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民主党の解党的出直し-民主党の再生は、野田前首相の議員辞職と党名変更から始まる-(12年総選挙総括・民主党再生シリーズ その1)13.02.05

 私は、2011年の夏頃より民主党の危機的状況を憂い、何とかして民主党をしっかりした党にしたいと汗をかいてきた、そして昨年末の突然の解散・総選挙の間もずっと民主党の再建に思いを巡らせてきた。その間、メルマガ・ブログもずっと発信せずにいたことをお詫びしなければならない。さぼっていたわけではなく、ずっと考え続けていたからだ。年末年始休みを経て、ようやくその一部をまとめた。
 私の「12年総選挙総括・民主党再生案」について、今日から連日シリーズで10数回お届けする。

<海江田新代表選出>
 308議席から70数名が離党し234議席しかなかった上に、その4分の1の議席に減ってしまった大敗北。全く勝機もない向こう見ずの解散について、野田前首相はほとんど説明せず、黙って知らばっくれている。無謀な解散を煽った岡田、前原、玄葉、安住等も知らん振りを決め込んでいる。民主党の無責任体質が見事に表れている。
 更に、12月19日の両院議員総会(公開)で22日代表選出という日程を決めようとしたので、私は今回の大敗北をもっとしっかり反省し、時間をかけて代表を選ぶべきだと異議を唱えた。私の提案への賛同者が相次ぎ、22日は反省のための両院議員懇談会(非公開)となり、代表選は延期された。そして、25日に代表選をすることになり、代表には野田執行部でなかった海江田万里が選ばれた。
 一連の動きは、いかに野田執行部が横暴を極め、ガバナビリティーに欠けていたかを如実に示している。第三者に大敗北の総括を委ねることにして、とりあえず、海江田新代表の下、民主党の再生・再建に向けて走り出した。

<失敗した野田再選阻止>
 私は、この党崩壊を予測し、昨夏の段階で『民主党の墜落と再生』というレジメを作り本にまとめ、民主党の危機を訴え、再生に向けた改革をスタートさせようとしていた。7月頃には代表選もやらないなどというので、「民主党復活会議」を打ち立て、代表選をきっかけに党の再生を図ろうとした。山田正彦出馬表明の後一転してしての不出馬、突然の鹿野再出馬等により、野田無投票再選の流れは阻止できた。しかし執行部が候補者の街宣をせず、党員・サポーターにはほとんど選挙広報もせず、全く盛り上がりに欠ける代表選となり、野田首相が大差で再選されてしまった。ただ、党員・サポーターの得票率ですら34%にしか達せず、いかに民主党ないし野田首相が見捨てられているかが数字で証明された。私はこの時点で、民主党が奈落の底に突き進まざるをえないことを予感した。

<通じなかった私のお節介>
 私は、それよりずっと前から民主党の統治能力・政権担当能力のなさを懸念し、政権の座に就いた時の準備を促し、お節介なことも仕掛けてきた。私が予算編成や農産物交渉等で親しくなった各省の官僚が、偶然それぞれ出世し、枢要ポストに就いていたので、彼等との橋渡しができる立場にあったからだ。そこでその人脈を活かした準備も怠らなかった。
 しかし、これらの準備活動もあまり実を結ばなかった。
 ある程度予想したことだが、鳩山政権の普天間基地移転問題の迷走に続く、菅政権の唐突な消費増税、TPPへの前のめり行動には驚愕した。そして、民主党を救う途はただ一つ、代表には政治経験を積んだ落ち着いた鹿野道彦を選出する以外にない、という結論に達し、2011年秋には鹿野擁立、そして素交会(鹿野グループ)の結成と行動に移してきた。

<民主党崩壊の予感>
 私は、経験不足の「政治オタク」(若くして政治家になり、ほとんど他の世界を知らない政治家)に民主党の舵取りを任せてはならない、と訴え続けてきた。また社会保障と税の一体改革の3党合意を巡る紛糾時には、両院議員総会での採択による分裂回避も提案した。しかし、残念ながら私の度重なる警告が、大半の同僚議員に理解されず、未熟な野田執行部は向こう見ずな暴走を繰り返し離党者が続出した。そして、とうとう全く大義のない唐突な解散・総選挙に突入し、歴史的な大敗を喫し多くの同僚議員を失った。
 消費増税というそうたいしたことではない政策により、また何十年と自民党の一党独裁が続きかねない事態を招いてしまった。日本の政治を元に戻してしまった。野田元首相の犯した罪は大きく、簡単には拭い去れるものではない。

<民主党再生のために>
 しかし、嘆いてばかりはいられない。民主党を再生しなければならない。
 私が永年考えていた、民主党再生のためするべきことを羅列すると、以下のとおりである。政策が拒否されたのではなく、政権与党としてあまりにも未熟すぎただけなのだ。つまり、政党としてしっかりすれば、有権者は再び支持してくれるはずである。(ただ、多くは党改革のみならず日本の政治システム、特に国会改革に関連するが、それは別の機会に譲り、民主党中心の改革に限定する)

 1.政策決定システムを確立する(民自公の三党合意を党として承認するシステムがなく、私一人の発起人名で三党合意を承認するための両院議員総会開催の署名を集めた。署名が党規約に決められた3分の1を大幅の超えるも、執行部は開催せず。うやむやの決定で党議拘束をかけ強硬突破したため離党者続出、党分裂となった)。

 2.政策分野ごとのプロの議員を育成する(委員会の所属は毎年希望をとって決めるため、担当分野がくるくる変わる。このため、いい意味の族議員が育たず、実現性の高い政策の立案・決定ができない)

 3.政府と与党の関係を日本に合った形で構築していく(小沢一郎も菅直人も政府・与党が一体に近い、イギリスのいわゆるウエスト・ミンスター・モデルに近づけようとしたが、うまくいかず混乱を招いた。政権が短命の一番の理由は、思い上がった野田執行部・内閣が党の意向を無視して強引な政権運営したことにある)。

 4.挙党体制を組める人事を行う(いつもお友達人事になり、特に野田内閣では、閣僚人事のミスが目立った。あまたいる有能な人材を有効活用できず、民主党政権の崩壊を早めた)。

 5.候補者の公募を厳しくし、国会議員にふさわしい候補者選定を行う(野田執行部は突如、世襲を執拗に排除したが、もともと候補者選びがいい加減で社会経験や行政経験を積んだ者が少なかった。逆に、例えば若手であればよいという安易な選定がなされていた感が否めない)。

 6.選挙の敗北、政権崩壊等について中枢幹部が必ず責任をとり交代する(参院選、統一地方選と度重なる敗北にも幹事長・選対委員長は責任をとらずむしろ栄転した。鳩山・菅内閣崩壊後も主要閣僚がそのまま執行部や内閣に残り、責任をとらずそのままひどい政権運営・党運営がなされ、党が崩壊し内閣が暴走する原因となった)。

 7.秩序立った広報を行い、党の政策の実績を国民に理解してもらう(07年参議院選挙の4頁のマンガビラは大効果を上げたが、政権奪取後は、ろくな広報活動をせず、国民に政策の効果を理解してもらえなかった)。

 8.民主党に期待された政策を確実に実行する(民主党の政策が支持されなかったのではなく、09年マニフェストにない消費増税など違うことをして悦に入っていたことが敗北の原因。TPP交渉、原発再稼働、挙句の果てに集団的自衛権の行使まで言い出しては、民主党ではなくなってしまう。自民党に対抗する政策を期待されたのであり、原点に戻る必要がある。
 
以上については折に触れ、順次メルマガ・ブログでも明らかにし、党内にも訴えて実行し
ていきたいと思っている。
 しかし、大敗北には、やはり文字通り解党的出直しが必要である。戦国の世ならご乱心の果てに無謀な戦いをした殿様は、城主(代表)を誰かに譲ればすむ話ではない。民主党再生を国民にしかと受け止めてもらうには、解党的出直しが必要であり、その証として野田前首相の議員辞職と党名変更が不可欠である。
 私はもともとこの3年3ヶ月の総括をするする予定でレジメを作成していたことは前述のとおりであるが、とりあえず12年末の総選挙の総括を数回に分けてまとめてみることにする。
 そして最後に何故野田元首相が議員辞職すべき理由と党名変更の必要性について述べる。