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2013年05月23日

愚かな水産特区は「あまちゃん」の世界を壊す -日本人の知恵による資源管理と絆で結ばれた漁村は世界が絶賛- 13.5.23

<録画で見るNHKの朝ドラ>
 NHKの朝ドラ「あまちゃん」が好評のようである。かくいう私も録画して見ている。人気の脚本家宮藤官九郎(クドカン)の名は知っていたが、いかんせんTVドラマをゆっくり見ている余裕がない国会議員であり、夜のドラマなどおよそ見たことがなかった。朝ドラは、朝食時にチラチラ見る程度だったが、数年前の「てっぱん」は妻の故郷尾道が舞台だったため、妻は見逃さないよう録画していた。次の「おひさま」は長野の安曇野が舞台だったので、人一倍愛郷心の強い私を慮って、私用に録画してくれた。その好意を無にするわけにもいかず見たが、風景は私の目を楽しませてくれたものの、脚本は今一つだった。その後も朝ドラはチラチラ見ていたが、「あまちゃん」は久々にしっかり見続けている。

<海女は強い絆の地域社会の一つ>
 「海女」の強いつながりがこのドラマの基礎をなしている。寅さんの映画が、いつでも帰って来られる柴又帝釈天の近くの団子屋のある商店街が安心感を与えているのと同じである。
 今のところ夏バッパの家1軒しか出てこないが、強い絆で結ばれた隣人たちの中でドラマが展開している。私は、日本の沿岸漁業を企業の手に渡す水産特区とやらが、この涙が出てくるような麗しい隣近所付き合いをつぶし、日本の海を荒らしてしまうことに重大な危惧を抱いている。クドカンには、漁村の崩壊といった社会問題にまでは触れてほしいと思っているが、朝ドラのテーマには不向きであり、無理である。

<「共有の悲劇」は日本にはあてはまらず>
 私は、1976年から2年間イチローのお蔭で今は誰でも知っているシアトルにあるワシントン大学海洋総合研究所で学んだ。私のメインテーマは海洋法と海洋資源管理である。世界は規制の論理がはびこり、世界の海は200海里の漁業水域を設け漁獲規制する方向に動いていた。皆のものは誰のものでもなくなる「コモンズ(共有)の悲劇」(ハーディン)は、我先に魚を獲りあった結果、資源が枯渇していることを問題視し、漁獲量を抑える総量規制の必要性を説き、厳しい管理を国際機関や国の仕事を位置づけしていた。そして、それが世界のルールにもなった。しかし、日本の入会林野や共同漁業権は、地域コミュニティの構成員に限って利用でき、むしろ最も理に適った持続的利用がなされていたのである。

<世界で絶賛される日本の沿岸漁業・漁村のルール>
  “Coastal Zone Management”(沿岸海域管理)という耳慣れない講義科目の中で、日本の共同漁業権による資源管理が絶賛された。教授は、私に是非授業に出てくれと懇願し、私にいろいろと日本の事情を質問して授業を進めた。「あまちゃん」に既に出ているが、ウニの漁期や漁場の範囲は漁民自ら決め、「あけ」の日と「しめ」の日を守り、決して資源を枯渇させたことがない。国も何も出ていく必要はないのである。ウニを枯渇させたら困るので、自然と自然(天然資源)との共生の論理が生まれてくる。国が規制する前に、自分たちでルールを作り守ってきたのである。それを企業の手に渡すと、人と自然の営みは断ち切られ、アキの周りのコミュニティは崩れていってしまう。

<血迷う無知な知事と民間企業の大合唱>
 これが、漁業特区とやらで企業が参入したらどうなるか。TPPに入り、世界共通のルールか知らないが、アメリカの漁業会社を含めて競争入札でウニ漁がやれるとなると、あのあまちゃんの描く世界は瞬く間に消えていく。アキは○○株式会社に雇われる季節労働者に成り下がり、夏バッパも生きていけなくなる。
 水産特区もTPPも、それこそ愚の骨頂なのがわからないのだろうか。世界の資源管理・海洋学者が遠くから見て羨ましいと絶賛する日本人の知恵を、日本人なのに何も知らない知事や企業が壊さんとしているのである。村井宮城県知事の主張の自己矛盾は、国は地方の声を聴かないと文句を言いつつ、知事自身が本当の漁業現場の声を聴かずに「特区」という言葉遊びや机上の空論に走っていることである。ところが、どのマスコミも簡単なこのまやかしすら気づかず、ひたすらほめそやす。どこに目をつけているか、TPPをひたすら絶賛するのと同じ図式である。農地を株式会社も所有できるようにすべしという、いつもの農地所有の自由化の主張と同じである。

<日本の海をコンクリートから守ってきた漁業権>
 漁業権というと、埋め立ての補償金が問題になり、加工貿易立国に好都合な海辺を工場にしてしまいたい企業は、ずっと巨額な補償金に頭を悩まされてきた。そして、これを何とかなくしてほしいと常に願ってきた。陸の世界で、企業に農地の収得を認めるというのと全く同根である。しかし、これもまた沿岸に張り巡らされた漁業権により乱開発を防いだと諸外国の専門家から褒められる制度なのである。もし、この歯止めがなかったら、日本の太平洋側の内湾は、ほとんどがコンクリートで塗り固められ、海は荒廃し、景色も無残なものとなっていただろう。
 今、富士山が世界遺産となったと大騒ぎされているが、それよりも何よりも、江戸末期から明治にかけて訪れた欧米の目の肥えた人たちが、瀬戸内海の美しさに見とれたのである。たぶん瀬戸内海こそ世界に類まれなる美しい内海なのに、今はあちこちに見苦しいテトラポットが並び、沿岸は工場だらけになっている。残念ながら、共同漁業権でも守れなかったからである。日本人でこのことに気付いて発言した有識者は、私の知る限りでは、かつてのテレビの売れっ子竹村健一しかいない。

<水産特区は災害資本主義(ショック・ドクトリン)の一形質>
 東日本大震災で漁村こそ大打撃を受けた。その再生のためには、高齢化した漁業者だけに任せておくわけにはいかない、企業が前面に出ないとならない、とまことしやかに言われ、上述の漁業特区が幅を利かせだした。まさに、2007年のナオミ・クラインのベストセラー「災害資本主義」あるいは「ショック・ドクトリン」を地でいくおかしな論理なのである。災害に乗じていつの間にか大資本の手が伸びてきて、すべてが市場化され、傘下にされてしまうというものである。私は、難解なその本を読み始めたものの、よく理解できなかった。正直なところ、クラインの突飛な理論であり、ハリケーン・カトリーナで被害を受けて茫然自失する住民ばかりとなるアメリカでは起きても、沈着冷静な人が大半の日本では起こりうべくもないと思っていた。

<政府が市場原理主義を推し進める不思議の国日本>
 ところが、今まさに、クラインが指摘したそのままずばりのことが、あろうことか、日本では大資本ではなく愚かな政府や宮城県が手助けして起ころうとしている。政府は逆に災害に便乗した市場原理主義に対して住民を守るための規制をしなければならないというのに、なんという国なのか、私は怒りがこみ上げてくる。
 この先に、クドカンが東日本大震災の津波をどうドラマに入れ込み、その後をどう書き込むのか興味のあるところである。願わくば、あまちゃんを温かく迎え入れ育ててくれる漁村地域社会を守る大切さを、それとなく日本国民に示唆してほしい。人と人とのつながりが希薄となり、寂しさが不幸の元となった現代社会に必要なのは、漁業特区による経済的利益よりも、血の通い合う地域社会の復活なのである。

2013年05月14日

憲法96条改正論議の矛盾 -安倍首相のTPPに次ぐ勇み足- 13.5.14

 私は昨年憲法審査会の委員となり、今年も引き続き所属している。毎週木曜日午前中に必ず2時間から3時間、章ごとに審議が行われている。他の委員会と違って政府側に質問するのではなく、最初に各党の担当が公式見解なり代表的見解を述べた後、各委員が名札を立てて自分の意見を述べるという形で淡々と進められてきている。
 そして、5月9日(木)には、最近特にクローズアップされてきている9章「改正」、条文でいうと「第96条改正の手続きその公布」について、初めて本格的な議論が行なわれた。 
 私の記憶では、これまでも様々な分野について議論してきているが、この96条についてこれだけ集中的に議論したことはなかったと思う。いつもより多くのTVカメラが揃い、いつもは空席の目立つ自民党の席も埋まっていた。マスコミも世間もある程度注目していたのである。そこで、私もそろそろ憲法改正問題についてメルマガ・ブログをまとめなければならないと思っていた。そうした折、私の発言がNHKのニュースウォッチ9でそこそこ取り上げられたので、今日はじめて憲法議論について報告することにした。

<要件緩和賛成は自・維・み、反対慎重は民・公・共・社・みどり>
 憲法改正については、9条を中心にいろいろ議論のあるところではあるが、自民党あるいは安倍政権が突然96条の3分の2の発議要件がきついので、先行して2分の1に改正しようと言い出した。理由は、そもそも日本で60年以上憲法改正が行なわれなかったのは、衆参各院の3分の2以上の賛成で発議し、国民に提示してその承認を経なければならないとされていることが原因だというのだ。2010年5月に国民投票法がやっとできたものの、一度も発議されたこともなければ、国民投票に付されたこともない。
 党でいうと、自民党、維新の会、みんなの党は、要件を緩和し2分の1にすることに大賛成。それに対して、共産党、社民党、みどりの風は反対。相当反対に近い中間が民主党と公明党である。もちろん民主党の中でも、ごく少数の人たちが自民党と同じ考えの持ち主もいる。逆に賛成する3党にも反対の人がいる。憲法問題はそれぞれの価値観、考え方がもろに出てくる問題なのだ。

<常識的な民主党の主張>
 民主党の考えは極めて常識的で、3分の2のきつい要件というのは、仕方のないことであり、今どこを改正するかというこの議論もなしに、手続きだけを先行して改正するのは好ましくないというものである。ごく一部に96条先行改正賛成者もいるが、強烈な憲法改正論者の前原誠司議員ですら先行改正には異を唱えている。一部に尤もらしく、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義といった大原則は3分の2が必要だが、内閣とか国会と言った統治機構の問題等、2分の1でいいのではないかと言う人もいる。しかし後述するように憲法改正に変な小細工は不要である。
 本件について、ごく少数の保守をもって任じる民主党議員が賛成しているが、海江田代表がきっぱりと96条先行改正には反対していくと明言している。民主党としては珍しいことである。

<3分の2の多数は本当にそんなに困難か>
 私はもしも他の条文とともにこの改正手続きも2分の1にする改正案が、3分の2の多数で発議されるなら、それはそれで正当な手続きであり仕方がないことだと思う。しかし、今のようなどうも改正しにくいから、与党が多数の議席を持っている時に一気に要件を2分の1に緩和して、あとで何でも簡単に改正できるようにしようというのは、邪道としかいいようがない。
 自民党なり多くの議員の賛成の理由として以下のようなことをあげる。
 国民の中に憲法改正をすべきだという人が半分以上いるのに対して、それができないのは衆参両院の3分の2以上の賛成というのがあるからである。それに加えて、今の選挙制度では、3分の2以上の安定多数を獲れる政党というのはなかなか出てこない。
 ところが、今現に安倍政権下の与党は自公両党で3分の2を超え、維新の会とみんなの党もいれたら裕に3分の2を超える。そうした中での都合のいい議論であり、どこかおかしい。

<諸外国との比較>
 もう一つ、96条の要件緩和論で出てくるのが、諸外国の憲法改正の回数(米6、仏27、独59、伊16、加19、韓9)との差である。日本がゼロというのは異常であり、その原因をすべてきつい要件(これを「硬性憲法」といい、簡単に改正できるものを「軟性憲法」という)のせいにしている。
 確かに、発議を議会の過半数としている国(加、伊、デンマーク、スイス、豪、仏、アイルランド等)が多い。しかし、カナダは州議会の3分の2の承認、イタリアは3ヶ月以上隔てた2回ずつの議決、デンマークは総選挙を挟んだ2回の議決等、一般の法律よりも常にきつい要件を課している。イタリアとデンマークは、議会に世論等に流されない冷静な判断を求めるための工夫、すなわちある程度時間をおくことが求められている。そして、大半が日本と同じく国民投票というもう一つハードルを設けている。
 日本と同じ3分の2以上という国は、米、西、韓、独等である。アメリカは合衆(州)国なので州議会の4分の3以上の承認を必要としている。ユニークなのはスペインで、全面改正や国の基本原則、国王に関する改正等は両議院の3分の2以上で、総選挙をはさんで2回ずつの議決を求める一方、そうしたもの以外は単に5分の3以上というゆるい要件にしている。
 国際比較でみるならば、日本は平均よりもややきつい要件となっていることは事実である。

<重要度により要件を分けるのは複雑すぎる>
 いつも一回ぐらいは発言しているが、今回は注目すべき課題であり他の委員もいろいろ意見があるだろうから、遠慮しようと思っていた。しかし、議論を聞いているうちに発言したくなってしまった。私の言った意見は簡単明瞭である。
 前文から始まって、最後の条文103条の句点まで同じ憲法である。条文なり章でもって改正の手続きに違いを持たせ、「章差別」をするのはよくない。もし重要性により分けるとしても、どれが一体憲法の根幹と言えるのか不明確である。スペインでは、もともと憲法そのものに改正要件の違いが書いてあるという。日本が今からそんな区別をするのは、技巧に走り過ぎである。

<国民が憲法改正を望まなかったのか本当の理由>
 次に、もし自民党がいうように、半分以上の国民が憲法改正を望んでいるにも関わらず3分の2の規定がきつすぎて改正できなかったとするならば、国会議員の怠慢である。なぜなら国会議員は国民の声を聞いて、政策を企画立案し実行するのが仕事なのに、それをしてこなかったことになるからだ。憲法が改正されなかったのは、どこをどういうふうに変えてほしいという国民の強い声がなかったからである。
 世論調査では、半分以上の国民は憲法改正に賛成しているというが、それは「憲法を改正してもいいよ」と言っているだけであって、それを我々国会議員だけで「いや、憲法のどこそこの条文を改正しなくてはならない」と発議するのはおせっかい政治であり、むしろ控えるべきではなかろうか。国民の声を反映と口々に述べた自民党は、そのさえたる制度である住民投票について頑なに否定的態度を取り続けているのであり、この姿勢と大きく矛盾する。つまりこじつけの理屈でしかない。
 TPP断固反対という公約で12年末総選挙を乗り切り、嘘だらけの日米共同声明で国民の騙し、今度は、96条改正ならいいという世論操作を始めている。その結果、TPPに次ぐ2つ目の大きな勇み足になりつつある。

<悲しい保守の劣化>
 私が霞が関で仕事を始めた頃は、自民党にも今思うときら星のごとき重厚な、ハト派の政治家が活躍していた。後藤田正晴、野中廣務であり、ちょっと下がると河野洋平、加藤紘一、亀井静香、古賀誠である。今、現職は亀井静香だけである。そして、「改憲マニア」ともいうべきオタク保守政治家ばかりが目につくようになった。残念ながら民主党にもTPPに賛成し、原発を推進するトンチンカンなニセ保守チラホラみられる。( 真正保守は反TPP・反原発が当然 -日本の保守が反TPP・反原発にならない不思議- 12.10.19
土を滅ぼし食料生産力を失う文明は滅亡する-塩類集積と放射能汚染の類似性- 12.10.25
アメリカはいつも、利己的(利国的?)遺伝子だらけ -アメリカに遠隔操作される原発政策から脱し、非核4原則に徹する- 12.11.7

<9条改正につながる大問題>
 今回、憲法論議の一つの中に96条問題というのが大きくクローズアップされたことは確かである。昔からの9条改正論者である小林節慶大教授にも、「立憲主義を無視した邪道」だと反対され、石破幹事長等の発言にみられるとおり今週(5月13日以降)は急にトーンダウンし始めている。勇み足に気づき始めたからであろう。
 私は、各党内にもいろいろな意見もあるのだが、これこそ党議拘束なしにすべきこと、また無効投票を少なくするために賛成の箇所に○印のハンコを押すという意見を述べた。
 共産党の笠井亮委員が指摘するとおり、自民党の主張の陰には大問題の9条改正が隠れている。私はかねてから9条について考えていることがあるが、別の機会にまた報告することにする。