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2012年9月24日

前途多難な野田民主党の再出発 -12.09.24-

<野田代表の圧勝も前途多難>
 9月21日今後3年間の民主党の代表を決める選挙は、野田現職代表の圧倒的な勝利という結果となった。
当初から内閣・党の幹部は次々に野田再選支持を口にし、選挙をやらないというようなムードであった。前々回のブログのとおり、我々は民主党復活会議でこの代表選を民主党の党勢回復のチャンスと捉え、代表選に持ち込もうとした。代表選になったはいいが、盛り上がりに欠け、野田現職代表の圧倒的勝利となった。今日9月23日、輿石幹事長の留任も正式に決まったと報じられている。
 しかし、民主党の前途は多難である。自民党の谷垣総裁は立候補せず、3党合意のゆくえも定かでなくなり、近いうちの解散もどうなるか分からないという状況になっている。何よりも政府として困るのは、特例公債法が通らないかぎり予算の執行もできないという大変な事態を迎えることになる。

<民主党らしさを取り戻す>
 野田民主党の起死回生の道はただひとつ、民主党らしさを回復することである。今の野田政権のやっていることは、民主党らしさからかけ離れている。新自由主義との決別と言いながら、TPPを推進し、生活第一といいながら子供手当も頓挫し、消費増税を行い、高額納税者への税率アップや相続課税の強化を先送りしている。税と社会保障の一体改革といいつつ、社会制度の改革はほとんど進んでいない。環境に優しい党であったはずが、なし崩しの大飯原発再稼働、疑問ばかりの原子力規制委員会人事、どこかへ飛んでしまった脱官僚と枚挙に暇がない。
 外交・安保はもっと、集団的自衛権を認めようとし、代表選のさなかにシャアシャアとオスプレイ試験飛行するという形で進めようとしている。どれをとってみても民主党らしさに欠けている。これらの政策を大胆に変更しない限り、私は民主党の将来はないと思っている。

<党内融和は反対立候補の処遇から始まる>
 次は党内融和である。自民党は熾烈な総裁選を演じても、そのライバルを幹事長や大蔵大臣外相等に任命している。民主党のトップにはそうした度量もなければ、そうした風土が足りない。菅前総理も野田総理も口先だけで、ノーサイドの人事は全くしていない。
9月22日の朝日新聞のわたしのコメントどおり、口先だけではダメで、鹿野、原口、赤松、この3人を党の要職あるいは主要閣僚として閣内に入ってもらうということが、党内融和の第一歩である。

<やむにやまれぬ中央選挙管理委員会への申し入れ>
敗軍の将、兵を語らずというが、少しだけ語らなければならない。9月18日赤松、原口、鹿野3選対本部長名で代表選挙の問題点についてということで、柳田稔中央代表選挙管理委員会委員長に対して申し入れを行った。その全文を載せる。

1. 党員・サポーター・地方議員の投票は、10日告示で、18日必着となっており、実質的に15日中には投函しなければならず、地方への実質的選挙期間が僅か5日間しかなく、新人候補が圧倒的不利になる。
2. 全国街宣(遊説)も、15日までの間には、13日に大阪の1日だけであり、新人候補には圧倒的不利になっている。(自民党は、19カ所を予定。民主党もせめて10カ所以上とすべきではないか。)
3. 党員・サポーター・地方議員に対して11日か12日に投票用紙だけが郵送されたが、立候補者名・経歴・政策等を記載した選挙公報は直接届けられることがなく、新聞・TV等で知るしかなく、新人候補に圧倒的不利になっている。(民主党は、選対からの文章の配布は禁止されているが、自民党は禁止されていない。中央選管から選挙広報も投票用紙と同時に郵送されるべきではないか。)
4. 4人の立候補者の機会均等ということで、4人揃ってのTV出演しか認められないことになったが野田総理の日程の都合がつかず、ここでも知名度不足の新人候補は圧倒的不利となった。
5. 民主党代表選は、民主党の幅広い政策を主張する絶好の機会であった。また多才な政治家もいる政党であることをアピールすべき場であったが、新聞広告も含めてその最大の広報の機会を失ってしまい、大きな損失となった。(自民党は、総裁選を党勢回復の機会と捉え、大敗した長野、愛知、滋賀、大阪等を皮切りに、全国19ヶ所の街宣(遊説)を予定)

<党員・サポーターの33%投票率の意味>
我々は民主党の政策をアピールし、野田総理とは全く違った政策も考えている有為な人材がいることをアピールし、民主党の党勢回復しようとした。ところが、野田執行部は逆のことばかりをしていたのである。その成果は見事なほどに表れている。党員・サポーターの投票率の33%という低さである。
2年前の菅・小沢が争った時は倍の66%だった。2/3、7割の人が野田民主党に愛想を尽かし、投票用紙に名前を書いて出すだけでいいにもかかわらず、それすらしなかったのである。したがって7割の人は野田民主党にノーと言ったことになり、野田圧勝とはとても言えないのである。党員・サポーターに409ポイント充てられているが、屁理屈を言えばこの1/3の136ポイントしか与える必要がないことになる。

<公明正大な自民党と『盛り下げ』重視の民主党>
 今日9月23日、フジTVとNHKの日曜討論で、自民党の4人の総裁選候補者が出て討論を行なっている。自民党の75万人といわれる党員の投票締め切りは25日、党大会の前日である。我が民主党も21日の午前4時から開票を開始というなら20日が締め切りで、良いはずである。それを18日にし、15日に投函しなければならないなどという、前代未聞のことをしている。それよりも何よりも、3年代表の座にいる人を選ぶ選挙に、どういう経歴の人がどういう政策を掲げて出ているかということを、党員・サポーターに何ら自ら知らせることなく、投票用紙だけを送って書けというズボラさである。街宣も自民党が19地区でやるのに対して新宿駅前で1度やっただけ。これでは国民あるいは党員・サポーターにアピールするはずがない。

<民主党らしさの回復と党内融和>
 あと1年間民主党はどのように国民の信頼を回復していくか。私にはこれといった妙案はない。しかし、地道に民主党らしさを回復すること以外にないのではないかと思っている。また、そのためにも民主党がひとつにまとまっているという姿勢を、人事でも政策でも示していくことが枢要ではないかと思う。

2012年9月16日

代表選中盤報告 -12.09.15-

<山田正彦候補に一旦は決定>
 前回のブログで、「民主党復活会議」で代表選候補者選びをするとお知らせをしたところだが、数日間で大きく状況が変化した。
 まず、9月5日(水)復活会議候補者予備選挙の直前の正午、3日(月)に予備選挙立候補者として申し込みのあった、山田正彦、櫻井充両候補が突如記者会見を開き、二人そろって予備選挙辞退を表明したと報じられた。

 これは、我々には寝耳に水であり、復活会議事務局も直ぐに緊急会議を開き、山田候補から説明を求めたところ、双方の意見にとり違いがあり、山田候補は立候補を取りやめるつもりはないことを確認した。夕刻には予定通り粛々と復活会議の総会(予備選)を行うこととなった。残念ながら、櫻井候補は記者会見どおり立候補辞退の届があり、候補者は山田候補一人となった。立候補者が一人の場合は、予備選の規約でそのまま推薦候補とすることが決められており、山田正彦氏を復活会議の推薦候補として送り出すことが決定した。

<大反対の細野擁立>
 そのころ、党内では民主党代表選挙候補者として、細野豪志環境・原発事故担当大臣の名前が持ちあがっていた。その支持は、中堅・若手議員の他、主流派である前原グループ、私も所属する鹿野グループ素交会の中堅にまで広がり、細野擁立に向け積極的に働きかけを行っていた。意見を求められた折に、私は大反対である旨を告げていた。そうした中、6日(木)夕刻、素交会が開催された。私は、反野田総理として細野大臣が立つことは、野田内閣の閣僚としてありうべからざる行為であり、釈然としなかった。しかしながら素交会としては、細野立候補を概ね容認することで、その対応を鹿野会長に一任することが決まった。
 昨年の代表選時には、私は、日・米・仏のトップがどのような政治経験を積んだ者かを比較し、かなり経験豊かな政治家とメルマガ・ブログに書いた。そして、それを幹部の指示で全議員に配布している。41才の細野大臣(当選4回)は、とても一国のトップの研鑽は積んでおらず、とても有資格者とはいえない。

<突然の鹿野立候補>
 そうして迎えた翌日7日(金)に事態が急転した。まず、細野大臣が立候補をしない旨を、官邸の野田総理に伝えた。また、昼ごろ復活会議で推薦を得た山田正彦氏が、急遽本選への出馬を取りやめ、反TPP、脱原発、消費税反対で思いを同じくする原口一博氏応援に回ることを表明した。8日(土)には復活会議の予備選挙を辞退した櫻井充氏が、立候補しないと明言し、出馬がうわさされた田中真紀子氏も不出馬となった。この時点で、立候補予定者はほぼ確定し、野田、赤松、原口の3氏で争われる見通しとなった。
 素交会も速やかな対応を迫られることになった。前日細野大臣推薦を概ね決定したばかりではあったが、この事態に対応すべく夕刻急遽開催された会合にて鹿野素交会会長の立候補という結論に達した。まさに突然の大ドンデン返しである。
 
<突然の立候補の理由>
 荒っぽい方法で強引に難局を乗り越える野田総理への不信がある。71人もの同志を失ってなお、1人、2人と民主党を去る議員があとを絶たない。我慢強い鹿野会長も、政権運営でも党運営でも瑕疵がありながら責任をとることをしない今の野田執行部に対し、さすがに堪忍袋の緒が切れたということだろう。
 鹿野道彦氏立候補が7日夕刻に決定したが、告示日は10日の月曜日で、立候補の登録は10日午前11時までであった。党の代表のみならず、総理になる人物が決まる選挙でもある。立候補書類の作成から、政策のとりまとめ、広報物の作成に至るまで、2日間で用意する必要があった。全てが整ったのは、立候補締め切り時刻の30分前という、まさに間一髪の立候補であった。これには、我が東京事務所の二人の精鋭スタッフが奮闘せざるをえなかったのはいうまでもない。
 かくして、野田代表に対し、3人の反野田候補が挑む形となった。幸いにして鹿野陣営は政務ニ役(副大臣、政務官)をはずしても20人の推薦人はゆうに超えた。しかし、赤松、原口陣営とも20人の推薦人集めには苦労したようである。

<気づかれない復活会議の役割>
 14日選挙戦の中盤、野田再選でほぼ決まりと各紙が報じている。1か月前もそうであった。我々は、それではいけないと復活会議を立ち上げた。民主党がはではでしく行われる自民党総裁選挙の陰に隠れてしまうことが予想されたからである。代表選は民主党にも野田政治とは別の政策を訴える、まともな政治家がいることをアピールする絶好の機会だからだ。
 気付かれていないが、3陣営の推薦人のうち、鹿野8人、赤松、8.5人、原口15人と計31.5人が復活会議のメンバーである。つまりは、復活会議が代表選の引き金になったのだ。さもなければ、5人の精鋭(というより有名政治家)が立候補した自民党総裁選挙を尻目に、何もしない民主党は無投票でますます支持率が下がっていたところだった。
 3日の立候補予定者事前説明会に予想外の12グル―プが出席した。自ら手を挙げる覇気のある政治家がおらず、様子見の政治が罷り通っている証拠である。活力ある自民党が告示日前から何人かが名乗りを挙げ、選挙ムードを盛り上げているのと大違いである。落ち目の民主党と政権復帰に燃える自民党の勢いの違いである。
 そして山田元農水大臣は、いわば捨て石となったのである。

<不合理な民主党代表選挙のマスコミ対応>
 かくして15日には、18日必着のため15日までに投票用紙を投函しないとならない地方議員、党員・サポーター向けの選挙活動に専念した。残念だが、反野田の3候補は知名度において圧倒的に不利なうえに、民主党の中央選管だか本部だかが、4人揃わないとTV出演を受け付けなかったようで、どのニュース番組にも出ていない。自民党の総裁候補ばかりがTVを占領している。つまり野田総理が圧倒的に有利な仕組みになってしまっている。
 それに加えて、12日頃に投票用紙が送りつけられただけで、各立候補者の公約や履歴どころか候補者名さえも届いていない。電話で鹿野候補への投票をお願いすると、その前に、このとんでもない不備は何だとお叱りを受ける。民主党は、政策決定システム以上に、代表選においてもルールが全くなっていないのだ。これではますます現職代表(すなわち総理)が有利になるばかりである。
 地方議員・党員・サポーターは、18日必着のため15日か16日に投函せねばならない。11日の新聞と共同記者会見のテレビ、そして12日の日本記者クラブ主催の2時間の討論会の中継だけが立候補者の人となりや政策を知る機会であった。党本部から送られたものが他は何もないという、失礼極まりない代表選である。
 中盤から後半に入る。民主党を再生し、政治経験の全てを投入せんとしている鹿野候補に代表(総理)になっていただくため、全力を尽くすつもりである。

2012年9月13日

鹿野道彦民主党代表選挙特集ページリンク-12.09.13

2012年9月 4日

「民主党復活会議」で代表選候補者選び-12.09.04-

 民主党は、政権交代後3年弱経った今もガタガタである。政権運営に慣れていない未熟な政権与党だから、ある程度は予想されたことであり仕方がない面もある。しかし、混迷の根源的要因は、民主党の政策に、民主党らしさがあまりにも欠けていることにある。

<予想だにしない野田政権の集団的自衛権容認>
 例えば、野田総理が政府が行使を禁じている集団的自衛権について予算委員会で「政府内での議論も詰めていきたい」と述べた。また、PKOで活動中の自衛隊が他国軍や民間人が危険にさらされた場所に駆けつけ、武器を使用して助ける駆けつけ警護などを含め憲法解釈の見直しを検討する意向を表明するなど誰も予想だにしなかったのではないか。これでは、まるで自民党の右寄りの、安倍政権の後を引き継いだように錯覚してしまう。その前に、小泉政権のあまりに新自由主義的な政策に反対して政権を託されたというのに、今、その権化ともいうべきTPPに前のめりになっている。原発に対しても、民主党は抑制的だと思われていたはずが、やたら再稼働を急ぎ、国民から猛反発されている。つまり、民主党は、5年前か10年前の民主党ではなくなってしまっているのだ。

<民主党をないがしろにする野田政権の政策>
 よく「愛党精神に欠ける」といった言葉が使われる。TPPや原発再稼働といった野田政権の政策を何かと批判している私は、愛党精神がないのではと疑われるところである。しかし、真実は真逆である。およそ民主党らしくない政策を平然と次々に打ち出す現内閣こそ、民主党の精神を踏みにじっている。特に、308議席が100議席を割るという世論調査結果が出ても、自民党と公明党と連立を組めばよしとたかをくくっている。野田内閣執行部は民主党を壊さんとしているとしか思えない。それに対して、もとに戻るべきだと主張し、必死で民主党を建て直さんとしている私こそ、最も民主党議員的な議員だと思っている。

<なるべく透明な候補者選び>
 こうした流れの中、私は今回、民主党の中に「民主党復活会議」なるものを立ち上げ、9月21日の代表選に、民主党の原点に戻る政策を実行してくれる候補を擁立する作業を水面下で支えてきた。8月30日に正式に設立し、9月3日に候補者の受付を締切、9月5日に決定するための予備選を行い、決起集会につなげていくこととしている。
 党内からは、予備選などきれいごとで候補を決められるかと批判され、マスコミからも、民主党のバラバラの象徴のように冷やかに見られているが、賛同した50数名と当日出席した7名と合わせ60名弱が集まっていることに意義がある。我々は8月30日の会合もマスコミにフル・オープンとし、なるべく公明正大に候補を選ぼうと思っている。ただ、そもそもフル・オープン自体や候補者の絞り込みにも、設立総会の場で反対意見が出るなど、まだまとまり切っていない様子もさらけ出しているが、私は民主党らしい初の試みではないかと思っている。

<これ以上離党者をだしたくない>
 私は、昨年はじめて代表選に首を突っ込み、鹿野道彦前農水相を担いだ。混迷する民主党を落ち着かせるにはピッタリの方と思ったからであり、派閥(グループ)も何もないのに52票も獲得した。最後に決選投票で鹿野さんが上着を脱いで2位の野田候補に投票するようにシグナルを送り、その結果僅差で野田代表、野田政権が誕生した。4人目の総理など考えもしなかったが、野田政権はあまりに民主党のレールをはずれてきている。その最たる証拠が70~80人にのぼる離党者の山である。我々は、30日の総会の案内状に復活会議の設立の理念として、以下のような理念を書き込んだ。

<「復活会議」設立の理念>
  (1) 民主党結成の原点に立ち戻って、国民に開かれた政治、市民が主役の政治を目指 します。
  (2) 新自由主義的政策の弊害を除去し、格差の是正、国民生活の安全・安定・向上を目指します。
  (3) 地球的な視野に立って、アジア・太平洋地域に軸足を置いた平和自主外交を展開します。
  (4) いのちと環境を守るために、原子力に依存しない社会を目指します。
  (5) 党と政府の役割分担を明確にするとともに、議員個々人の意見が尊重される党内民主的意思決定プロセスを作ります。

<2~3名の候補者が届けの可能性>
 もちろん、私はより具体的には、反TPP・脱原発を明確にし、民主党の統治機構をもっと民主的な方向に変えていく候補者が好ましいと思っているが、広く呼び掛けるため上記のような抽象的な文言にとどめた。
9月2日22時現在、2~3名が興味を示しており、明日の届けを目指している。5人の推薦人を集めることも条件とされているが、私は調整役の一端を担うため今は誰の推薦人にならないことにしている。

<民主党らしい代表・総理を選ぶ>
 今日の新聞は、次回の総選挙で自民党が第一党になる(?)ことを見越してか、自民党の総裁選のほうが賑やかに書かれている。立候補予定者も政権党時代に活躍した著名な政治家が並ぶ。それにひきかえ、民主党の候補者は、ちょっと知名度が下がる。なぜかというと、民主党政権になって3年、毎回同じ顔ぶれが閣僚や党中枢を占め、あまたある他の人材が要職に就いていないからでもある。
そこに、細野豪志環境相が取り沙汰されている。私が昨年ブログに書いたが、アメリカと比べてもフランスと比べても、日本の総理はあまりに経験不足である。それに、現職首相が続投を宣言しているのに、閣内から候補などということは、いくら政争の激しかった時でも自民党ではありえないことである。二重の意味で民主党の未熟さを象徴している。それよりも何よりも、現執行部の一員では、政治は何も変わらない。私は、民主党の中の政権交代を目指し、9月21日まで汗をかいてみるつもりである。