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2013年01月12日

地元新聞各社への寄稿文から「長野経済新聞」「北信ローカル」「北信タイムス」新年号より -13.1.12-

「TPPと原発は同根」(長野経済新聞新年号)
「採決は党議拘束をなくして、個人の判断に任す」(北信ローカル新年号)
「大きく揺れる小選挙区制は廃止して中選挙区制を復活すべし」(北信タイムス新年号)

「TPPと原発は同根」―右傾化する日本を憂う―
 私は役人時代、十冊余の本を書いている。国会議員になってからは、政治活動に専念する意味もあり、膨大な時間とエネルギーを要する執筆はブログ・メルマガ以外避けてきた。ところが、11年3月に福島原発事故が起こり、10月に野田首相がTPP交渉への参加の意向を表明するに及び、私はこの二つについて1冊の本にまとめ、同僚政治家をはじめ関係者に読んでもらうことにした。
この二大課題は違っているようでいて、根っこは同じだからだ。国民生活も国家主権も揺るがす点は共通である。原発は国土を不毛にし、TPPは日本社会を崩壊させる。ところが、この二大課題が、マスコミを挙げて嘘と詭弁で塗り固められ、片や推進が図られ、もう一方は交渉参加しようとしている。私には危険極まりないこととしかみえない。
 原発をやめたほうがいいという人たちは、関税をゼロにし、日本の制度をアメリカと同じように変えるのに反対する。逆に、TPPを推進していくべきという人は、原発を容認している。原発については、国民がなだらかに廃止していく方向を選び、ほぼ大勢が決まっている。ただ、自公政権や経済界は、しぶとく再稼働のみならず新設も認めようとしている。それに対して、TPPは全容が明らかにされず、地方や農山漁村では不安が募るばかりである。
 しかし、この二つの課題は、日本の将来を大きく左右する。そして、各人の人生観なり価値観により賛否が大きく異なってくる。新国家主義的・新自由主義を好む者すなわち従来の高度経済成長を夢見、日本が再び大国としてのし上がるべきだとする者は、両方とも推進派になり、平和を希求し弱者への思いやりを重視する者は両方に否定的になる。
 日本は少々危うい国になりつつある。昨年の総選挙では、自衛隊を国防軍とし、集団的自衛権の行使も認めるという安倍晋三総裁の率いる自民党が大勝し、それに輪をかけた主張を展開する石原慎太郎代表の維新の会も大躍進した。そして、それを維持せんがため強大な経済国家が必要だという論法が使われ始めている。私は、こうした信じがたい逆戻り、すなわち殖産興業・富国強兵という世相には厳重なチェックが必要だと思う。
民主党そして私の役割はまさにここにあると肝に銘じている。
(長野経済新聞新年号から)

「採決は党議拘束をなくして、個人の判断に任す」
 私が国会に籍を置き9年余経った。中央官庁の役人を30年勤め上げたが、その後その3分の1近くを議会人として過ごしたことになる。羽田孜元総理に「君が本に書いた理想を政治家になれば役人の時と比べて十倍いや百倍力で実現できる」と言われ、政界転出への誘惑を受けたのは、16年前に遡る。羽田さんの言葉は間違っていなかった。確かに私は幸運にも恵まれ、野党時代から政策の立案にかなり関与でき、与党にもなり農業者戸別所得補償をはじめとしていろいろな政策を実現できた。
 ところが、虚しさが付きまとうこともあった。どの法案も自動的に党議拘束がかかることである。9年間で、個人に賛否が任されたのは、脳死した5歳以下の子供の臓器移植を親が認められるとする移植法案だけである。その他は、すべて党(正確には会派)が決めてしまい、個々の議員が判断する余地がなかった。
 ちなみに、二大政党制が確立したアメリカには党議拘束など存在しない。数百人を超える大政党が一致して同じ意見になることなどありえないからである。その代わり、選挙の前には新聞各紙(アメリカの新聞は大半が州限定の地方紙)が地元選出議員の過去の法案への賛否を報じ、有識者のそれをもとに投票を決める。要は、中間に党はあるが、投票による契約関係は政治家個人と有権者の間の契約が基本であり、党は二の次なのだ。
 日本が見本とした議院内閣制の本家イギリスでは、法案の重要度により党議拘束の度合が異なり、日本と同じきつい拘束は全体の5分の1ぐらいしかない。そして、何よりも違うことは、それに反したからといって、やれ除籍(除名)だ、党員資格停止だといった処分がないことである。日本は、重要な法案の採決のたびに造反が起き、新しい党ができてきた(郵政民営化法で国民新党、社保税法で国民の生活第一党等)。そして、二大政党制に少しずつ近づき、09年に初めて選挙による政権交代ができたというのに、ついに史上最多の15の会派ができてしまった。
 日本も党議拘束をなくし、個々の議員の賛否に任すべき時が来たようである。何よりも政治の安定、そして国民生活の安定のためである。
(北信ローカル新年号から)

「大きく揺れる小選挙区制は廃止して中選挙区制を復活すべし」
 第四六回総選挙は、国民の政治不信から戦後最低の投票率となった。我が長野県でも前回は全国第二位の高得票率であったが、今回は全国同様の抵投票率となった。
 〇五年の小泉郵政選挙では自民が圧勝。〇九年は民主が三〇八議席を得て、政権交代を実現した。ところが、マニフェストにない消費増税やTPP交渉参加を巡る迷走もあり、今回再び揺れ、民主五七議席と大敗北する壮絶な結果となった。自民は二九四議席と大復活し、第三極の維新が五四議席の大躍進となった。三度目の大ブレである。
 民主党一期生一四三人のうちたった五名しか再選されなかった。国民の厳正な審判といえばそれまでだが、これでは危険すぎてまともな政治家が育たない。落選しても食べていける自営業の者しか政治参入ができない。
 導入後二〇年、六回経験した小選挙区比例代表制は、日本に合わなかったといわねばなるまい。派閥抗争の弊害も指摘されるが、中選挙区制が日本社会には合っているように思う。
 もう一つ問題なのは、二大政党制が定着しつつある中で、一五もの党会派の乱立状態になったことである。有権者も選択に迷ったに違いない。選挙は相変わらず自民対非自民で争われており、非自民で割れては勝負にならない。自民党の獲得票数は、前回とそう変わらず、比例区は二増の五七議席なのに、小選挙区では一七三増の二三七議席となった。自民・公明合わせると三二五議席となり、三分の二を超え衆議院の再議決が使えることになる。
 選挙ごとにこれだけ揺れる制度は最後にし、政治を安定させるため中選挙区制を復活すべきである。
(北信タイムス新年号から)