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デモで動く世界の政治・外交 -官邸前金曜日デモも日本の脱原発を動かす- 12.10.12

<ドイツの脱原発は反原発デモが導く>
 日本ほどデモの少ない国はないと言われている。ところが最近、ささやかなデモが官邸の前で繰り広げられている。暴力もなければ大声を張り上げて叫ぶこともない。粛々と脱原発を訴えている。最初は「大きな音がしますね」などとたかをくくっていた野田首相も、脱原発の方向に舵を取らざるをえなくなった。ところが、財界やアメリカのクレームにより、また、ぐらつき始めている。新たな原発建設は認めないと言いつつ、計画が中断していた大間原発等の建設が始まっている。
 ドイツでは福島原発事故の後、26万人の反原発デモがあり、バーテン・ビュルデンブルグ州で緑の党の首相が誕生した。大規模デモが政策転換の引き金になり、さっさと脱原発の道を歩み出した。ところが、その原因を作った日本では、当初反原発のデモもなく平然と原発の再稼働、新規建設等が行われている。日本は何かに付けてピシッとしない。

<中国政府が黙認した反日デモ>
 中国の戦後最悪の反日デモは、APECで胡錦濤首席が野田総理に対し国有化は問題有りと言ったにもかかわらず、その2日後の9月11日、国有化を閣議決定したことに端を発している。
 反日デモがまたたくまに、全国の主要都市に広がり、暴動の感を呈した。満州事変の発端となった柳条溝事件の起きた9月18日には激しさはピークに達した。ところが、中国政府が厳しい姿勢に出たのだろう、デモはすぐ沈静化した。日本のデモは外交には活用されないが、どうも中国の反日デモは、中国が日本にプレッシャーを掛けるためのデモンストレーションだったような気がする。
 中国から見れば、本音で言えば何をしでかすかわからない石原東京都知事に買われるより、抑えの利く日本国政府に買われた方がよっぽどましな筈である。ところが、野田政権は、胡錦濤から習近平への政権委譲という微妙な時期で、軟弱な態度が取れないという中国の立場を読めなかった。つまり、時期が悪かったのであり、中国はその怒りを反日デモの形で示したといえる。
 このようにドイツでも中国でもデモを政治・外交に使っている。

<誇るべき落着いた日本社会>
 それに対して日本では、デモは殆ど行われない。中国では日本企業や日本食堂、日系の店舗等が攻撃され、国旗や野田総理の写真が焼かれたりしているのに、日本では反中国デモすらない。まことに抑えのきいた国民である。これで良いのかと思わないでもないが、どこの国の国民よりも平和を希求する日本ならではのことである。東日本大震災に際しても整然と行動する日本人は、世界から称賛を浴びたが、中国や韓国の激しい反日デモにも落ち着いて対応する日本こそは、成熟社会といえるのではないかと思っている。

<フランス農民の過激なデモ>
 デモを外交に利用しているという点では、フランスはもっとしたたかである。ウルグアイラウンド(UR)の決着の時、私はパリのOECD代表部に勤務中で、フランス国民の整然としたデモ、戦略的デモには舌を巻いた。
 フランス農民が怒って、パリに通ずる大きな道路3つを大型トラクターで封鎖し、政府と衝突することもあった。ミッテラン大統領も困り果て、軍隊を出動させてトラクターを排除した。パリの食料が底をついてしまうからである。日本では、幹線道路を塞ぐこのような大規模なデモは想像できない。

<農民デモを活用するしたたかなフランス外交>
 UR後半では、農民とフランス政府、あるいはEUとの見事な連携が見られた。強硬な態度を取るアメリカに対し、フランス農民は怒り、アメリカの象徴と呼ぶべきユーロディズニー(当時は閑散としていた)、マクドナルド店、コカ・コーラ工場を襲撃した。しかし、緻密な計算、配慮が働いていた。マクドナルド店は2ヶ月後に閉店が決まっている古い店、ユーロディズニーは5つの入口のうち最も入場者の少ない入口、かつ、入場者数の少ない時間帯を見計らって攻撃を仕掛けた。
 いずれも被害を少しでも少なくしようとした、情心の賜物である。だから、フランス国民も世界も、したたかさに舌を巻きながら、一方で憎めないでいる。ところ構わずガラスを割り、略奪を行う中国の反日デモと違う、いわば洗練されたデモなのだ。

<世界へ発信し外交を動かすデモ>
 一方、世界中のメディア、特にアメリカのメディアには念入りに通告し、そのデモの場面を撮らせている。つまり、アメリカに、フランス農民がこれだけ怒っていると知らしめる為のデモであり、当然、フランス政府もそれを大目に見ていた。中国政府が反日デモをある程度認めていたのと同じである。UR交渉の最終場面、フランスは、農民がこれだけ怒っているから譲れない、と農業保護の必要性を主張した。EUはEUで、フランスの国内がこれだけ騒然となっているので一歩も譲れない、というタッグが組まれ、交渉を優位に展開した。フランスの農民デモは、UR農業交渉の行方を大きく左右したのである。

<まじめな日本の告発は政府を困らす>
 同じ頃、日本では、幕張メッセの見本市で、アメリカのコメが展示された。それに対して、千葉県農協青年部が食管法で一粒のコメも輸入できないことになっていると、と食糧庁を告発し、すぐに、日米政府間の問題となってしまった。数十人が、展示ブースにデモを仕掛け、打ち壊していたなら、そのニュースは世界を駆け巡ったはずだが、まじめな日本では起りえないことだった。

<日本のデモも政治・外交を動かす>
 日本のデモというと記憶に残っているのは、何よりも1960年の安保反対のデモであり、東大生の樺美智子さんが圧死するという事件である。日米安保条約は改定されたものの、岸内閣は退陣せざるをえなくなった。最近、戦後の政治・外交史を大胆に書きまくる孫崎享(元外務省国際情報局長、イラン大使)は、対米自立派の岸を追い込むため、デモにアメリカの資金提供もあったと指摘している。そればかりではない。最近の世界の大規模なデモには、アメリカの影がちらつくことが多いとも論じている。
 日本国民は、この数10年デモという形では、政治や外交を動かしてはこなかった。しかし、今、官邸で繰り広げられる穏やかな原発反対デモは、既に日本の政治を動かしつつある。そこに月1回第1火曜日の反TPPデモも加わった。私はこれらの動きに注目している。