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民主党幹部のTPP前のめり発言で農村部・地方の小選挙区はほぼ全滅(12年総選挙総括・民主党再生シリーズ その4)13.02.08

 12年秋、解散総選挙が遅くとも10か月以内にあるということは確実な情勢だった。熟度の高い政治家なら誰しも選挙に悪影響を与える発言を控えるのが常識である。それを我が党の幹部は違っていた。日本全国の農民が極度の不安に陥っているというのに、オバマ大統領再選の後、岡田・前原・玄葉・枝野のTPP推進4閣僚のTPP交渉参加前のめり発言が相次いだ。普通ならば、野田首相以下が示し合わせて発言しているはずだが、どうもそうでもなく、それぞれ勝手に見解を述べていたようだ。後述するように、政権奪取した自民党の閣僚が余計な発言を一切しないのと好対照である。
 枝野経産大臣は、「大局的視点にたち、私としては現政権が大きな決断を早急に行うべきだと考えている」と述べた。しかし数日後、「今すぐ新たな判断ができる状況ではない」というぶれる発言をすることになった。不安におののいている農民も国民も、またかということで聞く耳を持たなくなっていった。

<決定打となったマニフェスト案文>
 このあたりで止めておけばいいのに、そこに追い打ちを掛けたのは、TPPを推進するという11月16日マニフェスト案文の提示である。
 議場で解散の万歳が終わった後、夕方、細野政調会長主催の全議員政策懇談会が行われた。既にほとんどの人が、選挙の為に地元に帰り始めており、参加者は何人いただろか、正確には数えていないが100人超であっただろう。最後までいたのは30人余で、私は当然最後までいた。そこで示された案文は、日中韓FTAとRCEP(東アジア地域包括的経済連携)、TPPを同時に進めるということであった。19日(月)に最後の全体会合をして決めるというので出席したが、参議院議員を含め出席者は30名ぐらい、夕方7時30分の最後までいたのは9名というひどさである。大半の議員はマニフェストより地元の選挙活動を優先していた。私は翌20日(火)も議員会館にとどまり、少しでも落選者を少なくする修正案を理由とともに提出した。これで数日間選挙活動ができなかった。しかし、私がしつこく食い下がるだろうことを見込み、「篠原さん、後はよろしく」と言い、私に両手を合わせてお願いの仕草をして田舎の選挙区に帰る同僚議員のため、そして背後の羽田さんの声を気にしながら最後まで努力を続けた。
 その後、「TPP、日中韓FTA、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)を同時並行的にすすめ、政府が判断する」と玉虫色の表現となり、私の意見はほぼ無視され取り入れられなかった。こうして、「TPPを推進する民主党」というイメージがすっかり定着したところに更にとどめをさすことになった。

<政治的センスに欠ける民主党政調幹部>
 自民党は「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加反対」と明確にNOという態度ととっていた。橋下徹の大阪維新の会は元々TPPに賛成、石原慎太郎東京都知事は反対であったが、日本維新の会はその妥協の産物で「TPP交渉参加、ただし国益に反する場合は反対」という賢い公約になった。できたばかりの党なのに、公約は玄人・大人の表現にとどめ、票が減るのを防いでいる。それを、我が民主党は解散日当日に、地方・農村部の大反発を喰らう案文を平気で出してきた。この政治的センスのなさには呆れ返った。明々白々TPP交渉に参加といっているのは、みんなの党と政権与党の民主党だけだ。数だけは巨大になったが、成熟度は新興政党維新の会以下かもしれない。マニフェストこそ、今までの度重なるTPP前のめり発言を覆す唯一最大のチャンスだったのに、私はこれで民主党の地方・農村部での大敗北を悟らざるを得なかった。
 野田首相の決断の解散、だからマニフェストもTPPを推進しようとする首相の意向を汲まなければならないというが、マニフェストは、第一義的には民主党のものであり、政府のものでも野田首相のものでもない。首相の思い通りというのなら、与党として4回目の予算編成をし、税制改制こそやり遂げなければならないのに、それをみすみす放棄してしまっている。正直言って、今回は民主党のマニフェストなど有権者は全く興味を持たないと思っていた。事実、私は後述する60数回のミニ集会でマニフェストを配っていたが、ただの一度も質問に出ることがなかった。都市部では配布しても受け取ってくれなかったという。すさまじい民主党への拒絶反応である。となると、12年マニフェストの唯一最大のメッセージは、TPPを推進するということであり、わざわざ農民や地方を敵に回すとどめの宣言をしただけなのだ。

 後述するが、解散後11月18日(日)の日曜討論でのTPPをめぐる安住幹事長代行の踏絵発言も、更にそれに追い打ちをかけ、農村部・地方の有権者に計り知れない大打撃を与えることになった。これでまた数人の同志が小選挙区で議席を失い、何人かは比例復活の途も閉ざされたのである。

<北海道に表れた05年と12年の差:8人小選挙区当選とゼロ>
 最も際立った悲惨な結果となったのは北海道である。09年の政権交代選挙では、12小選挙区中11の小選挙区で勝利していたのに、今回はオセロゲームのように一人も小選挙区で当選していない。05年の郵政民営化を焦点にした小泉郵政選挙でも民主党がボロ負けしたが、松木謙公が冗談で言ったとおり、津軽海峡は偉大でそれほど小泉旋風も届かず、8人もが小選挙区で当選した(別表「05年小泉郵政選挙と12年自爆解散選挙の比較」参照)。当の松木謙公も2万票も票を伸ばしている。(以下、当選者の記述は別表を参照)
05年小泉郵政選挙と12年自爆解散選挙の比較


 農業者戸別所得補償により民主党政権が農民の信頼を勝ち取っていたからである。つまり、この頃までは羽田さんの描いた理想を着々と実現しつつあった。それが今回はTPPへの猛反発で、比例で横路孝弘前衆議院議長と荒井聡の2人が復活しただけである。かくして北海道の民主党議員数は、03年11人(小7、比4)、05年11人(小8、比3)、09年15人(小11、比4)という民主王国から、12年2人(比2)と激減し、09年の自民党以下に落ち込んだ。

<全国の農村部はTPPで壊滅>
 九州も小選挙区はゼロ、保守基盤の強い鹿児島でずっと昔から比例復活をし続けてきた川内博史も比例復活すらできずに議席を失い、05年の11人から3人に減った。中国も畏友平岡秀夫も議席を失い、小選挙区はゼロで比例2人のみ。四国は今どき珍しい第3極なしの自民共の3人しか立候補しない小選挙区で1人小選挙区当選したが、枢要ポストに就き続けた仙谷由人も落選している。九州3人(比)、中国2人(比)、四国2人(小1、比1)で、西日本で05年19人に対して7人(松野頼久(維新)を入れると8人)だけという、それこそ壊滅的結果である。
 それに対して、都市部は東京(1→2)も千葉(1→2)も神奈川(0→1)も小選挙区当選者が増え、総当選者数も東京は2人減ったが、生活の青木愛を加えると1減(7→5~6)、千葉(5→5)と、神奈川は同数(2→2)と、全体では05年よりもむしろ善戦している。ただ、さすが近畿、特に大阪は維新が躍進し、パナソニック労組の支援で選挙にはめっぽう強かった平野博文も落選し、知名度の高い辻元清美1人しか当選できなかった(4→1)。つまり、05年小泉郵政選挙の113人と今回の57人の差は、地方・農村部の大惨敗(北海道-9、中国・四国・九州-12、東北・北関東・北陸信越-16等)の故であり、TPPがいかに地方・農村部に悪影響を与えたのか一目瞭然である。
 この事実が見えないマスコミ、評論家等は、原発もTPPも選挙に影響を与なかったと解説をしている。空中戦の党首クラスの討論には出てきていないが、名前を書く投票者には大きな影響を与えたのだ。大敗北の直接の大戦犯はこの愚かなマニフェストである。
 何の益もないのに、野田首相と4閣僚が競ってTPPについて前のめり発言を繰り返し、マニフェストでとどめを刺した。私にはこのような自爆発言をなぜしたのか、いまだもって理解できない。

<カードが固い自民党>
 このことは政権交代後の自民党の対応と比べてみてもよくわかる。
 7月の参議院選挙を意識して愚かな言動はしない高市早苗政調会長が1月6日のフジテレビの番組で「交渉に参加し、条件が整わなければ脱退する選択肢もゼロではない。内閣が決めることだ」と発言をし、甘利明経済再生担当相も前向きな姿勢をにじませた。それに対して自民党の議員はすぐさま猛然と反発し、党がきちんと決めることだと言い、その後政調会長も発言しなくなっている。岸田外相も茂木経産相も黙して語らない。民主党の前原政調会長なり、閣僚がそれぞれ勝手なことを言い続けたのと大違いである。成熟した政権与党と成り上がりの未熟な与党の差がくっきりと出ている。民主党の「TPPを慎重に考える会」に相当する自民党の「TPP参加の即時撤回を求める会」には、2月中旬で230人(384人のうち60%)も参加している。そして、党も政府もそれを意識して動いているのだ。
 安倍首相も総選挙中は野党の気安さから、「前提条件を突破でき、国益が守られれば交渉参加は当然だ」と少々危うい発言があったが、政権交代後は党の議論を待つ、と極めて慎重になっている。1月30日の代表質問(高村正彦副総裁)に答えて、「TPP交渉には参加しない」と明言している。一度野党を経験しただけに、絶対に与党を明け渡さないという狡猾さと執念がみられる。この点もまた民主党の党提言は(10年11月9日の提言)「慎重に」という結論になったにもかかわらず、それを無視して常に前のめり発言を続けてきた野田首相と大違いである。6か月後の選挙を意識して抑えているのに、我が党トップ野田首相も4閣僚も、「畳をかきむしってでも勝利するぞ」とかいう言葉とは裏腹に、すぐ目の前に迫っている選挙なのにまさに自爆発言を繰り返していたのだ。政権与党たり続けようとする気構えも用心深さもほとんど見られなかった。
 その意味では、今回は、民主党の一人相撲で自ら墓穴を掘り大敗北を喫した選挙だった。

<参議院選挙の勝敗はいつも農村部が鍵を握る>
 民主党は5年半前、07年の参議院選挙で1人区において農業者戸別所得補償で23勝6敗と大勝ちし、今度の2012年末総選挙では、民主党のゴタゴタや消費増税というマイナス要素もあったかもしれないけれど、やはり農政に大きく関わるTPP交渉への参加という前のめり発言で負けたのである。時として、農民票が選挙を大きく左右するのである。ところが、残念ながら野田執行部にはこれを肌身で感じるものや感度のいいものが皆無だった。
 野田首相は欲張って消費増税に続いて、TPP交渉への参加という業績も残そうとしたが、ただ政権与党の大敗北という仕打ちを受けただけに終わった。私は差し出がましくも、12年5月22日の私の初の励ます会(2冊の本の出版記念パーティ)で、「反TPPと脱原発で起死回生を」(5/23夕刊フジ参照)と進言した。しかし、民主党幹部はTPPでは真逆を進み、脱原発では大飯原発再稼働で真逆を行き、党内の猛反発を受け、30年代の脱原発に舵を切った。
反TPPと脱原発で起死回生を 5/23夕刊フジ

 民主党はもっと与党として学ばなければならず、自民党も野党をもっと長く続け反省してもらわなければならなかったのだ。それが、日本の政治をよくするというのが羽田さんの口癖であった。それをこんなに早く自民党の復活を許してしまった。功ばかり焦った野田首相とそれを許した周辺幹部の罪は重い。どう弁明しても償いはできない。