、事態は少しも改善されず、もっと悪い方向に動いていることもある。1月26日「東電・改革プロジェクトチーム」が、仙谷由人会長、大塚耕平座長で設置されたが、1ヶ月余開催されなかった。民主党はやたらPTなり調査会ができすぎて、会合ばかり多くて出席できない議員が多い。その結果、一握りの事務局ばかりで物事を決めてしまうなど、執行部の強引なやり方が一般議員の不満原因になっている。それを今回は、会合も開かず執行部だけで密室で決めるという極めて非民主的なやり方で、民主党の名に反するものとなっている。

<繰り返される不透明な政策決定>
 これに怒った一部の議員が、抗議文を作り始めたことが伝わり、慌てて1ヶ月経った2月24日(金)になって初めて会合が開かれた。私にはよくわからないが、毎日や日経(2/25)によると、一部だけで議論を進めてきたのだという。これでは、政権運営なり党運営がうまくいかないのは当然である。きわどい問題ほど、きちんと議論し、どういう過程で決めたのかを議事録に残すべきである。それが政治というものであり、「熟議の民主主義」である。民主党は「いうだけ政党」になってはならない。
 ふと気になるのは、こうした会合の議事録である。大事なことが、密室で決められ、誰がどういう決断をしたのか、さっぱりわからないまま物事が進められるのは、極めて危険である。あれだけ官邸の危機管理対応の透明性なりが問題になっているというのに、また過ちを繰り返しているのである。そして、これまた当事者たちが、ルール破りをしている自覚がないのは困ったものである。

 1  |  2  | All pages