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野田前首相の議員辞職から始まる民主党の解党的出直し(12年総選挙総括・民主党再生シリーズ その11)13.2.22

 2月5日の12年選挙総括シリーズの第一号「民主党の解党的出直し-民主党の再生は、野田前首相の議員辞職と党名変更から始まる-」で述べたとおり、民主党の再生を国民に理解してもらうためには私は2つの荒療治が必要と思う。一つが、この大敗北のけじめをつけるため、野田前首相の議員辞職であり、2つ目が、民主党の再生を国民にアピールするための党名の変更である。今回は前者について述べ、本シリーズの中間締め括りとする。

<トップの辞め時>
 田中宏尚農林水産事務次官は、私に「トップはなった時に真っ先に自分がどのようにして辞めるか考えておかなければならないんだ」と帝王学を授けてくれた。(ブログ「ボツ原稿『ヒューストン・サミット(1990年夏)と次官人事』より抜粋」07.12.03参照)
 田中次官は、人事異動の時期ではない1990年春、突然、審議官−経済局長−総務審議官−国際部長の人事を断行した。米の輸入が大問題になっていたウルグアイ・ラウンド(UR)の期限とされていた、1990年12月の大団円を迎える大事な時期だった。
 通常の夏の人事時、海部俊樹首相は、UR関係省庁の事務次官以下の人事凍結を命じ、農林水産省以外は喜んで応じた。通産省では、これを奇貨として次官の2年居座り人事が定着し、その後の「4人組の反乱」等の人事抗争に発展している。それに対し、田中次官は「春先に国際関係の人事を行い、盤石の体制にしてあるので、私以下の国内幹部人事をしても何ら支障は生じない」と、ただ一人応じなかった。私は海部首相の命を受けた大島理森官房副長官(当時)がらみで、少々田中構想の実現に加勢した。その時に発せられたのが、冒頭の発言である。田中次官は、夏の首相の命令という障害を予測し、先手を打っていたのである。見事というしかない。
 日本国のトップである首相は。自らの辞め時をしっかり考えているのだろうか。少なくとも、最近の1年交代の首相を見る限り、疑問を感じざるを得ない。

 辞め時ならぬ解散時を見誤った野田首相には、国民や同僚議員に対して3つの大きな責任があり、私は議員辞職に値すると考えている。以下に3つの責任を述べる。

<1.国民生活に支障をきたした年末解散の責任>
 年末の突然の解散には、何の大義もみられない。年末は予算編成、税制改正等のプロセスの最中であり、霞ヶ関の役所は大混乱である。責任ある与党の解散時期は、①最低限4度目の予算を組み、区切りつけた1月通常国会の冒頭、②予算と関連法案を通した4月、③すべての関連法案を通した6月の通常国会後、しか考えられず、常識的にはどんなに早くとも、1月冒頭解散である。何よりも国民生活に支障をきたさないためなのだ。安倍政権の下、2月13日、12年度補正予算がやっと衆議院を通過したが、13年度予算の審議はまだ始まっておらず、成立は5~6月以降となり、国民生活に支障をきたす。
 長引くデフレで混乱を極める経済の一刻も早い建て直しが必要な中、政権与党としての責任を放棄して政局に走った責任は重い。安倍自民党政権の三本の矢というスローガンの下に行われているデフレ脱却政策は、民主党内の社会保障と税の一体改革の議論の中で、デフレ脱却が先だと主張していた人たちの政策そのものであり、民主党政権で編成すべきものだったのだ。それを野田内閣は何もしなかったのだ。2月12日(火)、私は民主党次の内閣の一員として補正予算の賛否についての議論に参加していたが、本来我々民主党が補正予算も本予算も組めていたのにと思うと、意見を述べる気になれなかった。
 野田前首相はまず国民に対してけじめをつけなければならない。本気で責任をとるなら政界引退しかなく、党首の大反省無くしては民主党の再生はない。

<2.政権交代の芽を摘んだ責任>
 2月7日の「羽田元首相が予測した民主党政権の混乱」)で述べたとおり、今回の民主党政権の最大の使命は、万年与党で堕落した自民党にもっと長く冷や飯を食わせて、体質を改善させるとともに、民主党が政権運営の経験を積む期間を長くすることだった。それを今回の大敗北により、57議席の2桁野党に落ちぶれてしまい、ひょっとすると、これで二度と非自民政権ができなくなってしまうかもしれないのだ。野田執行部は消費税を上げたことで歴史的評価を受けると悦に入っているが、政権交代による日本の政治の活性化と一体どちらが大切なのだろうか。明らかに後者である。それを政策実現の手段にすぎない消費増税ごときで、大切なことを犠牲にしてしまったのだ。
 60年間政権与党だった自民党には政権維持の知恵もあり、与党への執着もあった。09年の野党転落後は、早晩分裂するだろうといわれたが、分裂したのは、与党になった民主党のほうだった。民主党にはその二つともなかったからだ。野田首相は消費増税よりも、この歴史的敗北にこそ汚名が着せられ、その悪名はずっと長く後世に語り継がれることになろう。3つの責任の中で、政権交代の芽を摘むかもしれない唐突な解散の責任こそ、もっとも重大かもしれない。

<3.党の常任幹事会の決定を無視して独断での大敗北の責任>
 野田前代表は紛れもなく党の方針に背いている。11月13日、党の常任幹事会の総意として11月の解散はすべきでないという意向を、中野寛成議長を通じて明確に伝えられたにもかかわらず、独断で解散した。そして大敗北である。民主党の倫理規則は、「党の重要決定への違背」があれば、党常任幹事会の判断で処分するとしている。野田元首相の独断はまさにこれにあたる。
 また、「選挙等で他党を利する行為をして党の乱した場合」に、離党勧告や除籍(除名)の処分ができるとしているが、解散により多くの同志を失い、党を半壊させ、自民党に利したのであり、まさに除籍にあたる。我が党に死屍累々を残し、他党に大量の「野田チルドレン」を作ってしまった。時代劇にある、「殿ご乱心」であり、城内に隠居させ、他の城主に変えてお家(党)の存続を図るしかないのだ。
 解散は首相の専権事項といわれる。権力は大きければ大きいほどその行使には慎重にならなければならない。
 不信任案を突き付けられたでの解散(69条解散)ではなく、与党政権党の最も好都合の時にできるのが7条解散である。一票の格差で違憲状態になっており、まだ法律改正の余地を残しての解散は無効かもしれないのだ。
 中曽根康弘は「死んだ振り解散」で大勝利を導いた。小泉純一郎は毎日日替わりの女刺客を用意してマスコミ、国民の関心を呼び大成功している。それに対し、野田前首相は、何の準備もなく自分の面子にこだわり思いつきの解散をして大敗北である。重大な判断ミスであり、自分がのうのうと議員として生き残るのは信義に反する。けじめとして議員辞職が必要である。
 以上、3つ、他にも選挙に入ってからも議員辞職に値する見苦しい動きがみられた。

<① 見苦しい首相の比例重複立候補>
 許し難いことに、野田前首相は自ら決意した解散総選挙であるにもかかわらず、何と比例区との重複立候補をしていた。突撃命令を下しながら、本人は我が身の保全を図っていたのである。過去5回の総選挙では歴代首相や党首クラスが重複立候補を辞退してきた。自ら突撃命令(解散)しておきながら、「退路の断ち方はいろいろある。(重複立候補の是非は)形式的だ」と記者のインタビューで言訳を述べている。

<② 小泉劇場型選挙の猿真似純化路線>
 2つ目は、2月13日の「選挙戦術における2つの失敗―離党者への対抗馬擁立と安住幹事長代行の踏み絵発言」で述べた安住踏絵発言を打ち消すべきところ、「マニフェストで打ち出した政策を死に物狂いで訴える同志でないといけない」とカンボジアで裏打ち発言をして、民主党の敗北を更に決定付けている。川内博史は、民主党が幅広い政策を持つ政党であることを広く示すためにも、野田前首相が川内を応援して手を握り合うことを提案したというが、野田執行部は自らのグループばかりの応援に出かけ、純化路線とやらをとり続けた。不利が伝えられている農村部に応援に行き、「日本の農業・農村は絶対に守りきる」と演説したら、10人近くは当選者が増えていたかもしれない。
 それを真逆の行動に走り、特定の政策(TPP参加)への賛同を公認の条件とし、小泉の郵政選挙の猿真似をし出した。自らマニフェストにない消費増税やTPP参加を言い出し、最終的に100人を超える離党者出しておきながら、よく言えたものである。そして、これもただより多くの議席を減らすだけの結果に終わっている。
 そして、もう一つ小泉の真似で身内の党内へも厳しい態度をとっているというポーズか、逆戻りする政治の象徴として突然世襲を絶対に認めないと言い出し、羽田雄一郎参議院議員の長野3区への鞍替え出馬を槍玉に挙げ出した。小泉は、自民党をぶっ壊すと言って総裁選を勝ち抜き、しっかりと瀕死の党を甦らせ、後進に道を譲り、次の総選挙には出馬していない。同じ見習うなら、さっさと議員を辞めることこそそっくり見習うべきである。

<③ 後任代表を担ぐ厚顔無恥な行動>
 選挙中の悪行のみならず、選挙後もおかしな行動に出た。野田グループ(花斉会)は無責任な解散により多くの同僚を失うという大失敗にもかかわらず、引き続き党執行部たらんとして新代表擁立に動いた。ほとんど反省がみられない証左である。
 毎日新聞の1月24日の藤村前官房長官のインタビュー記事でも、「消費増税に歴史的評価」といった言葉が先行し、更に、11月2日に、岡田、輿石も加えて解散を決めた、と発言している。そして解散を急いだ理由は、日本維新の会が相当な勢いがあり、解散を遅らせるともっとひどい結果になるからだ、といかにも後付けの屁理屈を述べている。与党として予算編成をし、法案を提出できる圧倒的優位な立場をわかっていない。それを行使できないなら、総辞職すべきだったのだ。
 これらの一連の言動や行動は、私にはとても信じがたいことである。もうこれ以上党内で「悪さ」をしてほしくない。

<野田前首相に国会議員として居場所も出番もなし>
 田中真紀子や辻元清美も秘書給与疑惑で議員辞職している。鹿野道彦は、元秘書の不始末で離党している。小沢一郎は起訴されたことから党員資格を停止されている。国民に申し開きができなかったり、党に迷惑をかけたりすることに対する「けじめ」である。それを、党の総意を無視して勝手な解散をして大敗しながら、民主党の衆議院議員にとどまる神経を、少なくとも私は持ち合わせていない。
国民に対しても、民主党議員に対しても責任をとって議員辞職するが筋である。借金のツケを後世代に回さないという責任を果たす前に、今の時代を生きる人たちへの責任こそ真っ先に果たすべきである。
野田前首相は1月26日、「民主党は、(中略)必ず出番があると確信している」と発言したが、民主党の出番はあっても、自身の出番や居場所はもうなくなっている。
 これは私ひとりの意見ではなく、議席を失った同僚議員や民主党を熱烈に支持してくれた国民の多くの声を代弁したものだ。2月16日(日)の茨城県での民主党幹部との意見交換会でも、野田前首相は議員辞職すべしという意見が出て、馬淵澄夫幹事長代理が返答に窮している。野田前首相が民主党前代表として党に貢献できることは、自ら身を引いて民主党の再生をアピールすることだと思う。